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Stories of fate


虚空の果ての青 第一部

虚空の果ての青 (その想いの名を) 35

 眠っている優の、お風呂の熱がまだ残ったままのほかほか温かい身体を抱き寄せると、彼女は軽く身じろぎする。

「優ちゃん? 勝手に一人で眠っちゃダメだよ」

 まだ意識は少しあるようで、優は一旦うっすらと目を開ける。何か言いたそうに唇が微かに動くが、言葉にはならない。

「分かった。もう、良いよ、眠ってても。勝手に抱くから」

 丸くなっていた身体を仰向けにされ、抵抗しかけた腕を押さえ込まれても、優はもう目が開かなかった。頭の奥が泥のように重くて、睡魔の力は思いのほか強引で、優の身体をまったく離してくれない。

「や…っ」

 何度も浅い覚醒に引き戻されながら、優は眠りの波に漂い、樹の唇の柔らかさと肌の熱さだけをうっとりと味わう。ちゃんと感じたいのに、その腕にしがみつきたいのに、もう指先ひとつ動かすことが億劫だった。優の意識はどんどん眠りの淵に引き込まれ、心地良い闇が彼女を包む。樹の手が優しく優の身体を撫でる温かさと、そっと彼女の反応を気遣う樹の唇の動き。それらは優の心に静かにしみ込んでむしろ深い眠りへと誘っていくのだった。

「優ちゃん?」

 すっかり寝息になってしまった優を腕に抱いて、樹はやれやれと思う。

「俺の前で、こんなに眠ってばかりいる女は初めてだよ」

 赤子のような無心の眠り。それは、安心の証。
 信頼の証。
 愛の、証。

 ローブを持ってきて優の身体に着せ、毛布を掛けてやりながら、樹は苦笑する。

「甘いな、俺も」



 翌朝、ゆっくり目覚めた樹は、隣でまだすうすう眠っている優の寝顔をしばらく見つめて、その造形がふと知った顔に重なった気がして、少し切ない気持ちになる。

 あれから、数え切れない女性と関係を持ち、何人かの女性と付き合ってもみた。それでも、気がつけば、この場所にいる。そんな気がする。

 遠い異国の下の、彼が初めて愛した女性、彼を愛してくれた女性の面影を追っている。捕らわれたままの時間軸の中で。

 ふっと優が目を開けた。
 その瞳の光を目の当たりにすると、彼女の面影は掻き消え、優の澄んだ魂に突如として出会う。

「おはよう、優ちゃん」

 樹が微笑むと、優はまだぼんやりした表情で答える。

「…おはよう…ございます」

 時計を見ると、もう7時をまわっていた。
 部屋の暖房に空気が少し乾燥気味で、喉が渇いていた樹は、起き上がってコーヒーを沸かす。優はそっと身体を起こして、ローブを身につけていることに気付いて、そろそろとベッドからおりて洗面所に向かった。

「優ちゃん、コーヒー飲む?」

 良い香りが漂い始め、樹はカップを二つ用意してバスルームの優に声を掛ける。優は顔を洗っていたようだ。タオルを抱えたままバスルームからとことこと出てきて、樹の手のカップを見つめる。

「コーヒー?」
「そう。ミルクと砂糖入れて甘くする?」

 優はこくりと頷く。コーヒーが飲み物との認識はあっても飲んだことはない。どうやって飲むのかなど、彼女には考慮の余地はない。

 ミルクをたっぷり入れて蜂蜜を加えたコーヒーのカップを渡すと、優はちょっと舐めて不思議そうな顔をする。
 甘みと苦味の不思議なコントラスト。

 相変わらず、飲み始めて初めて喉が渇いていたことを知った優は、ミルクを足してぬるくなっていたコーヒーがとてもおいしく感じられる。

 優の様子を見てくすくす笑いながら、樹はダイニングのテーブルで今朝フロントから届いた新聞を広げて熱いコーヒーを一口飲み、ざっと新聞記事に目を通す。

 一通り新聞に目を通して顔をあげると、立ちすくんだまま、一生懸命コーヒーをこくこく飲んでいる優に気付き、ちょっと悪戯がしたくなった樹は彼女に手招きする。

 疑うことを知らない優は、カップを抱えたまま、樹のそばに裸足のままぺたぺたと近づき、椅子に座っているので目の高さがちょうど同じくらいの彼をまっすぐに見つめた。ふわりと柔らかい髪が両頬にかかり、樹は、その内彼女の髪を整えてやろうと思う。

 樹はまったく悪戯の素振りは見せずに、優の手からカップを取ってテーブルに置き、自分のコーヒーをひとくち口に含むと不意に優を抱き寄せ、有無を言わさずにそれを口移しで飲ませてみる。

