「龍ちゃん…」
蒼白な表情で羽鳥は彼を見上げた。青白い光が彼女の顔を照らし、赤い点滅が明滅していた。
二度目の緊急信号。‘梅’の店が爆破されたのだ。そこが無人であることを知っていたことだけがせめてもの救いだ。それに、恐らくそうなることを予測して、彼女は奈緒を連れ出し、更に、彼女の持つすべてのデータを羽鳥に送っていた。そこに犠牲はほとんどない。
しかし、つい先ほど、‘竹’の遺体発見の一報が‘松’から届いたばかりだった。龍一の精神的ダメージは計り知れない。その報告を受けてから、龍一はまったく口をきかなかった。涙を見せはしなかったし、怒りすら表さなかった。…いや、彼は、まだ信じていないのだと羽鳥は思った。
まだ、彼は納得していない。認めていないのだろう。
「ああ、大丈夫だ、羽鳥。何より今俺らのすべきことは―」
龍一は心配そうな彼女の視線に軽く微笑んでみせる。そして、ついと窓辺に寄り、カーテンを僅かに開けた。パソコン画面だけしか灯りのないその部屋の窓を、そのガラスに映る自身の顔を睨んで彼は低く呟く。
「これ以上の犠牲を出さないことだ」
龍一の声は自らに言い聞かせているようで、羽鳥は辛かった。
「本当に、これで良かったの?」
そっとその背中に寄り添って彼女は呟く。
「龍ちゃん、『花籠』をこんな風に大きくしちゃって、こんな事件に巻き込まれて…本当は、ただ、居場所のない人を集めて仕事を与えて、それで良かったんでしょ?」
「良いんだよ、羽鳥。組織ってのは個人の持ち物じゃない。もう、俺の手を離れて『花籠』は独立した意志を持ったんだ。椿や悠馬がどんな理想を抱いて、どこまで行けるのか、俺も見てみたい。『花籠』をつくるときに俺は自らの‘血’を越えてヒトとの出会いを求めた。血の戒めに縛られて、好きでもない女を抱いて子を生ませ、その子を憎んで生きた父親の生き方を受け継ぎたくはなかったんだ。‘血’に縛られた生き方はイヤだと思った。」
何度か聞いた龍一の独白。羽鳥はその背中にしがみつくようにして、何度目かのそれを聞いた。
「椿に出会って、俺はこの組織を立ち上げて、続けていくことに初めて夢を抱いた。生まれて初めて友人を得たんだ。そして、悠馬が、他組織との連携を敷いてくれた。あの二人がいてくれて、俺は自分の存在を初めて信じることが出来たんだよ。彼らがいなければ『花籠』は「花籠竜一」は今存在していない。だから、俺はあの二人を失う訳にはいかない」
龍一は、それまであったもともとのツテで仕事を請け負い、報酬を要求し、仕事を直接こなした相手に支払うというシステムを作り上げたのだ。そして、それ以外の謂わば一般の人間からの細かな依頼も請け負うために‘店’を置いた。その過程で龍一の周りに集まった人間は、彼が何よりも欲しかったもの、たった一つ彼が持ち得なかったものをくれたのだろう。
父の代から彼についてきた松守、彼が日本を3拠点にした3つの店を配置し、影から龍一を見守り続けてきたのだ。
「俺についてきたばっかりに、松守は裏切り者として死ぬしかなくなったんだ。あいつが生きている間は、俺は進んでみせる。守人として仕えた俺が、どんな風に生きて死んでいくのかを見届けたいだろう。花篭の末裔の最期を」
「最期じゃないよ」
龍一もまた、何度か聞いた羽鳥の告白を黙って背中に聞く。
「あたしがいるじゃない。あたしが龍一の子どもを生むよ。もう少し待ってよ」
「バカを言うな」
「バカだもん!」
「お前の才能を、能力を、若さを、俺のために浪費するんじゃないよ」
「龍一のバカっ!!!」
しがみつく小さな身体を、その熱さを背中に感じながら、龍一は暗い空を仰いで目を閉じた。やがて、羽鳥は小さく息をついて、言った。
「あたし、…弥生ちゃんのとこに行く」
「ああ。…そうしてくれ」
龍一と羽鳥は目で頷きあった。
何があっても、彼女だけは守る。
コスモスは結局戻れず、帰ってくる予定だったメンバーはすべて‘竹’と共に一夜を過ごすことになったようだ。大抵のメンバーは、彼の管轄でない者を含めて、彼を知っている。直接顔を見たことはなくても、何らかの仕事で関わっていることが多かった。
