花籠 4

スポンサーサイト 

スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
*Edit TB(-) | CO(-)  ▲PageTop

花籠 4 (検索) 1 

花籠 4

花籠 外伝「黒椿」から続きます。
遂に始まってしまいました。

水面下で蠢く謎の組織との対決。
傷つくひとも、失う人もいて、謎の人物もすんげー増えます。

果たして何人の方が最後までついてきてくださるのか、甚だ疑問のまま…突き進みます!






 検索キーワード。
‘HANAMAGO’変換「花籠」‘IRAI’変換「依頼」‘SIGOTO’変換「仕事」。

 検索。
 瞬間、画面が一気に真っ暗になって訳の分からない記号や数字の羅列が画面いっぱいに広がり、超高速で何かを計算し始めたようだ。

「しまった!」

 抜けようにも、もうどんな操作も無効だった。それでもむやみに焦ったり慌てたりせずに、彼は思いつく限りのキーボード操作を繰り返し、強制的に電源を落とした。

「マズイな…振り切れたかな…」

 しばらく真っ暗になったパソコン画面を茫然と眺め、彼はため息をついた。

「IDの変更とアカウントの削除と…いや、このパソコンはもう使えない。新しいのを買おう。」

 低く呟き、彼はゆっくりと立ち上がり、その部屋を後にした。


スポンサーサイト
ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
Tag List  * |
*Edit TB(0) | CO(6) ▲PageTop

花籠 4 (ハトリ) 2 

花籠 4

 変ね、と羽鳥(はとり)は呟いた。

 その名の通り、小鳥のように所在なさ気な小さな背中だ。オリーブ色のコットンシャツに綿のパンツ。緩くウェーブのかかった栗色の髪が背中全体を覆っている。

 その髪の隙間から真っ白が羽が覗いていてもまったく違和感はない。

「ねぇ、龍ちゃん、何か悪さした?」
「…なんだって?」
「誰かに覗き見されてるよ?」
「何っ?」
「相手を辿ってあげようか?」
「頼む。」

 それまで、ソファで仮眠を取っていた龍一はガバッと身体を起こして羽鳥と、その前のパソコンを凝視する。
 明るい部屋の中に、静かなクラシック音楽が流れ、広いその部屋の大きな窓を背にして書斎机が置かれ、揺れるレースのカーテンは太陽の光を透かして緑と青のコントラストを柔らかく映し出していた。

 壁は一面、専門書が並ぶ書棚になっている。そして、部屋の中央には応接用のソファが並び、ガラスのテーブルの上には片付けられていない食事の後の皿がそのまま乗っている。

 書斎机には羽鳥が、真っ黒な革張りの3人掛けソファには半分寝ぼけた表情で花篭龍一が座っていた。

「龍ちゃん、あんまりあちこちに首を突っ込みすぎなんだって。」

 マウスで器用に画面をあやつり、ボードを叩きながら、羽鳥は難しい表情でちらりとソファの彼に視線を走らせる。

「それにさぁ、いったいいつ、助手を雇ってくれるのさ? 可愛い女の子を雇ってくれるっていうからこの労働基準法違反の過酷な労働に耐えてるんだよ? 早く弥生ちゃんと話つけてくんない?」
「話しをつけなきゃならん相手が、彼女本人の前に何重にもいるんだよ、あそこは。」
「この間、ローズ達が交渉してくれたんじゃないの?」
「…あれは、成果を期待する類の会合じゃないよ。単なるパフォーマンスだ。『花籠』の組織の構造をなんとなく劉瀞に伝えただけだよ。まぁ、どの程度どう伝わったのかは分からないがね」

 ふふ、とどこかいたずらっ子のような笑みを浮かべる龍一に、はああぁ、と大仰なため息をついて、羽鳥の手が留まる。

「それじゃ、何も意味ないじゃん。龍ちゃんが人使い荒いって噂でも飛び交ってるんじゃないのぉ? まったく迷惑な話だわ。」

ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(7) ▲PageTop

花籠 4 (襲撃) 3 

花籠 4

 初夏、いや梅雨の合い間のさわさわと晴れた夕刻のことだった。

 牡丹は、背後からイヤな視線を感じてふと歩みを緩めた。

 鋭い視線、刺すような視線とは違う。こうねっとりと絡みつくような視線、というのだろうか。いずれ、不快感極まりない類のものである。一瞬、どうしようか? と考えた。相手を確認しようか、逃げ出そうか、それとも…。

 しかし、牡丹は考えあぐねて、立ち止まることをせずにそのまま歩き続ける。背後の人物は同じ速度でぴったりと後ろをついてきているようだ。

 牡丹は気付かない振りを装い、いざとなったら駆け出そうと、そのまま歩を進めながら肩に掛けたバッグに意識を移す。細い肩紐が伸びた男性用には少し小さめの皮のカバン。

 付けられる心当たりはない。そして、バレている筈はない、と心で呟く。彼の仕事を誰も知る筈はなかった。
 自宅に向かっていた牡丹は、次第に細い路地に入っていく。街灯も減り、薄闇が辺りを包む。
 背後の人物はまだぴったりと彼の後ろをついてくる。
 そろそろマズイかも…と感じたときには遅かった。

 背後の人間は人影が途絶えた途端、いきなり彼に襲い掛かってきた。ばっと振り向いた牡丹の肩をかすめてナイフが光り、彼はすんでのところで飛びのいた。しかし、その男はよろめいた牡丹が体勢を整える前に再度切りつけてきた。刃先が彼の頭を更にかすめ、髪の毛が数本はらりと落ちた。

 相手は見たことも会ったこともない妙に暗い目をした若い男だった。肥満型の体型の割りに動きが俊敏で、三度目の攻撃に、牡丹は肩を切りつけられた。咄嗟に彼はバッグを抱えてそれを守り、脇に隙が出来たのだ。
 腕に痛みが走り、鮮血が飛び散ったことを目の端に捕える。

 くそっ、と牡丹は思う。しかし、彼は反撃をしようとはしなかった。

 相手は執拗にナイフで迫ってくる。牡丹は道路の路肩脇へ転がるように逃げ込む。しかし、そこは家の壁に阻まれて行き止まりだった。振り向きざまに立ち上がろうとした彼に、男がナイフを突き立ててきた。避ける間もなく、それは深々と彼の腹部にめり込んだ。

 何よりも驚いて、牡丹は声をあげるどころではなかった。彼はただ、抱えていたカバンの中身を気遣っていた。

 ずるずると崩れ落ちて、動かなくなった牡丹を見下ろしたその男。興奮した荒い呼吸をしながら血走った目で獲物を見つめ、腹部につきたてたナイフを引き抜いた。そして、奇妙な笑みを浮かべて走り去っていく。たった今の殺戮の興奮に高揚しながら。

 その後、通行人に発見され、牡丹は一命を取り留める。
 命に別状はなかったが、かなりの重症であった。

ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(4) ▲PageTop

花籠 4 (襲撃) 4 

花籠 4

 都内一等地の高層ビル。その最上階のオフィス。そして、周囲を一望できるプライベート・ルームに、ミルク色の髪、碧眼の白人が外の風景を見下ろして立っていた。年齢は50代半ば程度。だが、実際はもっと上かも知れない。淡い外見的特徴とは裏腹に、彼の瞳は暗く淀んだ光を宿し、鍛え上げられた肉体と精悍で整った顔立ちをしている。眉が太く、唇が薄い。

「見渡す限り、建物ばかり。自然のない都会ってのは地球上珍しいね。」

 ロシア語で皮肉を述べるその男は、背後に立つ数人の日本人にちらりと視線を走らせて葉巻を一本取り出して火をつけた。

「どれだけ内側から浸食されても、取り返しがつかなくなるまで気付かない。危機管理能力がないのにも程がありますね。そう思われませんか?」

 部屋の扉の前に数名の部下が立ち、応接用のソファには数人の日本人が座っている。一人はこのビルのオーナー、一人はその息子であり会社役員の中年男性。更にもう一人は息子の従弟、つまり彼の甥である。この中でロシア語が分かるのはその甥だけで、あとの二人はミルク色の髪の北欧人の言葉に、お互いに顔を見合わせるだけだ。

 ビルのオーナーは白髪の老人で一代で会社をここまで大きくした成り上がり。そして2代目の息子もその経営を引き継ぐやり手、つまり金の為なら何でもするような非道を歩む人間である。二人ともどこかぎらついたものを持った脂ぎった顔をしている。スーツから肉がはみ出し、窮屈そうである。

