「よう。久しぶりだな。」
それから数ヵ月後、冬も半ばが過ぎた頃、スミレが、二人の隠れ家を訪ねて来た。大分、二人の生活が落ち着いてきた頃だった。東北はもう雪に埋もれて一面真っ白だ。
ここは、『花籠』東北の拠点である‘梅’の店がほど近い山の麓。避難小屋のような造りのこの建物は、以前は集落の公民館、集会所のような役割だったが、人口が減り、祭りや行事が途絶え、その機能を失った。それを‘梅’の店主が買い取り、住居として改築したものだ。
それを、あの日、不意にこの土地を訪れたローズが‘梅’から借り受けた。
奈緒は出会った頃よりずっと健康的に太ってきた。見違えるほど女性的な体型になり、もう、機会があったとしても男の子の振りは出来そうにない。短く切られた髪も大分伸びて、どこか怯えてばかりだった瞳にほんの少し‘女’の甘い光が宿るようになっている。
「チェリーボーイ?すっかり女の子らしくなったじゃないか。」
入り口を入ってすぐのダイニング兼リビングの部屋で、ローズがパソコンをいじって仕事をしている傍らで、屈み込んで暖炉に薪を放り込んでいた奈緒は、久しぶりに聞く声にぱっと振り返った。
「スミレさん!」
「いや、さん、はよそうぜ。それこそ、女みたいだ。」
苦笑して、スミレは空いている椅子に腰を下ろす。そこは中央に木製のテーブルがあり、それを囲むように数個の椅子が並んでいる。壁際に書斎机が置かれて、そこはパソコンやプリンターなどが並んだローズの仕事スペースになっていた。暖炉はそのまま竃の役割も果たし、上には常にやかんがお湯を沸かしている。
奥にはキッチンのスペースとお風呂場があり、更に奥には寝室がある。
「ままごと夫婦みたいな生活してるんだな。」
ローズは相変わらず、背中を向けたままで不機嫌そうに呻く。彼は、スミレの気配はここに入ってくる前からすでに感じていた。そして、変わらない態度で勢い良く扉を開ける様子まで手に取るように分かっていたのだ。
「大きなお世話だ。何か用か?」
「花篭から、連絡来てないのか?」
「ないね。」
奈緒は、コーヒーを淹れながら、棚からソーサーを取り出している。
「あ、チェリーちゃん、俺には砂糖とミルクも頼むよ。」
パソコン画面を閉じて、ローズはやっと振り返る。
「俺も必要なのか?」
「ああ。あっちの件らしいよ。」
「冬場はあまり関わりたくない世界なんだがな。」
「季節に関係あるのか?」
「幽霊は夏に出るものと相場が決まってる。」
ははは、と豪快に笑い飛ばし、ふと思い出したように、彼はコーヒーを運んできたチェリーに向き直った。
「そういえば、チェリーボーイ、‘梅’の店主んとこで修行してるんだって?」
「え?…あ、そのぉ…」
奈緒はきまり悪そうにちらりとローズに視線を走らせた。奈緒からカップを受け取ったローズが、じろりと彼女を睨む。
「え?」
スミレは二人の顔を交互に見て、事態を把握する。
「あらら~…もしかして、内緒だった…?」
瞬間、空気が冷えて固まった。
「チェリー、君はもう出かける時間だろ?」
ローズに言われて、奈緒は慌てて部屋に戻っていく。その後ろ姿が完全に消えてから、スミレはこっそり口を開く。
「なんだよ、反対してるのか?」
「当たり前だろ。女の子だぞ、あれは。」
「そりゃ、そうだが、お前、あの子にコードネームを与えたじゃないか。俺は、いずれ組織に入れるもんだと思ってたが。」
「バカ言え。仕事の手伝いはあのときが最初で最後だと言い渡してある。」
ローズの目に、まるで娘の行く末を心配する父親の情を見つけて、スミレは唖然とする。
「いったいどうしたんだよ、ローズ。お前には縁(エン)も縁(ユカリ)もないガキだろ?しかも、結局、チェリーはお前にとっては‘女’じゃないか。」
ローズはちらりとスミレを睨み、口を閉ざした。
そのとき、奈緒が、着替えを済ませて奥の部屋から出て来た。コートを着込んで手袋をはめて、彼女は不穏な空気が漂う二人の様子にちょっと怯えた視線を走らせる。
「…行ってきます。」
「ああ。気をつけて。」
ローズは言い、「また、あとでな~」とスミレがにこやかに手を振った。奈緒は、二人の様子を気にしながらも扉を開けて外に出て行く。パタン、とドアの閉る音が響き、スミレは張り付いていた笑顔を解き、ローズに向き直った。
「…で、ちなみに、チェリーはどこへ行ったんだ?」
