彼女の名前はルナという。漢字が何かを当てはめていたはずだったが、記憶に残っているのはその‘音(おん)’の響きだけで、そういえば、ルナって‘月’のことだな、と考えたことを覚えている。
一クラスしかない小さな学校で、同じ教室に毎日通っていたのに、俺は彼女のことをあまりよく知らない。いや、女生徒全般をあまり覚えていない。特に、彼女は目立つ方だったから覚えていたようなものだ。女性との付き合いに興味がなかったとかそんなモノではなくて、当時、俺は部活動に忙しかったのだ。野球やサッカーのような大人数が必要な競技があまり盛んではなく(単に人数が足りないだけだが)、田舎だったせいか、剣道や柔道といった類のものがけっこう強かった。俺は、強かったから、というよりも単に‘道’のつく競技が好きだったから部長を任され、何故か2年のときから部活を取り仕切っていた。お陰で、大会に向けてとか、部内の揉め事の解決や、成績不良者が出ると大会出場が危うくなるので、その管理に忙しかったのだ。
ルナは高校を卒業するとさっさと都会へ出てしまい、卒業以来音信不通だ。だいたい、なんであのとき、ルナが近所でもない俺の家の前を通りかかったのか不思議だ。俺の家の近所に、あいつの友達でもいたっけ?と考えるが、思い出せない。
彼女はクラスでは人気者で、男にも女にも好かれていて、俺が彼女と二人きりで話をするなんて機会なんて滅多になかった。いや、あれが最初で最後だっただろうか。
だから、彼女との思い出は、あのとき交わされた「かぐや姫」の‘罪’に関する会話だけだ。
俺はといえば、地元の大学に進み、女の子と付き合ったりもしたが、なんとなく別れて、今に至っている。
「飛永(ひなが)、私がかぐや姫だったら、求婚してくれた?」
あの夜、ルナは俺を見上げてそんなことを聞いた。薄闇の中で、月の光が柔らかく辺り一帯に降り注いでいる。真っ黒で長い髪の毛を後ろで結わえ、どちらかというと色白で丸い輪郭の彼女は、全体的には柔らかい印象なのに、その瞳だけがいつも強い光を湛えて挑戦的とでもいうように光っていた。
「かぐや姫がモテたのって、絶世の美女だったからだろ?」
「あら。それって、私が絶世の美女じゃないから比較にも何にもならね~よ、ってこと?」
「昔の男って、美人かどうかくらいしか女性の価値判断がなかったってことだよ。今だったら、もっと複雑だろ?いくら美人でも性格が悪いとね。昔は、女性は、ほら、自分の我を通すこと自体なかったっていうか。」
「…随分、真面目に考えるのね。」
ルナは仕舞いに呆れて笑った。
「そうね、それが罰ね、きっと。」
「それって、どれ?」
ルナは、ふふふ、と笑って真っ直ぐ庭を見つめ、まるでそこに何かいる・・・とでもいうような鋭い視線を投げかけながら言った。
「好きな人とは決して結ばれない、ってのが。」
「かぐや姫に好きな男がいたのか?」
「うん、いたよ。だから、追いかけてきたんだ。」
「へ?誰?」
「名もない、身分もない、ただの男。」
まるで、事実を語るように淡々とした彼女の様子に、俺はふと興味を抱いた。
「君、もしかして、かぐや姫の親戚とか?」
冗談で言うと、ルナはにっこり笑って俺を見上げた。
「本人じゃないよ。つまり、生まれ変わりかなぁ。」
へえ、と感心してみせると、な~んちゃって~、と彼女は独特の人懐こい笑みで俺をにこにこ見上げた。
いや、俺だって、本気で信じた訳じゃない。ただ、あまりに彼女が楽しそうだったのでバカに出来なかっただけだ。それに、そういうのって、あっても良いんじゃないかと思えるくらい、その夜の月は見事だった。
月見なんて滅多にマトモにしない俺が、その夜は、たまたま彼女の登場で、なんとはなしに本気で月を眺めてしまった。
その後、母親に見つかり、「あら、ルナちゃん。一人?一緒に夕飯食べていきなさいよ。」と彼女は捕まり、結局、家の奥に連れ込まれてお月見用のおこわとかを喜んで食べて帰った。
家の人に断らなくて良いのか?と、ちらりと思ったが、こんな時間に出歩いていること自体、家で気まずいことでもあって、憂さ晴らしに来たのかな、という感もあって、俺は何も言わなかった。
それにしても、世の母親とは、よくもまぁ、いろんな情報を知っているものだ。
俺のクラスメイトの女の子のことは、俺なんかよりずっと詳しいらしい。顔を見ただけで、「あら、○○ちゃん。」と誰にでも呼びかける母親を異星人のような思いでよく見つめていたものだ。