 彼らは不知火グループの幹部役員であり、地下で各国のテロリスト集団に資金援助をし、麻薬取り引きや密売に手を染める関東屈指の暴力団との繋がりを噂されてもいる。今回、旧ソビエト連邦の秘密結社と結託し、密貿易のルートの斡旋の約束を取り付け、それと引き替えに人身売買の組織をアジアに引き入れる手伝いをしようとしていた。

「その方がご都合がよろしいのでは? アリョーシャ?」

 相手が日本語を操れることを知っている唯一の部外者、甥の白崎喬(しらさきたかし)は、敢えてロシア語を使わずに暗殺要員であるアレクセイに、静かな視線を向ける。彼らは‘アリョーシャ’と呼ばれる旧ソビエト連邦の暗殺者の名前を知らない。彼は今までほとんどこうやって依頼者に素顔をさらしたことなどなかったということも。白崎が彼をそう呼んだのは、「アリョーシャ」がアレクセイの愛称だと知っていたことと、彼が初対面でふとそう名乗ったからだ。恐らく、名乗ることで相手の反応を見たのだろう。そして、まったく知られていないことに安堵したのと同時に、どこか優位性を感じたのだろう。

 白崎は、グループの子会社の社長だったが、彼の会社はほとんどグループとは関わりのない経営をしており、大きな利益は望めなくても、まっとうな商売をしていた。本社の人間と関わりたくなかった彼だったが、今回、ロシア語の通訳として呼ばれていたのだ。

 比較的、彼は贅肉が少なく、スーツ姿も様になっている方だ。それでも、血筋が分かる程度に顔は従兄に似ている。

 名前を呼ばれた暗殺者、アレクセイは、僅かだが不快そうに眉をひそめた。不用意にその名を口に出されることに、僅かながら警戒を感じていた。しかし、そんなことはおくびにも出さずに、すました顔で相手を見据える。

「‘彼’の所在はつかめましたか?」
「それは、私の管轄ではありませんので。」

 白崎はどこか責めるような相手の視線をさらりと交わして答える。

「追ってはおりますよ。しかし、その存在すら定かではないんです。」

 オーナーの息子である、不知火兵吾(しらぬいひょうご)が重々しく答える。アレクセイの日本語能力はそれほど高くない。早口で話すと途端に彼は不快の意思表示をする。しかし、祖国以外を訪問する場合、相手の国の言葉で話し合いをすべきと考えている兵吾は、ロシア語を勉強するつもりはまったくない。

 アレクセイの部下が、携帯電話で何かの連絡を受けたようだ。その様子に気付いて視線を向けたボスにゆっくりと歩み寄り、部下は何事かを彼に耳打ちする。

 アレクセイは頷いて奇妙な笑みを浮かべた。そして、やがて厳しい表情を作って不知火親子に向き直る。

「情報こそすべてです。今のままでは動きようがありませんね。」

 ゆっくりと日本語を話しながらも、しかし、アレクセイは何かを喜んでいた。彼が命じていた計画が執行されて、それがうまくいったのだろう。

 そう、既に、戦いの火蓋は切って落とされている。それまで受けた屈辱に、彼のプライドはもう限界まで軋みの音をあげていた。

 平和ボケした日本での暗殺など本気を出すまでもない、と見くびっていた彼の配下はすでに何度も敗北していた。ある一つの組織に寄って。それを束ねるある一人の人物に寄って。お陰で、彼自身が今回直接赴くことになったのだ。

「早急に、求める情報を仕入れてください。」

 アレクセイは唇の箸をあげただけの笑顔で三人を見つめた。

ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(10) ▲PageTop

花籠 4 (襲撃) 5 

花籠 4

「牡丹が襲われたんですって?」

 緊急の召集を受けて三人が集まる。まだ日の上ったばかりの早い時間帯で、いつものその家は東側の窓から光が入るだけの妙に薄明るい空間となっていた。既にソファに座っていたジャスミンと、どこか落ち着かない様子で窓際に立つアカシアを、最後にやってきたアイリスは扉を開けた途端、蒼白な表情で凝視する。

「ああ。…昨夜遅く、花篭から連絡が入った。」
「どういうことなのっ?」
「通り魔らしい。」

 アカシアの声は低くかすれ、沈痛だった。

「牡丹が、どうして簡単にやられちゃったのかなぁ?」

 ジャスミンの言葉に、アイリスは声を震わせた。

「あの子は、貴方とは違うのよ、ジャス。牡丹は攻撃用の訓練は受けてない。あの子の特異な能力で戦うだけ。身体的には一般人と変わらないのよ。」
「…それ、問題だよね。」

 ジャスミンの言葉にアカシアは呻いた。まさにそれ。身体的攻撃能力を持っているのは二人の男だけ。アイリスも武器は毒物。あとは逃げの一手である。それでも彼女は場数を踏んでいるので逃げの技も磨かれているし、その身軽さも手伝って、更にジャスミンが彼女の後方支援に当たることが多いので仕事での危険はそれほどない。そして、牡丹も最前線に出ることはほとんどない。ただ、指示を送る相手のある程度そばにいないといけないのでターゲットには近づくが、それが牡丹の仕業だなどとは誰も思わない。彼は巻き込まれた被害者の素振りで現場から逃げ出すことが可能なのだ。そして、仕事の現場ではアカシアが恐らく自身の命に変えても彼のことは守るであろう。

 だが、仕事以外の場では。
 牡丹はか弱い一般市民に過ぎないのだ。そして、彼らは、仕事として依頼を受けたターゲット以外に、仕事の武器の使用は許されない。つまり、ジャスミンはナイフを、アイリスは毒物を、牡丹は蛇を使ってはいけない。しかも、牡丹の武器は生き物だ。武器というよりは彼にとっては‘相棒’のようなものだ。彼はそのとき、自らの命より、カバンの中に抱えた蛇を守ろうとして刺されてしまったのだ。

「登録に当たっては、ある程度の訓練を義務付けないと…」

 ジャスミンは、彼の父親であり師匠である‘椿’の言葉を今さら正しかったのだと思う。椿は常々、登録メンバーが自らに降りかかる危険を避ける術を学ぶための最低限の訓練を受けさせるべきだと言っていた。ただ、メンバーの能力があまりにバラエティに富むため、単純に特技を生かすだけのようなメンバーにはその必要性を見出せず、花篭はメンバー全員に通達を出すに至ってはいなかった。

「仕事内容に関わらず、『花籠』に登録するメリットとして、自己防衛の訓練を受けられるっていう特典を用意しても良いかも知れないな…」
「うん、それ…やった方が良いよ。アイちゃんも。」
「そんなことよりっ、牡丹の容態はどうなの?」

 ソファに腰を下ろして両手を顔の前に組み、微かに震えていたアイリスは、二人の会話に苛立ったような声をあげた。アイリスの取り乱した様子に二人は驚きの視線を向け、その空気にアイリス自身もはっとして自嘲気味に苦笑した。

「ああ、…ごめんなさい。なんだか、思い出してしまって…」
「大丈夫だ、手術も無事済んで夕方には一般病棟に移るらしい。面会も出来るそうだが…まぁ、俺らが見舞いに行く訳にはいかないよ。」

 ほっとしたと同時にどこか複雑な表情を浮かべ、アイリスは唇を噛み締めたように見えた。

「ごめんなさい。違うのよ。…今までそんな風に思ったことはなかったのに、昔、亡くした人が同じ年頃で。突然、重なってしまっただけ。あの子は牡丹なのに。」
「…いや。俺たちはそれぞれいろんな過去を背負っているんだ。お前が牡丹に誰かを重ねたっておかしいことじゃねぇよ…」
ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(8) ▲PageTop

花籠 4 (襲撃) 6 

花籠 4

 しばらくうなだれている様子だった彼女は、不意に顔をあげ、すっと立ち上がった。ふわりとスカートの裾が揺れ、朝日を浴びた彼女の姿が白い彫像のようにその場で光を照り返す。

「ありがとう、アカシア。…連絡事項は分かったわ。私は今日はもう帰って良いわよね?」
「…お前も気をつけろ、アイ。相手がまだ不明だ。恐らく仕事とは関係ないと思うが、気をつけるに越したことはない。」

