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Stories of fate


虚空の果ての青 第二部

虚空の果ての青 (‘父親’) 3

 優は、連れ込まれた古い廃屋の荒れ果てた様子に怯えて息を呑む。そこは以前、勲が幼い優と共に暮らしていたアパート近くの捨てられた民家跡だった。

 窓は破れ、風が吹き込み、床は埃だらけで虫の死骸がそこここに転がっている。幸い一番奥の部屋は扉が閉まり、外からの空気を遮断していた。二人はその部屋に入り込み、勲はあちこちを落ち着きなく物色する。そこはかつてはジュータン張りの綺麗なフローリングだったのでは?と思わせる洋間だった。ソファが並び、壊れたテーブルが脇に立てかけてあった。
 
 勲は警戒するように辺りを見回し、まだ肌寒い空気にブルッと身体を震わせる。隅に置かれてあった反射式のストーブを見つけた彼は、それ引き出してくる。僅かに灯油が残っていたらしく、勲がライターで火をつけてみると炎が赤く燃え上がって埃を焼く焦げ臭い匂いが辺りに立ちこめた。

 勲は制服のままの優を乱暴にソファに座らせ、ここを動くな、と命じる。勲の声に優は素直に従うしかなかった。

 勲はその部屋を出て、家の中を見てまわる。
 優を連れ出してどうしようという明確な意図は彼にはなかった。ただ、彼は突き動かされるように自分が唯一恋して、そして触れることも出来なかった女の娘を、その女の幻として抱くのだ。報われない愛が、過ぎれば憎悪に変わる瞬間を幾度となく心に巣食わせながら。

 どんなに抱いても、痛めつけても、そして優の苦痛に歪む美しい顔を見つめれば見つめるほど、彼の絶望は深くなる一方だった。それから逃れたくてますます優を痛めつける。自らの最後に残った人間らしい心を一緒に殺すかのように。

 優を見ること、優の身体に触れること、本当はそれすら彼にとっては耐え難い苦悩であり苦痛であった。目の前から消えて欲しいと何度願ったか知れない。それでも、殺してしまうことだけは出来なかった。
 彼が、唯一、苦しくとも優しい時間に共に生きた人の、彼女がこの世に存在した証だったから。本当は、慈しみたい、誰よりも幸せを願うはずの自分の娘なのだ。

 その、相反する狂気に、彼は叫び出したくなる。

 狂いそうな吐き気の中、彼は隣の部屋の押し入れの中から、古い毛布を見つけて引っ張り出す。何を探そうという目的があったわけでも、見つけたそれをどうしようという明確な意図があったわけでもない。ただ、まだ肌寒いこの季節、優が風邪をひかないように、とどこかで考えたのかもしれない。

 それを両手に抱えてふらふらと優を閉じ込めていた部屋に戻った。
 優は、青ざめた表情のまま、茫然と彼を見つめてそこにいた。
 その、どんどん母親にそっくりになっていく少女の顔が、不意に彼を責めているように感じられる。

 どうして? と彼の恋した女性が悲しげに、恨みがましい目で彼に問う。
 どうして、優をこんな目に合わせるの…?

 勲は毛布を床に叩きつけて突然叫びだす。

「あんたが、…全部、あんたのせいだっ!」

 愛しい女性の幻に、彼は狂ったように叫ぶ。
 その狂気に、恐怖に、優は声も出ない。

「壊してやるっ、何もかも!」

 勲は優に飛び掛り、悲鳴をあげる優の制服を剥ぎ取っていく。制服を引き裂かれ、下着が露わになったとき、突然、勲は呆けたように優を見つめて動きが止まる。正確には、彼は優の下着を、何か恐ろしいものを見るように凝視していた。

 それは、樹が買い与えた洒落たデザインの女性らしい下着だった。優が、何より喜んだレース生地の淡い桃色の。それが、何を意味するのか、勲には分かったのだろう。

「お前…男が出来たのか?」

 搾り出すような声だった。

 優に、勲の声は届いていない。身を庇うことも出来ずに、彼女はただ怯えて震えていた。勲と暮らしていた頃の恐怖。痛みの記憶。耐え難い痛みを、苦痛を、ひたすら耐えた後でなければ食べ物ですら何も与えてもらえなかった狂った日常を、しばらく忘れることが出来ていた辛い体験を現実として思い出していた。

 凍りついたように、何も感じない。一切の感覚も感情も麻痺させて、耐えるしかなかった悪夢のような日々。それが日常で、それ以外の何も優を救ってはくれなかった闇の中。樹と過ごした時間は夢に過ぎなかったのだと、優は、涙も出ない絶望に落ちていく。

「誰だ、そいつは?」

 勲は、氷のような声で優の顔を覗き込む。
 何を言われているのか分からない優は、ただ怯えて首を振る。

「誰だと聞いてるんだっ」

 勲は苛立って優の頬を殴る。
 優は痛みと驚きで声も出なかった。

「言えっ、誰だっ?」

 髪を掴んで揺さぶられ、優は悲鳴をあげる。彼が何を怒っているのか、何を聞き出そうとしているのか、優にはまったく分からなかったのだ。

 散々、優を殴りつけたあと、勲は息を切らせてソファに座り込む。殴られて口の中が切れたらしい優は、懐かしい血の味に、心はどんどん冷えていった。

 もう、樹には会えない…。
 優はそのとき、そう思った。

 ‘優ちゃんは、他の男とやっちゃダメだよ’

 いつか樹が優に言った言葉がふうっと彼女の脳裏をかすめた。優しい樹。大好きな樹。でも、…ああ、だからこそ、もう会えない。
 

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