FC2ブログ

Stories of fate


虚空の果ての青 第二部

虚空の果ての青 (対峙) 16

 その日、優は本格的に始まった授業に、今までよりずっとペースの早い進み方を実感して少し慌てていた。ちょっと考え事をしていたら、途端に内容が進んでしまっていた。

 今日、樹の母親が帰国すると聞かされていた。
 樹のお母さま。
 優はその言葉を頭の中で反芻する。

 ‘母親’というものに対する明確な印象がない優は、少し戸惑っていた。ただ、その存在は切ない憧れで、本当は狂うほど焦がれた頃があったことも覚えている。保育園に迎えに現れる‘お母さん’という人たち。父親がごく機嫌のいいときに話してくれた優の母親の面影。

 そして、一般的な『母親』というものを考えたとき、ふと、つい先日の入学式の光景を思い出したのだ。
 入学式の日、生徒の母親たちが大勢並んだ体育館の中に樹の姿を見つけて、優はひどく驚いた。

 保育園から中学校に至るまで、入学式も卒業式も、まして授業参観のようなものに、優の保護者が姿を現したことは一度もなかった。

 勲は、働きながら勉強を続け、そして大学を卒業してからも生活していくための仕事が忙しくて、或いは服役している期間があったりで、彼がそういう場に関心を寄せることすらなかったし、施設の関係者が挨拶に訪れることはあっても、それは優だけのためではなかった。

 高校まで鹿島の運転する車でやって来て、優は他の生徒と一緒に教室へと向かい、鹿島と樹はそれをにこにこと見送った。優は二人はそのまま帰り、式が終了したら鹿島が再び迎えに来てくれるのだろうと思っていた。寂しいと感じる余裕はなかった。優にとってはそれは当たり前のことだったので。

 だから、樹が父兄席に鹿島と並んで座っている姿を見つけた瞬間、優は喜びの感情よりもまず、驚きで息が止まりそうになった。ふと、温かいものを視界の端に感じて、そこに意識を持っていった途端、樹の姿だけがくっきりと優の目に迫ってきた。何もかもぼんやりと面倒だった世界の中に、彼の姿だけが強烈な光となって彼女の心をクリアにした。

「いつき」

 優は言葉にしてその名を呟き、その途端、まるで激しい嵐のような熱い喜びの渦がお腹の底から湧き起こってきた。生まれて初めて、優は、‘家族’というものを、その意味を感じた。

 見ていてくれる人がいる。
 そう知っただけで、世界は突然色彩を放って優を取り巻いた。

 退屈なだけのその式典が、一つ一つ意味を持った。
 ここは、新しい世界への扉だと、はっきり心に描くことが出来た。

 そんなことを幸せに反芻していたら、いつの間にか授業が淡々と流れていたのだった。
 いけない、と優は思う。
 しっかり勉強しないと、奨学金は成績が下がったら受けられなくなる。

 実際、樹に引き取られた時点で、奨学金は受けられなくなっているのだが、優はその事実を知らない。優は必死に授業に集中し出した。

関連記事
スポンサーサイト



もくじ  3kaku_s_L.png 紺碧の蒼
もくじ  3kaku_s_L.png 真紅の闇
もくじ  3kaku_s_L.png 黄泉の肖像
もくじ  3kaku_s_L.png 花籠
もくじ  3kaku_s_L.png 花籠 2
もくじ  3kaku_s_L.png 花籠 3
もくじ  3kaku_s_L.png 花籠 4
もくじ  3kaku_s_L.png 花籠 外伝集
もくじ  3kaku_s_L.png 蒼い月
もくじ  3kaku_s_L.png 永遠の刹那
もくじ  3kaku_s_L.png Sunset syndrome
もくじ  3kaku_s_L.png 陰影 2
もくじ  3kaku_s_L.png Horizon(R-18)
もくじ  3kaku_s_L.png Sacrifice(R-18)
もくじ  3kaku_s_L.png 閑話休題
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
  ↑記事冒頭へ  
←虚空の果ての青 (対峙) 15    →虚空の果ての青 (対峙) 17
*Edit TB(0) | CO(0)
ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説

~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


  ↑記事冒頭へ  
←虚空の果ての青 (対峙) 15    →虚空の果ての青 (対峙) 17