本来、真っ先に彼の元へ駆けつけたいのは龍一だろう。しかし、彼が動くことを待っている敵のために姿を現す訳にはいかない。龍一を守るために戦った各店主の努力を無にする訳にはいかない。
そばにいてやった方が良いのか、羽鳥には判断がつかなかった。しかし、一人にしてやろうと彼女は決めた。
何より、他組織から預かっている弥生を、必ず守らなければならない。自らの命と引き換えても。
「一緒に寝て良い?」
枕を持ってやってきた羽鳥を見て、弥生は笑みを見せた。
データの内容はよく分からなくても、尋常ではない量を処理した弥生も、何かが起こっているのではないか? と予想はついていたかも知れない。それでも、弥生は敢えて何も聞かなかった。
劉瀞が狙撃され、庸が撃たれて、現在、彼が生死の境を彷徨っていることも、庄司がそのために劉瀞の命を受けて『花籠』の中で動いていることも、弥生はまだ知らなかった。
「ここって、周り、とても静かね」
並んでベッドに横たわると、ふと弥生は言った。
「うん、夏になると虫がいっぱい入ってきて大変だよ?」
「えええ、虫がいるの?」
うん、と羽鳥は不思議そうに彼女の方を見た。
「あれ? だって、弥生ちゃんがいた施設ってすんごい自然の中じゃなかった?」
「そうなの。だから、大変だった…」
半ば本気で顔をしかめた弥生に、羽鳥はくすくす笑い出した。
「虫が出たら、どうしてたの?」
「ううん、施設では大抵大丈夫なの。いつも、傍にいる誰かが捕まえて追い払ってくれるから。それよりも、今住んでるところって一人だから、本当に困る」
「じゃあ、虫が出たらここではあたしが退治してあげる」
羽鳥は笑った。
「ありがとう」
こっちが年上なんだけどな、と苦笑しながら弥生はあったかい気持ちになった。一歩外へ出ればいろんな悲しいことが起こっている。何か、得体の知れない恐怖はまだ続いている。
だけど。
ここはあったかい。少なくとも、この部屋の中、このベッドの中。彼女の隣は温かい。
蒼白な表情で羽鳥は彼を見上げた。青白い光が彼女の顔を照らし、赤い点滅が明滅していた。
二度目の緊急信号。‘梅’の店が爆破されたのだ。そこが無人であることを知っていたことだけがせめてもの救いだ。それに、恐らくそうなることを予測して、彼女は奈緒を連れ出し、更に、彼女の持つすべてのデータを羽鳥に送っていた。そこに犠牲はほとんどない。
しかし、つい先ほど、‘竹’の遺体発見の一報が‘松’から届いたばかりだった。龍一の精神的ダメージは計り知れない。その報告を受けてから、龍一はまったく口をきかなかった。涙を見せはしなかったし、怒りすら表さなかった。…いや、彼は、まだ信じていないのだと羽鳥は思った。
まだ、彼は納得していない。認めていないのだろう。
「ああ、大丈夫だ、羽鳥。何より今俺らのすべきことは―」
龍一は心配そうな彼女の視線に軽く微笑んでみせる。そして、ついと窓辺に寄り、カーテンを僅かに開けた。パソコン画面だけしか灯りのないその部屋の窓を、そのガラスに映る自身の顔を睨んで彼は低く呟く。
「これ以上の犠牲を出さないことだ」
龍一の声は自らに言い聞かせているようで、羽鳥は辛かった。
「本当に、これで良かったの?」
そっとその背中に寄り添って彼女は呟く。
「龍ちゃん、『花籠』をこんな風に大きくしちゃって、こんな事件に巻き込まれて…本当は、ただ、居場所のない人を集めて仕事を与えて、それで良かったんでしょ?」
「良いんだよ、羽鳥。組織ってのは個人の持ち物じゃない。もう、俺の手を離れて『花籠』は独立した意志を持ったんだ。椿や悠馬がどんな理想を抱いて、どこまで行けるのか、俺も見てみたい。『花籠』をつくるときに俺は自らの‘血’を越えてヒトとの出会いを求めた。血の戒めに縛られて、好きでもない女を抱いて子を生ませ、その子を憎んで生きた父親の生き方を受け継ぎたくはなかったんだ。‘血’に縛られた生き方はイヤだと思った。」
何度か聞いた龍一の独白。羽鳥はその背中にしがみつくようにして、何度目かのそれを聞いた。