一クラスしかない小さな学校で、同じ教室に毎日通っていたのに、俺は彼女のことをあまりよく知らない。いや、女生徒全般をあまり覚えていない。特に、彼女は目立つ方だったから覚えていたようなものだ。女性との付き合いに興味がなかったとかそんなモノではなくて、当時、俺は部活動に忙しかったのだ。野球やサッカーのような大人数が必要な競技があまり盛んではなく(単に人数が足りないだけだが)、田舎だったせいか、剣道や柔道といった類のものがけっこう強かった。俺は、強かったから、というよりも単に‘道’のつく競技が好きだったから部長を任され、何故か2年のときから部活を取り仕切っていた。お陰で、大会に向けてとか、部内の揉め事の解決や、成績不良者が出ると大会出場が危うくなるので、その管理に忙しかったのだ。
ルナは高校を卒業するとさっさと都会へ出てしまい、卒業以来音信不通だ。だいたい、なんであのとき、ルナが近所でもない俺の家の前を通りかかったのか不思議だ。俺の家の近所に、あいつの友達でもいたっけ?と考えるが、思い出せない。
彼女はクラスでは人気者で、男にも女にも好かれていて、俺が彼女と二人きりで話をするなんて機会なんて滅多になかった。いや、あれが最初で最後だっただろうか。
だから、彼女との思い出は、あのとき交わされた「かぐや姫」の‘罪’に関する会話だけだ。
俺はといえば、地元の大学に進み、女の子と付き合ったりもしたが、なんとなく別れて、今に至っている。
「飛永(ひなが)、私がかぐや姫だったら、求婚してくれた?」
あの夜、ルナは俺を見上げてそんなことを聞いた。薄闇の中で、月の光が柔らかく辺り一帯に降り注いでいる。真っ黒で長い髪の毛を後ろで結わえ、どちらかというと色白で丸い輪郭の彼女は、全体的には柔らかい印象なのに、その瞳だけがいつも強い光を湛えて挑戦的とでもいうように光っていた。
「かぐや姫がモテたのって、絶世の美女だったからだろ?」
「あら。それって、私が絶世の美女じゃないから比較にも何にもならね~よ、ってこと?」
「昔の男って、美人かどうかくらいしか女性の価値判断がなかったってことだよ。今だったら、もっと複雑だろ?いくら美人でも性格が悪いとね。昔は、女性は、ほら、自分の我を通すこと自体なかったっていうか。」
「…随分、真面目に考えるのね。」
ルナは仕舞いに呆れて笑った。
「そうね、それが罰ね、きっと。」
「それって、どれ?」
ルナは、ふふふ、と笑って真っ直ぐ庭を見つめ、まるでそこに何かいる・・・とでもいうような鋭い視線を投げかけながら言った。
「好きな人とは決して結ばれない、ってのが。」
「かぐや姫に好きな男がいたのか?」
「うん、いたよ。だから、追いかけてきたんだ。」
「へ?誰?」
「名もない、身分もない、ただの男。」
まるで、事実を語るように淡々とした彼女の様子に、俺はふと興味を抱いた。
「君、もしかして、かぐや姫の親戚とか?」
冗談で言うと、ルナはにっこり笑って俺を見上げた。
「本人じゃないよ。つまり、生まれ変わりかなぁ。」
へえ、と感心してみせると、な~んちゃって~、と彼女は独特の人懐こい笑みで俺をにこにこ見上げた。
いや、俺だって、本気で信じた訳じゃない。ただ、あまりに彼女が楽しそうだったのでバカに出来なかっただけだ。それに、そういうのって、あっても良いんじゃないかと思えるくらい、その夜の月は見事だった。
月見なんて滅多にマトモにしない俺が、その夜は、たまたま彼女の登場で、なんとはなしに本気で月を眺めてしまった。
その後、母親に見つかり、「あら、ルナちゃん。一人?一緒に夕飯食べていきなさいよ。」と彼女は捕まり、結局、家の奥に連れ込まれてお月見用のおこわとかを喜んで食べて帰った。
家の人に断らなくて良いのか?と、ちらりと思ったが、こんな時間に出歩いていること自体、家で気まずいことでもあって、憂さ晴らしに来たのかな、という感もあって、俺は何も言わなかった。
それにしても、世の母親とは、よくもまぁ、いろんな情報を知っているものだ。
俺のクラスメイトの女の子のことは、俺なんかよりずっと詳しいらしい。顔を見ただけで、「あら、○○ちゃん。」と誰にでも呼びかける母親を異星人のような思いでよく見つめていたものだ。
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