「んっ…んん~っ」

 その苦味に驚いて優は樹の腕の中で暴れ、唇の端から飲み込み切れなかった黒い筋が流れる。

「やっ…苦いようっ」

 逃げようとする優の身体を抱きすくめ、もがく少女の腕を捕えて樹はそのまま彼女の口をふさぐ。

 優は、舌を絡ませてくる樹の苦く深いキスに、次第に身体に力が入らなくなって足が震えてくる。苦かった口の中が洗い流され、頭の芯がくらくらしてくる。

 すっかり優が大人しくなって抵抗を諦めてしまうまで、樹は執拗に優の敏感な舌先を攻めた。
 足から力が抜け崩れ落ちた優を抱きとめ、樹は不敵な笑みを浮かべて言った。

「昨夜、勝手に眠っちゃった罰だよ」

 樹の言葉に、はっとして彼を見上げた優は、‘罰’という言葉に怯えた。

 それは、優が父親であるその男に言われ続けていた言葉だった。怯えて見上げた彼の瞳はただ悪戯な光が宿っている。優は恐怖と官能の入り混じった不可思議な表情のまま固まっていた。

 ぼんやりと彼を見つめる優の瞳は濡れそうに透明で、不意に樹の欲情をそそる。

 彼は、優の心の内は知らず、腕の中で動けずにいる彼女のローブの合わせボタンを外して、どうやって優を鳴かせてみようか思案する。そして、ゆっくりと彼女の胸に軽いキスを落とし、昨夜刻んだキスマークを丁寧にたどっていく。

「あ…っ、や…あっ」

 優は身体を震わせ、思わず樹の顔を押し戻そうと腕に力をこめた。

 樹に対して、それまで優は本気で抵抗を示したり、拒絶の反応を表したりしたことはなかった。たとえ、全力で逆らっても優のか弱い抵抗など、彼にはあまり意味のないことだっただろうが、優はどこかで信じているのだろう、樹が、本当にひどいことをしたりはしないと。

「なあに? 優ちゃん?」
「ん―うん…っ、やっ」
「いや? …何が?」

 優は怯えた表情のまま、樹をそっと見上げる。すでに身体は熱く、涙が浮かんでいる。

「俺が怖い?」

 ぴくりと優は震え、慌てて首を横に振る。

「優ちゃん、いやなことをイヤだと言ったからと言って痛いことをしたりしないし、怒ったりはしない。それに、たとえ俺が怒ったからといって、君を嫌いになったりはしないよ」

 樹は極力静かな口調で腕の中の少女を見つめる。

「イヤなの?」
「…いや、じゃ…ない」

 優は小さく首を振った。物音に驚いて小鳥が慌てて飛び立つ程度の怯えで、それは拒絶ではない。彼女が本当に本当に怖いのは、樹が、優を見てくれなくなること、だ。

 樹は、柔らかく微笑んで、そのまま優の身体を抱き上げてベッドへ向かう。首筋に抱きついてくる優の腕と胸元に少し柔らかな肉付きを感じて樹は言う。

「優ちゃん、君、ちゃんと言うこと聞いて、たくさん食べてたみたいだね。少し太ってきたみたいじゃん」

 こんな状況でも、誉められたことに優はほんの少し嬉しそうな目をした。
 
 
 
 樹の腕に抱かれながら、その刹那。短い夢をみた。
 男に貫かれる夢。痛い、許して、と心で叫ぶ。頬を、身体中をぶたれ、息が苦しくなる。涙は出ない。声も、出ない。

 助けて―!
 誰か。
 誰か…?
 ああ、誰?誰か…いた筈なのに…?

 樹の顔が浮かんだ。
 助けて―! 彼の面影に手を伸ばす。
 助けて―!
 彼の笑顔は闇に掻き消え、優は、現実の悪夢に引き戻される。
 『いつき…さま…っ』
 虚しく空(くう)に手を伸ばす。
 
 そして、彼の声が、優の名を呼んだ。

「優ちゃん…?」



 優ははっと目を開けた。



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~ Comment ~


ハル

一気に読んじゃいました!
そうですよ、このふたりですよ!!

優ちゃんの食の細さがうかがえる…全部一口サイズ…そこがまた優ちゃんぽくて可愛いっ!
そして樹は太らなさそう。。

いいなぁ…ふたり。

続きを楽しみにしております!!
#2100[2012/05/11 15:38]    URL 

ハルさまへ

ハルさん、

おおおお、いらっしゃいませ~(^^)

> 一気に読んじゃいました!
> そうですよ、このふたりですよ!!

↑↑↑ひゃああ、ありがとうございます!

> 優ちゃんの食の細さがうかがえる…全部一口サイズ…そこがまた優ちゃんぽくて可愛いっ!
> そして樹は太らなさそう。。

↑↑↑そう言われてみれば、そうかも~
優ちゃんはともかく、確かに樹って太らなそうだ。ムカつく(-"-) 

> いいなぁ…ふたり。
>
> 続きを楽しみにしております!!

