一滴もお酒を飲んでいないのに、なんだか、酔ったようにハイになって、美久は遼一に呆れられながら家路を辿る。
「タクシー拾おうか?」
「大丈夫、歩けるから」
「だって、美久ちゃん、酔ってもいないのに足元危なくない?」
「大丈夫だって…きゃっ!」
すれ違う人にぶつかりそうになって、不意に遼一にぐいっと抱き寄せられる。
「ご、ごめんなさい」
ちらりと見上げた遼一の目がちょっと怖くて、美久は身がすくむ。呆れた、を軽く通り越して、遼一の表情は少し怒りを含んでいる。
「美久ちゃん、自分である程度自分の身を守れないようじゃ、もう、一人で外に出せないよ」
「ご、ごめんなさい! …気をつけます」
慌てて美久は言い、遼一の腕に両手ですがりつくように腕をまわした。
「そういえば美久ちゃん」
ふと、遼一は言った。商店街のネオンに照らされて、見上げた遼一の顔は不思議に光って見え、表情がよく分からなかった。美久は、仕事を辞めろという話かと思い、ちょっと身構える。
まだ、…せめてもう少し、仕事は続けたかった。
だけど、遼一がダメだと言ったら、それは最終決定なのだ。美久に異議をとなえる隙などあるだろうか。
「来月、ちょっと姉に呼ばれているんだ」
「えっ? …お姉さん?」
意外なことを言われ、美久は一瞬、気が抜けた。
「そう、君も一緒に連れておいで、って」
「ええ?」
いってらっしゃい、と言おうとしていた美久は驚いて声をあげる。
「な…なんで、私も?」
「なんで、って。一応、君にも義理の姉になるんじゃない?」
「あ。…あ、そうか」
っていうか、そう言えば、ええっ? 入籍したって言われた?
ニュウセキ?
入籍って、入籍って…結婚式するよりもリアルな現実だよね? ええと、もう私は今井美久じゃなくって…、つまり、今井家の戸籍から抜けたってこと?
「ちょっと、待って! 私、まだお父さんたちに何も報告してないんだけどっ」
美久は立ち止まって叫ぶ。その声に、一瞬注目を浴びたことも構っていられないほど、彼女は愕然とした。
「そ…そういうのって、そういうのって…。あ、私もまだ遼一のご家族にお会いしたことないし…」
「美久ちゃん…」
「ど…どどど、どうしよう?」
「美久ちゃん」
「遼一、私、ちょっと実家に行ってくる」
「え? 今から?」
「うん。一緒に来てくれる?」
「そういうのは後日、日を改めないと、失礼だよ」
「だ、だって…だって」
「落ち着いて、美久ちゃん」
「だって…っ」
「それに、君のご両親はもう知ってるよ」
「だ…っ、…え、ええ?」
もう、周りなんてまったく目に入らなくなっている美久を歩道の隅に引っ張って、遼一は苦笑した。
「こっちの弁護士を通して、結納も済ませた。俺の家が現在ゴタゴタしているから、正式な挨拶は改めるってことで、了承いただいているよ」
「えええっ?」
「ご両親から電話とか…なかった?」
「…ないよ、そんなの」
何故か、美久は泣きそうになった。
何、それっ?
菜月も亨も知ってて、私の親も知ってたの? なんで、私が知らないのよ!
