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Stories of fate


虚空の果ての青 第一部

虚空の果ての青 (狩られた仔猫) 12

「送ってあげるから、身体を起こして服を着て」

 樹は言って自分も起き上がり、さっと服を身に付ける。

 優は、行為が終わった後、男が自分だけさっさと日常に戻っていく姿をいつも茫然と見つめていたので、特に何も感慨は起こらなかった。ただ、自分とは違う大きく逞しい肉付きの樹の背をぼんやり見つめ、差し出された制服を、黙って受け取る。

 軽い疲労は身体の奥に残っていたが、痛みを引きずることはなかった。
 それが、優には不思議なことだった。

 あれはなんだったんだろう? と優はふと言葉にして思う。
 あの、自分の身体から意識が切り離され、身体は勝手に熱くなり、言葉を失ってただ切ない声がもれつづける浮遊した感覚は…?

 気持ち良い、という感覚を、セックス以外でも優はほとんど知らない。
 それを、強烈に植えつけられ、優はそれらを受け留められなくてまだ身体も頭もぼんやりしたままだった。

「優ちゃん? …自分で服、着られる?」

 受け取った制服を抱いてベッドの上にぺたんと座り込み、放心状態のように虚ろな表情の優に、樹は少し甘い気持ちになって問いかける。

 彼女の傍らにそっと腰をかけ、その腰を抱き寄せると、優の身体はびくっと反応し、一瞬、優の瞳は揺れた。
 おや? と樹は思う。
 さきほどまで、ただ怯えるだけだった優の目に、不思議な色が浮かんでいた。

 時計をちらりと見て、樹は意地悪な笑みを浮かべる。

「気持ち良かったの?」

 こくり、と優は頷く。そして、子どもが甘えるような無防備に潤んだ瞳で樹を見上げた。

 特に意識してそうしたわけではない。しかし、それははっきりと樹を誘っているように見えた。だが、それはむしろ、保護を求める赤ん坊の目だったのだろう。

 抱いて欲しい、というその意味は違う、と樹は思った。ただ、人の肌に触れていたいのだ。赤ん坊が母親のぬくもりを求めるように。そうやって安心したいだけだ。

 しかし。
 ふっと樹は笑い、良いよ、と答える。
 それでも、この子は、他の誰にも見せなかった顔を見せ、自ら樹を求めたのだ。

「もう一回、今度はもっと優しく抱いてあげる」

 今日は、取引先の重役とランチを約束していた。しかし、相手の話は分かっている。融資金額の上乗せを求めてくるだけだ。樹はそうっと優の身体を抱き寄せて抱きしめ、樹はもう片方の手で携帯電話を取り出し、鹿島に電話を入れる。

 頭を撫でられ、髪の毛を弄ばれて、それでも、優は震えるような嫌悪が湧き起こってこないことを不思議に思っていた。この男の手は、何故か心地良かった。

「ああ、鹿島。悪いけど、ランチの予定はキャンセル入れてくれるかい? …ああ、そう、それで良い。夕方には戻るし、そう伝えてもらえるかな。…ありがとう」


 
 生まれて初めて、優は、彼女の身体を優しく抱き締めてくれる手に出会った。ぴったりと肌を合わせても嫌悪感で気が遠くならないことも、痛くないセックスも、男の声が不快でないことも、優には初めてのことだった。
出会った当初から、優にとって、樹の声はどこか不思議な響きをしていた。ねっとりと絡みつくような暗いものがなかった。大きな音が怖くて、高い音が嫌いだった優は、若いのに不思議に低い音色の彼の声は心地良かった。
音楽のように耳に優しかった。

 それで、思わずその声に従ってしまったのかもしれない。
 人の肌は同じように温かいのだと、優は初めて知った。

 彼の愛撫を思い出すと、それだけで優は心から安堵する。その優しい手に抱かれているような安定した気持ちになる。

 ただ、ぎゅっと強く、息が出来なくなるくらい抱きしめて、たくさんのキスを身体中に降らせてくれた。一方的にではなく、ちゃんと優が感じていることを確かめながら、樹はゆっくりと行為を進め、痛みのために気を失ってしまうようなことは決してしなかった。

 セックスとは愛の行為だと、優はそのとき初めて知ったのだ。
 悪夢に飛び起きて身体中がきしむ痛みを思い出しても、樹の腕に抱かれて眠ったあの時間のことだけをひたすら 身体に刻みつけようと身体を丸めていると、不思議に安らかな眠りが訪れていた。

 優は、宝物のように何度も彼との時間を思い出し、繰り返し反芻して、夢ではなかったのだと自分に言い聞かせてその夏の終わりを迎えていた。

 もう一度会いたいなどと、希望を抱くことを優は知らなかった。



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ジャンル:[小説・文学] テーマ:[恋愛小説

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