「‘梅’の店でアルバイトだよ。」
「なんだ。じゃ、知ってるんじゃないか。」
ローズは一瞬スミレを睨むように見据えて、カップのコーヒーを飲み干す。
「俺が許可したのは、店で在庫整理や管理の手伝いをする‘アルバイト’だけだ。」
「…厳しいパパだな。でも、結局チェリーがこの世界に関わるきっかけを与えたことには変わらんだろうが。」
尚も憮然とした表情のローズに、スミレはむしろ「こりゃ、おもしろいわ。」と顔には出さずに笑う。組織に関わることは、当然、花篭に連絡が入るから、スミレはその情報を‘竹’から得て、「へええ~っ、女の子が入ると俺らも世界が華やかになるなぁ!」と笑顔で答えてきたのだった。
「まぁ、チェリーボーイのことは良いよ。とりあえず、‘梅’の店に、今回頼んでいた品が届いている筈だから、俺、取ってくるわ。」
立ち上がったスミレを冷たい目で見つめ、ローズは言った。
「俺は引き受けるとは言ってない。」
「えええ??? いやいや、ちょっと待てよ。お前がいなかったら仕事にならんよ。頼むよ、ローズ。」
ふい、と視線をそらしてローズはパソコンデスクに向き直る。
「待て待て待て! …お前、そんないい加減で良いのか? もう、仕事まわってこなくなるぞ?」
言いながら、まったく説得力がない言葉に自分自身で呆れ、スミレは更に慌てる。
「分かった! チェリーに、もうこれ以上この世界に関わるな、と言い聞かせてくる! それで良いだろ? 頼むよ。」
「お前に説得されるような子じゃないよ。」
「いやいや、けっこう俺はあの子に信頼されているぞ? 何しろ、お前との情事を一部始終見ていたのは…」
ぎろりとローズに睨まれ、スミレは口を開いたまま固まる。そういう下品な話題を、この男は嫌うんだった。
「いや…あれだ、その…この世界の厳しさをだな、こう…」
既に、何を言っているのか分からない状態になっているスミレをちらりと一瞥し、ローズは立ち上がる。
「ちょ…っ、ちょっと待て! おい、どこへ行くんだ!」
「生理現象。」
……。
「あ、ああ…。」
スミレはあんぐり口を開いたまま、再度椅子に腰を下ろした。
それから数ヵ月後、冬も半ばが過ぎた頃、スミレが、二人の隠れ家を訪ねて来た。大分、二人の生活が落ち着いてきた頃だった。東北はもう雪に埋もれて一面真っ白だ。
ここは、『花籠』東北の拠点である‘梅’の店がほど近い山の麓。避難小屋のような造りのこの建物は、以前は集落の公民館、集会所のような役割だったが、人口が減り、祭りや行事が途絶え、その機能を失った。それを‘梅’の店主が買い取り、住居として改築したものだ。
それを、あの日、不意にこの土地を訪れたローズが‘梅’から借り受けた。
奈緒は出会った頃よりずっと健康的に太ってきた。見違えるほど女性的な体型になり、もう、機会があったとしても男の子の振りは出来そうにない。短く切られた髪も大分伸びて、どこか怯えてばかりだった瞳にほんの少し‘女’の甘い光が宿るようになっている。
「チェリーボーイ?すっかり女の子らしくなったじゃないか。」
入り口を入ってすぐのダイニング兼リビングの部屋で、ローズがパソコンをいじって仕事をしている傍らで、屈み込んで暖炉に薪を放り込んでいた奈緒は、久しぶりに聞く声にぱっと振り返った。
「スミレさん!」
「いや、さん、はよそうぜ。それこそ、女みたいだ。」
苦笑して、スミレは空いている椅子に腰を下ろす。そこは中央に木製のテーブルがあり、それを囲むように数個の椅子が並んでいる。壁際に書斎机が置かれて、そこはパソコンやプリンターなどが並んだローズの仕事スペースになっていた。暖炉はそのまま竃の役割も果たし、上には常にやかんがお湯を沸かしている。
奥にはキッチンのスペースとお風呂場があり、更に奥には寝室がある。
「ままごと夫婦みたいな生活してるんだな。」
ローズは相変わらず、背中を向けたままで不機嫌そうに呻く。彼は、スミレの気配はここに入ってくる前からすでに感じていた。そして、変わらない態度で勢い良く扉を開ける様子まで手に取るように分かっていたのだ。
「大きなお世話だ。何か用か?」
「花篭から、連絡来てないのか?」
「ないね。」
奈緒は、コーヒーを淹れながら、棚からソーサーを取り出している。
「あ、チェリーちゃん、俺には砂糖とミルクも頼むよ。」
パソコン画面を閉じて、ローズはやっと振り返る。