「ごめん、君のご両親から確認みたいな感じで連絡くらいあるかな、と思ってたよ」
「…そ…そういう常識ある人たちじゃないのよ、ウチの親は~」
美久はなんだか、情けないやら悲しいやらで涙が出て来た。
「遼一のバカっ!」
さすがにちょっと情けない表情で、遼一は笑った。
「まぁ、悪かったけどさ。だいたい、公文書書いたらそれはもう法的な意味合いを持つってことくらい覚悟してもらわないと」
「だってぇぇぇっ」
不意にはっと顔を上げて、美久は遼一を睨つけるように見つめた。
「いつ?」
「何が?」
「結婚記念日っていつ?」
その鬼気迫る真剣な表情に押されて、遼一は一瞬言葉を失った。そして、真っ直ぐな視線を受け留めて不意に笑い出した。
「やっぱり、そういうこと、気になるんだ」
「当たり前じゃないっ」
「12月24日だよ」
「ええ? クリスマス・イヴ?」
「…不満かい?」
「ずるい」
「…なんで?」
「だって、クリスマスはクリスマス。アニバーサリーはまた別じゃない。一緒にしたら、ずるい!」
「なるほど。そう来るとは思わなかったな」
菜月は羨ましがっていたのに、と声に出さずに遼一は思う。
「まぁ…それは諦めてもらうしかないよ。それより、来月、俺も君を姉に紹介したいんだ。彼女がこっちに来れば良いハナシだけど、そうもいかなくてね」
いろいろと釈然としなかったようで、美久はため息をついていたが、やがて顔をあげて遼一を半分恨みがましい目で見上げた。
「…事前に分かれば、休み、取れるとは思うけど…」
「うん、そうしてくれる?」
再度ため息をつく美久を見下ろして、遼一は笑った。
「まぁ、その前に君のご両親には今週末にでもお伺いしてこようか」
ああ、もうどうでも良いわ、と美久は思った。
確かに、彼女の両親は相手が遼一だったらもともと反対すらしなかっただろう。彼らは遼一を気に入っていたし、半ば本気で二人の結婚を望んでいたくらいだ。
「あの、お姉さん…ってどんな人?」
ああ、と遼一は意外にもほんの少し柔らかい表情になった。
「あいつが…一番の被害者かもな。俺はこうやって、もう好き勝手させてもらってるけど、姉は今でも渦中にいて、まだグループをどうにかしようと一生懸命だろう」
「お姉さんを手伝わなくて、良いの?」
いや、本来、本当にそこに居るべきなのは遼一だろう。グループの中枢に居るべきで、その責を負うべきなのは。
遼一は答えずに、ただ、美久から視線を外して真っ直ぐに、空(くう)を見据えた。
その沈黙の間に、ふと美久は素朴な疑問を口にする。
「えっと…、その、遼一のご両親とかは…」
遼一は、ゆっくりと美久に視線を戻す。その瞳が、悲しみとも慈しみとも、そして、憤りともつかない色を湛えていた。
「父も母ももういない。俺も姉も、祖母に育てられたんだ」
「…あ、じゃあ、その…遼一はおばあちゃんっ子なのかな」
思わず息を呑んで、美久は言葉を探してそんなことを慌てて口にする。
「おばあちゃんっ子か。一般的なイメージとは違うね。俺は、彼女を憎んでいる」
「…えっ」
「いや、憎んでいるんのは、俺自身か。…この血、すべてかもな」
「タクシー拾おうか?」
「大丈夫、歩けるから」
「だって、美久ちゃん、酔ってもいないのに足元危なくない?」
「大丈夫だって…きゃっ!」
すれ違う人にぶつかりそうになって、不意に遼一にぐいっと抱き寄せられる。
「ご、ごめんなさい」
ちらりと見上げた遼一の目がちょっと怖くて、美久は身がすくむ。呆れた、を軽く通り越して、遼一の表情は少し怒りを含んでいる。
「美久ちゃん、自分である程度自分の身を守れないようじゃ、もう、一人で外に出せないよ」
「ご、ごめんなさい! …気をつけます」
慌てて美久は言い、遼一の腕に両手ですがりつくように腕をまわした。
「そういえば美久ちゃん」
ふと、遼一は言った。商店街のネオンに照らされて、見上げた遼一の顔は不思議に光って見え、表情がよく分からなかった。美久は、仕事を辞めろという話かと思い、ちょっと身構える。
まだ、…せめてもう少し、仕事は続けたかった。
だけど、遼一がダメだと言ったら、それは最終決定なのだ。美久に異議をとなえる隙などあるだろうか。
「来月、ちょっと姉に呼ばれているんだ」
「えっ? …お姉さん?」
意外なことを言われ、美久は一瞬、気が抜けた。
「そう、君も一緒に連れておいで、って」
「ええ?」
いってらっしゃい、と言おうとしていた美久は驚いて声をあげる。
「な…なんで、私も?」
「なんで、って。一応、君にも義理の姉になるんじゃない?」
「あ。…あ、そうか」
っていうか、そう言えば、ええっ? 入籍したって言われた?
ニュウセキ?
入籍って、入籍って…結婚式するよりもリアルな現実だよね? ええと、もう私は今井美久じゃなくって…、つまり、今井家の戸籍から抜けたってこと?
