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Stories of fate


下化衆生 (R-18)

下化衆生 (樹木は樹液を) 49

 クリスマスから御用納めまでの4日間、とにかく美久は、ひたすら感情をそぎ落として機械のように働いた。何も考えずに済むように。実際、美久はもう何かを考えることを放棄していた。いたずらに暇な時間を作らないように、必死に心や身体を忙しく保っていた。

 誰かを忘れるために、こんな風に必死になったことなんて、彼女には初めてのことだった。そんな美久の様子を心配して、菜月か亨が、必ず美久の夕食に付き合い、家まで送ってくれていた。一人では、食事すらマトモに取っていないことがあまりにも明らかだったから。

 そして、美久は部屋に一人、眠れない夜が続く。
 夜の静寂と暗闇は、むしろ、美久に一人であることへの恐怖を思い起こさせた。一人きりで目覚めたあの朝の絶望を。

 疲れ果て、倒れそうな状態で、最後の日を終えた。

「美久、眠れてるの?」

 その日、菜月の部屋で箸を持ったまま眠り込みそうになっている美久を見て、菜月は言う。

「…あ、ごめんなさい」

 はっと目を開けて、美久は一瞬、ここはどこだろう? という表情をした。

「もう、ここで寝て良いよ。明日も一日、ゆっくりしてて」
「…悪いよ、だって、菜月は明日も仕事でしょ?」
「関係ないよ。私は普通に出て行くから気にしないで」

 熱いお茶を用意しながら菜月は笑った。
 亨も菜月も、食後には必ず日本茶を飲んでいる。故郷の古い習慣がそうさせるのだろうか。

 遼一はいつでもコーヒーばかり飲んでいたなあ、と美久はふと思う。
 別にそれで、何かを意識したわけではなかったのに、‘遼一’という言葉を頭に描いた途端、美久の目から涙があふれてくる。

「美久! どうしたの? …大丈夫?」
「え…?」

 と美久は菜月の驚いた声に、頬を何かが伝わる感覚に、初めて自分が泣いていることを知る。
 もう、何もかもがちぐはぐで、感覚がバラバラだった。

「美久。もう良いから、休みな。お風呂沸かしてあげるから、ゆっくりあったまって、ね?」

 美久の肩を抱いて菜月は必死に、祈りのように言う。なんとかして、彼女をこの世界に留めておこう、という切実さで。美久はまるで、消えそうだった。

「…うん」




 孤独を知る前、人は一人だということに気付かない。一人だと自覚するのは、誰かの気配を身近に感じる心地良さを知ってからだ。

 それを失ったとき、‘孤独’とは何であるかを本当に知ってしまうのだ。
 失ってからでないと、大切なモノに気付かないように。

 傍に誰かがいる温かい空気に安心して、美久は久しぶりに深い眠りに誘われた。菜月はその子どものような寝顔をそっと見下ろしながら、どうしてか不安を隠せない。

 人と人が出会い、恋をして蜜月を過ごし、やがて些細なすれ違いが始まり、ぶつかり合うことが出てきて…そして、熱がすっかり冷めて別れる。或いは、ある種の友情や信頼に変容して新たな関係が形作られる。

 菜月も美久も、そんなことは何度か経験してきた。菜月も、亨との長い付き合いの中で、お互いに別々の人を好きになった時期もあったし、手痛い別れも経験している。それまで恋人として共に過ごした相手と別れた直後は、寂しさに慣れなくて、変に高揚したり、ふさぎこんだりと不安定な時間を過ごしたこともある。

 しかし、それは二人で積み重ねた時間が確かにあって、その経過を思い返せば、もうどうしようもなかったことをお互いが分かっているからだ。順当な経過を辿って今に至っていることをお互いが頭では理解している。

 しかし、美久と遼一は違う。
 二人は、まだ本当には始まってすらいなかったんじゃないかと、菜月は感じていた。

 どうしてなのか分からない。だけど、二人はまだ出会ったばかりの、お互いに少し距離を置いている初恋同士のカップル…いや、まだ付き合い始めて間もない中学生の恋を見ているような気になっていた。何故だろう? 二人とももう大人で、恐らく身体の関係だってとっくにあった筈なのに。

 分からない。
 分からないけど、そういう状態で引き離されたら、人はどうなってしまうのだろう?

 繋ごうとした手をもぎ取られるように、寄り添おうとする二つの影を引き裂かれたりしたら。
 生木を裂く。ああ、その表現がぴったりするではないか。木は樹液という涙を、人は血の涙を流すのではないか?

 それは一体どんな痛みなのだろう。


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ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説

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