 扉に向かったアイリスは、小さく振り返って頷いた。

「私は大丈夫よ。それより、牡丹の容態もだけど、花篭から詳細の連絡が入ったらいつでも良いから教えて。」
「ああ。」

 アイリスを見送って、男二人には重い空気だけが残された。

「花篭が訓練を推奨しないのは、特技が特殊に片寄っているメンバーが、出来るだけ普通の生活を望んでいるからでもあるんだ。」

 アカシアはジャスミンにというよりは、独り言のように口を開く。それは、説明されなくてもジャスミンにも分かっていた。だから、彼はただ、うん、と相槌をうつ。

「だが…俺らのような仕事を請け負うメンバーは、今後、必須だな。今回は単なる通り魔かもしれない。しかし、仕事絡みで恨みを買う確率がぐんと高くなる。身を守る術は必要だ。」

 特にあの子は、とアカシアは思った。牡丹は我が身を守るよりも、‘蛇’を守ろうとして死ぬところだったのだ。その優しさが、今後、仕事に影響しないとは限らない。

「まぁ、アイリスは特に攻撃技は必要ないだろう。あいつの身体には至るところに毒針が仕込める。不用意にあいつに触れようものなら、下手な自殺を図るより致死率が高い。それに、いざってときの逃げっぷりは見事だ。」
「でも、基本の訓練だけでも受けた方が良いよ。せっかく親父も日本にいるんだしさぁ。」

 何気なくジャスミンは言い、ああ、と頷いたアカシアは、一瞬の間を置いて、彼の言葉に「え?」と硬直する。

「ななな、なにっ?? ‘黒椿’が日本にっ???」
「うん。」

 と、ジャスミンはにこりとリーダーを見上げる。

「いつから?」
「ええとぉ…」

 ジャスミンは眉をひそめる。

「桜が散る頃…? ああ、そうだ、李緒ちゃんのところから帰った朝だから、ほら、スミレが李緒ちゃんを連れてきたことがあったじゃん? その辺り。」
「えええっ? そんな前からずっとぉ?」

 ジャスミンは、うん、とにこにこと彼を見つめて微笑んだ。

 帰宅後、椿はほとんど家から出なかったし、恐らく所在を知っているのは花篭とスムリティ本部の幹部の数名のみであろう。一時期、目撃情報が出回ってしまった彼は、日本で仕事を請け負うことを休止し、花篭の旧友であり現在スムリティ幹部の悠馬の誘いで海外へその本拠地を移していた。現在は花篭と悠馬が立ち上げた訓練施設で、教官と、幹部の護衛をしている。

 今回、‘黒椿’は休暇を取って帰郷中で、自宅でのんびりしているのである。

 それ自体は珍しいことではない。もともと一年に一度くらいは彼も帰宅していた。それが今回は3月に帰ってきて以来、すでに2ヶ月が経過しているのである。

「何か…あったのか? いや、何かあるのか?」
「さあ?」

 ジャスミンは肩を竦める。

「もしかして、花篭が呼んだのかもね。」
「何も聞いてないのか?」
「話すような人じゃないよ、知ってるでしょ? 単に休暇なのかも知れないしね。」
「…なんだか、イヤな感じがするな…」

 アカシアは呟くように言った。

「このタイミング、か?」
「たまたまかもよぉ?」
「…なら、良いけどな。」

ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(6) ▲PageTop

花籠 4 (襲撃) 7 

花籠 4

 杞憂に終わるかと思ったアカシアの心配は、二人が分かれてすぐ、現実のものとなって店から伝わった。

『花籠』の連絡中継地であり、仕事用の物資調達の店、‘松’‘竹’‘梅’のそれぞれの店主は、花篭龍一からの緊急の通達を受け、それぞれ連絡の取れるメンバーへ警告を発した。

「牡丹が襲われた同時刻に、何人かのメンバーの行方が分からなくなった。行方不明者の捜索と、保護。まずそれを最優先で頼む。そして、各メンバーに護衛の配備と出来るだけ一人きりでの外出を避けるよう通達を出してくれ。詳細な割り振りは各店主に一任する。」

 花篭の声は落ち着いてはいたが、静かな炎の揺らぎを感じさせた。彼は滅多に声を荒げたり取り乱したりはしない。自身への攻撃も恐らくそれほど動じないだろう。しかし、抱えているメンバーに対する卑劣な攻撃に彼が心底怒っているのが伝わった。こういうところは劉瀞と似ているのかも知れない。

「劉瀞が逃がした子ども達は、どうも人買い集団の更に先があったらしい。」
「そんなことだろうと思ってましたよ。」

 と‘松’の店主。彼はもう百歳近いのではないかという白髪の老人だ。深い皺が顔中に刻まれ、白い口ひげを生やしている。見た目は仙人のようで、年の割には瞳も肌も生き生きとしている。動きは静かでゆっくりだが、いざと言うときの俊敏さは若者に引けを取らなかった。もっとも、それを知っているのは龍一くらいかも知れないが。

 出身も本当の年齢も、本名もすべてが不明だ。そして、‘松’の店主が龍一に進言してこの店のシステムが出来上がっていたのだ。彼も『花籠』創設時のメンバー、そして、花篭龍一の父親を知る数少ない生き残りでもあった。

「私が調べたところと羽鳥の見立ては一致したようですな。」

 花篭は、ああ、とパソコンの前にかじりついたままの羽鳥の小さな姿に視線を移す。長い栗色の髪をきっちりと後ろで結わえ、一心不乱に画面と対話している、ように見える。こいつにかかってはどんな巧妙なハッカーもどこまでも追われ、追いつめられて正体を晒してしまうであろう。海外のサーバーを通す、というよくある手を今回も使われていたが、そのサーバー自体が羽鳥の領域でもある。まさに飛ぶ鳥のようにこいつの前には国境など存在しない。

「こちらで管轄するメンバーは任せてください。ダブっている何人かはこれから話を通します。花篭、貴方は以後、我々に一切連絡を取らないでください。狙いは貴方ですから。」

 かつて北朝鮮が行ったようなスパイ活動の一環として、特定地域の子ども達を拉致し、スパイとして教育し、或いはテロリストとして育て上げる。それをしようと目論んだ地下組織があったのだ。

 旧ソビエト連邦の負の遺産。そして、彼らは世界中のテロ集団とつながっている。ヨーロッパに散らばるナチスの残党、日本赤軍、アジアのマフィア。むしろ、秩序のない集団と相性が良かったのだ。

 その水面下の組織からの依頼でアジアのテロリストとも言えない一派が、報酬金目当てに日本、中国、韓国それからオーストラリアやニュージーランドで子どもの誘拐を行った。それとは知らずに、スムリティ日本支部の劉瀞が、捕まっていた子ども達の情報を仕入れてその子ども達を発見し、逃がしたことが二度あった。二度目でこちらの正体がバレ、報復が始まった。

 その他の国際的な犯罪に関しては情報を入手したところでほとんど手は出さないが、子どもが絡む案件に関してだけは彼らは全精力を傾ける。中には臓器売買目的や、富裕層の子どもが出来ない親へ高値で赤ん坊を売りつけるための商品もあったようだが、犯罪の種類にこだわりはない。

 信頼を失って大金を得る手段をフイにされ、怒った彼らの怒りの矛先は劉瀞と、その本部組織と関わりの深い花籠に向かったらしい。初め、劉瀞暗殺の動きだけが目立って『花籠』への攻撃が隠れていたのだが、今まで動かなかった地下の大物が日本に渡ったとの情報が入り、椿が急遽呼び戻された。名目上は休暇願いということで。

 それでも、奇妙に静かな時間が流れ、椿も息を潜めていた。

 狙いは当初‘花篭龍一’と思われていた。
 しかし。
 思わぬ方向へ事態は動いた。狙われたのは、組織の中でも攻撃能力を持たない一般メンバー達だったのだ。

 『花籠』は、ローズや椿、アカシアなどのような『花籠』の仕事を生業とする専属メンバーと、能力の登録はしていても、それを本業とはせずに、普通に仕事を持ち、ごく普通の日常生活を送りながら、その能力が必要な依頼が入ったときだけ仕事をする一般メンバーとがある。メンバーのほとんどが、実は一般登録である。

 椿を呼び寄せてはいたが、龍一は彼に守ってもらおうと思ったのではない。自身に何か起こったときのために、組織を束ねる役を彼に委ねるつもりだったのだ。死ぬつもりはなかったにしても、相応の覚悟はしていたのだろう。劉瀞から依頼を受けて、美咲を助けたときに、いずれ全面戦争に突入するであろう予想は立てていた。攻撃の大半は『花籠』のプロが動いていることは先方にも筒抜けであっただろうし、いずれ、相手を壊滅、或いは組織として機能しない程度に追い込むつもりはあったのだ。

