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Stories of fate


虚空の果ての青 第二部

虚空の果ての青 (漂う海原) 40

 はっと目を開けて、優は、訝しそうに辺りを見回した。

 …あれ? …ここは、いつもの保健室とはちょっと違う気がする。
 優は、少し身体を起こして、いつも椅子に掛けているはずの保健室の先生の姿を探した。

 なんだか、身体中が異様にだるく、どこもかしこもずきずきと痛んでいた。しかも、なんだか、頭がふらつくような気がする。まるで、深い海の底から戻ったようなずっしりとした疲労感が全身を気だるく覆っている。

 私は、今日はどうしてここに運ばれたんだっけ?
 優は周りの違和感を訝しみながらも、思考はそのきっかけとなった出来事へと移行していく。

 体育の時間だったっけ? 何の競技をしていたんだろう?
 どんなに考えを廻らしても、なんだか、頭がぼんやりしてしまって考えがうまくまとまらない。

 優は、段々落ち着かなくなってきた。
 今日は…いったいいつで、私はどこで何をしていたんだっけ? どうしてまた保健室で目覚めたの?

 そこまで考えて、ふと自分の腕に視線を落とした優は、その痣や擦り傷だらけの自分の手とその手につながれた点滴の管、そして身体全体に残る鈍い痛みに愕然とする。

 改めて部屋をじっくりと見回し、自分の寝ていた、カーテンで仕切られているはずの白いベッドがぽつんと部屋の隅にあるのに気づいて、ここは学校の保健室ではない、ということを知る。

 一瞬、頭は真っ白になった。

「…ここは、どこ?」

 思わず漏れた自分の声が、かすれていた。喉にも鈍痛が残っていた。まるで、声の限りに叫んだ後でもあるかのように。
 人の声にはっとして戸口の方を見ると、僅かに開いた扉の向こうを、誰かが通っていくのが見えた。その白い衣装にそれが看護師ではないかと思い当たり、優は初めて、病院にいるのだ、と知った。

 …どっかから落っこちて、救急車にでも運ばれたんだっけ?
 再び、人が扉の外を通りかかる。

「あの…」

 優は、声を上げてみた。小さい声だったのに、外の人物は気付いてくれたようだ。

「どうしました?」

 と、ほぼ予想通りの若い看護師が扉を開けて、覗き込んでくれた。以前、入院したときも優の世話をしたことのある若い看護師だった。

「ああ! 気が付かれたんですね」

 彼女はぱっと笑顔を作って優に近づいてくる。

「どうですか? どこか痛みますか?」

 少しずれた毛布を掛け直しながら、彼女は優の顔を覗き込む。そして、ふと優の腕の包帯が少しほどけそうになっているのを見つけてそれを直してくれる。

「でも、良かった。怪我は大分良くなったのに、意識がなかなか戻らなくて心配してましたから。ご家族の方も先ほどまでずっとついていらしたんですが、今しがたお帰りになったんですよ。今、すぐにご主人に連絡を入れますからね。きっと大喜びで飛んできますよ」

 ご主人…?
 優は、ぽかん、と彼女を見上げる。

「一旦、会社に戻られましたが、意識が戻ったらすぐに連絡が欲しいっておっしゃってましたからね」

 優は、何を言われているのか分からなくて、ぼうっとしたまま、嬉しそうに話す彼女の口元を見上げていた。

「ご気分…悪いですか?」

 呆けたような優の様子に、彼女は心配そうにかがみこんでそっと額に触れてみた。ぴくり、と優は怯える。

「熱は下がってるけど、寒いのかな?」

 優は、ふるふると小さく首を振った。
 看護師は、そのときになって様子が少しおかしいと気付く。

 優が病院に運ばれてきた経過を、少なからず彼女も把握していた。その事件は死者が出てニュースにもなっていたからだ。目覚めたとき、彼女がその体験の恐怖にパニックに陥るのではないかと、樹は心配していた。それで、看護師たちは、優の部屋の扉を開けたままにして、僅かの異変にも備えていたのだ。

 しかし、優はまるで何もなかったかのように、ただぼうっとしたままだ。
 担当の医師は、記憶障害が起こるかもしれないなんて言ってなかった。それでも、どこか変調を来たしているのかもしれない。

「…お名前、言えますか?」

 彼女はさり気なく優に尋ねる。

「桐嶋…優」

 それが優の旧姓であることと、対外的にはまだ旧姓のままで通っていることは知っていたので、彼女はそれに対してはそれほど違和感を抱かなかった。

「今、どこか、特に辛いところ、ありますか?」

 優は少し考えた。

「腕と…お腹が痛い、けど…」

 耐えられないくらいじゃないかな、という風に彼女は言い、一旦言葉を切って、そして不思議そうに聞いた。

「…私は、どうしてここにいるの?」
「ええと、優さん、ここが病院だってことは分かるわよね?」

 少しためらって、それでも彼女は聞いてみた。
 優は小さく頷く。

「授業中に…何か、あったのかな?」

 記憶が混乱しているらしい、とだけ僅かに感じた看護師は、あまり核心に触れない程度に、静かに質問を続けてみた。

「そういえば、どこの高校に通ってるの?」
「高校? …いえ、中学生です」
「そ、…そう。…ええと、どこの中学かな?」
「公立」
「今、何年生なの?」
「3年です」
「…ああ、そうか。…じゃあ、優さん、学校にはどうやって、その、通ってるの?」
「歩いて十分くらい」

 優は、そう答えながら、希美子の顔や保健室の先生の顔を思い浮かべていた。会いたい、わけではなかったが、何故か懐かしい気がした。

 今は、まだ夏。もうすぐ、秋が来て、受験がやってくる。
 奨学金枠に入るために、今度の試験はどうしても良い成績を収めなければならない。



 そう。
 優の中から、樹と出会ってから今までの記憶が、そっくり抜け落ちていたのである。



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