あるとき、洗濯物を抱えて廊下を急ぐ菫さんとすれ違った。それを見て、私は不意に思い出した。
「あ、菫さん、ごめんなさい、もう一つ洗って欲しいものがあるんだけど。」
たたまれたまま使っていないガウンに、昨夜、やつが冷酒を溢していやにお酒臭くなっていたのを思い出したのだ。
「はい、今取りに伺います。」
「ううん、今、私が持ってくる。」
私は急いで信長の部屋に駆け込んで、それを掴んで戻ってくる。うえ~、やっぱりまだ匂いが残っている。
「これ、お願いします。」
「ありがとうございます。」
受け取って菫さんは微笑み、そして、笑顔のまま言った。
「鴻子さまは、本当に旦那さまを愛してらっしゃるんですね。」
「へっ?」
「あんまりそういうご夫婦に出会わないから、むしろ、新鮮です。」
「そんなことないと思うけど・・・。」
「そうですか?でも、少なくとも、旦那さまは鴻子さまのこと、愛してらっしゃる・・・というより、可愛くて仕方がないって感じですけど?」
「それこそ、そんなことないって。」
「あら、だって、鴻子さまを見てらっしゃるときって旦那さま、ものすごく嬉しそうな優しい目をしてらっしゃいますよ。」
・・・それは、勘違いというものでは。
やつが優しい目をすることなんて滅多にないって。だいたい、私、信長には常に喧嘩腰だし。
「お帰りになった瞬間って、大抵、ものすごく疲れた不機嫌な顔をしてらっしゃるのに、鴻子さまと夕食に現れたときって、空気が格段に柔らかくなってますよ。」
私は、仕方なく、そうなんだ・・・、と笑って別れた。
それは、私を散々いたぶってすっきりしたからだよ!とはさすがに言えなかった。
そして、ふと考えてみる。
自分の心について。
そういえば、本当に、私は信長をどう思ってるんだろう?
それまで恋愛経験らしきものもさっぱりなかった私には、比較、ということも出来ないし、‘好き’とか‘愛’とかがまるで分からない。
だいたい、親、或いは、親に相当する相手に確かに愛されたという実感も記憶もないのだ。
‘愛’が何なのか、私には分からない。
そして、似たような匂い、私の歪みには到底及ばないけど、どこか信長にもそういう匂いを感じてしまうのは気のせいだろうか?
それは、菫さんやみなとさんなど、マトモな家庭でマトモに育てられたんだな、という健全な空気に触れる機会を持つようになって初めて分かったことだ。
彼女らは家が遠いらしく住み込みでここにいるのだが、週に一度交替で家に帰っている。だから、気付くとどちらかがいない、という日があるのだ。毎週必ず帰るほど帰りたい家があって、会いたい家族がいる、ということが羨ましくはないけど、なんとなく、良いな、と思う。
自分にあまりに縁のなさすぎることは、比較すら出来ないから、人間は羨ましいとすら感じないものらしい。
だけど、たった一つ、分かったことがある。
もし、信長が私に飽きて、もう要らないと感じて、殺すのも面倒になって外へぽん、と放り出されてしまったら・・・と考えてみたとき。
それは、ひどく恐ろしい想像だった。
せっかく得られた安定した生活を失うこととか、菫さんやみなとさんとのちょっとした交流ももうないのだ、とか、いつも私を気に掛けてくれる幸甚さんにもう会えないとか、そういうことよりも、何よりも、信長がもう私を見てくれない、ということを考えるのが辛かった。
ほんのごくたまに見せる、きっと私にだけ見せる、ふっと笑ったひどく優しい目を、もう私には向けてくれないのだと思うことが。
そして、あの夜の自分の涙のわけを知った。
今まで、彼と暮らした沢山の女性に、信長は同じように共に生きることを夢見たのだろうか?という思いが、苦しかったのだ。
私は、彼が自分にだけ興味を抱いて、私自身よりも私のことを把握している、という現実に、どっぷりと甘えて、むしろそれに満たされていたのだということが分かった。
信長は、その表現方法が違うだけで、私にとっては‘親’と同じなのだ。
子どもが、どんな仕打ちをされても、虐待され、殺されるまで逃げ出したりしないように、私は、私に興味を抱いて私を欲しがってくれる相手に、たとえどんな目に遭わされても、そう、殺されても良いからそばにいたかったのだ。
・・・ちぇっ。
やっぱり、信長は、私よりも私のことをよく分かっていたのか。
そして、菫さんやみなとさんの方が、むしろ私のことを理解していたのかもしれない。
だけど、私の立場はあまりに不確かで、何もない。
いつ、信長に「もう、良い、さよならだよ。」と宣言されるか、本当のところは分からない。
