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Stories of fate


月の軌跡(R-18)

月の軌跡 (それぞれの変化) 15

 そうやって、それほど言葉は交わさずに過ごしていても、彼をただ見ているだけで、いろんな職業があるのは、世の中に必要だからなのだ、と澪は思うようになった。思い返すと、彼女の家の中の調度品にしても家具にしても、誰かが作った作品なのだ。そして、あの家自体も。

 自分が失敗しながら料理を始めて分かったことは、作ることの大変さと同時にその楽しさだ。そして、どれだけ失敗しても、調味料を間違って信じられない味になっても、柊は一度もそれに対する文句を言ったりはしなかった。

 彼が怒るのは、澪が彼の言いつけを守らなかったときだけで、基本的に柊はここのところ、澪に対して優しかった。

 そういうことを一つ一つ噛み締めて、澪は、それまで分からなかったいろいろなものが見えるようなった気がするのだ。

「・・・あの、フユキ。・・・いつか、おっしゃってた妹・・・さんのこと、聞かせて?」

 その日、休憩に入った柊にお茶を淹れてあげながら、澪はおずおずと口を開いた。
 そもそもの根源的原因。その、妹のことがなければ、澪は今ここにはいない。

「・・・なんで?」

 柊の瞳は一瞬で曇った。その、痛みの度合いが推し量れる。澪はその表情にひるみ、ううん、良い・・・と俯いた。

「良いよ。」

 お茶のカップを手にしたまま、柊はふうっと息をつく。

「・・・妹は鮎奈。あの子は、生まれたときから身体が弱かった。それでも、なんで?っと思うくらい、心が綺麗な子だったよ。」

 柊は静かに話し始める。ストーブの傍らで鍋の様子を見ながら椅子に座っている澪を見上げるような形で、床に直接腰を下ろしたまま。

 お互いたった一人きりの兄妹の楽しかった生活。両親の死。

 そして、妹を守って生きてきた辛い時間。入退院を繰り返して、それでもいつでも笑っていた優しい彼女。痛みに涙を零しても、正確なデータがとれなくなるからと鎮痛剤の投与を断られ、妹はただ耐え続けた。最後は見る影もなくやつれ、苦しみながら、苦痛の表情を浮かべて死んでいった。

 柊はただ淡々とそれらを話した。
 担当医が変わってから、妹はますます苦しみだしたのだと。

 澪は、初めの担当医の名前を聞いて、その面影を思い出していた。綺麗な目をした若い医師だったことをおぼろげながら覚えている。

 学校帰りに運転手が母から預かった届け物を父に手渡すために、澪はたまに父の病院を訪れていた。
 柊は、そのときに彼女を見て、知っていたのだ。

 澪はそのとき、患者になど興味はなかった。いつでも、彼女ににこやかに接してくれる父の取り巻きにだけ愛敬を振りまいて、用が済めばすぐに帰っていたのだ。

 父は、常に彼女の中では正しい偉大な男だった。

 分かってはいた。その話を聞いてしまえば、自分がどれだけショックを受けるのかを。しかし、聞かずにはいられなかった。柊を狂気に駆り立てたその理由を。

「・・・それは・・・、それは、本当?父は・・・本当に、そんなことを?」

 滅多にない疾患。発表のための新薬の臨床実験。苦しむ患者をデータを取るための実感材料にし、いたずらに苦しみを長引かせ、患者は安らかな最後さえ妨げられた。

 愛する妹。
 大切な家族。
 守ると誓った少女。

「直接、担当していたのは別の医師だけど、指示は君の父親から出ていた。」

 柊は言った。
 澪は、もう聞きたくないという風に両手で耳をふさいだ。

「どうして、そんなこと・・・。どうして?」

 呟くように、泣き声のような細い声で、澪は叫ぶ。

「お父さま、どうして・・・?」

 柊は、ショックを受け、涙を零す澪を見つめ、その零れ落ちる涙に何かが溶けていくのを感じた。

 頑なに父親を信じていた澪が、何故、彼の言葉を信じようと思ったのか。澪の中でも、何かが揺らぎ始め、何かが変わり始めていたのだろう。

 それが、二人の心の焦点を不意に合わせたのだ。
 柊の中で、どろどろと黒いものを幾筋も巻き込んで固まっていたどす黒い氷の塊。
 それが、さわさわと澪の涙が溶かしていった。
 それを、茫然と見つめる柊は、妹が本当に望んでいたことの真実を知る。

 ‘許す’ことの偉大さを。


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ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説

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