【 光と闇の巣窟(R-18)】▼
2011.08.19 *Edit
<※:R-18>
その屋敷で家庭教師を探しているという噂は聞いていた。
お世辞にも人格者だったとは言えない屑が数年前に死に、その病弱な一人娘の専属の家庭教師だそうだ。
俺は、その男を殺してやりたいくらい憎んでいたし、それは周知の事実でもある。また、その男に好意を持っている人間なんておそらく皆無だろうと思われる中、俺を憐れみこそすれ、その憎しみを理不尽だと罵る人間もいなかった。
そんな中、その、当の高篠家から俺に家庭教師の依頼が舞い込んできた。
初めは間違いだと思った。
何故、殺してもあきたらない男の娘の教育など俺が出来ると思うのか?
確かに俺は教員免許を持っていて、塾の講師もしている。頼まれれば週に一度くらいの頻度で家庭教師の仕事も受けてはいる。
しかし、その家に悪感情を抱いている俺に娘を任せたりしたらどんなことになるのか、誰が考えたって分かりそうなものだ。
あまりのバカバカしさに一旦は断った。
しかし、今度は、死んだ男の後妻、つまり次期当主である娘の、後見人たる継母、高篠夫人から正式な依頼が来たのだ。
冬に入ったばかりの、雪のちらつく頃だった。
「いったい、何を考えてらっしゃるのですか?」
呼ばれて屋敷を訪れた俺は、ため息混じりに彼女に言った。あまりに正式な書状を受け取り、しかも、返答は書状ではなく直に、と念を押されていたので、仕方なく足を運んだのだ。
「俺が誰か、あなたはご存知では?」
「ええ。よく存じております。」
まだ若い彼女は、冷笑を浮かべたまま答えた。彼女は綺麗に整った顔立ちの美しい女性だ。しかし、顔のつくりではなく、その瞳の奥に宿るものに、俺は不快感をおぼえる。
その日、通されたその部屋は、一階の書斎のような造りで、今は管理の一切を引き受けることになったのであろう未亡人が、屋敷の細かなことや会社経営に関する報告を受けたりだとか、そういう事務的なことに使用する空間らしかった。
正面に大きな木製の机があり、周囲は書棚。机の背後に収納の扉が見え、金庫でもあるのだろうか?と思われる。
「亡き夫が一家心中に追い込んだ如月夫妻のたった一人生き残った息子さん、ですね。」
「そうですよ。」
「私も同じです。」
「・・・は?」
だったら、あなたは何を考えて・・・、と言おうと息を吸い込んだ途端、俺は思わずぽかんと彼女の顔を見つめてしまった。
「私は、この家に嫁ぐ前に、心から愛した人がおりました。しかし、私を欲しがった夫が、二人の仲を裂こうと、私の愛する人の職場を潰し、彼を雇ったら同じように潰してやる、と町の企業を脅し、どこも雇ってくれないことを知った彼は、絶望して自ら命を絶ちました。私がこの家に嫁いだときにはすでにその人の子を、息子を身ごもっておりました。」
彼女は淡々と話す。
「夫の子どもを産んだ、私の前の奥様も似たような境遇だったようです。その方は、娘を一人産んだあと、身体を壊し、寝たきりになり、娘が1歳の誕生日を迎えたあと、数ヶ月で亡くなったそうです。私が息子を身ごもったままこの家に来たときは、その子はまだ3歳でした。」
「・・・それと、俺を雇うことと何の関係が?」
「あの男の血を受け継いだ子どもを、あなたも、私も、そして誰もが許せないでしょう。」
「・・・俺に、その子を殺せ、と?」
「いいえ。」
まったく表情を変えずに、彼女は言った。
「生かしておいてください。それだけです。この屋敷から生涯一歩も出さずに。生きてされいれば、あなたの好きにしていただいて構いません。報酬はお望みのままにお支払いいたします。」
「何故、俺ですか?」
「あなたが、不幸になりたがっているからです。」
初めて彼女は表情を緩めた。
「幸せを求めて生きていらっしゃる方にお願いすることではありませんので。」
俺は、大きく息をついた。
「お嬢さんは今、おいくつなんですか?」
「15歳です。」
「・・・考えさせていただけますか。」
‘不幸になりたがっている’
彼女のその言葉は、妙に的を得ていて、俺は不愉快だった。
俺は、・・・確かに死にたがっているのかも知れない。いや、毎日、毎秒、常に‘死’への誘惑を振り切りながら辛うじて生きているのだ。生きたくても生き続けられなかった家族の命を背負ったまま。
それは、ジワジワと真綿で首を絞められるような思い苦しみだ。いっそ、一思いに殺して欲しいと願ってしまいそうになる、切ない時間だ。
後を追わなかったのは、復讐という目的があったからだ。
しかし・・・、やつは死んだ。病に倒れて。
誰も手をくだせなかった、というより、沢山の呪いと恨みに寄って‘死’への制裁がくだされたのだ、と思うことにした。そうでもしなければ壊れてしまいそうだったのだ。
死に物狂いで‘生’を選んだ俺に、「生かしておいてくれれば好きにして構わない。」その言い草が気に入らなかった。
その屋敷で家庭教師を探しているという噂は聞いていた。
お世辞にも人格者だったとは言えない屑が数年前に死に、その病弱な一人娘の専属の家庭教師だそうだ。
俺は、その男を殺してやりたいくらい憎んでいたし、それは周知の事実でもある。また、その男に好意を持っている人間なんておそらく皆無だろうと思われる中、俺を憐れみこそすれ、その憎しみを理不尽だと罵る人間もいなかった。
そんな中、その、当の高篠家から俺に家庭教師の依頼が舞い込んできた。
初めは間違いだと思った。
何故、殺してもあきたらない男の娘の教育など俺が出来ると思うのか?
