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Stories of fate


下化衆生 (R-18)

下化衆生 (瀬田家) 78

 あり得ない大きな屋敷。
 門から玄関までの長い広い庭。そして、一般的な家が一軒分もありそうな玄関ホール。屋敷の全貌が分からないその建物に美久はすでに言葉を失っていた。

 タクシーの運転手も行き先を告げられた瞬間に態度が変わったし、極秘で戻った筈なのに、入り口には使用人が揃って彼らを出迎えた。

 遼一は特に表情を変えずに彼らの前を通り過ぎ、美久は気圧されて彼の背中についていくだけで必死だった。

 ようやく通された応接室で、人の視線から逃れられたことで美久はほっと息をつく。その無駄に広い空間。華やかな大きな柄の柔らかい布張りのソファ。重厚なジュータンが敷き詰められ、年代モノの家具や、本物の暖炉に囲まれて、美久は小さな包みを手に、身体が竦んでしまった。遼一に促されて美久がソファに腰を下ろし、あまりに広い空間に落ち着かずにきょろきょろしている内に、やがて現れたきりりと華やかな女性が優雅に微笑んだ。

「はじめまして」

 彼女は美久にほっそりとした白い手を差し出した。

「は、はい。あのっ、はじめまして」

 慌てて立ち上がった美久は、彼女の手をそっと握った。柔らかい、温かい、小さな手だった。身長が美久とそれほど変わらなくて、どこかその凛と華やかな面立ちに懐かしさをおぼえた。

 遼一の姉、真理子。
 実質、今後、グループの中枢に位置し、会社を動かしていくのは彼女であろう。

 遼一の4つ上の真理子は若干27歳。それでも、彼女には遼一の姉であるだけの何か強いオーラと確固とした鋭い意思を感じた。その、瞳の光り方は若い女性のせれではなく、どこか支配者然とした上に立つ者の色を宿していた。

 飲み物を運んできた女性が下がると、真理子は静かに弟を見つめる。

「紹介してくださらないの?」
「するまでもないでしょう?」

 遼一は出されたコーヒーを一口すすって、冷ややかに笑った。

「すべて調査済みでしょ? 美久ちゃんのことは」
「それとこれとは違います。それに、調べさせたのは私ではありません。それから。こちらが分かっていても、美久さんにご紹介していただかないと」

 お互い、それほど冷たい口調ではなかったが、美久は少しハラハラと二人を見守る。

「美久ちゃん、これが俺の姉。この家の中で唯一マトモな人間だろうと思うよ。代々続いた家って大抵、魑魅魍魎がうようよしているからね。あまり関わらない方が良いよ」
「え、えっ?」

 座ったまま、視線を流しただけで遼一は淡々と皮肉を並べ、美久は慌てて真理子を見つめたが、彼女は特に不快そうな表情は浮かべておらず、ただ、にっこりと美久を見つめ返した。

「お写真を拝見したときから感じておりましたが、…美久さん、あなたは…」
「姉さん!」

 遼一の声に遮られ、真理子は、弟が慌てる様子を見て、ふふ、と笑った。
 一瞬、茫然とした美久は、はっとして持参した包みを恐る恐る彼女の前に差し出した。

「あ…あのっ…、本当にこんな大きなお屋敷だったなんて想像してなくて…その、こんな物でお恥ずかしいんですけど、お姉さまに、その…」

 淡いオレンジ色の包装紙で丁寧に包まれ、紅いリボンで装飾された包み。美久が、都内の百貨店で選んだ輸入モノのスカーフだった。赤と黒と鮮やかなグリーンが配色された気品のあるシルク。遼一のどこか品のある空気をイメージして、そのお姉さんなら、と美久が選んだ手土産だった。

「まぁ、…わたくしに?」
「はい、本当に…その、安物でお恥ずかしいんですけど」

 美久にとってはかなりの値段だったそれは、しかし、こんな屋敷に住む女性にはありきたりな品であろうと、美久は恐縮した。
 真理子は、ほんの一瞬、目の光が揺れた。そして、受け取ったそれを丁寧に開けて、その華やかなのに落ち着いた模様の色合いに息を呑む。

「これは…決して、お安い品ではなかったでしょう」
「え、…ええと、私にとっては…」

 美久は少しどぎまぎして困ったように笑みを浮かべる。

「ありがとうございます、美久さん。大切に使わせていただきます」

 変わらない静かな態度だったが、遼一には、姉が本当に喜んでいるらしいことが伝わってきた。彼は、無邪気に照れている美久を見つめながら、今まで自分は姉を喜ばせることを考えたことがあっただろうか、と思う。

