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Stories of fate


虚空の果ての青 第一部

虚空の果ての青 (月の訪れ) 62

 翌朝、樹がベッドから出る気配に、優は意識だけが半分覚醒する。しかし、まだ目は開かない。すぐに眠りの波が彼女をさらう。

 いつき…? どこ、行くの…?
 そう聞きたいのに、声も出ない。
 怖い。
 イヤだ、いつき。行かないで。

 すると、不意にコーヒーの香りが漂ってきて、優は安心する。
 コーヒーを淹れてるだけだ。
 ここにいる…。
 すとん、と真っ暗闇が訪れる。



 次にはっきりと意識が戻ったのは、大分、日が高く昇ってからだった。
 部屋の中が薄明るくて、窓のカーテンの隙間から漏れる光に、優ははっと身体を起こす。

「いつき?」

 慌てて隣を確かめると、そこに彼は横たわり、まだ眠っていた。

「どうしたの? 優ちゃん。…そろそろ起きるかい?」

 珍しく二度寝したらしい樹が、いつになくぼんやりした表情で、身体を起こした優を見上げている。ベッドサイドの小さなテーブルに、コーヒーカップと新聞が置いてあって、彼が一度起きて一通りの日常を始めていたことが分かった。

「明けましておめでとう。新年だね」

 樹は、茫然としたまま樹を見つめている優に微笑んだ。そして、その頬を大きな手で包み込む。

「初日の出は優ちゃん、夢の中だったねえ」
「いつきは、見たの?」
「時間には起きてたけど、見なかったなあ。見たかった?」

 優は首を振る。そういう当たり前の日常、世間一般の普通の行事を、優はあまり味わったことがない。興味の対象にのぼったことがなかった。いつも、そんな余裕はなかった。彼女の中の混沌は、色彩も光も許さないモノクロの世界なのだ。

 今、優の中で光を放ち、明確に色彩を伴うものは、樹の存在だけだった。
 それ以外はもう、彼女にとって過剰なものなのだ。

「もう少しゆっくりしよう。もう、俺は今日しか休みがないから。」
「休み?」
「君はまだしばらく冬休みだろ?」

 樹の腕に抱き寄せられて、その素肌の感触に、優は昨夜はいったいどうやってここに戻って来たんだっけ? とまだ、なかなかはっきりしてこない頭で考える。

 それまで、そんなに感じたことがなかったのに、その朝、優は部屋の空気に冷やりとしたものを感じた。
 ブルッと震えが走って、優は慌てて樹の腕の中に潜り込む。

「お休みは…もう、終わりなの?」
「え? ああ、そうだね。これでも、今回は本当は休みすぎだけどね」

 苦笑する樹の声の調子に、だから、もう施設へ帰りなさいと言われるだろうと、優は思った。

「やだ」

 樹の胸に顔を埋めたまま、優は小さく首を振る。

「何が?」

 樹がのんびりした声で、優の髪を撫でる。そっと彼の唇が髪に触れるのが分かった。樹の手が、ぐいと彼女の腰を抱き寄せて、毛布の中で顔を伏せていた優は息苦しくなって顔をあげる。
 紅い顔をしているどこかまどろんだ表情の優を見下ろし、樹は目を細める。

「そうか。初詣に行って、おみくじでも引いて来ようか」
「初詣?」
「この辺だと、どこが良いかなあ?…鹿島に連絡してみようか」
「…」

 優は、また出かけるの? という気分になる。もう、人ごみはこりごりだと優は少しうんざりした。あまり多くの人を短時間に見たことがないので、許容量をすでに超えていたのだ。

「何? なんか、気に入らないみたいだね、優ちゃん?」
「…ここにいたい」
「出かけたくないの?」

 実は分かってたけど、と微笑んで樹は聞く。

「ここにいる」

 優は、消え入りそうに小さな声で訴える。樹の手の動きにびくりと身体が硬直して、彼女は思わず、ごめんなさい、と叫んで両手で頭を抱えて震えた。

 樹は少し驚いて、腕の中で怯える優を見つめた。
 相手が誰だということではなくて、それはもう、反射的な行動だった。

「優ちゃん、約束するよ。イヤなことをイヤだと言ったからといって、決して痛いことはしない。大丈夫だよ。今日をどうするか、一緒に考えよう?」

 優の震える腕を外してその顔を覗き込み、樹は言った。

「大丈夫だよ」

 言いながら、樹は優の小さな身体をぎゅっと抱く。抱きしめられた腕から伝わってくる優しい想い、温かい想い。それがゆっくりと身体の奥の氷を溶かすように浸みて、優はようやく安心する。



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ジャンル:[小説・文学] テーマ:[恋愛小説

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