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Stories of fate


『花籠』シリーズ・総まとめ編

『花籠』 4-2

 初夏、いや梅雨の合い間のさわさわと晴れた夕刻のことだった。
 牡丹は、背後からイヤな視線を感じてふと歩みを緩めた。

 鋭い視線、刺すような視線とは違う。こうねっとりと絡みつくような視線、というのだろうか。いずれ、不快感極まりない類のものである。一瞬、どうしようか? と考えた。相手を確認しようか、逃げ出そうか、それとも…。

 しかし、牡丹は考えあぐねて、立ち止まることをせずにそのまま歩き続ける。背後の人物は同じ速度でぴったりと後ろをついてきているようだ。

 牡丹は気付かない振りを装い、いざとなったら駆け出そうと、そのまま歩を進めながら肩に掛けたバッグに意識を移す。細い肩紐が伸びた男性用には少し小さめの皮のカバン。

 付けられる心当たりはない。そして、バレている筈はない、と心で呟く。彼の仕事を誰も知る筈はなかった。
 自宅に向かっていた牡丹は、次第に細い路地に入っていく。街灯も減り、薄闇が辺りを包む。

 背後の人物はまだぴったりと彼の後ろをついてくる。
 そろそろマズイかも…と感じたときには遅かった。

 背後の人間は人影が途絶えた途端、いきなり彼に襲い掛かってきた。ばっと振り向いた牡丹の肩をかすめてナイフが光り、彼はすんでのところで飛びのいた。しかし、その男はよろめいた牡丹が体勢を整える前に再度切りつけてきた。刃先が彼の頭を更にかすめ、髪の毛が数本はらりと落ちた。

 相手は見たことも会ったこともない妙に暗い目をした若い男だった。肥満型の体型の割りに動きが俊敏で、三度目の攻撃に、牡丹は肩を切りつけられた。咄嗟に彼はバッグを抱えてそれを守り、脇に隙が出来たのだ。

 腕に痛みが走り、鮮血が飛び散ったことを目の端に捕える。
 くそっ、と牡丹は思う。しかし、彼は反撃をしようとはしなかった。

 相手は執拗にナイフで迫ってくる。牡丹は道路の路肩脇へ転がるように逃げ込む。しかし、そこは家の壁に阻まれて行き止まりだった。振り向きざまに立ち上がろうとした彼に、男がナイフを突き立ててきた。避ける間もなく、それは深々と彼の腹部にめり込んだ。

 何よりも驚いて、牡丹は声をあげるどころではなかった。彼はただ、抱えていたカバンの中身を気遣っていた。

 ずるずると崩れ落ちて、動かなくなった牡丹を見下ろしたその男。興奮した荒い呼吸をしながら血走った目で獲物を見つめ、腹部につきたてたナイフを引き抜いた。そして、奇妙な笑みを浮かべて走り去っていく。たった今の殺戮の興奮に高揚しながら。

 その後、通行人に発見され、牡丹は一命を取り留める。
 命に別状はなかったが、かなりの重症であった。



 都内一等地の高層ビル。その最上階のオフィス。そして、周囲を一望できるプライベート・ルームに、ミルク色の髪、碧眼の白人が外の風景を見下ろして立っていた。年齢は50代半ば程度。だが、実際はもっと上かも知れない。淡い外見的特徴とは裏腹に、彼の瞳は暗く淀んだ光を宿し、鍛え上げられた肉体と精悍で整った顔立ちをしている。眉が太く、唇が薄い。

「見渡す限り、建物ばかり。自然のない都会ってのは地球上珍しいね」

 ロシア語で皮肉を述べるその男は、背後に立つ数人の日本人にちらりと視線を走らせて葉巻を一本取り出して火をつけた。

「どれだけ内側から浸食されても、取り返しがつかなくなるまで気付かない。危機管理能力がないのにも程がありますね。そう思われませんか?」

 それは、貴方方の会社のことでもありますが、とアレクセイは喉の奥で笑う。

 部屋の扉の前に数名の部下が立ち、応接用のソファには数人の日本人が座っている。一人はこのビルのオーナー、一人はその息子であり会社役員の中年男性。更にもう一人は息子の従弟、つまり彼の甥である。この中でロシア語が分かるのはその甥だけで、あとの二人はミルク色の髪の北欧人の言葉に、お互いに顔を見合わせるだけだ。

