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Stories of fate


『花籠』シリーズ・総まとめ編

『花籠』 3-8

 研修も終わり、正式に社員として仕事が始まる前にぽっかりと休日を与えられ、李緒はその日、ぼんやりしたまま外へ出かけた。

 ジャスミンに「さよなら」を告げられ、だけど、それをまだ消化出来ずに、似た背格好の男を見かけると目で追ってしまったりしていた。

 どれだけ自分がそれまで彼を待っていたのか、待つことを拠り所にしてきたのかを知った。それだけを信じて、それだけを励みに生きてきたのかを。はっきりと意識にのぼっていなかったのに、それは李緒の生きる意味そのもの、希望と呼べる唯一の‘ひかり’だったのかも知れない。

 人が殺されたことなんかより、乱暴されそうになったことより、強烈な出会いだった。
 頭の芯が麻痺して、他に何も要らないと思えた衝撃的な再会だと信じた。
 あり得ないことはどこかで分かってはいたけれど…。

 それでも、ジャスミンが恋しかった。束の間の恋人。刹那の至福感。それを麻薬のように何度も反芻して、幾度も心に刻み込み、その喪失感に何度も息が苦しくなった。

 ただ、彼に会いたかった。
 恋人になれなくても良いのだ。ただ、顔を見て笑って欲しかった。見ていたかった。

 当てもなく電車に乗って、彼女は東京の町を彷徨った。
 偶然、彼の姿を見かけられるかも知れない幾千分の一かの確率を求めて。

 李緒が起き出したとき、既にお昼近かったから、もう正午は過ぎているだろうか。空腹感はまったくなかったが、起きてから何も口にしていなかった彼女は、食べ物の匂いに誘われて小さな喫茶店に入ってみた。駅裏にひっそり佇むその店は、表は賑やかな通りだったけど、中は静かで小さくて落ち着いていた。李緒は店内を見回し、ふと仲の良さそうな恋人たちの姿を見つけてズキンと胸が痛む。テーブルを挟んで座った二人は、何かをくすくすと笑いあいながら額を寄せて話し合っていた。その痛みに思わず店を出ようとしたとき、奥から「いらっしゃいませ」と声を掛けられ、彼女は動くことも出来ずに、そのまま固まってしまった。

 仕方なく、一番手前の二人掛けの席に腰を下ろし、テーブル脇のメニューに視線を落とした。

 きい、と扉が開いて、また客が入ってきたようだ。しかし、李緒は顔を上げなかった。ぼうっとしたままさっぱり頭に入らないメニューの文字列を何度か視線で往復する。

 そのとき。
 いや、何故、と言ったら分からない。ただ、強烈に感じた。

 ジャスミンだ! と。

 彼の気配を背後に感じ、李緒は高鳴る胸の鼓動と共にはっと振り向いた。そこに佇むはずの彼の淡い笑顔を求めて。

 しかし、振り向いた先に、ジャスミンはいなかった。そこにいたのは、二人の男と一人の女の子。李緒よりもずっと若い、いや、幼いとすら言えるだろうか、中高生くらいの女の子だった。そして、ジャスミンだと思ったのは、彼女の連れのどちらかの男だった。もしかして、両方だったのかも知れない。

 ジャスミンとはまったく違う。服装も顔立ちも話す声も。何故、彼だと錯覚してしまったんだろう?
 もう、似たような年齢の男は、皆、彼だと思っているのだろうか?

 …いや、分かっていた。李緒は変な特技があったのだ。職業当てとでもいうのだろうか? 一度出会った人間の仕事の内容を知れば、次に同じ職業の人に会うと分かってしまう。生業として仕事をこなす限り、その考え方の特徴や魂に刻まれる職人としての心構えが空気としてその人を取り巻いてしまうものなのだろう。それを、李緒は感じ取ってしまう。

 今までにも、特に口に出しはしなかったが、初対面の相手の仕事が分かってしまうことが多々あったのだ。
 しかし、李緒は期待した分、無性に悲しくなって、俯いた。涙が零れそうだった。

「あの…大丈夫ですか?」

 背後から掛けられる声に、はっとして顔をあげると、先ほどの女の子が李緒を心配そうに見つめていた。可愛い顔をしているのに、瞳が妙に大人びて、澄んだ光を宿す子だと思った。

「ありがとう」

 どうしてだろう? 初対面の、年下のその子に、妙な安心感と親近感のようなものを抱いて李緒は儚く微笑んだ。何か近いモノを感じたのだ。


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ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説

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