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Stories of fate


『花籠』シリーズ・総まとめ編

『花籠』 4-31

 北海道の空は呆れるくらい青くて広くて、そして、風の音は泣きたいくらい切なく清い。空も海も大地も、何もかもスケールが違って笑ってしまいそうだ。

 スミレは3人に付き添って、主に力仕事を手伝いながらしばらく一緒に過ごしていた。
 あれから一週間。

 ‘梅’は、閉めた店と空き家になっている一軒屋をそれぞれ区役所から数軒紹介してもらい、彼女が一人で住む場所と、ローズと奈緒が住める比較的落ち着いた小さな家を手配した。それを人が住めるように掃除し、修理し、近所の人の手を借りながら、スミレは黙々とこなしていた。今はまだホテルに宿を取っているローズは、奈緒につきっ切りで献身的に介護している。

 奈緒のために調合された薬草が送られてきて、ローズはそれを毎日丁寧に煎じて規定の分量を彼女に飲ませている。初めの内は、飲み込ませること自体が大変だった。喉に流し込もうとしてもむせるだけで、飲み下すことすら出来なかったのだ。

 食べ物もほとんど受け付けなかった。スムリティの関連病院に運んで、点滴に寄る栄養補給を施してもらって、なんとか北海道へ渡った。そして、北海道に移ってから、ようやく奈緒は、口の中に含ませたものを飲み込むようになってきたのだ。

「チェリー、食事だよ」

 果物をジューサーで砕いてフルーツミックスジュースを作って、ローズはそれを小さなスープカップに注いでベッドの上の奈緒を振り返る。当然、彼女は何の反応も示さない。今朝は、目を開いているが、一日中ほとんど閉じていることも多かった。

 奈緒は果物が大好きだった。‘梅’と一緒に小さな畑を作って栽培したり、自生している苺やベリー系の果実を庭先で直接摘んでよく食べていた。それを思い出して、今日はラズベリーと苺とリンゴ、それから柑橘系の果肉を少し加えて、かなり酸味の爽やかなジュースが出来上がっている。

 ベッドの上に横たわったままの彼女の身体を抱き起こして、ローズはスプーンにほんの少しジュースをすくって唇に当ててみた。いつもほとんど反応がないので、そのままそうっと流し込むのだが、今朝、彼女は唇に何か触れた感覚に、恐らく反射的にだろうが、ほんの少し口を開けた。

 それに気付いて、ローズははっとする。

「あ、この酸っぱい香りが分かったのか? 良かった、ゆっくり飲むんだ。むせないように…」

 何故か震える手で彼はそうっと慎重に彼女の口の中にジュースを流し込んでみた。すると、奈緒はそれを静かに飲みこんだ。表情にまったく変化はなかったが、ローズは身体の震えが止まらなかった。

「もう…一回…飲んでみるか?」

 返事はないが、再度、ジュースをすくってスプーンを唇に当てる。すると、小鳥の雛が目が見えなくても母親の気配に反応するように、今度も彼女は唇を開いて受け入れの意思表示をしたのだ。

 喉の奥に熱いものが押し寄せ、ローズはもう言葉にならなかった。

 一生懸命ジュースを飲み下していく彼女に、ローズは何度も何度もスプーンでジュースをすくって与えた。ぽたぽたと涙が彼の頬を伝い、腕に、そして奈緒の髪の毛に落ちていく。

「チェリー…」

 あの悪夢の夜が明けたその翌朝、奈緒の状態を知り、ローズはまさに地獄に突き落とされたような気がした。スミレはいろいろ言葉を濁したが、ローズを救いたいために、彼女が自らの命を差し出したことを彼は知った。

 闇に溶けてしまいそうだったあの冷たい孤独の中で、温かいものが彼に触れ、‘ひかり’の中へ引き戻してくれた感触を、彼は覚えていた。あれは錯覚ではなかったと知った。それが、奈緒の献身だったのだと。

 気が狂いそうだった。何故、そんなことを…っ?
 あらゆるモノを責めて、自らを呪ってしまいそうだった。

「チェリー、どうしてそんな真似を…っ、なんでお前が犠牲になるんだっ! スミレ、なんでお前が傍にいて止めてくれなかった? なんでっ?」
「バカヤロウ! 同じ思いをお前がこの子にさせたんだっ! だからチェリーはお前を連れ戻しに行ったんだろうがっ!」

 苦しそうなスミレの言葉に、ローズは叫びだしそうになるのを懸命に堪えた。

 そうだ、スミレはいつだって、二人を見守ってきてくれていたのだ。彼は彼が思い付くすべてのことを二人のためにしてくれていたのだろう。
 これは、誰でもない、自分の罪だ。

