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Stories of fate


虚空の果ての青 第一部

虚空の果ての青 (月の訪れ) 65

 しかし、それが、月経の前兆だったとは。

 翌日、まだ7時前、優はなんだかひどくふらふらしながらも、目を覚まして、トイレに入って、それを知った。そして、どうして良いのか分からなくなって、泣きながら扉を開けて出てくる。ひどく身体がだるくて、お腹の奥が重くて、しかもローブの裾は血に染まり、それが更に足を伝って床に流れ落ちている。ベッドを汚さなかったことが不幸中の幸いだ。

 コーヒーを湧かしながら、ふと優の気配に振り返った彼は、泣いている優の、そしてその血の染みに、一瞬、もっと別の恐ろしい想像をした。

「優ちゃんっ? だ…大丈夫かい? いったいどうし―」

 駆け寄って、優の身体を支えて出血の箇所を確かめようとして、その経血の匂いと流れ出る先に、やっと、はっとする。

「…って、えっ? …もしかして、生理?」

 優は泣きながら頷く。学校で、習ってはいた。しかも、周りのクラスメイトはほとんどがもう始まっていた。それでも、優はそういう準備を一切していなかったし、もしかして、生理は一生来ないかもしれないと心の奥では思っていた。それで、そういう心得が一切なかったのだ。

「…ええと、とりあえず、お風呂で洗い流して―」

 樹もどうして良いのかさっぱり分からない。とりあえず、具合が悪そうで寒そうな優をあっためてやらなくては、とお風呂の支度をする。

「何が必要か分かる? 買ってくるよ」

 樹は内心、本当に焦っていた。こういう場合、女親がいればなんと言うことはないのだが…、と考えて、そうだ、雅子を呼ぼう! とやっと頭が廻る。新年早々だとか、彼女にも何か予定があるのではないかとか、一切考慮に入れる余裕はなかった。

 バスタブにお湯を張って、優を入れてから、樹は大慌てで雅子を呼び出す。
 どうしたの? と雅子は、樹のいつになく取り乱した様子に驚く。とにかく、すぐ来てくれ、と言われ、雅子は怪訝そうな声で分かったわ、とそれでも急いでタクシーを飛ばしてやってきてくれた。

 玄関先に立つ雅子の姿が女神のように思えた。樹は彼女を引っ張り込むように部屋に入れ、簡単に状況を説明した。優はまだお風呂の中だった。

「了解。任せて」

 雅子は、樹の切羽詰った様子の話を聞き、ただ、頷いた。そして、バスタブの優をタオルで包んでとにかくあったかくさせててね、と言って、必要な物を買いに出かけてしまった。樹はタオルで包まれた優を抱いて、どこか虚ろな彼女の瞳を不安に思う。

 大丈夫かい? とバカみたいに聞くしか出来ない。それでも、優は、問われるとしっかり頷く。
 そして、何をどこで手に入れたのか、雅子はあっという間に戻ってきた。

「優ちゃん、はい、もう大丈夫よ。使い方を教えてあげるわ」

 樹の腕の中の優をソファにそっとおろして、雅子は、今度は樹を見る。

「樹、優ちゃんの着替えを出してちょうだい」
「あ…ああ」

 樹は慌てて、優に着せようと思っていた着替え一式を用意する。その間、雅子は母親のように優しく優に寄り添って静かに話しをしていた。

 樹はその様子をぼんやりと見つめながら、この間、雅子が言った言葉を反芻する。
 ‘女には女同士にしか分からないことがあるものよ。’
 その通りだと思った。今度ばかりは、樹は彼女に心から感謝した。

 優に服を着せて、二人は洗面所に消え、樹は落ち着かないなりにも、仕事に出る支度を始めた。それでも、二人のことが、優の様子が気になって、樹は同じことを何度も繰り返したり、不要な物を手に持ってみたりと、まったく作業は進まない。

 大分経って、優が雅子に付き添われるような感じで出てきたが、どこか顔色が悪く、雅子はそのまま彼女をベッドに横たえた。

「今日、施設へ帰すんですって?」

 雅子は樹の方に向き直る。

「ああ、もうすぐ鹿島が迎えに来るはずだ」

 樹は、今までかかってやっとスーツの上着に袖を通した。

「こんな状態なのに?」
「ここにいたら、俺は夕方遅くまで戻れないし、施設で人の目がある方が安心じゃないか?」

 しかし、樹は、言いながらも実はまったくそう思っていない様子が分かる。心配で、手元に置きたい、そばにいたいと熱い瞳の光は語る。
 雅子は、ちょっと首を傾げて、確かにそうねえ、と呟く。そして、優にかがみこんで、優しく聞く。

「優ちゃんは? どうしたい?」

 すると、優はそっと樹の顔を見た。その目はどこか怯えていて、彼の返事をただ待っている、とういうように見えた。雅子はちらりと樹に視線を投げて牽制し、優に向き直って微笑む。

「樹がどう言ってるかじゃないのよ。優ちゃんがどうしたいの? 希望を述べたからって、誰も優ちゃんを怒ったりしないのよ」

 しかし、優は顔を伏せると首を振った。
 雅子はしばらく優の髪を撫でていたが、やがてすっと立ち上がった。

「樹、私も今日は挨拶廻りで半日は外だけど、途中、途中に様子を見に寄ることは可能よ? どうする?」
「どう、って…」
「優ちゃんを今日は動かさない方が良いんじゃないかしら? 具合が悪いときは特に、一人じゃ不安なのよ。特にこういう…女の子の生理って、精神状態にものすごく左右されるものだから。あなたも今日は少し早めに帰れるんじゃないの? ほぼ、挨拶だけでしょ?」
「…一人で置いて、大丈夫なものなのかい?」
「病気じゃないから、ただ休んでいれば良いのよ。どうすれば良いのかは説明しておいたし、大丈夫だと思うわよ」

