さらの家族はあたふたと慶一を居間に通し、父の向かいに慶一が座り、母と美里は台所でお茶の支度をし、さらと薫は居間の二人の脇にそうっと座った。
「…か、…薫? あの…どうして?」
こそこそと薫に、それこそ泣きそうになりながらさらは尋ねる。
こんな展開になるなんて、彼女は予想もしていなかった。
嬉しくない訳ではない。ただ、あまりに急激なことで、彼女は怖くて、ただ怖くてどうして良いのか分からなかった。
「しっかりしな、さら。マスターがせっかく覚悟を決めてさらのお父さんに挨拶に来たんだから」
「…え、え…ええ?」
さらの両親はしかし、事前に薫から何かを聞かされていたらしい。それほど、驚いた様子はしていなかった。そして、母は、ずっとどこか考え込むような奇妙な表情をしていたのだ。
慶一の横顔をそうっと見つめる。
いつもの柔らかい笑顔ではなくて、どこか緊迫した厳しい顔の彼。心臓がどくんと音を立てる。仕事をしているときの、料理をしているときの真剣な表情とはまた違った静かだけどどこかぴりぴりした空気を感じる。その横顔にさらは何故かドキドキが止まらない。
慶一は、落ち着いていた。少なくとも、さらの目にはそう映っていた。母がお茶を持ってきて、二人の前にそれぞれ配り終えて父の横に座ると、慶一は静かに口を開いた。
さらは、両親と話す慶一を不思議な気持ちで眺めていた。
彼が何を言ったのか、さっぱり記憶に残っていない。断片的に、慶一が突然前触れもなく伺った無礼を詫びて、さらとの付き合いを許して欲しい旨を丁寧に語ったことだけ、ぼんやりと、その声にうっとりと聞き入っていた。だから、父がそれに何と答えたのかもさっぱり分からない。
さらの父が、慶一の仕事や家族のことを聞いたとき、彼は私生児であり、たった一人の母を事故で亡くしたことを語った。そして、母が遺した喫茶店を継いでいることも。それは、さらにとっても初耳のことで、彼女は慶一の悲しい境遇に胸がずきんと痛む。そんな辛いことがあったなんて、彼には微塵も感じさせない温かさがあったから。
そして、ずっと昔、ほんの僅かこういう田舎にお世話になったことがあります、と彼が言ったとき。不意に母が声をあげた。
「ああ、もしかして慶一さんっ」
「は?」
と慶一も驚いて母を見つめた。
「学校帰りにイジメられていたさらをおぶって家まで連れてきてくれたあのときの中学生…さん?」
え? と慶一も動きを止め、そして、ゆっくりとさらの方を見つめた。そして、そのとき、彼の脳裏に今の今まですっかり忘れ去っていた過去の記憶がゆっくりと蘇ってきた。呆然としてたさらも、母の声に驚いて慶一を見つめ返す。
「…はい、そういえば、そういうことをした記憶があります。昔…そういえば。じゃあ…あれは、あのときの女の子は、さらちゃん?」
「まぁまぁまぁ!」
母は感嘆の声をあげた。
「お父さん、ずっとお礼を、と思っていたさらの恩人が、この方ですよ!」
「…曽根原さん宅にほんの一週間ほどやっかいになっていたっていう男の子かい?」
「そうですよ! ああ、ずっとどこかで見たことがあると思っていたわ。あのときは、本当にあの中学生のお陰でさらは無事に家に戻ってきたんだって聞いて。もし、あのときその子がさらを見つけてくれなければどうなっていたか…って。探し歩いて曽根原さんを訪ねたら、いなくなってしまったって聞いて心配していたけど。…まぁ、こんなにご立派に成長されていたなんて…」
「おお、そうか、…君か!」
そこで、一気に空気が変わった。それまであった緊迫した痛々しいほど気詰まりだった視界が一気に開けたようだった。
「ああ、だから、マスターずっと不思議そうにきょろきょろしながら首を傾げていたのね?」
薫も笑う。待ち合わせた時間に駅まで迎えに行って、彼をここまで案内してきた薫は、道々、慶一が訝しそうに何度も首をひねるのを見ていたのだ。
「なんか、知ってる気がする、ってマスター駅からずっと言ってたの。どこで見たのかなぁ、なんて」
「そうだったんですよ。どうも、初めて歩いた気がしなくて」
慶一も微笑む。
「ああ、ここがあのときの…俺がお世話になって飛び出した田舎だったんですね」
