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Stories of fate


『花籠』シリーズ・総まとめ編

『花籠』 (スムリティ) 7

 部屋を出ようとして、昨夜散々言われていたことを思い出した。

「あ、そうだ、部屋の鍵を…ええと、フロント? に預けるんだった」

 机の上に置いてあった鍵を掴み、どきどきしながらエレベーターのボタンを押してみる。チーンと音がして、扉が開き、私は慌てて乗り込む。そして、次の行動を忘れて焦った。

「あ、あれ? どうして動かないの?」

 行き先の階のボタンを押すということをすっかり忘れ去っていたのだ。

 かなりしばらくパニックになったあと、そうだ、数字のボタンを触るんだった、と1階を指定する。いきなりその箱はぐにゃり、という感じで動き始め、私は眩暈がする。

 やっとその箱から吐き出されて、私は頭がくらくらした。

「レストランで…食事だっけ?」

 なんだか、足元がふわふわして、私は気分が悪くなった。

「良いや、公園でアイスクリーム食べよ」

 手にルームキーを握ったままエントランスへ向かおうとした私を見つめて、フロントの女性がにこやかに声を掛ける。

「お出かけですか?」
「はい」
「キーをお預かりいたします」
「え? …あ、そうでした!」

 たかが、建物の外へ出るだけなのに、エレベーターから始まって、何もかもの扱い方やよく分からないことに加えて、人への対応もろくに知らず、私はずっしりとした精神疲労を感じた。

「まったく。…身体もだるくて死にそうなのに」

 一歩外へ出て、私は今出てきたホテルを見忘れないように振り返ってその色や印象を刻み付けた。そして、恐る恐る、一人で外の散策への第一歩を始めた。

 特に目的も行く宛てもなかったので、私はなんとなく‘公園’を目指した。昨日、弥生とアイスクリームを買ったのが、公園の屋台だったのだ。施設では、滅多に食べられない夢の食べ物だ。

 しかし、地図もなければ、宿泊したホテルと弥生と散歩した公園との位置関係もさっぱり分からなかった私は、闇雲に歩き回って、ただただ足が疲れてきた。ふと気付くと、歩道の端に幼い子ども達が、一様に同じ上着を着て群れを成していた。そこに大人が数人付き添っていて、私はなんだか施設を思い出し、ふと懐かしいようなほっとしたような気分になった。

 賑やかな子ども達が口々に何か話していて、どこに行くの? という質問に、大人が笑顔で「公園へお散歩に行くんですよ」と答えている。

 やった、じゃあ、この群れについて行けば公園に着く! と私は秘かに喜ぶ。
 鴨の親子のような微笑ましくも賑やかな群れは、ゆっくりとゆっくりと歩道を進んでいく。他の人たちが通れるスペースを確保しつつ、端に寄って、つつましく。

 いくつか交差点を通り、いくつか角を曲がって、おお、と私は心で叫ぶ。
 弥生と歩いた公園ではなかったが、そこそこ広い公園が目の前に広がった。

 この子ども達はここで何をするのかなぁ? と興味を惹かれて、私はそのまま後をくっついていく。十数人の子ども達に、大人が二人。まだ20代後半くらいの若い女性たちだった。
 公園の中央近くまで進んで、芝生の中の比較的広い場所で、その一群は一度一箇所に集められ、大人に何か言われていた。

 私はその様子を少し離れて見つめている。
 やがて、子ども達の群れはてんでんバラバラに散らばり、追いかけっこをしたり、少し奥に見える遊具で遊んだりと賑やかな歓声があがり始めた。

 別に私は子ども好きというわけでもないし、嫌いではないが、それほど愛情があるとも言えない、と思っていた。だけど、こうやって無邪気に遊びまわる幼い、しかもどこも歪んでも心に傷を負ってもいない子ども達の姿は良いものだ、と感じた。

 のびのびとして、楽しそうな笑い声を上げて、はしゃぎまわっている。
 声をあげたら怖い目に遭うのではないか、とびくびくしたりしていないし、感情をうまく表せずに叫びだしたりもしない。自分が世界に愛されて、祝福を受けてこの世に生きている、ということを‘知っている’。

 施設の子たちの光景とはあまりに違う。
 そして、その違いに私は少なからず愕然としていた。
 これが、‘命’の正しい姿なのだ。

 それは、淡々とした衝撃だった。そして、それから湧き起こった感情を私はうまく言葉に出来なかった。泣きたいような、叫びたいような、ただただ苦しいものが溢れてきたのだ。

 不意に、先生の悲鳴で我に返った。
 私は公園の芝生の端っこに座って、ぼんやりと光にかすむその物語のように明るい光景を何も考えずに眺めていたのだ。

「しょうたくんっ」

 と先生の悲鳴のような声が叫んでいた。

 驚いてよく見ると、小さな男の子が一人、何かを追いかけていたらしく道路に飛び出してしまっていた。公園に面していたその道路は意外に大きく、車の往来が激しくてその子ははっと我に返り、道路の中央で立ち往生していた。引っ切り無しに行き交う車の流れに、男の子は半べそ状態でおろおろしている。よくそこまで渡る間に車に轢かれなかったものだ。