 樹は、時計を見た。

「鹿島がそろそろ来るはずだ」
「じゃ、私も一旦家に帰るわ。支度しなくちゃならないし」
「…分かった。とりあえず、本当にありがとう」
「いいえ。優ちゃんのことなら、いつでも呼んで」

 雅子はいたずらっぽく微笑んだ。

「そこまで送るよ」
「あら、珍しい」

 玄関先で樹はちょっと優を振り返り、雅子と共に外へ出た。
 ドアを閉めて、二人とも一瞬、重い沈黙を共有する。

「…本当にありがとう。とりあえず、かかった分は払うよ。これで足りるかい?」
「そんなに要らないわ」
「…余った分は、出来れば、今後必要なものを揃えてもらえると嬉しいんだけど」
「分かったわ、じゃ、いただいておく」

 雅子は受け取った紙幣を財布に入れ、暗い表情の樹を見上げた。

「生理がマトモにくるか分からない、と医者に言われていたそうなんだ。…俺にはよく分からないが、あれは、普通なのかい?」
「確かに15歳で始まるのは今どきの子では遅い方だけど、正常の範囲だと思うわ。それに、生理中、不調を訴える人も普通に多いのよ。まだ周期も分からないし、出血の量も今後どうなるか、正直まだ予想がつかないのよね。昨日から寒かったって言ってたことも、特に異常なことではないわ。…つまり、今のところ、通常の状態だと思う」
「…じゃあ、大丈夫なんだね?」
「大丈夫っていう言葉が適格かまだ分からないけど」

 雅子は一旦、言葉を切った。

「…それにしても、女性生理に関する不具合が生じるような虐待の種類って…」

 樹は何も答えなかった。ただ、息を一つついて一瞬彼女から視線をそらした。雅子の瞳が侮蔑的な暗い色を宿したことに何故か心が痛んだのだ。

「それでも、マトモに来ないかもしれない月のモノが始まった、ってことは、優ちゃんの内面が安定し出したことなのね。きっと、それは貴方のお陰なんでしょうね」
「嫌味かい?」
「違うわ。言葉通りの意味よ。精神的に安定した、ってことは、身体に対してダイレクトに伝わるものだから。…つまり、あなたとの出会いに寄って、優ちゃんはそれまで呪っていた自らの‘女性性’を容認するきっかけになったのね。自分が‘女’であることを受け入れられた。だから、身体がそれに応えた。きっとそんな図式。それまで『希望』と呼べるものがなかった彼女にとって、‘生きる’ことに光を見出した、それはすごい劇的なことだったんでしょう。人生に楽しみとか、温かさとか、そういうものを見つけた。きっと、そういうことね」

 それは、俺も同じなのかもしれない、と樹は声に出さずに思った。
 優の存在は、彼の中で淡い色彩で彩られている。それまで意識していなかっただけで、きっと随分前からそうなのだ。雅子は多少複雑な色を宿しながらも微笑んで、困った様子の彼を見上げた。

「そうね、生理用品も、フロントで手に入れただけだから、もっとちゃんとしたものを調達して、なるべくちょくちょく顔を出して、お昼ご飯は一緒に食べてあげる。でも、何より、貴方が早く帰ってくることが一番よ」
「…ああ、分かってる。フロントに、君が来たら鍵を渡すように言っておくから、頼むよ」

 どこかおろおろした表情の樹を見て、雅子は今度こそ、にっこりと微笑んだ。

「あなたがそんなに必死になって、取り乱す姿を初めて見た。優ちゃんが、よほど大切で可愛いのね」
「そんなんじゃないよ。俺が預かってるときに、何かあったりしたら…」

 憮然とした表情の樹に、雅子はくすくす笑いながら言った。

「まあ、良いわ、そういうことにしておいてあげる」

 鹿島の姿を廊下の先に見つけて、雅子は、じゃ、と笑って去っていく。その後ろ姿を見送って、樹は怪訝そうに雅子に挨拶をしてこちらに近づいてくる鹿島を複雑な表情で迎えた。
 

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ジャンル:[小説・文学] テーマ:[恋愛小説

~ Comment ~


雅子好きかも。。
ほわんとした優ちゃんもいいけど、バリっとしてデキる女もカッコいい!!
バリッとしてるけど、優しくて子供とかと一緒にワイワウ遊んだりしそう。

そしてなぜでしょう・・・樹が屋台の店の人として立っていたら、大繁盛する!なんていらぬことを想像してしまうのは・・・
#2191[2012/06/11 18:18]  ハル  URL 

ハルさまへ

ハルさん、

雅子さんを気に入っていただきまして、嬉しいっす(^^)
彼女はfateも好きかも。
女の子は好きでも、基本、女らしい女はキライなんで(^^;
こういうかっこいい女性は良いよな!

> そしてなぜでしょう・・・樹が屋台の店の人として立っていたら、大繁盛する!なんていらぬことを想像してしまうのは・・・

↑↑↑ここに大爆笑いたしました。
そんなことをおっしゃっていただいたのは初めてです!
今年の夏祭りにはぜひ、樹に法被を着せて屋台に立たせたいっ!!
#2192[2012/06/12 07:27]  fate  URL 














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