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Stories of fate


虚空の果ての青 第三部

虚空の果ての青 (原石) 18

 目覚めた優は、そこに、京子の幻を見た。

 つい、昨日。京子は大きな鏡の前に優を座らせ、いろいろな話しをしながら彼女の長い髪を器用に操り、可愛らしく結い上げてリボンを付けてくれた。京子がとても嬉しそうに笑うので、優もなんだか嬉しくなった。休みの日は一日中泳いでいるのだと彼女は言った。このホテルのプライベート・ビーチは憧れだと彼女は語り、優は、彼女が泳ぐ姿を見てみたいとうっとり思った。

「また、明日」

 とくっきりと綺麗な笑顔を作って、彼女は手を振った。また、会える。そう思って優は心があったかくなるのを感じた。希美子よりもずっと年上で、雅子よりは近い感じで、優は初めて出会った彼女をとても好きになった。

 不意に髪に触れる手に、優は顔をあげた。
 樹の膝にもたれて、彼女は丸くなっていた。美也子は部屋に戻ったらしい。そこには樹が一人、ただじっと優を抱いてソファに座っていた。

「目が覚めた?」

 いったいどのくらいの時間が経過していたのか優にはさっぱり分からなかった。

「浜に行って、何か食べてこよう」

 優は、泣き腫らした目で、小さく首を振った。気分も身体も重くて、重くてそのまま沈んでいきそうだった。

「良いから、支度して。母も向こうで待ってるから」
「…でも」
「言うことをお聞き」

 樹は気が進まなそうな優を、強引に海辺へ連れ出す。優が外へ出たがらないのは、きっと罪の意識があるからなのだ。自分だけが休暇を楽しむことを、彼女自身が許せないのだろう。

 浜では、美也子が彼女が安心してくつろげる空間を用意して待っていた。大きなパラソルとテーブル、椅子のセットを借り切って、一日そこで過ごせるように食べ物や飲み物を予めオーダーしておいた。テーブルの上にはサンドイッチやフルーツサラダ、ジュースやミルクが山盛りに置かれていた。

「いらっしゃい、優ちゃん。お腹空いたでしょう?」

 目の覚めるような青とグリーンのコントラストの水着を着た美也子が微笑んで迎える。傍にはやはり真っ黒なフリルのついた水着姿でにこにこしているステラがいた。優は、椅子にちょこんと腰かけて、樹が差し出すサンドイッチを受け取った。

 静かな時間が流れ、宿泊客の賑やかな喧騒が優しく周囲に響いている。もう、空はぎらぎらと光り、青い空に雲が微かに浮かんでいるのが眩しく目の端に捉えられる。何も起こりそうにない、平和そのものの光景だ。心とは裏腹に、その明るさは不躾なほどぐいぐいと3人を照らしている。

 たった一切れのサンドイッチを一生懸命食べ終わった優は、甘い南国フルーツジュースを一口飲んで、不意に立ち上がった。そのまま帽子もかぶらずに、優はふわりと髪をなびかせて波打ち際に佇んだ。周囲の視線をチラチラと受けながら、優はただ海を見つめている。

 食事を終えて、樹は椅子に横たわる。美也子はステラと優の傍へ行って海へ誘っている。躊躇っていた優は、ふと振り返って樹を見た。
 樹が笑って手招きをすると、優は日に触られて少し赤い顔をして戻ってきた。

「海…青いね」
「うん。せっかくだから、少し泳いでみる?」

 風に揺れる髪を後ろでまとめて、樹はリボンで結わえる。美也子はいつの間にか海へ入ってすいすいと泳いでいた。その様子を笑って見ていたステラも、ちょっと振り返って二人の様子を確認するとすい、と海へ入って行く。優についてきたSPの二人だけが、パラソルの下、背後で周囲に目を光らせていた。

 どこか泣きそうな目で、優は抱き寄せる樹の胸にもたれた。

「水着、買ってあげるよ、泳がなくて良いからちょっと海に入ってご覧?」

 樹の胸に顔を伏せて、優はふるふると首を振った。

「良いから、優ちゃん。試してみな」
「…ヤダ」
「ヤダじゃないよ、おいで」

 とん、と砂の上に下ろされて、強引に手を引かれ、優は諦めたようだ。特に不安そうな表情もせずに、樹に連れられて砂浜の奥の売店に入っていく。そして、大きな花柄のついた濃紺の水着を買ってもらい、その場にある試着室で着替えた。

 上着を羽織ったままパラソルの下に戻り、樹は美也子に優を預ける。すると、美也子とステラは妙にはしゃいで優を連れて行ってしまった。

「母さん、優ちゃんをあまり疲れさせない程度にね」

 少し不安になって樹が声を掛けたときには、もう二人にはその声は届いていないようだった。



 かなり興奮して優が戻って来たのは、30分ほど経った後だろうか。
 部屋にいた鹿島もやって来て、樹は、彼と一緒にパラソルの下で日本から届いたメールの確認をしていた。

「お帰り、優ちゃん。楽しかったかい?」

 優は、全身ずぶ濡れで、紅潮した頬はそれでも嬉しそうだった。ふわりとバスタオルでその小さな身体を包み、樹は優の髪の毛から滴る雫を拭き取る。

「樹、ご免、ちょっともう一回行ってくるわ」

 美也子とステラは、優を送り届けると、また海へ戻って行ってしまった。

「やれやれ、母さんの方が休暇を楽しんでいるようだね」
「樹さまも、どうぞ、泳いでらしてください」

 鹿島が笑うと、樹は首を振る。

「海とはあまり相性が良くなくてね」
「…カナヅチですか?」
「近いね。あまり水は好きじゃない」

 苦笑する樹に、鹿島は意外そうな表情を浮かべた。

「泳いできた?」

 隣に座らせた優の顔を覗き込むと、優はちょっと考えて首を振る。

「海の中を見てきた」
「ああ、…なるほど。何が見えた?」
「怖かったの」
「何が?」

 優は、どこかうっとりした表情で樹を見上げた。

「海の中を見るのが怖かったの。怖いものが見えそうで。だけど、綺麗だった。魚がいて、光があって、…キラキラしてた」
「そうか」

 ふと、何かが心に響いて、樹は頷いた。

「喉渇いただろ?」

 受け取ったグラスを無心に傾ける優の横顔を見つめて、ああ、と樹は思った。
 水、とは‘無意識’の象徴だ。だから、優は「怖い」と感じたのだろう。ヒトは生まれる前、文字通り海に漂っているのだ。羊水と海水の組成は同じだと優は言った。それを分かっていて、生まれる前の世界に漂うことを‘生’と‘死’の狭間と捉えたのだろうか。

 そうやって、無意識を認めて受け入れて、そこに巣食う‘闇’を垣間見ることも、成長の過程では必要なことなのかも知れない。

 この子は…、と樹はじんと胸が熱くなった。
 優は、それまで、怖いことからただ逃げ続けてきた。何も見ないように、感じないように。そうして、意識を凍らせて記憶を封じてしまうほど。そんな頑なに閉じていた彼女の心に、京子がそっと触れたのかも知れない。閉じこもっていた扉を叩いて、ほら、外の世界を見てご覧、と。ここにも綺麗なものはあるよ、あったかい世界があるよ、と。

 原石だった少女は、たくさんの砥石に磨かれ、ようやく光を放ち始めた。そういう気がした。





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