 ずっと。
 すっと、長い間、遼一は、そして真理子も、お互いのことを思う余裕など、なかった。

 なんということのない他愛ない会話を淡々と交わして、紅茶を飲み終わる頃、不意に扉を叩く音が響いた。

「あの、失礼いたします、遼一さま。正子さまがお呼びです」

 祖母、正子の秘書が顔を覗かせ、その場の空気が凍りつくほど、遼一の目はすとん、と冷えた。

「相変わらず、何でもお見通しだ、おばあさまは」

 遼一は言ってソファから立ち上がる。ふと不安そうに彼を見上げる美久を一瞥して、彼は姉に向き直る。

「姉さん、…良い?」

 真理子は心得たように静かに頷く。

「あの、若奥様もご一緒にとのことですが」
「お断りだね」

 遼一は言って、彼を押し出すように一緒に部屋を出ていく。振り返りもせずに。

 美久は似たような光景を前にも見たことを思い出す。遼一の背後に、こうやってどす黒いオーラが渦巻くとき、彼は決して美久の方を見ないのだ。

「美久さん、お腹空いたでしょう? ケーキを用意してますから、お待ちになってね」

 どこか心細そうに遼一を見送って呆然としている美久に、真理子は軽やかに使用人を呼び出す。

「えっ? あの…」
「遼一が、私に、あなたのそばを離れるな、と言い置いていきましたから、しばらくお付き合いいただけますか?」

 優雅に真理子は微笑み、その、立ち居振る舞いの美しさに、美久は圧倒されて頷くしかなかった。

 この姉弟は、相手に有無を言わさない絶対的な空気を生まれながらに持っている…と美久は心で小さなため息をついた。
 間もなく運ばれてきたホームメイドのパウンドケーキを取り分けながら、真理子は遼一がいる間は出来なかった話を美久に始めた。

「遼一は、優しかった私たちの母を、孤独に一人逝かせてしまった母を、取り戻して、幸せにしたい…そんな想いがあるんだと思います。母を愛して愛して、そしてその想いが今は誰にも、どこにも届かない。その想いが強すぎて、そして、…同時に、遼一は母を憎んでいるのかもしれません。自分を置いて逝ってしまった母親。愛しても返してくれない辛さ。届かない絶望と孤独。その歪みが、今、あの子に冷たい闇を作ってしまっているんだと思います」

 真理子は話しながらも、決して美久から目をそらさなかった。その話に驚いて顔をあげた義妹を、彼女は柔らかい表情で見つめ続ける。

「そして、…同時にどれだけ離れても逃れられない、‘血’の闇。狂気渦巻く瀬田家の血筋。殺戮や拷問を繰り返してきた古い一族の呪われた血。それをどうしてもあの子は受け継いでいる。私は、その血を絶やすことを‘復讐’と捉え、あの子はその血を遺すことを‘復讐’とした。…そういうことだと思います。遼一にとって、『死』ですら、裏切りだったんです。愛が深ければ深いほど、裏切りへの憎悪は大きい。愛することと憎むことは相反するようでいて、根は同じなのかもしれません」
「え…ええと、あの、お母さまは…その、お亡くなりになったってうかがってますけど…」
「ええ。…あの子がまだ小学生の頃、私が中学生になって間もなく、母は、この家を出て行ったのだと聞かされておりました」
「聞かされて…いた」
「違った、ということですね」

 美久は、それ以上を聞けなかった。

「遼一の心は、まだ‘母親に捨てられた小学生’のままなんです。母親への愛と憎しみと、母親を奪った世界、だけど自らを育んだ世界、それに対する愛憎。それが短いサイクルで表に出る。それが、きっと周りに混乱を引き起こしているんでしょう」

 美久は、静かに聞いていた。そして、何もかもに納得がいった気がした。遼一の、狂気と幼子の両方が違和感なく同時に存在する哀しい心の側面を。そして、彼が本当に愛したいのは、愛して欲しかったのは‘母親’に、だったのだと。

 それから、真理子はこの村に昔から伝わる古い昔話をしてくれた。

 その昔、天皇家が神の子孫だと言われるよりもっと古い時代。まだ、神々が人の世界に普通に存在していた頃。
 土地を治める神々の一族が、その地の人々と共に幸せに暮らしていた時代。

 あるとき、他の地方を追われた荒々しい罪びとが、その地に足を踏み入れた。彼は、人々を憎んでいた。自分を排除した世間というものを。
 彼の中にあったのは、罪人の狂気。
 彼は神の娘をさらい、禁を犯して彼女に子どもを生ませた。そして、神の血を受け継ぐその子が、村の長となる。罪人と神の、相反する血を受け継いだ子ども。その子の血は時代を経て受け継がれ、それが瀬田家の血の発祥となる。
 
 罪びとの血は、神の娘を求める。それが、瀬田家に生まれた男の運命(さだめ)。
 遼一と真理子の母親も、そうやって捕らわれてきた‘神’の娘のようなものだったのだろうか。そして、彼女は 非業の死を遂げる。彼らの母となったために…?