確かに俺は教員免許を持っていて、塾の講師もしている。頼まれれば週に一度くらいの頻度で家庭教師の仕事も受けてはいる。
しかし、その家に悪感情を抱いている俺に娘を任せたりしたらどんなことになるのか、誰が考えたって分かりそうなものだ。
あまりのバカバカしさに一旦は断った。
しかし、今度は、死んだ男の後妻、つまり次期当主である娘の、後見人たる継母、高篠夫人から正式な依頼が来たのだ。
冬に入ったばかりの、雪のちらつく頃だった。
「いったい、何を考えてらっしゃるのですか?」
呼ばれて屋敷を訪れた俺は、ため息混じりに彼女に言った。あまりに正式な書状を受け取り、しかも、返答は書状ではなく直に、と念を押されていたので、仕方なく足を運んだのだ。
「俺が誰か、あなたはご存知では?」
「ええ。よく存じております。」
まだ若い彼女は、冷笑を浮かべたまま答えた。彼女は綺麗に整った顔立ちの美しい女性だ。しかし、顔のつくりではなく、その瞳の奥に宿るものに、俺は不快感をおぼえる。
その日、通されたその部屋は、一階の書斎のような造りで、今は管理の一切を引き受けることになったのであろう未亡人が、屋敷の細かなことや会社経営に関する報告を受けたりだとか、そういう事務的なことに使用する空間らしかった。
正面に大きな木製の机があり、周囲は書棚。机の背後に収納の扉が見え、金庫でもあるのだろうか?と思われる。
「亡き夫が一家心中に追い込んだ如月夫妻のたった一人生き残った息子さん、ですね。」
「そうですよ。」
「私も同じです。」
「・・・は?」
だったら、あなたは何を考えて・・・、と言おうと息を吸い込んだ途端、俺は思わずぽかんと彼女の顔を見つめてしまった。
「私は、この家に嫁ぐ前に、心から愛した人がおりました。しかし、私を欲しがった夫が、二人の仲を裂こうと、私の愛する人の職場を潰し、彼を雇ったら同じように潰してやる、と町の企業を脅し、どこも雇ってくれないことを知った彼は、絶望して自ら命を絶ちました。私がこの家に嫁いだときにはすでにその人の子を、息子を身ごもっておりました。」
彼女は淡々と話す。
「夫の子どもを産んだ、私の前の奥様も似たような境遇だったようです。その方は、娘を一人産んだあと、身体を壊し、寝たきりになり、娘が1歳の誕生日を迎えたあと、数ヶ月で亡くなったそうです。私が息子を身ごもったままこの家に来たときは、その子はまだ3歳でした。」
「・・・それと、俺を雇うことと何の関係が?」
「あの男の血を受け継いだ子どもを、あなたも、私も、そして誰もが許せないでしょう。」
「・・・俺に、その子を殺せ、と?」
「いいえ。」
まったく表情を変えずに、彼女は言った。
「生かしておいてください。それだけです。この屋敷から生涯一歩も出さずに。生きてされいれば、あなたの好きにしていただいて構いません。報酬はお望みのままにお支払いいたします。」
「何故、俺ですか?」
「あなたが、不幸になりたがっているからです。」
初めて彼女は表情を緩めた。
「幸せを求めて生きていらっしゃる方にお願いすることではありませんので。」
俺は、大きく息をついた。
「お嬢さんは今、おいくつなんですか?」
「15歳です。」
「・・・考えさせていただけますか。」
‘不幸になりたがっている’
彼女のその言葉は、妙に的を得ていて、俺は不愉快だった。
俺は、・・・確かに死にたがっているのかも知れない。いや、毎日、毎秒、常に‘死’への誘惑を振り切りながら辛うじて生きているのだ。生きたくても生き続けられなかった家族の命を背負ったまま。
それは、ジワジワと真綿で首を絞められるような思い苦しみだ。いっそ、一思いに殺して欲しいと願ってしまいそうになる、切ない時間だ。
後を追わなかったのは、復讐という目的があったからだ。
しかし・・・、やつは死んだ。病に倒れて。
誰も手をくだせなかった、というより、沢山の呪いと恨みに寄って‘死’への制裁がくだされたのだ、と思うことにした。そうでもしなければ壊れてしまいそうだったのだ。
死に物狂いで‘生’を選んだ俺に、「生かしておいてくれれば好きにして構わない。」その言い草が気に入らなかった。
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