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Stories of fate


虚空の果ての青 第三部

虚空の果ての青 (海との再会) 10

 案内された部屋に一歩足を踏み入れ、優はその広さと豪華さに一瞬ひるみ、茫然と立ち尽くしてしまった。ホテルの部屋を見慣れている樹ですら、そのVIPルームに唖然とする。入ってまず、リビングの作りのその部屋は海に向かった広い窓全面がガラス張りで、外のバルコニーにもテーブルと椅子が並び、そこには南国の美しい花が活けられており、更に、沢山の植物がテラスの内側に生き生きと葉を茂らせている。

 部屋の中の革張りのソファは柔らかい色彩を放ち、ガラステーブルが光を照り返していた。

 扉のない隣の部屋は寝室になっており、大きなダブルベッドが天蓋つきで真ん中にどかんとあり、大きなステレオと大画面のテレビが部屋の端に置いてあった。

 そして、反対側の奥には浴室があり、お風呂に浸かりながら外の景色が見えるようになっていた。

 恐る恐る部屋を見てまわり、部屋の窓から見下ろす眼下の景色に、やっと優は簡単の声をあげた。一面に広がる海! 真っ青な空と海。いや、青ですらない。まさにエメラルドグリーンの世界だった。

 ああ…、とそのとき初めて優は感じた。
 海だ、と。

 自分の命を優しく抱きしめてくれた海。何もかもを洗い流してくれると言ってくれた海水。海の生き物が美しくつつましく、そして獰猛に生きる命の源。

 やっと、会えた。
 やっと、お礼が言える。
 意図せず、優は窓の外の塩辛い海の、その温かさ冷たさを思って、涙が零れた。

「優ちゃん?」

 驚いた樹に声を掛けられて、優は心配そうな彼の目をきょとんと見上げる。そして、彼の手が頬に触れ、涙をふき取ってくれたことを知って初めて泣いていたんだと知った。
 窓に張り付くようにそっと両手をガラスに添わせ、優はじっと海を見つめていた。

「ベランダに出られるよ。出てみる?」

 樹が優の手をとってテラスへ続く扉を開けようとする様子を、背後でSPが周囲に注意深く視線を走らせて警戒している。優にはもちろんそんなことは分からないが、いつもと違って二人の周りの空気が少しぴりぴりしている気配は感じられる。

 振り返って、黒服の彼らの姿を気遣わしそうに優はちらりと見つめた。優は、そういう待遇にまだ慣れない。自分に価値があるとは思っていないから。自分を守るために誰かが傷つくのは、そして、死んでしまったりすることは、もう絶対にイヤだと、彼女は強く思う。

 彼らの姿を見ると、思い出すのだ。優を助け出そうとして彼女の目の前で倒れた彼を。その日、初めて会った人で、若い男の人だったのに、抱きかかえられたとき、優は樹と同じ光を彼の瞳に見て、そして一瞬で信頼した。何の思惑もなく、彼の心は綺麗で、その瞳の光はただ心地良かった。

 最後まで、彼は、ただ優の身を心配していた。それだけが伝わってきた。自らの命よりも、運命を呪うよりも、ただ、優を助けたいと強く強く思っていたことだけが。

 あの綺麗な目を思い出すと、今でも、きりきりと心臓が痛む。
 忘れてはいけない、と優は思っていた。辛くても、悲しくても、彼を忘れてはいけない。

「いつき」
「何?」
「海に触りたい」

 テラスから潮風を顔に受けて、優の長い髪がふわりと揺れる。

「今日は少し休んでからじゃないとダメだよ。乗り物に沢山乗って、初めて飛行機にも乗って、君の身体は相当疲れているはずだからね」

 予想通りの答えに、優はしゅんとする。

「一度眠って目覚めたら外に連れ出してやるから」

 優は諦めて頷く。逆らったところでどうしようもない。多くの人に迷惑を掛けるだけだと優には分かっていた。
 小さなテレビモニターが二人の部屋には浴室も含めてすべて設置されてある。映像は多少ぼかしてはあるが、プライバシーも何もあったものじゃない。しかし、それは樹がホテルに要請したことだった。それが、両隣の鹿島とSPのそれぞれの部屋に画面として映し出されるようになっているのだ。

「君たちも休んでくれ。食事に出るまではもう俺たちも動かないから」

 樹に言われて、彼らは部屋を出て行った。

「着替えて少し楽にしてると良いよ」

 荷物を解きながら、樹は言った。

 うん、と頷いて優は窓辺から離れ、大きな浴室へ向かう。ガラス張りの窓から綺麗な海が広がり、優はうっとりとその青を見つめる。淡く透明に近い空の色。エメラルドグリーンと濃い青が重なり合う海の層。

 生き物の色。
 生命の地球。
 ここでお風呂に入ったら、海に抱かれているように感じられるだろうか?

「いつき、お風呂に入りたい」

 中から優の声が響き、樹は「良いよ、お湯の出し方分かる?」と振り返った。優は、蛇口らしきものを触ってみる。押しても引いてもまわしても動かない。

「出ない…」

 茫然としていると、樹が覗き込んで笑う。単に力の問題だったらしく、樹がひねるとあっという間にお湯が流れ出てきた。

 優はぼうっとお湯が浴槽に満たされていく様子をその場に座り込んだまま見つめる。やはり、身体は大分疲れていたのだろう。

「タオルと寝巻き出しておくよ」

 樹の声に、優はゆっくり身体を起こして、バスタブの脇でするすると服を脱ぎ捨てていく。

「優ちゃん、そこに脱いだら服が濡れちゃうよ」

 気配に気付いて樹はバスルームを覗き込んだ。
 ほとんど下着姿になっていた優は、言われて、脱いだ服を抱えてバスルームから出てくる。

「優ちゃん、君、ところ構わず服を脱いだらダメだよ」

 しかも、カメラで撮影されているのに、と樹は苦笑する。樹がそばにいると優はまったく無防備になってしまう。優の身体にローブを着せ掛けて、樹は彼女の長い髪の毛を後ろで結わえる。

「疲れるからあまり長湯しないであがっておいでね」

 優はこくりと頷いてバスルームに消えた。

 樹はそれを見送って寝室のクローゼットに二人分の服をハンガーに掛ける。そして、リビングに戻りソファに腰を下ろして冷蔵庫を開けた。フルーツジュースが中に詰まっている。

「お酒類は買わないとないってことか」

 ジュースを一本取り出してグラスに注ぐ。それを喉に流し込んで樹は大きく息をついた。




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