「チェリー、…チェリー、チェリー…っ」

 奈緒の身体をそっと抱きしめて、ただひたすらその名を繰り返し、恥も外聞もなく大声で泣くローズの姿を、スミレは何も言えずに見守るしかなかった。



 それでも。
 生きていてくれた。
 それだけで良い。
 チェリーは、まだ生きている。


 
 その思いだけでここまできた。生きている。抱きしめれば血の通った温かい身体に、鼓動が息づいている。静かでも規則的な呼吸。そして、奈緒はまだ植物状態ではない。僅かでも反応をみせるのだから。それに、回復の見込みはあると薬草を調合してくれたシキミは言った。

「視力は戻らないかも知れません。だけど、意識は戻る可能性はあります。ゼロではありません」

 そんな手紙が添えられ、煎じ方と与え方と分量が丁寧に書かれた解説書とが送られてきた。そして、週に一度、詳しい様子を知らせてください、血圧や体温を毎日測って記録してください、と彼は言う。状態に合わせて処方を変えていきますから、と。

 シキミ―、モクレン科の毒草の名だ。まだ30代と若いのに、普段、彼はほとんど山から出てくることはない。シキミは、ハーブの調合も行う薬草の専門家で、実は、椿の紹介で深雪とも交流がある。彼女の店に紅茶を卸し、ハーブの育て方の指導もしている。そして、深雪の身体の状態を知って、彼女のためのハーブも調合している。

 変わった風貌の男で、空気を、気配を肌で感じられるように、大抵麻の半そでシャツを着て、真冬でも短パンか作業着姿だ。適当に自分で切っているのか? という髪型で、瞳がころころ色を変える。薄茶から鳶色までトーンがいろいろだ。感情の動きにではなく、気象条件に寄って変化するらしい。

 ホテルに呼ばれたあの夜、奈緒の身体に触れる前に、彼は使われた薬草の種類を知る。その薬自体が彼の調合であった。

 冷静にその身体を診察し、一瞬で彼は薬の調合を決める。
 そして、その場で簡易的に煎じた薬をすぐに奈緒に与えてくれた。それだけで、彼女の酷かった顔色が少し戻り、乱れていた呼吸が正常に戻っていた。



 僅かでも希望が残されているのなら。ローズはそれにすがる。
 奈緒が、生きることを止めない限りは。
 そばにいる。ずっと…
 この命が続く限り。



 しばらく安静にしているかと思った椿は、一日休んだと思ったら、翌日にはすぐに悠馬と共に『花籠』本部へ赴き、龍一と新たな組織作りに奔走を始めた。

 その後、間もなく悠馬は『スムリティ』本部へ戻って行ったが、椿はしばらく日本に残ることに決めたらしい。
 結局、李緒のアパートは引き払って、彼女は正式にジャスミンの家に移り住んでしまった。

 そして、李緒のコードネームは、ジャスミンが与えた。
 李の字をそのまま使って‘すもも’だ。

「それって、花じゃなくて、果物じゃないのか?」

 と、椿は不思議そうに言ったが、「良いんだよぉ、どうせ、俺はそれ使わないし。彼女は李緒ちゃんだからね」とジャスミンは笑う。

「花篭は元気なの?」
「やつは意気消沈している暇なんてないよ。まだまだやらなきゃならないことだらけだからな」

 椿は目を細めた。

「お前のお仲間はどうなんだ?」
「うん、牡丹も退院したし、まぁ、なんとかやってるよ」

 牡丹は、退院した足で、相棒と別れたあの現場へ向かった。まだ血の跡がうっすら残っていたが、そこは静かな住宅の一画に戻っていた。
 彼が呼ぶと、相棒は比較的すぐに顔を出した。

「ああ、良かった、無事で…」

 そろそろと彼は近寄ってきたが、牡丹は一瞬躊躇した。

「…今まで、自由で良かったろ? 君がずっとここにいたいんなら、それで僕は構わないよ。時々会いにくるし…」

 しかし、牡丹が言い終わらない内に、蛇は一瞬の躊躇いもなく、彼が伸ばした腕にするすると絡みついてきた。

「…え、でも…その、良いのかい? また、カバンに閉じ込められて不自由な生活に戻るんだよ?」

 更に牡丹が言い終わらない内に、彼は、牡丹が抱えてきたいつものカバンに、勝手に隙間を見つけてするするっと戻っていった。
 牡丹は、胸が詰まって一瞬言葉を失った。

「そっか。また、一緒に仕事しような」

 涙が滲んで視界がぼやけ、牡丹はそれを手の甲でぬぐって微笑んだ。


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ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説

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