「あの子も間違いなく、瀬田の血を引いてます」

 真理子はどこか切ない色を宿した哀しい瞳で美久を見る。

「私が、…ええと、私もその、‘神の娘’…だとおっしゃっているんですか?」

 茫然として、というより、半ば呆れて美久は真理子の目を見返す。

「あの、私は普通の人間ですけど」

 しかも、両親はもっと普通の人間です、と美久は周りの友人の親と何の代わり映えのしない両親のことを思い出して心で呟く。

「…伝説です。古い。そして、神と表現されるのは伝承上のことと考えれば、それは土地を治める豪族、或いは領主のような存在を指していたのだろうと推察されます。それに、その伝承が正しく伝わっているのかどうかすら分からない」

 真理子は、一旦言葉を切ってほんの少し声をひそめた。

「父も、遼一も、何かもっと別の歴史を知っているのかも知れません。伝わっている伝承とは別に、その‘血’を受け継ぐ者のみに、独自に伝わっている何かがあるのかも知れません。わたくし達、女には分かりません」
「それは…どのような?」
「そうですね。その二人に関するもっと具体的な物語です。恐らく、特に、神の‘娘’とされる瀬田家にとっては…そう、生贄となる女性について」

 生贄。
 どくん、と美久の心臓は鳴った。

 しかし、真理子の柔らかい表情と、かつて聞いた遼一の苦しい独白。それらを思うと彼女はそれほど恐怖は感じなかった。

「どうぞ、冷めない内に」

 真理子は微笑んで、美久に、紅茶を勧める。

 美久は勧められたカップに口をつけて、恐る恐る口を開く。美久は、自分でも何故そんな質問をしたのか分からない。考えるよりも先に口をついて出ていたのだ。

「その、…その伝説の二人は、その後、どうなったのですか?」

 一瞬、息を呑んだように黙って美久を見つめて、真理子は口を開いた。

「男の度重なる暴力とその仕打ちに耐えかねて、その娘はある日男のもとを逃げ出そうとして、殺された…という風に伝わっています」

 ぞっと、美久は背筋が冷えた。不意に、夢の映像が鮮やかに蘇った。少女と…男の、白い吹雪の前の真っ暗な映像。

 あれは…何?
 あれは、誰?
 少女の悲鳴が響いたような気がして、美久は耳をふさぐ。

「姉さん、何、美久ちゃんを怖がらせているんだよ」

 不意に遼一の声が響き、美久がはっとして顔をあげると、彼が扉にもたれかかるように佇んでいるのが見えた。扉の開いた気配にまったく気付かなかった。

 遼一の全身にまとっている冷気にびくっと美久の身体が硬直する。遼一の表情がまったく分からなかった。一切の感情を内に押し込めたように、そこに、表情がなかった。ただ、初めて見る、タバコをくわえて扉の前に立っていた。

「俺に言わせたら、その男は甘いね。捕らえた女に逃げる隙を与える方が悪い」
「遼一」

 真理子が眉をひそめた。
 紫煙を吐きながら、遼一はどこか空(くう)を見据える。

 真理子が、何かを言い掛けたのを遮って、遼一は壁の美しい装飾にタバコを押し付けて火を消す。そして、その吸殻を手の中に握りつぶした。真理子は小さく息を吐く。

「おばあさまのことは任せて。今さら心を乱しても仕方がありませんよ」
「分かってるよ」

 遼一は不意に、ぞっとするような笑みを浮かべた。それは、決して笑顔ではない。これ以上ない憎悪を浮かべた瞳で。

「ねえ、美久ちゃん? 逃げようなんて気すら起こらないようにしてあげれば良いんだよね」

 美久は瞬間、背筋を氷でなでられたような戦慄に、恐怖で言葉をなくす。

「遼一」

 真理子がその低い澄んだ声で遼一の次の言葉を押し留めた。

「おやめなさい。…そういう自虐思考から、何も生み出されはしません。もう…呪縛から逃れて、あなたはあなたの生きる道をしっかり歩きなさい」

 二人は一瞬見つめ合って、遼一はすぐに視線をそらした。

「帰ろうか、美久ちゃん」

 遼一は扉の前でふうっと息を吐く。反射的に美久は立ち上がって、遼一に近づいた。その腕を掴んで引き寄せ、遼一は最後に姉を振り返った。

「それじゃ」
「気をつけて」

 真理子は、遼一を静かに見つめる。

「姉さんも」


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