 依頼報酬の発生しない仕事であっても、龍一は自らの正義で動く男である。今回、この戦争に勝たなければ『花籠』にも『スムリティ』にもまっとうな未来はない。それどころか、アジアの治安が侵される。

 送り込まれた暗殺要員は大分片付けたとはいえ、劉瀞殺害も恐らく諦めていまい。彼には引き続き護衛が必要である。そして、龍一本人ではなく一般のメンバーを狙った卑劣さと、どこから漏れたのか、その情報力に龍一は歯噛みする。メンバー情報は漏洩を怖れて、彼はコードネームと技能の種別、仕事の日付と報酬の支払い記録だけしかパソコンに落としていなかった。しかし、それをハッキングされていたと羽鳥に聞かされたのだ。

 メンバー一人ひとりに関する詳細は当然すべて調査済みではあったが、それは機密扱いで彼しか知らないファイルに保管されている。そこから漏れる筈はなかった。

 恐らく、今までの‘仕事’を詳細に追って、現場にあったカメラや目撃情報やテレビ放映など、あらゆる情報を駆使して調べ上げ、更に警察などに情報の提供者がいるものと思われた。
 

ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(6) ▲PageTop

花籠 4 (襲撃) 8 

花籠 4

 ジャスミンが家に戻ったとき、すでに椿の姿はなかった。彼の部屋の壁に父からの書き置きがあり、それで、彼もすべてを理解する。そして、次の瞬間、ジャスミンは恐ろしい予感に背筋が凍る。

 何故、そう考えたのか分からない。だが、それは戦う者の本能のようなものだったのだろう。

「李緒ちゃん、あの子は無事か…?」

 家を飛び出して彼は恋人のアパートへ向かう。セキュリティのチェックが入るとはいえ、侵入しようと思えば簡単に突破出来る程度の平和な日本のセキュリティ・ゲートだ。

 持っていた彼女の部屋の鍵を翳して門をくぐり、彼は大急ぎで李緒の部屋を訪ねる。
 途中、誰とも出会わず、そのアパート自体はひっそりしていた。まだ出勤時間前だ。李緒は在宅している筈だった。

 鍵を開けるのももどかしく、呼び鈴を鳴らす。

「李緒ちゃんっ?」

 返事は返ってこない。

「李緒ちゃんっ!!」

 ジャスミンは鍵を開けようとしてぎくりとする。鍵が、掛かってなかった。ざわりと背筋を冷たいものが走り、彼は慌てて部屋の中に駆け込んだ。

「李緒ちゃんっ」

 叫んで辺りを見回す。リビングにはいない。寝室の扉を開け、一瞬、彼は最悪の光景を想像してしまった。血塗れで倒れている彼女の姿。

 …しかし、そこには誰もいなかった。ジャスミンは茫然とする。まさか、連れ去られた…?

「李…っ」
「…ジャスミン…?」

 背後から小さな声が聞こえて、彼はぎくりと振り返った。背後の人の気配に気付かなかった? ばっと飛びのいて向き合った相手は、…李緒だった。

「あ…あれっ? 李緒ちゃん、どこにいたの?」
「…え? あ、ごめんなさい、今、お隣の笹井さんがドライヤー貸して欲しいって…」
「ドライヤー?」
「なんか、突然壊れちゃったから…って。」
「届けにいったの?」
「ううん、取りに来たんだけど、…忘れ物して行っちゃって、それを届けに。」

 ジャスミンは、安堵の息をついて李緒の身体を引き寄せ、思い切り抱きしめた。

「良かった…」
「…ど、どうしたの?」

 突然のジャスミンの訪問に驚いて、更に不意に抱きしめられて李緒はドキドキと頬を染めた。この前に会ったのは二週間ほど前のことだ。毎日でも顔を見ていたい李緒にとっては約束なしに不意に訪れる彼を待つしかない時間はいつでも長く辛く寂しい。赤いハンカチを…とは言われていても、それを使うのは、本当に何か特別な日のために取っておきたかった。

「李緒ちゃん、しばらく俺が会社まで送り迎えするから。絶対に一人で外を歩いちゃダメだよ。」
「…え?」
「分かったぁ?」

 どこか緊張した色を宿したままだったが、ジャスミンはふわりと彼女の髪を撫でて微笑んだ。
 言われた意味も事態もまったく飲み込めずに、李緒はただこくこく頷いた。

「良い子だね、李緒ちゃん。」
 

ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(6) ▲PageTop

花籠 4 (襲撃) 9 

花籠 4

 奈緒が、バイトに出る直前に、‘梅’から連絡が入る。しばらく奈緒の外出を控えさせるように、と。いきなりの通達に、驚いて詳細を聞きたかったが、‘梅’は他にも連絡をまわす相手が大勢いるらしく、それだけ伝えて電話を切ってしまった。ローズは突然、落ち着かない気分に陥った。スミレに連絡を取ってみようと考えながら、ここしばらくの他組織の噂を思い出す。ローズは直接関わりはなかったが、スミレが以前、その手伝いをしたという話を聞いていた。

 そして、先日会った『スムリティ』の庄司という男のことを思い出した。不穏な空気を抱いてはいたが、綺麗な目をした男だと彼は思った。話してみると生真面目で真っ直ぐで好感の持てる相手だった。

 彼らが巻き込まれた何かに『花籠』も関わってしまっているらしい。
 何かが、…動き始めたのだ。
 それは何かは分からない。だが、決して良いことではない。それだけがはっきりしている。

「チェリー、仕掛けを全てonにする。いいかい? 設定したポイントに、手を触れちゃダメだよ。」

 ローズのいつになく厳しい表情に、奈緒は神妙に頷いた。怯えてはいたが、妙にしんとした静かな光を宿した瞳で。

 スミレは、連絡が取れなかった。彼はすでに他の誰かの護衛に借り出されているらしい。ほどなくローズにも行方不明者捜索の依頼が入り、ある程度の現在の状況を知る。奈緒の傍を離れるのが不安で、彼はその依頼は断ろうとしたのだが、奈緒は言ったのだ。

「私は大丈夫。お店に行く。だから、お仕事行って、ローズ。」

 奈緒はまだメンバーとして登録されていない。つまりはまだ狙われる危険性は少ないと思われた。気丈に振舞う彼女の様子が痛々しくて、ローズは小さな彼女の身体を抱きしめる。

「…分かった。‘梅’にくれぐれも頼んでおく。俺が迎えに行くまで、一人になっちゃダメだよ。」
「約束する。」

 最後に、ローズは家の中に盗聴器を仕掛ける。その傍受を‘梅’の店主に託して行くつもりだった。
 すでに出かけるつもりでいた奈緒は支度を整えてあったので、そのまま二人は隠れ家を出た。そして、その後、当分その家には戻れない事態に陥るのだ。

ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(4) ▲PageTop

花籠 4 (襲撃) 10 

花籠 4

 その日、早朝から各地で一斉に通り魔事件が発生。龍一の素早い通達で、ほとんどのメンバーは、襲われはしたが軽症程度で済み、死者や重傷者は出なかった。そして、襲われたメンバーはここ半年間で仕事の依頼を受けたことのある人材に限られていたことが判明。龍一の考え通り、パソコンに入力されていた仕事の情報から追われた可能性が高まった。つまり、相手は龍一の所在をまだ掴んでいないのだろうと思われた。

 龍一にゆさぶりを掛けるために弱い者を狙ってきたのだ。

 李緒は、その職業の空気を読むという変わった特技に花篭が興味を抱き、登録を考えたばかりのことで、まだ仕事は一度も請け負ってはいなかった。しかし、彼女は椿とジャスミンと二度の仕事に関わっている。それを考えるとジャスミンは不安だった。部屋まで送ってその後一人にする、ということに安心出来ず、会社に迎えに行った足でそのまましばらく自宅に連れ帰ろうかと考えた。

「李緒ちゃん、実はさぁ、ちょっと世間が物騒になっててさぁ。一人で置くのが心配なんだよね。しばらくウチに来ないかなぁ?」
「…え、えっ?」
「部屋はちゃんと別に貸してあげるし、何か必要な物があるなら今、アパートに寄って取ってきても良いから。」