 ビルのオーナーは白髪の老人で一代で会社をここまで大きくした成り上がり。そして2代目の息子もその経営を引き継ぐやり手、つまり金の為なら何でもするような非道を歩む人間である。二人ともどこかぎらついたものを持った脂ぎった顔をしている。スーツから肉がはみ出し、窮屈そうである。

 彼らは不知火グループの幹部役員であり、地下で各国のテロリスト集団に資金援助をし、麻薬取り引きや密売に手を染める関東屈指の暴力団との繋がりを噂されてもいる。今回、旧ソビエト連邦の秘密結社と結託し、密貿易のルートの斡旋の約束を取り付け、それと引き替えに人身売買の組織をアジアに引き入れる手伝いをしようとしていた。

「その方がご都合がよろしいのでは? アリョーシャ?」

 相手が日本語を操れることを知っている唯一の部外者、甥の白崎喬(しらさきたかし)は、敢えてロシア語を使わずに暗殺要員であるアレクセイに、静かな視線を向ける。彼らは‘アリョーシャ’と呼ばれる旧ソビエト連邦の暗殺者の名前を知らない。彼は今までほとんどこうやって依頼者に素顔をさらしたことなどなかったということも。白崎が彼をそう呼んだのは、「アリョーシャ」がアレクセイの愛称だと知っていたことと、彼が初対面でふとそう名乗ったからだ。恐らく、名乗ることで相手の反応を見たのだろう。そして、まったく知られていないことに安堵したのと同時に、どこか優位性を感じたのだろう。

 白崎は、グループの子会社の社長だったが、彼の会社はほとんどグループとは関わりのない経営をしており、大きな利益は望めなくても、まっとうな商売をしていた。本社の人間と関わりたくなかった彼だったが、今回、ロシア語の通訳として呼ばれていたのだ。

 比較的、彼は贅肉が少なく、スーツ姿も様になっている方だ。それでも、血筋が分かる程度に顔は従兄に似ている。

 名前を呼ばれた暗殺者、アレクセイは、僅かだが不快そうに眉をひそめた。不用意にその名を口に出されることに、僅かながら警戒を感じていた。しかし、そんなことはおくびにも出さずに、すました顔で相手を見据える。

「‘彼’の所在はつかめましたか?」
「それは、私の管轄ではありませんので」

 白崎はどこか責めるような相手の視線をさらりと交わして答える。

「追ってはおりますよ。しかし、その存在すら定かではないんです」

 オーナーの息子である、不知火兵吾(しらぬいひょうご)が重々しく答える。アレクセイの日本語能力はそれほど高くない。早口で話すと途端に彼は不快の意思表示をする。しかし、祖国以外を訪問する場合、相手の国の言葉で話し合いをすべきと考えている兵吾は、ロシア語を勉強するつもりはまったくない。

 アレクセイの部下が、携帯電話で何かの連絡を受けたようだ。その様子に気付いて視線を向けたボスにゆっくりと歩み寄り、部下は何事かを彼に耳打ちする。

 アレクセイは頷いて奇妙な笑みを浮かべた。そして、やがて厳しい表情を作って不知火親子に向き直る。

「情報こそすべてです。今のままでは動きようがありませんね」

 ゆっくりと日本語を話しながらも、しかし、アレクセイは何かを喜んでいた。彼が命じていた計画が執行されて、それがうまくいったのだろう。

 そう、既に、戦いの火蓋は切って落とされている。それまで受けた屈辱に、彼のプライドはもう限界まで軋みの音をあげていた。

 平和ボケした日本での暗殺など本気を出すまでもない、と見くびっていた彼の配下はすでに何度も敗北していた。ある一つの組織に寄って。それを束ねるある一人の人物に寄って。お陰で、彼自身が今回直接赴くことになったのだ。

「早急に、求める情報を仕入れてください」

 アレクセイは唇の箸をあげただけの笑顔で三人を見つめた。


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