どうやって家まで戻ったのか、宰は記憶がなかった。
家に戻って部屋に滑り込み、彼は得体の知れない不安に身を固くした。
赤い目。
あれは、猫の目ではなかった。最初に見たとき、あの猫は金色に光る目をしていた。そして、キリアに表われたあの目も、彼女のものではなかった。
そして、宰は、あの目を知っている・・・と思う。
いつか、どこかで出会っている。
どこだった・・・?
ベッドに腰を下ろし、頭を抱えて考え込んでいると、ふと扉の外に人の気配を感じた。気配、ではない。明らかな殺気だ。
ぎくり、として扉を凝視する。
「・・・キリア・・・か?」
かすれた声で、彼は扉の向こうの彼女に声を掛ける。
「そうよ。」
細い少女の声が答える。しかし、その声にはまるで感情がなかった。ぞくりと背筋に冷たいものが走った。
「・・・どうか・・・したのか?」
相手は答えない。不気味な沈黙が流れている。宰はゆっくりと立ち上がり、胸のポケットからナイフを取り出して握り締めた。
「眠れないのかい?」
言いながら、扉に近づく。殺気は益々強く明確になっている。戸口まで歩み寄り、扉の取っ手に手を掛けた。じわりと冷や汗がにじむ。タイミングを見計らって宰はばっと扉を開け、ナイフを構えた。
そこにはキリアが立っていた。妖艶な微笑みを宿し、赤く燃える瞳で彼を見据えて。
突きつけられたナイフを目にしても、彼女は顔色も変えず、微動だにしなかった。
「誰だ・・・、お前は。」
「キリア。」
彼女は繰り返す。
その口の動きを見ている内に、宰ははっと記憶が蘇った。
「お前は・・・俺が、殺した・・・」
「そうよ。」
くすくすと彼女は笑った。
「やっと思い出してくれたの?殺し屋さん。」
赤い瞳がゆらりと燃え上がり、彼女は一歩足を踏み出す。宰が喉元にナイフを突きつけているのに、彼女はまったく動じない。
「この身体を傷つけても殺しても、私には関係ないことよ。どうぞ、殺してしまうと良いわ。私はこの子の身体でなくても、構わないのよ。知ってるでしょう?」
ふふふ、と少女の声で彼女は笑った。
キリア。聞いたことがある筈だった。彼女こそはこの革命の原因となった王女だ。敵対関係にあった某国のスパイが、王に近づき、関係を持ち、そして、国の機密を盗み出した。その、女スパイが生んだ王女だった。
母親の正体がしばらく分からずに、彼女は15歳まで王宮に暮らした。そして、母親がスパイだったことが発覚した途端、彼女は王室から除名され、暗殺という手段で葬り去られることとなった。
それを依頼されたのが宰だった。
それでも、どこから漏れるのだろう。死んだ王女の母親がスパイだったこと、その為に国が窮地に陥ったことは国中に知れ渡り、革命が勃発した。
年端もいかない少女殺害。あまり気持ちの良いものではなかった。出来るだけ苦しませずに、一瞬で死なせてやろうと宰は銃を構えた。
王女は命乞いをしなかった。ただ、その淡い薄茶の瞳で暗殺者をじっと見据え、そして死んでいった。
彼女の顔は噴きだす血にまみれ、開いたままの瞳も赤く染まっていた。
イヤな仕事だ、と宰はそのとき初めて思った。
「王女が・・・どうして、今頃。」
ナイフを突きつけながら宰は呻くように言った。
「私を殺した貴方にどうしても会いたかった。」
「確かに直接手をくだしたのは俺だが、俺にとってそれは仕事だったんだ。復讐するなら、依頼主で然るべきだろう・・・。」
それを聞いてキリアは笑った。
「心配しないで。依頼主はもう死んでるから。」
「な・・・んだと?」
「国王は、亡命先の国で原因不明の病に倒れて、死んだわ。」
驚いて、宰はナイフを取り落としそうになった。
「なんだって?」
「だから、今度は貴方に会いにきたんじゃない。」
キリアは再び一歩、前に進んだ。
「苦しませずに、なんて考えないわ、私は。うんと苦しんで死ぬが良い。」
目を細めて、彼女は宰の青ざめた顔を見上げた。
「さぁ、この子を殺しなさい。何の罪もないこの子を。次は・・・そうね、あなたの恋人に取り憑いてあげる。」
「やめろっ」
ミラの顔が浮かんで、宰は声をあげた。
「無関係の人間を巻き込むことはないだろう!俺は・・・俺は、少なくとも、そんなことはしなかった。」
「だから?」
声をあげてキリアは笑った。
「だから?」
「・・・俺を殺したいなら、俺だけを殺せ。この子は巻き込むな。」
宰は力なく言って、ナイフを下ろした。
「苦しむが良い。」
キリアの目が光った。
「苦しむが良いわ。」
そして、すうっと光が消え、少女はぐらりと崩れた。
咄嗟に、宰は彼女の身体を支え、抱きとめた。少女はすとん、と意識を失い、そのまま深い眠りに堕ちていた。
「・・・おい、大丈夫か?」
結局、キリアというのは、この子の名前ではなかったのだ。宰はようやく知る。この子はもしかして、口がきけないのではないか?そう。あの日以来。
「・・・すまない。俺のせいで、君までこんなことに巻き込んでいたのか・・・。」
すうすうと眠り続ける少女を腕に抱えたまま、宰は深い後悔に沈んでいった。
家に戻って部屋に滑り込み、彼は得体の知れない不安に身を固くした。
赤い目。
あれは、猫の目ではなかった。最初に見たとき、あの猫は金色に光る目をしていた。そして、キリアに表われたあの目も、彼女のものではなかった。
そして、宰は、あの目を知っている・・・と思う。
いつか、どこかで出会っている。
どこだった・・・?