 言われた意味をようやく理解して、李緒は混乱する。

「…え? ジャスミンの…家? に?」
「うん、そう。」
「で…でもっ…あの、お家の方は…」
「両親が…いるかな、たぶん、親父はしばらく帰らないだろうな。母がいるよ。」

 何でもないことのようににこにこ言われて、並んで歩いていた李緒は、驚いてその場に立ち止まった。

「そ…っ」
「しばらくで良いよ。この騒ぎが収まるまで。」
「でも…その、どうして…」
「大丈夫。」

 にこりと彼は李緒の肩を抱く。それ以降、ほとんど何の説明もされずにアパートの前まで到着し、二人は一旦彼女の部屋へ向かう。

 階段をあがっている途中で、ジャスミンはふとした違和感にばっと李緒の身体を抱きかかえる。瞬間、踊り場から男が一人ナイフを手に襲い掛かってきた。ジャスミンは李緒を抱えたまま、彼女を庇うように相手に背を向け、そのまま彼女を背後に置いて、振り向きざまの回し蹴りで相手の手を鋭く蹴り上げた。

 それほど場慣れしている訳ではないらしい、素人同然の相手は、手からナイフを飛ばされ「うわっ」と声をあげて蹴られて痛みに手を抱える。

 帽子を深くかぶり、顔はよく見えなかったが若い男であるらしいことは声で分かった。作業着のような上下のつなぎを着ている。それほど身体能力は高くはない。恐らく金で雇われただけの要員であろう。この男を問い質したところで、恐らく何も情報は得られない。

 殺すつもりではない、これは威嚇であり、挑発だ。恐らくネットか何かで適当な人材を募り、金をちらつかせて襲って欲しい人物を提示する。自らの手は汚さず、自らの姿は表さず、影から人を操り、混乱を引き起こし、収束のために花篭本人が出てくるのを待つつもりなのか。

 逃げていく男を追うことはせずに、ジャスミンは怯えて固まっている李緒を支えて立たせる。

「怪我は…?」

 李緒は震えたまま小さく首を振った。何が起こったのか、彼女にはうまく把握できずに、茫然としていた。

「もう大丈夫だと思うから、とりあえず部屋に行ってみようか。」

 不安そうにジャスミンを見上げて、それでも、李緒は小さく頷いた。
 ジャスミンがいるなら、一緒なら、何も怖くない。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(6) ▲PageTop

花籠 4 (襲撃) 11 

花籠 4

 椿は早朝に家を出て、そのまま戻っていなかったようだ。そして、夕刻前にしばらく戻れないと妻に連絡が入っていた。

 いつものこととはいえ、深雪はやはり不安になる。

 椿はいつも笑顔で出かけて行くが、彼女には感じられるのだ。いつも、いつでも、彼はこれが最後かも知れない、という想いを抱いて彼女を見つめていることを。

 本当にしばらく振りに、夫は仕事は何もせずに家にいてくつろぎ、妻の手料理を楽しみ、共に時間を過ごしてくれた。いつでもドキドキしてしまう、彼がこんな風にそばにいていれる幸福に。

 今夜は戻らないと言われた。そして、ふらりといなくなる息子も帰ってくるのかどうか分からない。それでも、深雪はいつもの通りに夕食の支度を始め…しかし、包丁を持つ手が僅かに止まった。

 無事に帰ってきて。
 祈りを繰り返し心に呟く。強く、強く。
 ふと玄関から誰かの気配、いや、複数の人間の気配をほんのり感じて、深雪ははっと我に返る。

「薫?」

 キッチンの扉が開いたことが分かり、そこに息子の気配と何か小さな…そう、仔猫のような微かな空気を感じて彼女は鍋の火を止めた。

 案の定、ジャスミンが顔を覗かせ、続いておどおどと小さなバッグを抱える小柄な女の子がジャスミンの跡からそっと入って来た。

「母さん、この子、土岐田李緒ちゃん。ちょっとトラブルに巻き込まれて危ないんだぁ、ご両親はもう亡くて、頼る実家もないから、しばらく家に置いてもらって良いかなぁ?」

 「ただいま」もなく、いきなりそんなことを言われ、深雪は「えっ?」と声をあげた。

 いきなり、何なのかしら? と思わなくはなかったのだが、その女の子の様子を目にした途端、深雪は思わず「あら、可愛い」と声を上げた。ジャスミンが連れてきた子は、ものすごく小さくてふわふわした空気を抱いていて、触れたら淡雪のように消えてしまいそうだった。椿が初めて深雪を見たときの印象もそれと変わらなかったのだから、あの父にしてこの息子ありだろう。李緒が運んできた空気は柔らかくて優しくて、深雪は不意に温かい思いに包まれる。それまでの緊張や不安が溶けるようなその子の様子に思わず笑みがこぼれた。

「あら、薫のお友達?」
「うん、彼女だよ。」
「まあ。」

 深雪は目を見張る。なんて可憐で可愛い理想的な女の子。
 ああ、こんな子を生んで育ててみたかったのに! フリルのついたピンクの服を着せて、連れまわして自慢したかった。お洒落して一緒に買い物に出かけて、ランチとかをおしゃべりしながら楽しんで、恋の話しとか、お店に出す料理の味見とかいっぱいしてもらって…

 思わず、一気に夢がふくらんで、深雪は興奮した。

「え、そうなのっ? まああっ」

 その反応に驚いて、李緒はジャスミンの母であるその人を見つめる。緊張で思わず硬直したらしい彼女の様子には構わずに、深雪はにこにこと歩み寄り、その小さな手を両手で包み込むように握る。

 今まで息子が女の子を紹介してくれたことなどなくて、深雪はちょっと寂しかった。

 夫は仕事が忙しくて日本にすらほとんど帰らない。一人息子も仕事だとふらりと出かけることが多くなり、一人で彼らの帰りを待つことに耐えられなくなって、彼女は店を始めていた。ほとんど趣味のようなモノなので、椿が家にいる間は店は休みっぱなしだった。

 夫の仕事も息子の仕事も専門職だと説明されただけで、深雪は深く追求はしなかった。彼女は幼い頃身体が弱く、長くは生きられないと医者に宣告されていた。だから彼女自身も恋も結婚も無理だと半ば諦めていたのだ。しかし、彼女は高校生の頃に椿に出会って、彼に恋してしまった。

 出会いは劇的だった。体調が悪くて学校を早退し、その日、彼女は家の近所の停留所でバスを降りた途端、停車中のバスの脇を猛スピードで走り抜けようとしていたバイクがあり、それにはねられそうになったのだ。そこをたまたま通りかかった椿が、咄嗟に身を翻して深雪を抱え、そのバカタレなバイクから彼女を守ったのだ。

 ショックで気を失った彼女をずっとその場で介抱し、家まで送って、彼は深雪の両親にも感謝された。

 それもあって、彼女の両親は、その恋を止めなかった。人生の最後に、せめて人並みに恋愛のマネゴトをさせてあげようと、生活基盤をすべて整えてやって同棲も許し、好きなように人生を選ばせてくれたのだ。

 諦めた人生に、しかし女神は微笑んだ。恋の情熱が奇跡を起こし、彼女は生き延び、更に無理だと言われていたはずの妊娠をし、帝王切開だったが無事出産もした。しかし、それは人生で最初で最後と言われる大変な経験で、もう子どもを持ってはいけないと医者に言い渡されたのだ。

 だから、今、こうやって生きているのは、彼女にとってはすでにオマケの人生であり、生きていられるだけで、愛する夫と愛する息子と日々を暮らせるだけで、他にこだわることなどなかったのだ。

 ただ、一つ。息子しか持てなかった彼女は、娘の存在に憧れていた。
 息子がいつか連れて来る可愛い女の子に早く会いたかったのだ。

「まああ、素敵だわ、リオ…さん? はじめまして。薫の母です。どうぞ、仲良くしてね?」
「え…あ、あの、すみません、よろしくお願いします。」

 李緒は驚きと緊張にかああっと頬を染めて慌てて頭をさげる。彼女にもその感情の正体は分からない。だけど、拒絶の空気がないことだけ、そして、こうやってふわっと包み込んでくれる温かさの種類がジャスミンと同じだと李緒は感じる。

