「月斗?」
不意に背後から声を掛けられて、俺はぎょっとして振り返った。聞き覚えのある懐かしい声。見るとそこには慶子が立っていた。いつも持っていた大きなバッグを抱えて、いつものように結い上げた髪を後ろに器用に纏め上げて。そして、付き合っていた頃と変わらない笑顔で。
「どうしたの? 自分の部屋を見上げてため息なんてついちゃって」
「え? ため息ついてた? 俺…」
「うん、ついてたよ、何度も。どうかしたの?」
慶子は元気そうだった。別れてから、そうか、もう一ヶ月近く経っているのか。彼女の笑顔は今でもむちゃくちゃ可愛い。嫌いになって別れた訳じゃなくて、俺は今でもこの子の勝気で元気な性格とか、朗らかさを恋しいと感じているんだろうか。
「今日は、どうしたの? まだ学校の時間じゃないっけ?」
時計を確認するとまだお昼前だ。
「今日は実技試験だったからもう終わり。これから一旦帰って、今度は研修に行くのよ」
「そ…そうか。頑張ってるんだな」
「月斗は、なんか元気ないよ?」
「え? そうか?」
「苦しい恋をしてるとか?」
「えっ…?」
「そんな顔してるよ」
慶子はどこか可笑しそうにくすくす笑った。
「君は、新しい彼氏出来た?」
「ううん。あたしはもう、しばらくは仕事に生きることにしたの」
にこりと彼女は微笑む。その笑顔はむしろ力強くて、希望に満ちていて、眩しい気がした。
「そうか。…頑張れよ」
「ありがと。でも、月斗は本当に元気ないよ? どうしたの?」
くるりと丸い目で覗きこまれて、俺は、なんだか慶子に甘えたくなってしまった。付き合っていた頃は彼女に弱音や愚痴を言うことなんてほとんどなかったのに。
俺は、夕陽のことを出会いから順を追って話した。いつの間にか二人とも近くにあった木製の壊れかけのベンチに腰掛けていた。そこはアパートの駐車場の近くだったので、日中のこんな時間に他に通る人もなくて、俺たちは誰にも邪魔されずに、そこで長いこと語り合っていた。いや、ほぼ話していたのは俺だったが。
聞き終わって、慶子は言った。
「月斗。それって、月斗は、その夕陽さんが好きなんじゃないの?」
「え…っ? いや、だって夕陽は親父の…」
「関係ないよ。だって、そんなに年離れてないじゃない。素敵な人なんでしょう?」
「いや、素敵って…感覚はちょっとズレてるし、料理も変わってるし、やたらと明るくて前向きだし…」
「素敵な人じゃない」
慶子は笑った。そして、俺をじいっと見つめて、言ったのだ。
「月斗、あたし、嬉しい」
「え?」
「初めて月斗に相談された。初めてそんな弱いところを見せてくれた。…月斗は、いつも完璧な人だったから、あたしはいつでも苦しかったの。いつでも、かなわないことが悲しかったの。でも、夕陽さんの前だと、そんな風に素直なんだね」
「…そんなこと…」
にこり、と彼女は笑った。
「今度はあたし、もっと大人になって、もっと良い女になって、月斗よりずっと良い男を捕まえるよ。そして、あたしにも頼ってもらえるような素敵な女を目指す。月斗も頑張って。良いじゃない。当たって砕けてみれば。そして、また新しい恋を探すのよ。きっとあたし達、最終的にすごく素敵な恋愛が出来るプロになれるよ。こうやって辛かったことも糧にしていけば。…ね?」
慶子は立ち上がって、ぽん、と俺の肩を叩いた。
「うん、月斗に会って、あたしもいろいろすっきりした。ありがと」
「あ? …ああ、いや、俺こそありがとう。慶子がそうやって頑張ってることが分かって嬉しかったよ」
ふふ、と彼女は笑って、バイバイと手を振って駆けて行った。その小柄な後ろ姿が、なんだか、とても大きく見えた。
‘月斗は、その夕陽さんが好きなんじゃないの?’