「俺も必要なのか?」
「ああ。あっちの件らしいよ。」
「冬場はあまり関わりたくない世界なんだがな。」
「季節に関係あるのか?」
「幽霊は夏に出るものと相場が決まってる。」
ははは、と豪快に笑い飛ばし、ふと思い出したように、彼はコーヒーを運んできたチェリーに向き直った。
「そういえば、チェリーボーイ、‘梅’の店主んとこで修行してるんだって?」
「え?…あ、そのぉ…」
奈緒はきまり悪そうにちらりとローズに視線を走らせた。奈緒からカップを受け取ったローズが、じろりと彼女を睨む。
「え?」
スミレは二人の顔を交互に見て、事態を把握する。
「あらら~…もしかして、内緒だった…?」
瞬間、空気が冷えて固まった。
「チェリー、君はもう出かける時間だろ?」
ローズに言われて、奈緒は慌てて部屋に戻っていく。その後ろ姿が完全に消えてから、スミレはこっそり口を開く。
「なんだよ、反対してるのか?」
「当たり前だろ。女の子だぞ、あれは。」
「そりゃ、そうだが、お前、あの子にコードネームを与えたじゃないか。俺は、いずれ組織に入れるもんだと思ってたが。」
「バカ言え。仕事の手伝いはあのときが最初で最後だと言い渡してある。」
ローズの目に、まるで娘の行く末を心配する父親の情を見つけて、スミレは唖然とする。
「いったいどうしたんだよ、ローズ。お前には縁(エン)も縁(ユカリ)もないガキだろ?しかも、結局、チェリーはお前にとっては‘女’じゃないか。」
ローズはちらりとスミレを睨み、口を閉ざした。
そのとき、奈緒が、着替えを済ませて奥の部屋から出て来た。コートを着込んで手袋をはめて、彼女は不穏な空気が漂う二人の様子にちょっと怯えた視線を走らせる。
「…行ってきます。」
「ああ。気をつけて。」
ローズは言い、「また、あとでな~」とスミレがにこやかに手を振った。奈緒は、二人の様子を気にしながらも扉を開けて外に出て行く。パタン、とドアの閉る音が響き、スミレは張り付いていた笑顔を解き、ローズに向き直った。
「…で、ちなみに、チェリーはどこへ行ったんだ?」
「‘梅’の店でアルバイトだよ。」
「なんだ。じゃ、知ってるんじゃないか。」
ローズは一瞬スミレを睨むように見据えて、カップのコーヒーを飲み干す。
「俺が許可したのは、店で在庫整理や管理の手伝いをする‘アルバイト’だけだ。」
「…厳しいパパだな。でも、結局チェリーがこの世界に関わるきっかけを与えたことには変わらんだろうが。」
尚も憮然とした表情のローズに、スミレはむしろ「こりゃ、おもしろいわ。」と顔には出さずに笑う。組織に関わることは、当然、花篭に連絡が入るから、スミレはその情報を‘竹’から得て、「へええ~っ、女の子が入ると俺らも世界が華やかになるなぁ!」と笑顔で答えてきたのだった。
「まぁ、チェリーボーイのことは良いよ。とりあえず、‘梅’の店に、今回頼んでいた品が届いている筈だから、俺、取ってくるわ。」
立ち上がったスミレを冷たい目で見つめ、ローズは言った。
「俺は引き受けるとは言ってない。」
「えええ??? いやいや、ちょっと待てよ。お前がいなかったら仕事にならんよ。頼むよ、ローズ。」
ふい、と視線をそらしてローズはパソコンデスクに向き直る。
「待て待て待て! …お前、そんないい加減で良いのか? もう、仕事まわってこなくなるぞ?」
言いながら、まったく説得力がない言葉に自分自身で呆れ、スミレは更に慌てる。
「分かった! チェリーに、もうこれ以上この世界に関わるな、と言い聞かせてくる! それで良いだろ? 頼むよ。」
「お前に説得されるような子じゃないよ。」
「いやいや、けっこう俺はあの子に信頼されているぞ? 何しろ、お前との情事を一部始終見ていたのは…」
ぎろりとローズに睨まれ、スミレは口を開いたまま固まる。そういう下品な話題を、この男は嫌うんだった。
「いや…あれだ、その…この世界の厳しさをだな、こう…」
既に、何を言っているのか分からない状態になっているスミレをちらりと一瞥し、ローズは立ち上がる。
「ちょ…っ、ちょっと待て! おい、どこへ行くんだ!」
「生理現象。」
……。
「あ、ああ…。」
スミレはあんぐり口を開いたまま、再度椅子に腰を下ろした。
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