「客間を用意してあげて、薫。」

 いつになく興奮して嬉しそうな母を見て、ジャスミンは心の中で苦笑する。それって、母親が息子の恋人に対する初対面の挨拶じゃないと思うんだけど…。しかも、母に心配を掛けたりあまり興奮させたりするんじゃない、と父に言われていたことを思い出し、う~ん、俺、なんか悪いことしたかなぁ? と高揚している深雪の様子に、ちょっと考え込む。

 母の心を息子は知らない。

「うん、そうするよ。おいで、李緒ちゃん。」
「え、あ、はい、あの…はい。」

 満面の笑みで見送られ、李緒はすっかり面食らって、そして、深雪がぎゅっと握ってくれたその手の温かさ柔らかさをうっとりと反芻する。母親、という存在を。

「ああ、俺のこと、母さんは‘薫’って呼ぶから、君も母さんにはそう言ってくれる? 普段はジャスミンで良いけどさ。」

 にこり、とジャスミンに見下ろされて、李緒はそのとき初めてそういえば、そうだった、と思い出す。あまりに彼女の存在に気を奪われていて、小さな違和感に気付かずにいた。

 二階のジャスミンの部屋の隣に、空き部屋があり、ジャスミンはそこへ彼女を案内する。
 廊下を挟んだ向かいが両親の寝室になっていて、そちらは幾分広い造りになっていた。

「はい、しばらくここを使ってくれる?」

 部屋の明かりを点けて彼は微笑む。ベッドと机と小さなボード。備え付けのクローゼットがあり、床は生成りの起毛のジュータンで、大き目の窓にかかるカーテンはクリーム色だった。

 簡素ではあるが清潔感あふれ、淡い優しい色の空間に、李緒は思わず声を漏らす。

「綺麗…」
「そう? じゃ、もうすぐ夕食だから、荷物を整理したら下りてきてねぇ」

 ジャスミンは言って、彼女を一人残し、階段を下りる。その瞬間、それまでの甘い笑みは消え、どこか憂鬱そうな少し厳しい表情に切り替わった。

 父は、当分、戻らないだろう。

 それはつまり、牡丹の事件は単なる通り魔ではなく、‘黒椿’が動くべき何かが始まったということだ。近くアカシアから連絡が入り、彼も相応の任務が待っているだろう。その間、李緒を、そして母を巻き込まずにどうやって守れるだろうか。

 ジャスミンは思索を巡らした。



ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(4) ▲PageTop

花籠 4 (犠牲者) 12 

花籠 4

「ちなみに、行方不明のメンバーってどんな能力者なんだ?」

 ‘梅’の店で支度を整えながらローズは店主に聞く。

「能力者なんていうもんじゃないね。だいたいのメンバーは特技程度だよ。あんたが特殊なのさ、ローズ。」

 店主は紫煙を吐きながら笑う。50歳はゆうに超えているはずなのに、彼女の肌は艶やかで妖艶な美しさが漂う。白銀の混じり始めた黒い豊かな髪が肩までさらりとなびき、鳶色の瞳が細められる。

「今回、行方が分からなくなった子は、スリと占い師だね。」
「スリ…って、スリのことかい?」
「そのスリだよ。まぁ、特殊技能でもあるかな。」

 くすくすと店主は笑う。彼女はそれを生業としている訳ではないが、花篭が依頼する仕事としてはいろいろ役に立つらしい。そして、占い師の男は他に奇妙な特技をいくつか持っている。そして、何故か彼は塾の講師をして生計を立てているのだ。

「あたしは直接関わったことはないが、良い子らしいよ。20代後半…って言ってたかな。占い師の男の方は50歳近かったかね? いずれ、早く見つけておやり。これが二人の写真だ。…イヤな言い方だけど、生きていれば良いね。」

 ローズは小さな写真を受け取って神妙に頷いた。ごく普通の会社員という風貌の二人。それでも意志の強い光を抱いた瞳は二人に共通していた。それにしても、行方不明とは拉致された、という意味なのか、殺されて遺棄されたということなのか。

「彼らの家の近所で大量の血痕が発見されているそうだ。…それが、人間の血だったら、生存はあまり期待は出来ないね。」

 ふと店主の横で不安そうに彼を見上げる奈緒を見つめて、ローズは不意にぞっとする。
 もしも、この子が狙われたとしたら。攫われたのが奈緒だったりしたら、と。

 スムリティの総帥が形振り構わずに花籠に助けを求めたのも、彼にとって大切な相手を攫われたからであった。

「…店主、チェリーを…頼む。」
「ああ、こっちは心配しなさんな。」

 ローズは、奈緒の心配そうな視線を受け留めて一瞬見つめ返し、そのまま出て行った。
 こうやって、その子の身を心配して待っている誰かがいる。
 その思いをしっかりと胸に刻み込んで。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(7) ▲PageTop

花籠 4 (犠牲者) 13 

花籠 4

 マリー(ゴールド)は、傷の痛みに顔をしかめながら、声が漏れないように息を潜める。

 その日、残業で遅くなった彼女は、いつもは通らない近道で家路を急いでいた。川原の土途沿いの細い道を小走りで歩いているとき、街頭のまったくない闇の中から人影が現れた。ぎょっとして立ち止まった途端、いきなり正面から襲われ、彼女は咄嗟に脇の草の中に逃げ込んだ。執拗に追ってくる相手から何度か身をかわし、それでもいくらかの傷を負った。最後に薄笑いを浮かべて彼女にナイフを向けてきた相手の懐に飛び込み、彼女は相手の持ち物をすった。まさか向かってくるとは思わなくて驚いた相手に突き飛ばされ、道の脇から続く土手の草むらを転がり落ち、そのショックと衝撃で恐らく一瞬、意識が飛んでいた。

 気がつくと空が見えないくらいの背の高い草に囲まれ、彼女は地面に転がっていた。ガザガザと草を掻き分けて彼女の行方を探しているらしい気配に、マリーははっと息を潜める。

 身体中あちこちが痛んだ。ぎゅっと抱きしめた自分の腕にぬるりとした感触を得て、出血しているらしいことを知る。じっと動かずにいると、相手は諦めたのか土手を登っていく足音が遠ざかって行った。

 すっかり人の気配が消え、更に充分と思われる時間が経過してから、彼女はそろそろと身体を動かした。痛みはあるが、まだ緊張の方が強くて動けないほどではない。身体を起こそうとしてふと何かが手に触れ、マリーは、ああ、と意識がはっきりする。

 さっき、咄嗟に犯人の胸ポケットからすった手帳のような物だった。

 犯人につながる手掛かりにくらいはなるかな? とマリーはそれをスカートのポケットにしのばせる。ゆっくりと立ち上がると、月のないその夜はほとんど真っ暗だった。ただ、それまで闇の中にいた彼女はほんの少しだけ周りの様子が分かり、転げ落ちた坂をなんとか上り始める。身体中あちこちが痛み、いったい、何だろう? とマリーはどこかムッとしていた。

 マリーは、ごく普通の中流家庭に生まれ、兄がいて、妹がいる。両親は共働きのサラリーマンで、公立の共学校を出て、特にやりたいこともなく、派遣社員になった。

 今の会社には2年間の契約の2年目に入るところだ。スリの技術は以前付き合っていた男から学んだ。数年前、ごく普通に「また、明日。」と手を振って別れたあと、彼は突然行方が分からなくなった。マリーよりずっと年上の、二枚目ではなかったが、ものすごく爽やかな良い男で、マリーは彼のことをまだ忘れられない。

 短く刈り上げた髪が真っ黒に艶やかで、いつも日に焼けて真っ黒で、更にその瞳も漆黒だった。彫りは深くなかったので、生粋の日本人だったと思っているのだが、実は彼の素性をまったく知らなかったことを、行方が分からなくなってから気付いた。彼のことを誰に聞いて良いのか分からず、実家も郷里も知らなかった。もしかして名前すら本名だったのか分からない。

 実家で暮らしている彼女が、生活出来ないわけではないのに、『花籠』に登録してその技術を生かした仕事を請け負うのは、彼との繋がりが欲しいからだった。いつかどこかで彼が見つけてくれるかも知れない、と。そんな微かな希望にすがっていた。

「こんなうら若い乙女を狙うなんて、いったいどういう了見? 退治して欲しい輩なんてこの世に腐るほどいるってのに。」

 闇の中、怪我の程度は分からなかった。しかし、血が点々と伝い落ちているらしいことだけがなんとなく分かる。短めのタイとスカートにブレザー姿だった彼女は、仕事着が切り裂かれたことに怒りが湧き起こる。