慶子の言葉が心に響いていた。
いつまでも。
不意に背後から声を掛けられて、俺はぎょっとして振り返った。聞き覚えのある懐かしい声。見るとそこには慶子が立っていた。いつも持っていた大きなバッグを抱えて、いつものように結い上げた髪を後ろに器用に纏め上げて。そして、付き合っていた頃と変わらない笑顔で。
「どうしたの? 自分の部屋を見上げてため息なんてついちゃって」
「え? ため息ついてた? 俺…」
「うん、ついてたよ、何度も。どうかしたの?」
慶子は元気そうだった。別れてから、そうか、もう一ヶ月近く経っているのか。彼女の笑顔は今でもむちゃくちゃ可愛い。嫌いになって別れた訳じゃなくて、俺は今でもこの子の勝気で元気な性格とか、朗らかさを恋しいと感じているんだろうか。
「今日は、どうしたの? まだ学校の時間じゃないっけ?」
時計を確認するとまだお昼前だ。
「今日は実技試験だったからもう終わり。これから一旦帰って、今度は研修に行くのよ」
「そ…そうか。頑張ってるんだな」
「月斗は、なんか元気ないよ?」
「え? そうか?」
「苦しい恋をしてるとか?」
「えっ…?」
「そんな顔してるよ」
慶子はどこか可笑しそうにくすくす笑った。
「君は、新しい彼氏出来た?」
「ううん。あたしはもう、しばらくは仕事に生きることにしたの」
にこりと彼女は微笑む。その笑顔はむしろ力強くて、希望に満ちていて、眩しい気がした。
「そうか。…頑張れよ」
「ありがと。でも、月斗は本当に元気ないよ? どうしたの?」
くるりと丸い目で覗きこまれて、俺は、なんだか慶子に甘えたくなってしまった。付き合っていた頃は彼女に弱音や愚痴を言うことなんてほとんどなかったのに。
俺は、夕陽のことを出会いから順を追って話した。いつの間にか二人とも近くにあった木製の壊れかけのベンチに腰掛けていた。そこはアパートの駐車場の近くだったので、日中のこんな時間に他に通る人もなくて、俺たちは誰にも邪魔されずに、そこで長いこと語り合っていた。いや、ほぼ話していたのは俺だったが。
聞き終わって、慶子は言った。
「月斗。それって、月斗は、その夕陽さんが好きなんじゃないの?」
「え…っ? いや、だって夕陽は親父の…」
「関係ないよ。だって、そんなに年離れてないじゃない。素敵な人なんでしょう?」
「いや、素敵って…感覚はちょっとズレてるし、料理も変わってるし、やたらと明るくて前向きだし…」
「素敵な人じゃない」
慶子は笑った。そして、俺をじいっと見つめて、言ったのだ。
「月斗、あたし、嬉しい」
「え?」
「初めて月斗に相談された。初めてそんな弱いところを見せてくれた。…月斗は、いつも完璧な人だったから、あたしはいつでも苦しかったの。いつでも、かなわないことが悲しかったの。でも、夕陽さんの前だと、そんな風に素直なんだね」
「…そんなこと…」
にこり、と彼女は笑った。
「今度はあたし、もっと大人になって、もっと良い女になって、月斗よりずっと良い男を捕まえるよ。そして、あたしにも頼ってもらえるような素敵な女を目指す。月斗も頑張って。良いじゃない。当たって砕けてみれば。そして、また新しい恋を探すのよ。きっとあたし達、最終的にすごく素敵な恋愛が出来るプロになれるよ。こうやって辛かったことも糧にしていけば。…ね?」
慶子は立ち上がって、ぽん、と俺の肩を叩いた。
「うん、月斗に会って、あたしもいろいろすっきりした。ありがと」
「あ? …ああ、いや、俺こそありがとう。慶子がそうやって頑張ってることが分かって嬉しかったよ」
ふふ、と彼女は笑って、バイバイと手を振って駆けて行った。その小柄な後ろ姿が、なんだか、とても大きく見えた。
‘月斗は、その夕陽さんが好きなんじゃないの?’
慶子の言葉が心に響いていた。
いつまでも。
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