「椿に出会って、俺はこの組織を立ち上げて、続けていくことに初めて夢を抱いた。生まれて初めて友人を得たんだ。そして、悠馬が、他組織との連携を敷いてくれた。あの二人がいてくれて、俺は自分の存在を初めて信じることが出来たんだよ。彼らがいなければ『花籠』は「花籠竜一」は今存在していない。だから、俺はあの二人を失う訳にはいかない」
龍一は、それまであったもともとのツテで仕事を請け負い、報酬を要求し、仕事を直接こなした相手に支払うというシステムを作り上げたのだ。そして、それ以外の謂わば一般の人間からの細かな依頼も請け負うために‘店’を置いた。その過程で龍一の周りに集まった人間は、彼が何よりも欲しかったもの、たった一つ彼が持ち得なかったものをくれたのだろう。
父の代から彼についてきた松守、彼が日本を3拠点にした3つの店を配置し、影から龍一を見守り続けてきたのだ。
「俺についてきたばっかりに、松守は裏切り者として死ぬしかなくなったんだ。あいつが生きている間は、俺は進んでみせる。守人として仕えた俺が、どんな風に生きて死んでいくのかを見届けたいだろう。花篭の末裔の最期を」
「最期じゃないよ」
龍一もまた、何度か聞いた羽鳥の告白を黙って背中に聞く。
「あたしがいるじゃない。あたしが龍一の子どもを生むよ。もう少し待ってよ」
「バカを言うな」
「バカだもん!」
「お前の才能を、能力を、若さを、俺のために浪費するんじゃないよ」
「龍一のバカっ!!!」
しがみつく小さな身体を、その熱さを背中に感じながら、龍一は暗い空を仰いで目を閉じた。やがて、羽鳥は小さく息をついて、言った。
「あたし、…弥生ちゃんのとこに行く」
「ああ。…そうしてくれ」
龍一と羽鳥は目で頷きあった。
何があっても、彼女だけは守る。
コスモスは結局戻れず、帰ってくる予定だったメンバーはすべて‘竹’と共に一夜を過ごすことになったようだ。大抵のメンバーは、彼の管轄でない者を含めて、彼を知っている。直接顔を見たことはなくても、何らかの仕事で関わっていることが多かった。
本来、真っ先に彼の元へ駆けつけたいのは龍一だろう。しかし、彼が動くことを待っている敵のために姿を現す訳にはいかない。龍一を守るために戦った各店主の努力を無にする訳にはいかない。
そばにいてやった方が良いのか、羽鳥には判断がつかなかった。しかし、一人にしてやろうと彼女は決めた。
何より、他組織から預かっている弥生を、必ず守らなければならない。自らの命と引き換えても。
「一緒に寝て良い?」
枕を持ってやってきた羽鳥を見て、弥生は笑みを見せた。
データの内容はよく分からなくても、尋常ではない量を処理した弥生も、何かが起こっているのではないか? と予想はついていたかも知れない。それでも、弥生は敢えて何も聞かなかった。
劉瀞が狙撃され、庸が撃たれて、現在、彼が生死の境を彷徨っていることも、庄司がそのために劉瀞の命を受けて『花籠』の中で動いていることも、弥生はまだ知らなかった。
「ここって、周り、とても静かね」
並んでベッドに横たわると、ふと弥生は言った。
「うん、夏になると虫がいっぱい入ってきて大変だよ?」
「えええ、虫がいるの?」
うん、と羽鳥は不思議そうに彼女の方を見た。
「あれ? だって、弥生ちゃんがいた施設ってすんごい自然の中じゃなかった?」
「そうなの。だから、大変だった…」
半ば本気で顔をしかめた弥生に、羽鳥はくすくす笑い出した。
「虫が出たら、どうしてたの?」
「ううん、施設では大抵大丈夫なの。いつも、傍にいる誰かが捕まえて追い払ってくれるから。それよりも、今住んでるところって一人だから、本当に困る」
「じゃあ、虫が出たらここではあたしが退治してあげる」
羽鳥は笑った。
「ありがとう」
こっちが年上なんだけどな、と苦笑しながら弥生はあったかい気持ちになった。一歩外へ出ればいろんな悲しいことが起こっている。何か、得体の知れない恐怖はまだ続いている。
だけど。
ここはあったかい。少なくとも、この部屋の中、このベッドの中。彼女の隣は温かい。
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儘 (『花籠』外伝)

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