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Stories of fate


虚空の果ての青 第三部

虚空の果ての青 (揺れる命) 3

 連日の手配や準備に追われ、樹も忙しくてろくに優と時間を過ごせなくなり、優は寂しくなった。
 治療に訪れてくれている綾子先生が、言葉の少ない優の体調を図りながら、佐伯に多少の事情を聞いてみる。そして、ふと思案顔をして、一度、実質的な保護者である樹と話がしたいと申し出た。

「鍼灸の先生が?」

 佐伯にその話しを持ち出され、樹は怪訝そうな顔をする。

「優ちゃんに何か重篤な病気でも?」
「いえ。と言うより、彩子さんは樹さまとお話してみたいだけだと思います。若奥様の体調管理や…恐らく、今後の方針につきまして、確認と申しますか…」
「そういえば、彩子さん、というのかい? その先生は」
「ええ。私の友人のお嬢さんで、ちょっと変わった娘(こ)でしたが、まあ、今は身の置き所が出来てなんとか安定して頑張っているようですね」
「…なんか、いろいろあった子なのかい?」

 招待客の名簿と食事のメニュー表から顔をあげて、樹は佐伯の顔を見つめる。

「見えてしまう…と申しますか。いろいろと感じる子だったんです。今は、それを‘治療’という行為に転化させることが出来るので、随分楽になったようですね」
「見える、って、つまり霊とか?」
「と言うより、他人の心の中が、ということですね」
「…それは…キツイな」
「ええ」

 佐伯は多くは語らなかったが、その静かな微笑の下で、友人の心配や苦労を見てきたらしい空気が伝わって来た。

「そうか。…分かった、いつ、会いたいって?」
「樹さまがお時間ある日を教えていただければ、調整するそうです」
「う~ん。…じゃ、今週の金曜の夕方にでも。7時頃で良いのかな?」

 手帳を開いてスケジュールを確認しながら樹は言った。

「はい、ありがとうございます。お伝えしておきます」



 初めて優の身体を診てくれている‘先生’という女性に会った樹の第一印象は、研ぎ澄まされた空気をまとった人だな、ということだった。

 もっと、医者のようなどこか威厳のある人物を想像していた彼は、少し意外だった。
 彼女は、白衣を着ていたせいか、その存在がただ清いように感じた。そして、人間らしい色をほとんど持っていない。そう、個性がほとんど感じられなかったのだ。

「はじめまして。松宮彩子と申します」

 彩子先生は、そう言ってほんの少し唇の端をあげて微笑んだ。

「樹です」

 握手を交わして、ふと、樹は佐伯の言葉を思い出した。他人の心が見える、という。思わず、握った手を見つめた樹に、彩子先生は笑った。

「大丈夫です。普段はこちらから閉じてますから、勝手に心を覗いたりしません」
「あ…、いや、これは失礼」

 苦笑して、樹は彼女にソファを勧める。

「それは、つまり…その、相手に触れると見える、ということですか?」
「ええ。見えるというか、そうですね。映像として見えることもあります。酷いときは、傍に寄っただけで、強い思念派は感じてしまいました。今は、こちらからそれをシャットアウト出来ますし、…相手の心が分かったところで、結局何も出来ないことばかりですから、出来るだけ触れないようにしております」
「それは…大変な思いをされてきましたね」
「ええ」

 と彩子先生は微かに唇の端をあげる。印象はものすごく穏やかで静かなのに、何か圧倒的な光を抱いている気がした。

「普段は、読まないようにしているし、見ないようにしております。だけど、こういう職業をしておりますと、時々、悲鳴や叫びは音声として届いてしまうこともあるんです」

 勧めた紅茶には手をつけず、彼女はすうっと樹を見つめて動きを留めた。

「…それは、優ちゃんのことですか?」

 ええ、と彩子先生は頷いた。

「あの、それはいったいどういう…」
「ご主人は、お子さんをお望みですか?」

 意外な質問をされて、樹は「は?」と彼女を見つめて止まってしまった。

「将来的に、優さんとの子どもが欲しいとお考えですか?」
「…あ、いや…俺は…」

 ぎくりとした。まさか、彼女は優の思考を読み、二人が父娘であることを知ってしまったのだろうか?
 彩子先生は静かに樹の答えを待っていた。そこに、感情どころか意図がまったく読み取れなくて、樹は冷たい汗を額に感じた。