「あ、菫さん、ごめんなさい、もう一つ洗って欲しいものがあるんだけど。」
たたまれたまま使っていないガウンに、昨夜、やつが冷酒を溢していやにお酒臭くなっていたのを思い出したのだ。
「はい、今取りに伺います。」
「ううん、今、私が持ってくる。」
私は急いで信長の部屋に駆け込んで、それを掴んで戻ってくる。うえ~、やっぱりまだ匂いが残っている。
「これ、お願いします。」
「ありがとうございます。」
受け取って菫さんは微笑み、そして、笑顔のまま言った。
「鴻子さまは、本当に旦那さまを愛してらっしゃるんですね。」
「へっ?」
「あんまりそういうご夫婦に出会わないから、むしろ、新鮮です。」
「そんなことないと思うけど・・・。」
「そうですか?でも、少なくとも、旦那さまは鴻子さまのこと、愛してらっしゃる・・・というより、可愛くて仕方がないって感じですけど?」
「それこそ、そんなことないって。」
「あら、だって、鴻子さまを見てらっしゃるときって旦那さま、ものすごく嬉しそうな優しい目をしてらっしゃいますよ。」
・・・それは、勘違いというものでは。
やつが優しい目をすることなんて滅多にないって。だいたい、私、信長には常に喧嘩腰だし。
「お帰りになった瞬間って、大抵、ものすごく疲れた不機嫌な顔をしてらっしゃるのに、鴻子さまと夕食に現れたときって、空気が格段に柔らかくなってますよ。」
私は、仕方なく、そうなんだ・・・、と笑って別れた。
それは、私を散々いたぶってすっきりしたからだよ!とはさすがに言えなかった。
そして、ふと考えてみる。
自分の心について。
そういえば、本当に、私は信長をどう思ってるんだろう?
それまで恋愛経験らしきものもさっぱりなかった私には、比較、ということも出来ないし、‘好き’とか‘愛’とかがまるで分からない。
だいたい、親、或いは、親に相当する相手に確かに愛されたという実感も記憶もないのだ。
‘愛’が何なのか、私には分からない。
そして、似たような匂い、私の歪みには到底及ばないけど、どこか信長にもそういう匂いを感じてしまうのは気のせいだろうか?
それは、菫さんやみなとさんなど、マトモな家庭でマトモに育てられたんだな、という健全な空気に触れる機会を持つようになって初めて分かったことだ。
彼女らは家が遠いらしく住み込みでここにいるのだが、週に一度交替で家に帰っている。だから、気付くとどちらかがいない、という日があるのだ。毎週必ず帰るほど帰りたい家があって、会いたい家族がいる、ということが羨ましくはないけど、なんとなく、良いな、と思う。
自分にあまりに縁のなさすぎることは、比較すら出来ないから、人間は羨ましいとすら感じないものらしい。
だけど、たった一つ、分かったことがある。
もし、信長が私に飽きて、もう要らないと感じて、殺すのも面倒になって外へぽん、と放り出されてしまったら・・・と考えてみたとき。
それは、ひどく恐ろしい想像だった。
せっかく得られた安定した生活を失うこととか、菫さんやみなとさんとのちょっとした交流ももうないのだ、とか、いつも私を気に掛けてくれる幸甚さんにもう会えないとか、そういうことよりも、何よりも、信長がもう私を見てくれない、ということを考えるのが辛かった。
ほんのごくたまに見せる、きっと私にだけ見せる、ふっと笑ったひどく優しい目を、もう私には向けてくれないのだと思うことが。
そして、あの夜の自分の涙のわけを知った。
今まで、彼と暮らした沢山の女性に、信長は同じように共に生きることを夢見たのだろうか?という思いが、苦しかったのだ。
私は、彼が自分にだけ興味を抱いて、私自身よりも私のことを把握している、という現実に、どっぷりと甘えて、むしろそれに満たされていたのだということが分かった。
信長は、その表現方法が違うだけで、私にとっては‘親’と同じなのだ。
子どもが、どんな仕打ちをされても、虐待され、殺されるまで逃げ出したりしないように、私は、私に興味を抱いて私を欲しがってくれる相手に、たとえどんな目に遭わされても、そう、殺されても良いからそばにいたかったのだ。
・・・ちぇっ。
やっぱり、信長は、私よりも私のことをよく分かっていたのか。
そして、菫さんやみなとさんの方が、むしろ私のことを理解していたのかもしれない。
だけど、私の立場はあまりに不確かで、何もない。
いつ、信長に「もう、良い、さよならだよ。」と宣言されるか、本当のところは分からない。
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