しかし、彼は動かなかった。老人の断末魔の叫びのようなものが断続的に響いている。餓鬼の群れに覆いつくされ、もう服の片鱗しか見えない。そして、あっという間に老人の魂は、私たちに救いを求めて手を出そうともがきながら、餓鬼共に連れ去られ、ずるずるっと地面へと吸い込まれて行った。
「ご臨終です。」
白衣の老人は医師なのだろう。淡々と死亡確認を行い、そう事務的に告げて合掌した。それを聞いて背後に佇んでいたスーツ姿の男性数名は、顔を見合わせ、静かに部屋を出て行った。
「・・・どうして?蒼。・・・良いの?」
「手を差し伸べる隙がないんだよ、ああいうのは。」
「どうして?」
「悲しんでくれる人がいないと、俺たちには手を出せない。遺族の結界に守られない魂には触れられない。」
「そんな・・・それじゃ、悲しんでくれる人が、その人の死に目に会えなかったら、餓鬼が連れて行ってしまうの?」
「違うよ。」
蒼は、言って私の手を引き寄せた。
「悲しんでくれる人がこの世にいるかどうか、ということだ。どこにいたって、魂レベルのことは伝わっている。本人に自覚されようがされまいが、それは変わらない。涙の浄化、祈りの結界。それらがない魂は餓鬼道へと堕ちることが決められている。」
私は愕然として蒼の、その感情のカケラもない蒼い瞳を見上げた。
「今の人は、悲しんでくれる人が、この世に一人もいなかったってことなの?」
「そういうことになるね。」
「そんな・・・。そんな人なんているの?」
「現に今、目の前だ。」
振り返ると、彼の周りにはもう誰一人いなかった。皆、事務手続きに忙しく、遺族は遺産の分与のことしか関心がないらしい。そして、彼が関わった人々は、誰も、彼の死を悲しんではいない・・・。
不意に、その部屋にぼんやりした映像が広がった。
若かりし頃の老人に叱責される年配の部下。彼は、取引先へ向かい、そこで何かを告げる。そして、翌日、その取引先は一家心中という結末だ。そのニュースを茫然と見つめる部下。結局、彼も首を吊って命を絶った。
たくさんの若い主婦の集まり。
そこで、何事かを説明する若い男性。そこに集った主婦は何か奇妙な商品、錠剤のようなモノを買い求める。そして、帰宅した彼女たちはそれを夫や息子ににこにこして与える。
数日後、夫も息子、そして彼女自身も精神異常をきたしている。
狂ったように、その薬を貪りあう一家。そして、更なる悲劇が彼らを襲う。
母親の通帳の残高を確認して茫然としている息子。
身に覚えのない請求書を手に青ざめている青年。
連日のイヤがらせの電話やメールに叫び出す大学生の女の子。
夜の酒場でまるで死んだように虚ろな瞳で働く女の子たち。
その背後には必ず、札束を夢中になって数えるその老人の姿があった。
「帰ろうか。」
蒼の声が遠くに聞こえた。ふらりと私は倒れそうになって、彼に背中を預けた。
「どうして・・・」
私は意図せず呟いていた。
「人間なんて、自然の前ではちっぽけなのに。どんなに助け合って、労わり合って生きていても、一瞬で波にさらわれる弱い存在なのに・・・。」
蒼の柔らかい視線を感じた気がして、私は、彼が分かってるよ、とそう言ってくれた気がして、その胸にそっともたれて、涙を一粒零した。
「ご臨終です。」
白衣の老人は医師なのだろう。淡々と死亡確認を行い、そう事務的に告げて合掌した。それを聞いて背後に佇んでいたスーツ姿の男性数名は、顔を見合わせ、静かに部屋を出て行った。
「・・・どうして?蒼。・・・良いの?」
「手を差し伸べる隙がないんだよ、ああいうのは。」
「どうして?」
「悲しんでくれる人がいないと、俺たちには手を出せない。遺族の結界に守られない魂には触れられない。」
「そんな・・・それじゃ、悲しんでくれる人が、その人の死に目に会えなかったら、餓鬼が連れて行ってしまうの?」
「違うよ。」
蒼は、言って私の手を引き寄せた。
「悲しんでくれる人がこの世にいるかどうか、ということだ。どこにいたって、魂レベルのことは伝わっている。本人に自覚されようがされまいが、それは変わらない。涙の浄化、祈りの結界。それらがない魂は餓鬼道へと堕ちることが決められている。」
私は愕然として蒼の、その感情のカケラもない蒼い瞳を見上げた。
「今の人は、悲しんでくれる人が、この世に一人もいなかったってことなの?」
「そういうことになるね。」
「そんな・・・。そんな人なんているの?」
「現に今、目の前だ。」
振り返ると、彼の周りにはもう誰一人いなかった。皆、事務手続きに忙しく、遺族は遺産の分与のことしか関心がないらしい。そして、彼が関わった人々は、誰も、彼の死を悲しんではいない・・・。
不意に、その部屋にぼんやりした映像が広がった。
若かりし頃の老人に叱責される年配の部下。彼は、取引先へ向かい、そこで何かを告げる。そして、翌日、その取引先は一家心中という結末だ。そのニュースを茫然と見つめる部下。結局、彼も首を吊って命を絶った。
たくさんの若い主婦の集まり。
そこで、何事かを説明する若い男性。そこに集った主婦は何か奇妙な商品、錠剤のようなモノを買い求める。そして、帰宅した彼女たちはそれを夫や息子ににこにこして与える。
数日後、夫も息子、そして彼女自身も精神異常をきたしている。
狂ったように、その薬を貪りあう一家。そして、更なる悲劇が彼らを襲う。
母親の通帳の残高を確認して茫然としている息子。
身に覚えのない請求書を手に青ざめている青年。
連日のイヤがらせの電話やメールに叫び出す大学生の女の子。
夜の酒場でまるで死んだように虚ろな瞳で働く女の子たち。
その背後には必ず、札束を夢中になって数えるその老人の姿があった。
「帰ろうか。」
蒼の声が遠くに聞こえた。ふらりと私は倒れそうになって、彼に背中を預けた。
「どうして・・・」
私は意図せず呟いていた。
「人間なんて、自然の前ではちっぽけなのに。どんなに助け合って、労わり合って生きていても、一瞬で波にさらわれる弱い存在なのに・・・。」
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