「お母さん」部屋で着替えている母の背後から、葵は声を掛ける。
「あら、どうしたの?」
「…基は」
「え」母は振り返った。
「ねぇ、お母さん、基はお父さんの家でどんな風に暮らしてたの?」
どこかぎくりとして母は一瞬言葉を失った。それは、彼女もずっと考えていたことだった。常に演じているような基の不自然な態度。言葉遣いがどんなに丁寧でも相手を見下した光を湛える聡明な瞳。笑顔を見せてもその目は決して笑ったことがない。双子として生まれた葵とはあまりにかけ離れた息子の様子。
「お母さんもよく知らないのよ。ずっと連絡を取ってなかったから」
「でも、お母さん、私の写真を送ってたんでしょう?」
「え」母は驚いて目を見開いた。「どうして知ってるの?」
「だって、基が言ってたよ。だから、私のことは知ってたって」
「そ―、そうなの」
何故か分からない。瞬間、激しい後悔の念が彼女を襲った。
ソレガ、全テノ間違イノ元ダッタノデハナイカ―?
「私も、基のそういう写真、見たかったな。お父さんは一枚も送ってくれなかったの?」
「あ―、そう、そうね。私が送る度に、基の写真を送って欲しいって、手紙は入れていたんだけどね」
どこかウロたえたような母の様子を怪訝に思いながらも、葵は、そう、と答えた。
時々ぽつりと漏らす彼の言葉から、葵も薄々ながら感じていた。自分たち家族とはまったく違った家庭環境で育ったらしい彼の境遇を。
今の生活が当たり前の彼女には、想像することも出来ない。冷たい家庭。
「お母さん、どうして基も一緒に引き取らなかったの?」
今度こそ本当に母は言葉を失った。
答えを期待していた訳ではなかったのかも知れない。葵は、独り言のようにそう呟いて、そのまま部屋へ戻っていった。
ドウシテ僕ヲ一緒ニ引キ取ッテクレナカッタノ?
基に、そう責められた気が、した。
葵が作ったシチューが鍋にいっぱいあって、買い置きしていった食材もほぼ綺麗に使われていたのを見て、母は安堵する。二人はしっかり食事は取っていたらしい。ずっと離れ離れだった姉弟である。他の家族に対しては気遣いを見せる基だったが、双子の姉には心を許しているのかも知れない。
そうやって、ここで暮らす時間が少しでも彼の心の傷を癒してくれることを母は祈った。基の父親は、もともと家庭的な夫ではなかった。子どもに興味がなかったのに、何故、頑なに基を引き取ると言ったのか、彼女には未だに理解出来ない。あのとき、裁判を起こしてでも二人とも手元に置くべきだったのではないか。
母は、基のことを忘れたことは、一日もなかった。葵の成長を見つめながら、双子の弟ももう一年生なのだ、もう中学生になった筈だ、と常に想像の中でしか会えない息子の面影を求めて暮らしてきた。何度も写真の一枚でも送って欲しいと手紙を書いた。しかし、別れた夫から返信があったことは一度たりとなかったのだ。
17年振りに再会した息子。葵と並んで眠っていた赤ん坊の幼い顔立ちしか記憶になかった母は、その変貌振りに驚きを隠せなかった。葵の方は、当時の面影が残っているくらいそのまま成長したのに対し、基の瞳の暗さに彼女は凍りついた。
これは、本当に葵の双子の弟だろうか。父親似の彼はすっきりとした目鼻立ちをしていて、葵とはあまり似ていなかった。しかし、基が僅かに瞳を閉じた瞬間、当時の面影が蘇る。違和感を抱くのは、その瞳の冷たさなのだと彼女は気付いた。
しかし、いったいどんな暮らしをしていたのかと彼女は聞けなかった。彼女に今出来るのは精一杯の愛情で彼に接することだと、母は信じたのである。
「あら、どうしたの?」
「…基は」
「え」母は振り返った。
「ねぇ、お母さん、基はお父さんの家でどんな風に暮らしてたの?」
どこかぎくりとして母は一瞬言葉を失った。それは、彼女もずっと考えていたことだった。常に演じているような基の不自然な態度。言葉遣いがどんなに丁寧でも相手を見下した光を湛える聡明な瞳。笑顔を見せてもその目は決して笑ったことがない。双子として生まれた葵とはあまりにかけ離れた息子の様子。
「お母さんもよく知らないのよ。ずっと連絡を取ってなかったから」
「でも、お母さん、私の写真を送ってたんでしょう?」
「え」母は驚いて目を見開いた。「どうして知ってるの?」
「だって、基が言ってたよ。だから、私のことは知ってたって」
「そ―、そうなの」
何故か分からない。瞬間、激しい後悔の念が彼女を襲った。
ソレガ、全テノ間違イノ元ダッタノデハナイカ―?
「私も、基のそういう写真、見たかったな。お父さんは一枚も送ってくれなかったの?」
「あ―、そう、そうね。私が送る度に、基の写真を送って欲しいって、手紙は入れていたんだけどね」
どこかウロたえたような母の様子を怪訝に思いながらも、葵は、そう、と答えた。
時々ぽつりと漏らす彼の言葉から、葵も薄々ながら感じていた。自分たち家族とはまったく違った家庭環境で育ったらしい彼の境遇を。
今の生活が当たり前の彼女には、想像することも出来ない。冷たい家庭。
「お母さん、どうして基も一緒に引き取らなかったの?」
今度こそ本当に母は言葉を失った。
答えを期待していた訳ではなかったのかも知れない。葵は、独り言のようにそう呟いて、そのまま部屋へ戻っていった。
ドウシテ僕ヲ一緒ニ引キ取ッテクレナカッタノ?
基に、そう責められた気が、した。
葵が作ったシチューが鍋にいっぱいあって、買い置きしていった食材もほぼ綺麗に使われていたのを見て、母は安堵する。二人はしっかり食事は取っていたらしい。ずっと離れ離れだった姉弟である。他の家族に対しては気遣いを見せる基だったが、双子の姉には心を許しているのかも知れない。
そうやって、ここで暮らす時間が少しでも彼の心の傷を癒してくれることを母は祈った。基の父親は、もともと家庭的な夫ではなかった。子どもに興味がなかったのに、何故、頑なに基を引き取ると言ったのか、彼女には未だに理解出来ない。あのとき、裁判を起こしてでも二人とも手元に置くべきだったのではないか。
母は、基のことを忘れたことは、一日もなかった。葵の成長を見つめながら、双子の弟ももう一年生なのだ、もう中学生になった筈だ、と常に想像の中でしか会えない息子の面影を求めて暮らしてきた。何度も写真の一枚でも送って欲しいと手紙を書いた。しかし、別れた夫から返信があったことは一度たりとなかったのだ。
17年振りに再会した息子。葵と並んで眠っていた赤ん坊の幼い顔立ちしか記憶になかった母は、その変貌振りに驚きを隠せなかった。葵の方は、当時の面影が残っているくらいそのまま成長したのに対し、基の瞳の暗さに彼女は凍りついた。
これは、本当に葵の双子の弟だろうか。父親似の彼はすっきりとした目鼻立ちをしていて、葵とはあまり似ていなかった。しかし、基が僅かに瞳を閉じた瞬間、当時の面影が蘇る。違和感を抱くのは、その瞳の冷たさなのだと彼女は気付いた。
しかし、いったいどんな暮らしをしていたのかと彼女は聞けなかった。彼女に今出来るのは精一杯の愛情で彼に接することだと、母は信じたのである。
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