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Stories of fate


虚空の果ての青 第二部

虚空の果ての青 (‘愛’のかたち) 20

「いつき」

 その夜、樹の腕の中で優は呟く。

「‘お母さん’ってあったかいんだね」
「…そうか。うん、君にとっても‘お義母さん’だ。うんと甘えて良いんだよ」
「甘える?」
「そうだよ。くれる物は何でももらってやってくれ。上手に甘えてやるのも親孝行だからね」
「親…孝行」
「そうだよ。母は、女の子も欲しかったみたいだから、実はすごく喜んでるよ。服とかバッグとか、そういうのを一緒に買い物してみたいらしいよ」

 優にはさっぱり想像のつかないことで、仕方なく彼女は曖昧に頷いた。

「母のことはもう良いよ。今は俺のことをちゃんと見てな」

 優の耳元にそっと唇を這わせて樹はささやく。

「ひゃあっ」

 まだ身体の熱が冷めやらず、どこかふわふわしたままの優は、その僅かの刺激に悲鳴をあげる。
 逃げようともがく優を抱きすくめ、樹はその首筋に唇を押し付けた。

「やあっ…んん~っ」

 優は、細い腕で必死に抵抗を示したが、樹はまったく意に介していない余裕の笑みを浮かべて、腕の中の獲物を丁寧に愛していく。

 眠りに落ちた…というよりも、失神に近い形で意識を失った優をベッドに残し、樹は寝巻きを羽織って部屋を出る。

 中学後半と高校の3年間だけを過ごしたこの家は、彼にとっては実家というよりもまだ他人の家の感覚に近かった。しかも、最近はほぼホテル暮らしだ。

 それでも、周りが静かなこの屋敷は気に入っていた。
 周囲はまばらな林に囲まれ、それを抜けるとやがて田舎の住宅地といった風景が見えてくる。

 感傷に浸っている訳ではないが、なんとなく外の風に当たりたくなって、中庭への扉を開けようとしたとき、ふと庭に人影が見えて、樹はぎょっとする。侵入者が? と思ってよく見ると、それは美也子だった。

「何、してるの? 母さん」

 扉を開けて、後ろ姿の彼女に声を掛けると、すでに寝巻き姿の美也子は少し驚いてゆっくりと振り返った。

「樹、あなたこそどうしたの? 眠れないの?」
「まだ、11時前だよ」
「優ちゃんは?」
「子どもはもう寝たよ」
「…そうね。まだ、子どもよね」

 その事実を重く噛み締める。

 大人の思惑に翻弄されて、罪のない子がボロボロになって最後に辿り着いた安息の場所。それが樹なのだとしたら、それを邪魔する権利が誰にあるだろうか。

 しかも、美也子と、そしてボスの血を引くただ一人の娘なのだ。何をおいても守ってやりたいと、息子が覚悟を決めたのなら。

 美也子は、ふっと視線をさまよわせる。その横顔が月に照らされてぼうっと光っていた。どこか厳しい、険しい表情を湛えていて、樹はふと懐かしい思いに捕らわれる。

 まだ幼い彼を必死に守って、一人であらゆるものと戦っていた頃、母はよくそういう横顔を見せたものだ。
 樹は庭に下りて扉を閉める。ほぼ満ちている太った月が明るい。手入れの行き届いた庭は、月の薄明かりを照り返して幻想的な明るさで満たされていた。

「あなたを抱いて、暗い部屋の隙間から差す月明かりを眺めていた夜を思い出したわ」

 美也子は、横顔のまま月を見上げた。
 そのとき、ふと口をついて出た質問に、樹は、彼自身の闇を知った。

「母さん、俺に死んで欲しいと思ったことあった?」
「まさか」

 しかし、美也子は考える間もなく即答する。

「どんな生活でも、今思えばなんだか楽しかったわよ。あのとき、明日なんて来ないかも知れない闇の中にどんなに絶望を見ても、私にはあなたがいて、どうしたって‘希望’が私を捕えて離さなかった。それに、いつか彼と暮らせることをどうしてか信じていたのよね」

 そう、と呟いて、樹は、何か問いたげな母の視線を感じて慌てて彼女から目をそらした。

 勲が言った。優の死を望んだことがあると。そして、それをきっと優自身も感じて、分かっていたのだろう。そんな風に、親に死んで欲しいと願われることの深い闇。そこにどうやって光を当てられるのか、樹には分からない。そして、その恐怖を幼い彼もどこかで感じたような気がしたのだ。

「なんで、そんなこと聞くの?」
「いや」

 美也子は、しばらく何も言わずに樹の横顔を見つめ、やがて、瞳に月の光を落としたような不思議に怪しい笑顔で言った。

「月明かりは、闇を浄化してくれるのよ。優ちゃんと一緒にいつかこの庭に出てみてご覧なさい。きっと、心が静まるから」

 樹は驚いて母を見た。

「優ちゃんのお誕生日、みんなで祝ってあげましょうね」

 月光に照らされて目を細める母が、きっと何もかも大丈夫、と、そう言ってくれているような気がした。
 

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