ベッドに腰を下ろし、頭を抱えて考え込んでいると、ふと扉の外に人の気配を感じた。気配、ではない。明らかな殺気だ。
ぎくり、として扉を凝視する。
「・・・キリア・・・か?」
かすれた声で、彼は扉の向こうの彼女に声を掛ける。
「そうよ。」
細い少女の声が答える。しかし、その声にはまるで感情がなかった。ぞくりと背筋に冷たいものが走った。
「・・・どうか・・・したのか?」
相手は答えない。不気味な沈黙が流れている。宰はゆっくりと立ち上がり、胸のポケットからナイフを取り出して握り締めた。
「眠れないのかい?」
言いながら、扉に近づく。殺気は益々強く明確になっている。戸口まで歩み寄り、扉の取っ手に手を掛けた。じわりと冷や汗がにじむ。タイミングを見計らって宰はばっと扉を開け、ナイフを構えた。
そこにはキリアが立っていた。妖艶な微笑みを宿し、赤く燃える瞳で彼を見据えて。
突きつけられたナイフを目にしても、彼女は顔色も変えず、微動だにしなかった。
「誰だ・・・、お前は。」
「キリア。」
彼女は繰り返す。
その口の動きを見ている内に、宰ははっと記憶が蘇った。
「お前は・・・俺が、殺した・・・」
「そうよ。」
くすくすと彼女は笑った。
「やっと思い出してくれたの?殺し屋さん。」
赤い瞳がゆらりと燃え上がり、彼女は一歩足を踏み出す。宰が喉元にナイフを突きつけているのに、彼女はまったく動じない。
「この身体を傷つけても殺しても、私には関係ないことよ。どうぞ、殺してしまうと良いわ。私はこの子の身体でなくても、構わないのよ。知ってるでしょう?」
ふふふ、と少女の声で彼女は笑った。
キリア。聞いたことがある筈だった。彼女こそはこの革命の原因となった王女だ。敵対関係にあった某国のスパイが、王に近づき、関係を持ち、そして、国の機密を盗み出した。その、女スパイが生んだ王女だった。
母親の正体がしばらく分からずに、彼女は15歳まで王宮に暮らした。そして、母親がスパイだったことが発覚した途端、彼女は王室から除名され、暗殺という手段で葬り去られることとなった。
それを依頼されたのが宰だった。
それでも、どこから漏れるのだろう。死んだ王女の母親がスパイだったこと、その為に国が窮地に陥ったことは国中に知れ渡り、革命が勃発した。
年端もいかない少女殺害。あまり気持ちの良いものではなかった。出来るだけ苦しませずに、一瞬で死なせてやろうと宰は銃を構えた。
王女は命乞いをしなかった。ただ、その淡い薄茶の瞳で暗殺者をじっと見据え、そして死んでいった。
彼女の顔は噴きだす血にまみれ、開いたままの瞳も赤く染まっていた。
イヤな仕事だ、と宰はそのとき初めて思った。
「王女が・・・どうして、今頃。」
ナイフを突きつけながら宰は呻くように言った。
「私を殺した貴方にどうしても会いたかった。」
「確かに直接手をくだしたのは俺だが、俺にとってそれは仕事だったんだ。復讐するなら、依頼主で然るべきだろう・・・。」
それを聞いてキリアは笑った。
「心配しないで。依頼主はもう死んでるから。」
「な・・・んだと?」
「国王は、亡命先の国で原因不明の病に倒れて、死んだわ。」
驚いて、宰はナイフを取り落としそうになった。
「なんだって?」
「だから、今度は貴方に会いにきたんじゃない。」
キリアは再び一歩、前に進んだ。
「苦しませずに、なんて考えないわ、私は。うんと苦しんで死ぬが良い。」
目を細めて、彼女は宰の青ざめた顔を見上げた。
「さぁ、この子を殺しなさい。何の罪もないこの子を。次は・・・そうね、あなたの恋人に取り憑いてあげる。」
「やめろっ」
ミラの顔が浮かんで、宰は声をあげた。
「無関係の人間を巻き込むことはないだろう!俺は・・・俺は、少なくとも、そんなことはしなかった。」
「だから?」
声をあげてキリアは笑った。
「だから?」
「・・・俺を殺したいなら、俺だけを殺せ。この子は巻き込むな。」
宰は力なく言って、ナイフを下ろした。
「苦しむが良い。」
キリアの目が光った。
「苦しむが良いわ。」
そして、すうっと光が消え、少女はぐらりと崩れた。
咄嗟に、宰は彼女の身体を支え、抱きとめた。少女はすとん、と意識を失い、そのまま深い眠りに堕ちていた。
「・・・おい、大丈夫か?」
結局、キリアというのは、この子の名前ではなかったのだ。宰はようやく知る。この子はもしかして、口がきけないのではないか?そう。あの日以来。
「・・・すまない。俺のせいで、君までこんなことに巻き込んでいたのか・・・。」
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