「ちょっと、待って! 私、まだお父さんたちに何も報告してないんだけどっ」
美久は立ち止まって叫ぶ。その声に、一瞬注目を浴びたことも構っていられないほど、彼女は愕然とした。
「そ…そういうのって、そういうのって…。あ、私もまだ遼一のご家族にお会いしたことないし…」
「美久ちゃん…」
「ど…どどど、どうしよう?」
「美久ちゃん」
「遼一、私、ちょっと実家に行ってくる」
「え? 今から?」
「うん。一緒に来てくれる?」
「そういうのは後日、日を改めないと、失礼だよ」
「だ、だって…だって」
「落ち着いて、美久ちゃん」
「だって…っ」
「それに、君のご両親はもう知ってるよ」
「だ…っ、…え、ええ?」
もう、周りなんてまったく目に入らなくなっている美久を歩道の隅に引っ張って、遼一は苦笑した。
「こっちの弁護士を通して、結納も済ませた。俺の家が現在ゴタゴタしているから、正式な挨拶は改めるってことで、了承いただいているよ」
「えええっ?」
「ご両親から電話とか…なかった?」
「…ないよ、そんなの」
何故か、美久は泣きそうになった。
何、それっ?
菜月も亨も知ってて、私の親も知ってたの? なんで、私が知らないのよ!
「ごめん、君のご両親から確認みたいな感じで連絡くらいあるかな、と思ってたよ」
「…そ…そういう常識ある人たちじゃないのよ、ウチの親は~」
美久はなんだか、情けないやら悲しいやらで涙が出て来た。
「遼一のバカっ!」
さすがにちょっと情けない表情で、遼一は笑った。
「まぁ、悪かったけどさ。だいたい、公文書書いたらそれはもう法的な意味合いを持つってことくらい覚悟してもらわないと」
「だってぇぇぇっ」
不意にはっと顔を上げて、美久は遼一を睨つけるように見つめた。
「いつ?」
「何が?」
「結婚記念日っていつ?」
その鬼気迫る真剣な表情に押されて、遼一は一瞬言葉を失った。そして、真っ直ぐな視線を受け留めて不意に笑い出した。
「やっぱり、そういうこと、気になるんだ」
「当たり前じゃないっ」
「12月24日だよ」
「ええ? クリスマス・イヴ?」
「…不満かい?」
「ずるい」
「…なんで?」
「だって、クリスマスはクリスマス。アニバーサリーはまた別じゃない。一緒にしたら、ずるい!」
「なるほど。そう来るとは思わなかったな」
菜月は羨ましがっていたのに、と声に出さずに遼一は思う。
「まぁ…それは諦めてもらうしかないよ。それより、来月、俺も君を姉に紹介したいんだ。彼女がこっちに来れば良いハナシだけど、そうもいかなくてね」
いろいろと釈然としなかったようで、美久はため息をついていたが、やがて顔をあげて遼一を半分恨みがましい目で見上げた。
「…事前に分かれば、休み、取れるとは思うけど…」
「うん、そうしてくれる?」
再度ため息をつく美久を見下ろして、遼一は笑った。
「まぁ、その前に君のご両親には今週末にでもお伺いしてこようか」
ああ、もうどうでも良いわ、と美久は思った。
確かに、彼女の両親は相手が遼一だったらもともと反対すらしなかっただろう。彼らは遼一を気に入っていたし、半ば本気で二人の結婚を望んでいたくらいだ。
「あの、お姉さん…ってどんな人?」
ああ、と遼一は意外にもほんの少し柔らかい表情になった。
「あいつが…一番の被害者かもな。俺はこうやって、もう好き勝手させてもらってるけど、姉は今でも渦中にいて、まだグループをどうにかしようと一生懸命だろう」
「お姉さんを手伝わなくて、良いの?」
いや、本来、本当にそこに居るべきなのは遼一だろう。グループの中枢に居るべきで、その責を負うべきなのは。
遼一は答えずに、ただ、美久から視線を外して真っ直ぐに、空(くう)を見据えた。
その沈黙の間に、ふと美久は素朴な疑問を口にする。
「えっと…、その、遼一のご両親とかは…」
遼一は、ゆっくりと美久に視線を戻す。その瞳が、悲しみとも慈しみとも、そして、憤りともつかない色を湛えていた。
「父も母ももういない。俺も姉も、祖母に育てられたんだ」
「…あ、じゃあ、その…遼一はおばあちゃんっ子なのかな」
思わず息を呑んで、美久は言葉を探してそんなことを慌てて口にする。
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