 彼はマリーのスーツ姿をよく褒めてくれた。カジュアルな服装より、彼はいかにもOLという格好をしているマリーの姿を目を細めて見つめる男だった。

「いくらしたと思うのよ、このスーツ!」

 命を狙われたことより、服が台無しになったことに彼女は憤慨した。
 それにしても、…と右足のふくらはぎに鈍く重い痛みを感じて彼女はふと痛みの辺りを手で探る。

「うわぁ…」

 いったいどのタイミングで切られたのだろう。明らかに深い傷の存在を感じる。土手を上りきったところで、背後に不穏な気配を感じた。はっとして振り返ったとき、どこかに潜んで彼女の様子を窺っていたらしい犯人が躍り出てきた。

「きゃあああああっ」

 躊躇いもせず、マリーは大声を上げた。そして、咄嗟に身をかわそうとして…次の瞬間、彼女の視界は真っ赤に染まった。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(6) ▲PageTop

花籠 4 (犠牲者) 14 

花籠 4

 山茶花(さざんか)は占い師として『花籠』に登録してあったが、実際、彼が依頼を受ける仕事は占いとは関係のない事例の方が多かった。彼は小道具や星図などを使った一般的な占いではなく、相手の悩みを直接聞くことに寄って方向性を示してやる…といったむしろカウンセラーのような占い方をするのだ。対話に寄って流れてきた相手の未来図が彼の脳裏に描かれ、このまま進むとこうなります、という警告を行い、或いはその運命を避ける方法の助言を行う。しかし、それは彼にとってものすごく精神疲労を伴う作業であり、出来ればしょっちゅうはやりたくない。そういう能力(力)であった。

 そして、彼はそれ以外に妙な特技をいくつか持っていた。
 写真記憶能力。見た物を写真で撮った如く記憶出来る。

 それから、模写。これは、記憶に残った映像を他人に説明するために描き始めたものが、せっかくだからと少し本格的に勉強した挙句、趣味が高じた形で出来るようになった副産物である。

 と、いうことで、彼は美術品の模写やモンタージュ作成などによく借り出されるのだ。
 普段、彼は真面目な塾の講師であり、彼の特技を知る者は周囲にはいない。

 その日、彼はやはり残業で少し遅めの帰宅となっていた。車で自宅へ向かう途中、住宅地に入った途端、薄暗い十字路から人が飛び出してきて、彼の車の前に倒れた。それほどスピードを出していなかった彼は、驚いて急ブレーキを踏み、そして車の外に飛び出した。

 48歳。既婚者、子どもはまだいない。それでも、落ち着いた妻帯者という空気をまとい、むしろ年より老けて見える。うっすらと前の生え際には白髪が混じっている。目の光が柔らかいのに、奥に何かが揺れているのを感じられる。

「き…君っ、どうしたんだ? 大丈夫か?」

 うつ伏せに倒れている相手を助け起こした途端、その相手は不意にナイフを彼に向けてその腕を思い切り振り上げた。

「う…わぁっ」

 慌てて身を引いたが遅かった。鋭い刃先が彼の胸を切り裂いた。ばっと血しぶきが飛び散り、ナイフを握った男は立ち上がった。痛みよりも驚きで傷を押さえ、山茶花は地面に転がった。噴き出す血の量が半端ではない。マズイ! と彼は思った。彼を見下ろしていた相手が、ゆらりと揺れ、山茶花は咄嗟に脇へ転がった。動けると思っていなかったらしい相手が少し慌ててこちらに向き直り、そのとき、街灯にちらりと照らされたその顔が目に入った。

 若い見たことのない男だった。有名な俳優に似ている…、誰だっけ? そんなことを冷静に思う自分に呆れる。
 動いたことで、傷口が更に開いたらしい。山茶花はもう声も出なくなった。

 呼吸が苦しい。
 脳が酸欠状態らしい。次第に視界が暗くなってきた。

 妻の顔が浮かんだ。彼の副業、『花籠』のことも、彼の変わった特技も彼女は何も知らない。同じ喫茶店で何度か見かける内に、お互いなんとなく挨拶を交わすようになった。そして、店が込んでやむなく相席になったとき、初めて言葉を交わし、デートするようになった。

 いつも落ち着いた清楚な服装をする女性で、彼女はだいたい文庫本を読みながらコーヒーをゆっくり味わっている人だった。一口、ブラックでその深みを味わったあと、彼女はいつも砂糖をスプーンで半分くらいをさらさらとカップに注ぎ、次いで、ミルクをたっぷり流し込む。ミルクが広がる様を見つめながら、彼女は淡い笑みを浮かべる。その笑顔が綺麗だった。真っ黒なコーヒーが白い闇を抱く様。それを別の次元から眺めている不可思議な生き物に見えた。

 似た者同士の二人は、淡々とした落ち着いた時間を過ごし、数年を経て結婚した。

 妻となった女性も山茶花と同じ年だった。だから、二人は無理して子どもを望まなかった。孤独だったお互いが伴侶を得ただけで充分だと思ったのだ。

 ずっと、一緒に生きていこうと。
 …それがたった一つの約束だった。

「ごめん…」

 声にならないささやきで彼の世界は暗転した。
 



 その後、マリーは土手の草むらの中で、山茶花は郊外に乗り捨てられた彼の車の中で、血塗れの遺体となって発見された。

 ローズが二人の捜索に出てすぐ、‘竹’の店主から連絡が入る。

「ローズ、捜索対象の変更だ。」
「どういう意味ですか?」
「つい先ほど、二人の遺体が発見された。正式に花篭から依頼だ。彼らの死因と犯人を割り出してくれ。」

 どくん、と心臓が鳴った。

「…分かりました。」

 なんだろう? すでに彼らの思念派を感じた気がした。死者からのメッセージとしての叫びが。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(7) ▲PageTop

花籠 4 (序曲) 15 

花籠 4

 実行犯は複数いた。少なくとも、5~10人。ただ、彼らは金で雇われただけの素人同然の一般人らしい。もともとある種の精神異常を抱えてはいても、普通に社会生活を送っている、或いは程度の軽い引きこもりのような若者たちだ。もともと猟奇殺人や異常心理に興味を抱いて、そういうサイトを放浪している頭のおかしな人間たちだ。すべて、依頼はネットから。そのサイトに接触し、詳細を問い合わせれば、仕事の内容が知らされる。

 そして、依頼を受ける意思表示をすれば、狙う相手の顔写真と住所などが送られてきて、前金が支払われる。それで気を良くした彼らは実行に移す。相手を必ず殺す必要はなく、襲って怪我を負わせるだけで残金が支払われる。

 一度接触したIDは二度と使えず、二度目の依頼はない。そうやって依頼主は永久に姿を消す。それでも、仕事をしただけの支払いをもらっているので、参加者は文句は言わない。彼らはネットゲームと変わらない感触で楽しんだだけ。その程度の感覚しかないのだ。

 それぞれの遺族から、生前の知り合いだと名乗って、遺品を借りる。
 夕刻、それを持ってローズは指定されたホテルの部屋へこもった。

 思わぬ依頼に、何も準備する暇はなかった。本来ならスミレに連絡を取って事後処理を頼まなければならなかったが、彼は今別の仕事を請け負っている。連絡を取ってもすぐに駆けつけることは難しいだろう。

 時間が、なかった。相手がまだ逃げの算段に入る前にその正体を捕えなければならない。

 しかし、ローズがそうやって、決死の覚悟で辿った犯人像は役に立たなかった。山茶花は相手の顔を克明に覚えていたし、マリーも相手の個人情報が書かれた手帳をポケットに仕入れていた。実行犯は分かった。しかし、彼らは単なる一般人に過ぎない。そこへ制裁を加えても意味はない。ローズの仕事は‘復讐’ではないのだ。

 諦めて引き返そうとしたとき、不意にローズは何かを感じた。山茶花の残した最後の想い。マリーが伝えようとした微かな言葉。

 なんだろう? そこへ至ろうとした瞬間、どくん、と心臓が鼓動を早めた。
 いけない。これ以上進んでは危ない。

 明確に警鐘が鳴り響いた。しかし、ローズは一瞬の躊躇いの後、進むことを選ぶ。このままこんなことが続けば、いずれ、龍一が表に出てくる。彼に何かあれば『花籠』は崩壊する。そして、何より。いつ、魔の手が奈緒に伸びるか分からない。守りきれるかどうかなど、彼には分からなかった。

