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Stories of fate


虚空の果ての青 第一部

虚空の果ての青 (来訪者) 58

 雅子が樹の部屋から出てくるのをたまたま見かけた中年男性が、驚いた表情で彼女に声を掛ける。樹の部屋は、ホテル側がいくら秘密にしていても、滞在が長いため、あちこちに漏れているらしい。そのため、樹は余計に施錠には神経質になっていた。

「おや、香坂くん、奇遇だね。今、出て来た部屋は…」
「あら、お久しぶりです、加納専務。どなたかとお待ち合わせですか?」

 雅子はさらりと質問をかわす。

「君、マクレーン氏と別れたんじゃなかったの?」
「まぁ、そんな下世話な質問を?」
「これは失礼。では、こんな年末にマクレーン財団と何か密談でも?」
「あら、私は‘別れた男’に会ってきただけのことですわ」

 雅子はにっこりと微笑んで相手の目を見据える。加納は、樹の会社とライバル関係にある新進企業の専務だった。何かと彼の周りをうろうろして、雅子から情報を得ようと彼女に近づいたこともあった。
 雅子は彼を好きでも嫌いでもなかったが、樹の人柄を基本的には嫌っていないことと、今回、優を気に入ってしまったことで、彼らに迷惑を掛けるような事態を引き起こしたくはなかった。

 雅子は、本当は樹を困らせたくてわざわざ優を訪ねたのだった。ちょっとした憂さ晴らしのようなものだ。
しかし、二人を見ていたら、ただただ一緒に、しかも本気で遊ぶだけに終始してしまうほど、その空間の危うさ脆さに雅子は息を呑むばかりだったのだ。痛いような必死な空気。それが二人を取り巻いていた。だけど、それを二人は分かっていないような気がした。

 そして、その切実で静謐な空気が何なのか、雅子にも分からなかった。
 それでも。何か小さなことが起こったら呆気なく崩れ去るガラス細工のようなその完璧な美しさを、今、粉々にしてしまう気は起こらなかった。しばらくうっとりと眺めていたいような気になったのだ。

 優は、初めてのゲーム参戦で、ほとんどルールを知らなかったこともあり、樹がつきっきりで彼女の補助にまわっていたにも関わらず、結果はゲーム性の高い勝負はやはり雅子が勝っていた。
最後にジュータンいっぱいに広げた‘神経衰弱’というカード合わせのゲームだけは、記憶力の抜群に高い優の一人勝ちだった。

 勝負に勝ったことではなくて、カードをたくさん手に入れたことで優は嬉しそうだった。その様子を微笑ましく見守っていた樹と雅子は、ふと目が合って、無邪気な子どもを見守る両親のような気持ちを一瞬共有した。

 それは、樹にとってだけでなく、雅子にとって意外な驚きだった。自分にそういう‘母性’のようなものがあるとは彼女は知らなかった。ずっと、男と対等に渡り合ってきて、それは彼女にとっての自信と誇りでもあった。自らをしゃんとさせている根源のようなものであった。

 最後に、樹は「ありがとう」と雅子を送り出した。
 また、遊んでね、と振り返ると、優は初めとは打って変わった柔らかい表情で頷いた。

 言葉の少ない優の、それでも実は洞察の深い思考を、雅子も少なからず感じていた。僅かな表情の変化と優の瞳が語る意味を、樹が的確に捉えていることも。
 音のない会話を見ているようだと、雅子は思った。
 閉ざされた二人だけの粒子の濃い関係。他者の入り込む隙のない絆。

「これは失礼。彼は元気だったかな?」

 加納は苦笑してそっと探りを入れる。その声に不意に我に返って雅子は微笑む。

「ええ。ババ抜きとポーカーと神経衰弱をしてきたわ」
「…なんだって?」

 何かの暗号かと思ったらしく、彼は眉をひそめる。

「久しぶりに童心に返ったわ~。今度は大人らしくお金を掛けてやらないとね。では、ごきげんよう、加納専務」

 ぽかんと彼女を見送る加納を残して、雅子は颯爽とエレベーターへ向かって去っていく。
雅子は、樹の後に付き合っていた男性とクリスマス前に別れたばかりだった。原因は、樹と別れた理由とは正反対のことだった。つまり、相手の男性の嫉妬深さに辟易したことが第一だった。そして、そういう男はどこか暗いもの、女々しい性質を持っていることを知った。友人に戻った樹と違って、その男とは別れたら最後、二度と会いたくはなかった。

 雅子はエレベーターの小さな箱の中でため息をつく。

「もう、当分、男はこりごりだわ。優ちゃんも、かわいそうに。いつか分かる日がくるのかしら?」

 優の、樹の腕の中でまどろむ幸せそうな表情を思い出した。
 親子のような、恋人のような、完璧な一対の男女。
 不思議な二人の世界だった。
 


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ジャンル:[小説・文学] テーマ:[恋愛小説

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