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Stories of fate


『花籠』シリーズ・総まとめ編

『花籠』 (桜舞う) 1

「今年、桜観た?」

 不意に話しかけられて、李緒ははっとジャスミンを見上げた。彼の瞳には、ただ甘い光が浮かんでいるだけで、何を感じ、何を考えているのかさっぱり分からない。

 ただ、その背にまわされた腕の、しがみついている胸の熱さだけを全身で感じている。
 泣いた後の喉の奥の痛みだけを夢のように味わっている。

 何かを聞かれたことを思い出し、李緒は声を出そうとしてみたが、訳も分からず怖くなって、息を吸い込んだだけでやめた。このまま何かがほんの僅かズレだけで、何かが動いただけで、夢が覚めてしまう気がして、また、一人ぼっちの闇に取り残されそうな気がして、彼女は息を詰めて暗闇に震える。

「李緒ちゃん、そんなに必死にしがみつかなくたって、俺はどこにも行かないよ?」

 くすくすと上から声が降ってくる。

「ほら、外を見てご覧、綺麗な月だよ?」

 言われて初めて、カーテンが僅かに開いていたことを知った。恐らく、ジャスミンが開けたのだろう。李緒はいつもカーテンを閉めきっている。窓の外を見下ろして、誰もいない外の風景を見るのが辛くて、彼女はカーテンを開けたことがない。あの日、彼がここを出て行って、そして、窓の外にもその姿が見えなくなってしまった頃にカーテンを開けて見た、誰もいない並木道を見下ろす苦痛が、あのときの身を切られそうな絶望感を思い出したくなくて。

 身体を起こして壁に寄りかかり、ジャスミンは頭一つ分小さな李緒の身体を片手で抱いたまま、ふうっと視線を空へと向ける。半月よりも少し太った月がぽっかりと空に浮かんでいた。星の瞬きが分かる程度に、周囲は暗いのだろう。住宅地であるそこは、ネオンのある街中よりも空が綺麗に見える。部屋の明かりを消して、無音の中で、腰から下だけを毛布で覆った状態で二人は抱き合っていた。

 いつからそうしていたのか、もう時間の感覚が李緒には分からなくなっていた。

「李緒ちゃん…」

 言いかけて身体を離そうとしたジャスミンに、李緒は悲鳴をあげてすがりつく。

「ええと…」

 思わずそのまま彼女の身体を抱いて、ジャスミンは次の瞬間にふっと笑った。

「体勢変えようとしただけなんだけど」

 そして、ぐい、とその細い肢体を抱き上げてふわりと一瞬宙に浮かし、ひゃっ…と声をあげた彼女をすとんとベッドに沈めた。

「寝よっか」
「…え?」

 言われた意味を反芻し、李緒は思わず傷ついたような瞳でジャスミンの顔を見つめる。

「どうして?」
「うん。なんかさ、君が欲しいのは、あれだろ? 男としての俺じゃないだろ? たぶん」
「…そんなことっ」
「俺も今、まだ親父の気分を引きずってるし」
「え…、え?」
「君が、最初に会ったのってきっと俺の父親だよ。そっくりだろ?」

 にこりと微笑んで、ジャスミンはすっぽりと二人に毛布を掛けて包み込む。部屋の中の幾分温かい空気ではあったが、やはり触れ合っていた部分以外、肌が少し冷えていたらしい。柔らかく抱きしめられて、李緒はその至福感に頭の芯が甘く痺れるような恍惚感を味わう。

 そっくりだろ…?
 あれは、ジャスミンじゃなかった…?
 真っ黒な衣装で、どこか甘い、同じ瞳をしていたのに?

 ゆっくりと彼の瞳を見つめて、不思議な気分に陥る。今がいつなのか、自分がいくつなのか曖昧になってきた。
 そして。どうして、さっき泣いたんだっけ? と彼女は思う。

 初めて他人と裸で抱き合って、その熱い肌に強く抱きしめられた瞬間、李緒は雷に打たれたように一瞬訳が分からなくなった。喜びとか幸せとか、そんな優しい感覚では到底ない、もっと生々しく狂暴な思いに翻弄された。それは、李緒自身、意識していなかった‘命’そのものの叫びのような何かだった。

 そのとき、息もつけないくらい、巨大な何かに押し潰されそうになり、必死にすがりついたジャスミンは、まるで赤ん坊のように泣き出した李緒に驚いて「…ど、…どうしたの?」と彼女を抱えるように抱き起こした。

 まったく李緒にも訳が分からなかった。
 恐怖でも嫌悪でもない。

 その感情の渦が何を表しているのか分からないのに、李緒はただひたすら泣いた。涙をぽろぽろ零して、必死に声を押し殺そうとしながらも、しゃくりあげるまで泣き続けた。

 その、熱い身体に必死にしがみついて、生きている、その事実を確かめようとしているかのように。
 ここに、本当に彼が存在していることを感じられるように。

 ジャスミンは、もう何も言わずにただ李緒の身体を抱きしめて、時折、そっと髪を撫でたり、内側から指で梳いたりしてくれていた。そのとき、どんな表情をしていたのか、李緒には分からない。困ったなぁ、と途方に暮れていたのか、ただ淡々といつもの曖昧で甘い笑みを浮かべていただけなのか。

 だけど、存在を許されている空気があって、初めて李緒は人前で、いや、誰かの胸で泣いた。

 それは、今まで満たされることのなかった幼い子どもの想い。寂しさ。愛しさ。切望。渇望。悲しみ。きっとそんなものだったのだろうか。

 求めても得られないことを悟ったとき、諦めた筈のすべての思い。愛したい、愛されたい、慈しみ、支え、守りたかった一切。押し込められて忘れ去られて、閉じ込められていた鬱積した感情の爆発。

 ふと気が付くと、ジャスミンの胸は、李緒の涙で濡れていて、ようやく彼女は自分が泣いたことを知って愕然とする。こんな風に彼の前で形振り構わずに涙を零したことに。そして、自らの‘闇’の深さをそこに見たのだ。



 一度で良い、抱きしめて欲しかった。
 存在を認めて欲しかった。
 ただ、自分を生み出してくれた―‘母親’―に。



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