↑↑↑はいっ! ありがとうございますっ!!!
修正作業も、なんとかかんとか進めております~
#2101[2012/05/11 16:23]  fate  URL 

優ちゃんは普段は気付かずにいろいろなことに緊張していて、それで疲れちゃっているのかな。

だから、一緒にいて安心できる樹がそばにいると、緊張が解けるのと、疲れがどっと出るのとで眠くなってしまうのでは。なんて。

けど、まだまだ夢に見てしまうトラウマがなかなか解けないんですね。字数許可(?)が出てるのに。

で、鹿島さんはフリーなの? ってことじゃなくて(すいません)
#2279[2012/07/25 19:19]  けい  URL 

けいさまへ

けいさん、

ありがとうございます(^^)

そうなんですよ。人って安心出来ると、眠るでしょう?
眠りって、意外に神経質なデリケートなもんなので、優ちゃんの、彼女自身がほとんど把握してない心の状態を「眠り」で表現してみました。
子熊や子狐や、仔猫にしても子犬にしても、生まれたばっかりの赤ん坊って、母親に守られて眠っているもの。
優ちゃんにはそれがなかったから、安心出来る場所ってのが、それまでの人生には得られていなかったんです。
施設の部屋で、その薄暗闇に身をひそめるしかなくって、その孤独と絶望すら、言葉で知らなくって、だから、その凍りつくような世界が彼女にとってはむしろ当たり前の世の中だった。
だから、世の中に参加することが彼女にとっては恐怖でしかなかった訳で・・・

なんてことを、すべて「眠り」に込めたんだけど。
分かるかな~?
分かんね~だろうなぁ。
なんてな(^^;

いや、大抵の読者さま(さすが皆様、作家さんなので)はけっこう分かってくださっているようです。
フフフフ。

> で、鹿島さんはフリーなの? ってことじゃなくて(すいません)

↑↑↑鹿島さん。
彼をもっと幸せにして欲しい、って前にも言われましたが。
いや、fateの知らんところで、けっこういろいろ楽しくやっているのでは?
はははは・・・
#2280[2012/07/26 06:49]  fate  URL 

描写が丁寧ですねぇ!

こんにちはー^^ お久しぶりですぅ♪ お元気ですか?
ちょっと書き出したお話が妙に長くなってしまい、
挙句にそれに目を留めてくださる方がいたり、
なんだかんだごそごそやっていました^^
で、少し前から苦手ジャンルの「恋愛モノ」を手がけているんですよー。すこぉしだけど、気持ち的に楽に書けるようになったかなぁ? って気がします。でもまだまだ練習中。
で、久しぶりにfateさんの文章みると、まぁ、よくもというくらい丁寧に描いてらっしゃいますよねー!
以前はやっぱりどうしても真っ直ぐ見られてなかったです、いろいろ抵抗があって(^^;
でも、大分、表面的なことじゃなくてfateさんがそれを通して描きたいことが見られるようになってきたかなぁ? なんて。

優の痛々しい過去と同時に、樹の方も忘れがたい人の存在があるようで、まだよく見えてこないそれが次の展開に関わってくるのかなぁ? って漠然と思っています。

んふふ^^
また亀の歩みで遊びにきますですよ^^
#2523[2012/12/10 08:35]  あび  URL 

Re: 描写が丁寧ですねぇ!

あびさん、

おおお、優ちゃんにfateも久々にお会いいたしました。
可愛いねぇ、優ちゃんは。
樹にとっては仔猫みたいな存在なんだろうなぁ。それこそ、ジャスミンが、李緒ちゃんを「手の中であっためて可愛がっていたい」みたいな♡
フフフ。

あびさんの近況も同時に聞けて、fateは大変嬉しいです!!
お元気そうで、そして、執筆に励まれていらっしゃるようで、なんか、ほんとに嬉しい!!
おお、そうですか、恋愛モノっ!!!
ああ、あびさんが描く恋愛だったら読みたいなぁ、とうっとりいたします。
東北は今年は雪が早くってビックリですわ。当分、冬眠しようと思っとります(ーー;

> 以前はやっぱりどうしても真っ直ぐ見られてなかったです、いろいろ抵抗があって(^^;

↑↑↑わははは~
いや、当然だと思います~(^^;

> 優の痛々しい過去と同時に、樹の方も忘れがたい人の存在があるようで、まだよく見えてこないそれが次の展開に関わってくるのかなぁ? って漠然と思っています。

↑↑↑はい~。
なかなかハードな展開なる、かな。いや、そうでもないか。
なんというか。
それぞれの傷がどうやって昇華されていくのか、って感じですかねぇ。

ではでは~♪
これは長いですので、ゆっくり進まれてくださいまし~(^^;
いつでも、お待ちいたしておりやす~
#2524[2012/12/11 09:36]  fate  URL 














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