「あの、それはいったいどういう意味でしょうか?」

 やっとそれだけを言って、樹は相手の反応を見つめる。

「いえ。…ただ確認したかっただけです」

 彩子先生は、むしろ少し困ったような表情を浮かべて、そして、再度口を開いた。

「ご本人も恐らく、明確に意識している訳ではないようです。だけど、優さんは、恐れていることがあるんです」
「恐れている?」
「…いえ、言葉の選び方がちょっと違いますね」

 彩子先生は考え込んだ。

「すみません、あまり患者さんのご家族にこうやってお話しすることなんてないので、どう言えば良いのかよく分からないんですが、優さんは…」

 ごくり、と樹は唾を飲み込む。

「優さんは、子どもが生まれて、ご主人の関心をその子に奪われることがイヤだ、と、そう思っているようなんです」
「子ども…」
「ええ、正確には、女の子…娘、ですね」

 愕然、とした。いや、分かり過ぎるくらい理解出来た。樹の娘、優がそれをどれだけ恐れていたのか、分かっている。それに未だに怯えているのか。

「ああ…しかし、彼女は子どもが生めるかどうか分からないと医者に言われたそうなんですが」
「いえ」

 彩子先生は即答する。

「厳しいですが、不可能ではありません。ただ、言わせてもらえれば、妊娠は、彼女にとって相当な負担になります。母体を取るか、子どもを取るかという選択を迫られる事態に陥る可能性も、決して低くはないです」
「つまり、妊娠する可能性があると?」

 はい、とようやく彩子先生は息を吐いた。

「ですから、もし、お子さんをお望みでないのでしたら、いえ、今は、ということですが、きちんと避妊なさっていただきたいんです」

 彼女の言いたかったことを、ようやく知った。

「今は、ではなく、俺は子どもは望みません。分かりました、バースコントロールはきっちりいたします」
「ありがとうございます」

 彩子先生は微笑んだ。

「あの、先生」

 ようやく紅茶のカップに手を伸ばした彼女に、樹は少しためらいながら聞いた。

「優ちゃんは…、彼女はどうですか? どこか、他に…気になるような症状とか、病気とか…」
「ご心配なく」

 彩子先生はカップを傾けながら微笑んだ。

「優さんは、今、安定しております。最初、施術させていただいたときは、その身体の機能の儚い弱さに驚きましたが、…あれはきっとお母さまから受け継いだものでしょう。だけど、彼女は、お父さまよりいただいた強い生命力を併せ持ってます。そして、今、優さんは生きようとしていらっしゃいます。その原動力がある限り、まだ大丈夫です」

 母親から受け継いだ儚い弱さ。

「…あの、先生」

 思わず樹は聞いた。

「彼女の母親は…同じように弱かったんですか? 生命力が?」
「…はっきりとは断言出来ませんが、きっとそうだと思います。恐らく、お母さまはもともと長く生きられなかったのではないかと。そして、優さんも、何の処置も施さなければ命の炎は燃え尽きるのがずっと早いと…」
「早いとは、どれだけですか? あと何年?」
「いえ、ですから」

 彩子先生は青ざめる樹に慌てて言った。

「何の処置も施さなければ、という仮定の話です。今は、大分安定しております。アンバランスな部分を正常に近づけて、一気に激しい燃焼を強いたりしなければ、心配要りません」

 ほうっと、息を吐いて、樹はソファに倒れこんだ。しかし、樹は知ってしまった。恐らく、カーチャは、もう生きてはいないだろうことを。彼女は恐らく、国へ帰って間もなく、逝ってしまったに違いない。

 俺は、彼女の人生も奪ってしまったのか…。

「優ちゃんを、よろしくお願いいたします」

 彼女の母親の分まで。
 こちらこそ、と彩子先生は微笑んだ。



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