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Stories of fate


下化衆生 (R-18)

下化衆生 (‘ひかり’の名を) 93

「遼一くんのお母さまは、優しい方でしたよ。最後まで恨み言ひとつおっしゃいませんでした」

 泣きつかれてぐったりしてしまった美久を、応接用のソファに横たえて毛布を掛けながら、坂本は誰にともなく話し始めた。真理子が、備え付けの紅茶のセットでゆっくりと紅茶を淹れている。

 比較的大きな個室のその病室は、南向きで日差しも強く、部屋中が光に満たされている。

「こんな…穏やかな青空の広がる日でした」

 すでに何度か話したであろう昔話を、彼は繰り返していた。中学に入った頃、遼一は、町の病院で偶然坂本に再会した。友人の見舞いに訪れたときだった。そして、そのとき、彼に母の死の真相を聞かされたのだ。

 長い間、遼一も真理子も、母は、他に男を作って出て行ってしまったのだ、と祖母に聞かされていた。そして、父もまた特に否定はしなかったのだ。

 しかし。
 庶民の出だった二人の母は、陰謀・陰口・嫉妬の渦巻く瀬田家の中で、親戚一同から爪弾きにされ、陰湿なイジメを受け、遼一を生んだ辺りから、日常生活を送れないほどの精神的・身体的ダメージを受け、床に伏せるようになっていたのだ。それを、見かねた坂本が、入院させるように勧めたのだが、祖母は受け入れなかった。

 この家から精神疾患の病人を出す訳にはいかない、と言われたのだ。

 坂本は必死に往診を繰り返し、遼一が小学校に入学する頃には少しずつ回復の兆しも見られるようになっていた。だから、そうやって、何度も母を訪ねてくる医師を、真理子も遼一もしっかり覚えていたのだ。彼が来ると、母が少し元気になる、という喜びを持って。

 しかし、少しずつ外へ出られるようになると、周囲からのイジメはまた加速し出し、真理子が中学校、遼一がまだ小学校中学年の頃、遂に母は倒れてしまった。坂本は、祖母や父に懇願する。どうか、彼女を入院させて適切な治療を受けさせてやって欲しいと。

 そして、何より、彼女は屋敷を出ることで回復へ向かうだろうと彼には予測出来たのだ。
 しかし、祖母は譲らず、彼女の言いなりの父も、承諾することはなかった。

 坂本は決心する。
 母を、こっそりと連れ出し、環境の良い施療院で、ゆっくりと精神を休める治療を始めたのだ。それに怒った祖母は、彼に屋敷への出入りを禁じ、担当の医師も変えてしまった。しかし、その加療のお陰で母の身体は次第に回復し、日常生活を取り戻していった。しかし、彼女は何より、子ども達に会いたがった。それで、坂本は子ども達を会わせてやって欲しいと瀬田の屋敷に何度も足を運んで頼み込んだ。

 それを許される筈はなく、そして、瀬田家ではすでに母は死んだものとして処理されていると知った。

 子どもを奪われた母は、嘆き悲しみ、その悲しさと寂しさで、あっという間に体調を崩した。早く元気になって子ども達のもとへ帰る。それだけを励みに一生懸命生きてきた彼女は、その望みを絶たれて、生きる気力を失ったのだ。

 それは、あまりにあっけない最期だった。
 臥せって数日後。
 彼女は眠るように息を引き取ったのだ。

「綺麗で、安らかな死に顔でした。…それだけが、私の…私の救いでした」

 坂本の声は震え、真理子は紅茶を注ぐ手を僅かに留めた。

「後悔してます。彼女を連れ出したことを。…せめて、子ども達に看取られて逝きたかっただろうと思うと。あのまま逝くことになっても、あなた達の傍で逝かせてあげれば良かったと」

 夢うつつに美久はその悲しい過去の物語を聞いていた。悲しい、母の心。子ども達から引き離され、引き裂かれた母親の嘆きを。

「…いいえ」

 遼一は言った。

「母は、満足して逝ったでしょう。…必死に生きようとした時間を確かに過ごすことが出来た。それだけで。恐らく、そのまま屋敷にいたら、母は、例え俺たちが傍にいたとして、それを感じる心すら死んだまま、…何も感じることなく逝ってしまったんだろうから」
「そうですね。」

 真理子は紅茶を坂本へ、それから遼一へと運びながら微笑んだ。

「暗い、冷たい場所でなく、光に包まれて逝かせていただいた。それだけで、感謝いたします、先生」

 坂本は、受け取った紅茶のカップに視線を落として、涙声で頷いた。

「ありがとうございます、遼一坊ちゃん、真理子お嬢さん」

 そして、坂本は、美久の寝顔を目を細めて見つめた。

「どうか、幸せにして差し上げてください。お二人が幸せになっていただければ、ようやく私も長い後悔と懺悔の日々から救われるような気がいたします」
 

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