さらだけが、さっぱり訳が分からなくて、ただ茫然とそれぞれの顔を交互に見つめていた。
「…か、…薫? あの…どうして?」
こそこそと薫に、それこそ泣きそうになりながらさらは尋ねる。
こんな展開になるなんて、彼女は予想もしていなかった。
嬉しくない訳ではない。ただ、あまりに急激なことで、彼女は怖くて、ただ怖くてどうして良いのか分からなかった。
「しっかりしな、さら。マスターがせっかく覚悟を決めてさらのお父さんに挨拶に来たんだから」
「…え、え…ええ?」
さらの両親はしかし、事前に薫から何かを聞かされていたらしい。それほど、驚いた様子はしていなかった。そして、母は、ずっとどこか考え込むような奇妙な表情をしていたのだ。
慶一の横顔をそうっと見つめる。
いつもの柔らかい笑顔ではなくて、どこか緊迫した厳しい顔の彼。心臓がどくんと音を立てる。仕事をしているときの、料理をしているときの真剣な表情とはまた違った静かだけどどこかぴりぴりした空気を感じる。その横顔にさらは何故かドキドキが止まらない。
慶一は、落ち着いていた。少なくとも、さらの目にはそう映っていた。母がお茶を持ってきて、二人の前にそれぞれ配り終えて父の横に座ると、慶一は静かに口を開いた。
さらは、両親と話す慶一を不思議な気持ちで眺めていた。
彼が何を言ったのか、さっぱり記憶に残っていない。断片的に、慶一が突然前触れもなく伺った無礼を詫びて、さらとの付き合いを許して欲しい旨を丁寧に語ったことだけ、ぼんやりと、その声にうっとりと聞き入っていた。だから、父がそれに何と答えたのかもさっぱり分からない。
さらの父が、慶一の仕事や家族のことを聞いたとき、彼は私生児であり、たった一人の母を事故で亡くしたことを語った。そして、母が遺した喫茶店を継いでいることも。それは、さらにとっても初耳のことで、彼女は慶一の悲しい境遇に胸がずきんと痛む。そんな辛いことがあったなんて、彼には微塵も感じさせない温かさがあったから。
そして、ずっと昔、ほんの僅かこういう田舎にお世話になったことがあります、と彼が言ったとき。不意に母が声をあげた。
「ああ、もしかして慶一さんっ」
「は?」
と慶一も驚いて母を見つめた。
「学校帰りにイジメられていたさらをおぶって家まで連れてきてくれたあのときの中学生…さん?」
え? と慶一も動きを止め、そして、ゆっくりとさらの方を見つめた。そして、そのとき、彼の脳裏に今の今まですっかり忘れ去っていた過去の記憶がゆっくりと蘇ってきた。呆然としてたさらも、母の声に驚いて慶一を見つめ返す。
「…はい、そういえば、そういうことをした記憶があります。昔…そういえば。じゃあ…あれは、あのときの女の子は、さらちゃん?」
「まぁまぁまぁ!」
母は感嘆の声をあげた。
「お父さん、ずっとお礼を、と思っていたさらの恩人が、この方ですよ!」
「…曽根原さん宅にほんの一週間ほどやっかいになっていたっていう男の子かい?」
「そうですよ! ああ、ずっとどこかで見たことがあると思っていたわ。あのときは、本当にあの中学生のお陰でさらは無事に家に戻ってきたんだって聞いて。もし、あのときその子がさらを見つけてくれなければどうなっていたか…って。探し歩いて曽根原さんを訪ねたら、いなくなってしまったって聞いて心配していたけど。…まぁ、こんなにご立派に成長されていたなんて…」
「おお、そうか、…君か!」
そこで、一気に空気が変わった。それまであった緊迫した痛々しいほど気詰まりだった視界が一気に開けたようだった。
「ああ、だから、マスターずっと不思議そうにきょろきょろしながら首を傾げていたのね?」
薫も笑う。待ち合わせた時間に駅まで迎えに行って、彼をここまで案内してきた薫は、道々、慶一が訝しそうに何度も首をひねるのを見ていたのだ。
「なんか、知ってる気がする、ってマスター駅からずっと言ってたの。どこで見たのかなぁ、なんて」
「そうだったんですよ。どうも、初めて歩いた気がしなくて」
慶一も微笑む。
「ああ、ここがあのときの…俺がお世話になって飛び出した田舎だったんですね」
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