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Stories of fate


虚空の果ての青 第二部

虚空の果ての青 (‘娘’) 27

 病院で意識を取り戻した優は、はっと目を開いた瞬間、自分がどこにいるのか分からなくて、悲鳴をあげそうになった。慌てて口を押さえて、彼女は男たちがいないかと辺りを見回す。そして腕に刺さっている針とつながれた管が目に入る。

 他には誰もいない白い病室。

 ゆっくりと点滴の管の雫の伝わる様を見上げ、見慣れたその光景にようやく優は助かったのだと知った。誰かの声を聞いた。知らない声だったのに、何故かそのとき優はほっとしたことを覚えている。

 辺りを見回し、彼女は掠れた声をあげた。

「いつき?」

 そして、思い出した。
 問題は何も解決していないということを。

 いつきの…本当の、娘。自分とは違う。樹が無条件で愛する相手。たとえ何があっても彼が見捨てたりしない相手。

 彼女の存在が重くのしかかる。
 私はその子に会えなかった。いや、もともと会わせてくれる気などなかったのだろう。

 その子に会って、自分のことを追い出さないで欲しいと、その子の片隅にでも良いから、樹を見ていられる場所に置いて欲しいとお願いするつもりだった。

 以前、こうやって病院に搬送されて目覚めたとき、樹はそばにいてくれた。なのに、今日は目覚めても尚彼女は一人ぽっちだった。

 きっと、樹はもうその子に会ったのだろう。きっと、その子を抱きしめてあの、低く甘い声で、その子の名を呼んだのだろう。かつて、優にそうしてくれていたように。

 もう、ここには来てくれないのかも知れない。
 今まで彼女を愛してくれたようには、もう、必要としてはくれないのかも知れない。
 優の頬には知らずに涙が伝った。

 もう、これで「さよなら」だと、言われるのかも知れない。もう、樹が愛する人は見つかったから。
 それなら、もう…。



 優は、ゆっくりとだるい身体を起こし、自分の腕を見つめる。そして、おもむろに腕の点滴の針を引き抜く。
 点滴の液が床に零れ落ち、腕の血管から血がにじんだ。
 涙がぽたりと毛布に落ちる。視界が涙でぼやけ、優は初めて自分が泣いていたことを知った。

 優は、どんなに酷い目に遭わされても、どんなに苦しくても、泣いたことはなかった。痛みに耐えられずに零す涙と違う。悲しい、という感情が湧かなかった。それなのに、樹に出会ってから、優は泣くことを覚えた。嬉しいことと共に、悲しいことを覚えたのだ。

 不意に扉が開いて、看護師が入ってきた。そして、ベッドの上で茫然と涙を流している優の、その腕から血が流れ落ち、点滴の針が外れていることを知って、彼女はぎょっとする。

「優さん? ど…どうされました? どうしたんですか?」

 そこそこベテランの看護師だった彼女は、慌てずにゆっくりと優をベッドに横たえ、彼女の腕の止血をする。取り乱して暴れたりはせず、優はされるがまま、ただぽろぽろと涙を流し続けていた。

 もう、会えない?
 もう、見てくれない?
 イヤだ、いつき。
 それが最後でも…。
 …最後にもう一度だけ、会いたい。

「こんなことをして、自分を傷つけてはダメですよ。良いですか、もう大丈夫ですよ。どこか苦しいところがありますか?」

 静かに話しかける彼女の声は、優には届いていなかった。ただ、いつき、いつき…と泣きながら繰り返し呟くだけだ。

「ついさっき、ご連絡をいただきましたから、すぐにいらっしゃいますよ」

 優の傷ついた弱々しい様子に少し憐れみを感じてしまい、彼女は優しくそう教えてくれる。
 点滴をセットし直し、再びとろとろと眠りに落ちたらしい優の幼い顔を見下ろして、看護師はほっと息を吐く。

 優が攫われたと鹿島から連絡を受け、会議中だった樹は思わず立ち上がりかけた。しかし、動く訳にはいかない重要な議題を抜け出すことは出来ず、鹿島と桜木を信じて任せるしかなかった。

 彼が進めるプロジェクトのプレゼンテーションだったその会議は、樹の焦燥を他所に順調に進み、ほどなく、会議が終わる前に優を無事に救出したと知らせが届く。

 全身から力が抜けるほど、樹は安堵した。
 そして、次の瞬間には激しい怒りが彼を支配した。


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ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説

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