 その子は、先生方が、そこにいなさい、と叫んでいるにも関わらず、すっかりパニックに陥ってしまい、今にもこちらに駆け出して来そうだった。

 危ない!
 私は何を考える間もなく、反射的に車の間をぬってその子を目掛けて駆け出していた。

 わあわあ泣きながら、その子もこちらに飛び出してくる。トラックが迫ってくるのを目の端に捕え、私は身を翻すようにその子を抱えて中央線に倒れこんだ。大きなクラクションが鳴り響き、トラックはぎりぎりでそれて行った。当たり一面から悲鳴とも歓声ともつかない声が湧き起こり、実はけっこうな見物人がいたことを息を切らせながら知った。

 身体を起こして、泣きわめく男の子を抱き上げたまま、私は今度こそ、車の切れ間を狙って公園側へと戻ってきたのだ。
 真っ青な先生に、微かに微笑んでその子を引き渡し、私は全身から力が抜けてその場に座り込む。

「ありがとうございました」

 と既に泣きそうな先生方が私を囲んで何度も繰り返す。

「お怪我はありませんでしたか?」

 濡れタオルを差し出して先生の一人が私の顔を覗き込んだ。

「大丈夫です」
「本当にありがとうございました」

 本当に泣いている先生もいて私はちょっとびっくりする。しょうたくんも泣きやみ、少しずつ落ち着くと、私のところに来て、涙声でお礼を言わされていた。

 なんだか、ほっとしたら可笑しくなって、私は笑いながら、その子の頭を撫でた。



 公園散歩を終えて帰る園児たちに手を振って別れたあと、私はアイスクリーム屋を探しに公園内を歩き回った。先生方には、園長からもお礼を…とかなんとか言われたが、面倒なので、よろしくお伝えください、とだけ言って笑った。こういう場合、本当はなんて言えば良かったのか分からない。

 それに、あれは反射的に勝手に身体が動いただけで、善意があった訳でも、その子を助けたいという明確な思いすらなかった。

 まさに条件反射。
 いつも、施設で子ども達を相手にしているせいで、身体が勝手に反応したのだ。職業病だな、と私は勝手に分析した。

 腕に抱いたしょうたくんの子ども特有の熱さ。しなやかな柔らかさ。命のずっしりした重み。

 愛されて育っている子は、こんな風に泣いたり笑ったり、そして、お礼をきちんと言えるんだ、という感慨。
 なんだか、時間が経つにつれ、私は切なくて涙が出そうになった。ふと気がつくと肘を少しすりむいていたようだ。

 ひりひりと痛む擦り傷を見て、私は生きていることを感じた。
 生きている。その、痛み。

 外に出て勉強しろ、と言った劉瀞の言わんとしていたことが少し分かったような気がした。何もかも管理された施設の中とは違い、生々しく生きて、怪我をして、ちょっとした油断で死にそうになったりする。

 それでも、皆、光を受けてきらきらと生きている。
 愛されていることを知っている。
 弥生も、両親がいるとき、僅かでもそんな時間を過ごしただろうか?



 やっとのことで、屋台を見つけたら、そこはアイスクリームだけではない、いろんな食べ物を売っていた。私はすぐに食べ物に目を奪われ、見たこともない不思議なその食べ物たちをゆっくりと眺め、これ、どうやって食べるんですか? と店の人に聞いてみる。

「なんだ? 知らないのかい?」

 店のおじさんは呆れながらも丁寧に教えてくれた。ホットドックや、ポップコーンや、紙コップの飲み物。
 私はじっくり選んでキャラメル味のポップコーンとコーヒーとアイスクリームを買った。そして、それらを近くのベンチに座って食べ始めた。

 ベンチの上には誰かが置いていったらしい新聞紙が丸まってあって、私はそれを見るともなしに眺める。
 施設でもニュースの類はテレビで観ていたし、新聞もいくつかの種類が常に置いてあったので、たまに私は眺めていた。その話題に現実感がなくて、外の世界ではいろんなことがあって忙しいことだ…、と思っていたが、これだけ人がいて、これだけ車がたくさん走っていて、いろんな職業の人がいろんなことをしていれば、確かに何でもありだろうな、と感慨深く思う。

 食べ終わって、入っていた紙袋や紙コップを店に帰そうとしたら、ちょっとイヤそうな顔をされた。そして、そこのベンチの脇のゴミ箱に捨ててくれて良いんだよ、と言われる。

「えっ? 捨てるんですか? 全部?」
「そうだよ」
「一回ごとに全部?」
「そう」

 なんという無駄! なんという浪費!

「…もったいなくないですか?」

 店のおじさんは呆れてまじまじと私を見た。

「お嬢さん、どっかの田舎から出てきたの?」
「…はあ…、まあ、そんなもんです。」

 彼は困ったように笑った。


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