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Stories of fate


月の軌跡(R-18)

月の軌跡 (眠りの淵) 39

 澪の母親は、その夜、夕食の時間に戻った夫に相談する。

「澪のことを、どう考えてらっしゃいますの?」
「どう、とは?」

 無言で箸を口に運び続ける夫は、不機嫌そうに聞く。その日、彼は術後の患者を引き受けて、容態が急変した担当の研修医の不手際で危うく一人の患者の命を失うところだった。その、指導医と遅くまでその患者のことにかかりきりだったのだ。

「あの子がこのまま目覚めなかったら、どうなさるの?」
「どうもこうもないだろう?どうして、目覚めないのか分からないんだから。」
「心配じゃないんですか?」

 彼女の顔すら見ようともしない夫に、思わず声色がきつくなる。

「心配してないわけはないだろう。」
「でしたら、もう少し、澪の様子を気に掛けてくださっても良いじゃありませんか。どうすれば回復するのか、もう少し一緒に考えてくださっても・・・」

 今日命を落としかけた患者は、家族も近しい親戚もいない天涯孤独の男性だった。まだ老人という年齢ではない。まだまだ働き盛りの、本来なら、ある程度、出世していてもおかしくない人材だったのに、彼の持病がそれを阻んでいるという気の毒な男だった。

「私は、毎日、生きるか死ぬかの患者と向き合っているんだ!身内の都合でこれ以上休むわけにはいかないんだよ。」
「澪は、あなたの娘ですよ!」
「そんなことは分かってる!」

 二人とも大声になり、母は、夫の目が怒りとそれ以上に深い悲しみを湛えていることにはっと気付いた。
 夫が、娘を見限ったりするわけはない、と母は思った。
 彼こそが、誰よりも娘を可愛がっていたのだ。
 だからこそ、失望も深いのだろう。

「・・・私たちは、今まで、あの子の気持ちを考えなさ過ぎました。」

 彼女は、息を整えて、静かに話し始めた。

「ずっと、親の言うことを素直に聞く子でしたから、それが当然だと思っていたんですね。親の言う通りに生きて、親の引いたレールの上を素直に進むことが一番だと。」
「・・・私は、今でもそう思う。」
「でも、そのお陰で、あの子は死にたがっているんです。」
「死にたがっている、だと?」

 彼女は、夫の目を静かに見つめた。そうだ、澪は、終わらせたいのだ、苦しみを。恋焦がれても届かない想いが大きすぎて。もう、他に何も見えないほど。

「死にたがっているんです。」

 彼には、妻の言わんとしていることが掴めなかった。自分の信じて歩んできた道に、その途上に娘の生きるレールがあって、それは間違いのない安定した幸せな道のりであるはずだった。それを理不尽に荒されたのだ、あの男に。最愛の娘をさらわれ、監禁され、挙句、陵辱されて堕胎までさせられた。

 やっと、本来の穏やかな生活に戻ったのに、澪は、変わってしまった。
 気が狂ってしまったとしか思えなかった。
 正気に戻すには、自分たちで築く家庭の中にきっちりとした居場所を見つけることだと、彼は思ったのだ。

「澪は、何が不満だったんだ?」
「・・・あの子は、何か夢を抱いたのではないかと思います。今、思えば、ですが。高校を卒業することにあんなにこだわったのは、何か勉強したいことが出来たのかもしれません。」
「仕事を持ちたいだと?」

 やや不快そうに彼は眉をひそめた。彼にとって、女が仕事を持って外に出るのは、夫の稼ぎが少ないときだという認識なのだ。

「そうかもしれません。そして、澪は・・・、あの子は、恋をしているんです。」
「恋?・・・誰に?」
「恐らく、京島柊に。」
「なんだと?」




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ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説

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