 相手の懐に飛び込んで手帳をすったマリーが垣間見た相手の‘闇’と、そこから繋がるサイトの相手の素顔。
 山茶花が最後に使った占い師としての能力。彼を切り裂いた男を通して伝わって来たサイトの相手の未来。

 しかし、浮かび上がったそのイメージは取り留めのないモノで、まるで捉えどころがなく、ローズは苦痛と苦悩の声をあげる。流れ込んでくるものは真っ黒な邪悪の塊。組織ぐるみの巨大な悪の権化。それを取り込んでしまえば精神が崩壊する。

「う…あ、ああああああぁぁっ」

 止めてくれるスミレの手が今はなかった。引き戻してくれる温かい手も。共鳴する‘闇’が闇を呼び、絡みつくような真っ暗なモノが彼を翻弄した。

 掴もうと手を伸ばした影が大きく膨れ上がって彼を呑み込もうとする。しかし、それを掴まない限りここまで来た意味はない。

 自我がバラバラになりそうな、まるで重力に押し潰されそうな苦痛が彼を襲う。
 内側から食い尽くそうとする悪意。
 ぼやける影。微かに見え隠れする背景の白い風景。いや、それが見覚えのある一点を映し出そうとしていた。そして…。

 白い肌。青い目。…これは…?

 どんっ! とまるで破壊音のような耳障りな音が響き、弾け飛ぶように意識がきしんだ。

「チェリー…」

 手を伸ばした先に、温かいものが触れた…気がした。しかし、それは、崩壊への序曲の甘い旋律だったのかも知れない。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(6) ▲PageTop

花籠 4 (序曲) 16 

花籠 4

 その夜、ジャスミンが夕食を終えた頃に不意にアカシアから呼び出しを受けた。彼が家を出るとき、母も李緒ももう寝る支度をしていたように見えた。ジャスミンはいつでも出かけられる用意はしてあったが、さすがに二人を置いて出掛けるのはちょっとイヤだな、という思いがあった。父の不在はいつものことでも、今回は、いつもと状況が違う。出来れば、面倒な依頼は他のメンバーに譲り、早々に切り上げて帰ってきたい気がしていた。
着いてみると、いつものその隠れ家に、アイリスの姿はなく、‘竹’の店に行くように指示を受け、ジャスミンは声をあげた。

「え? …俺、一人ぃ?」
「そうだ。」
「なんで?」
「用があるのはお前だけなんだろ。」
「ええ~?」

 いつになく渋るジャスミンに、アカシアは一瞬沈黙し、ついと視線をそらして告げた。

「アイが、行方をくらました。連絡が取れない。」
「…え?」

 思わぬ報告に、しかしジャスミンは表情を変えずに、すとんと声のトーンを落として聞いた。

「それって、アイちゃんが自分でいなくなったってこと?」
「ああ。」
「いつ?」
「牡丹を襲った犯人の目星がついたという情報がまわってきた後だ。」
「…敵討ち?」
「そんなことはせんだろう。しかも、相手は単なる頭のおかしい一般人らしい。」
「ま、ね。」

 ジャスミンはにこりと彼を見つめる。

「もっとヤバイことに首を突っ込んでそうだね。そもそも、牡丹がなんで狙われたんだろうね?」
「…お前もそう思うか?」

 にこり、とジャスミンは再度懐っこい笑顔を見せる。

「あの子は、実はハッカーやってたんでしょ? 恐らく、あの後も。何かヤバイ情報引っ掛けたのかもね。」

 そして、彼はちょっと暗い目をして呟く。

「俺が、李緒ちゃんの事件を調べてくれって頼んだりしたから、あれが引き金だったんだろうね。…悪かったな。あの子は、ずっとそんな行為、忘れていたのに…思い出させちゃったんだろうな。情報を覗くスリルを。」
「お前のせいじゃない。」
「俺のせいだよ。」

 ジャスミンは妙に深い憂いを湛えた瞳で微笑む。

「アイちゃんもそれを追ったのか。」
「分からん。だが、とにかくお前は‘竹’と連絡を取ってくれ。」
「うん、分かった。」

 答えた次の瞬間には、ジャスミンは扉から消えていた。ふわりと風が舞ったような気配だけを残して。

 ジャスミンが去った後、アカシアは彼がすでに受けていた独自の仕事先へ向かう。それは牡丹の病院だった。彼が何らかの情報を掴んでいるらしい。それが、牡丹が狙われたもう一つの理由と思われた。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(2) ▲PageTop

花籠 4 (序曲) 17 

花籠 4

 白衣を着た青年が医療器具を抱えて病院の廊下を早足で歩いていた。突然、階段を下りてきた巡回の看護師の足音が背後から響き、その男は慌てて空いている病室へ隠れた。明らかに病院関係者ではない。その目は落ち着きがなく、変に高揚していた。そして、手に抱えた注射器には不穏な液体が入っている。

 コツコツと規則正しい足音が遠ざかっていくのを息を潜めて男は待つ。看護師は隣の病室へ入っていく。そうっと患者の様子をうかがい、そのまま扉を閉める。そして、次の病室へ。

 男はじりじりと看護師が各病室を見回るのを待ち続ける。この階には10室程度があり、個室は彼が隠れている病室を含め、端の二部屋だけで、あとは大部屋だ。一人ひとりの様子を確認している看護師の動きは遅い。

 イライラしながら彼は廊下をそっと覗き見る。
 ようやく半分の病室を確認し終わったようだ。

 男が目指すのは中央の大部屋の患者だ。何度も看護師が見回りに来たら、周囲の患者に不審がられてしまうかも知れない。いや、当の本人にすらバレてしまう可能性がある。

 あの看護師を殺ってしまうか。

 男が扉に手を掛けた瞬間、ナースステーションから看護師がもう一人出て来た。誰かがナースコールを押したらしい。見周りをしていた看護師も呼ばれ、一緒に奥の病室へ二人が走っていく。

 それを見送って男は動き出した。
 真っ直ぐに目指す病室へ向かう。

 扉をそっと開けて静かに閉める。中はもう消灯されていて暗い。眠っている患者のカーテンの隙間から一人ひとりをゆっくり覗き、一番窓際の青年の前で立ち止まる。青年はぐっすり眠っているようだ。

 抱えていた駆血帯を患者用のワゴンに置き、ポケットから注射器を取り出す。気配に気付いて青年が薄目を開ける。白衣の男は無言で作業を続ける。青年は少し訝しそうに目を開けた。

「…なんですか?」
「いえ。指示されていた化膿止めです。すぐ済みますから。」
「…こんな時間にですか?」
「ええ。」

 青年は、じっと男を見つめた。

「今朝の看護師さんと違いますね。」
「僕が当直なんです。」
「そうですか。」

 男が、青年の腕を取って皮膚に注射器を当てた。そのとき、おい! と背後で声がした。

 ぎくり、と男が硬直するのが分かった。青年はその声に咄嗟に腕を引っ込める。男が慌てて青年の腕を掴んだその背後で、声の主が男の襟首をつまみあげた。

「その中身はいったい何だ? お前にうってみても良いか?」

 その声に、男は一瞬躊躇ったものの、逃げることに決めたようだ。ばっと腕を振り上げて背後の男を殴ろうとした。

 しかし、その男よりもずっと背が高い声の主はもう少し上手らしい。男の襟首を掴んだまま彼は男の顔面にパンチをくらわす。うっ、と声をあげて尚もその男はもがく。そして、掴まれていた白衣を脱ぎ捨ててその男は病室を駆け出して行った。

 アカシアはすかさずその男を追った。廊下をバタバタと走りぬけ、男はあっという間に夜間通用口を駆け抜けていく。警備の男が迷惑そうに顔を覗かせ、アカシアがその扉から外へ出て辺りを見回したときには、もう男の姿は闇に掻き消えていた。

 くそっ、と呟き、アカシアは引き返した。彼の今の仕事はその男を捕えることではない。

「…アカシア…」

 病室にそっと戻ると、青年が驚いた顔で、そして次の瞬間にはほっとしたような笑みを浮かべて訪問者を見つめた。今の騒ぎで同室の患者たちが一斉に起きてしまったようで、カーテンを開けて茫然と二人を注目している。

「悪い、牡丹。目立ってしまったな。」

 アカシアはにやりと青年を見下ろし、牡丹は周りの患者に「すみません、時間外にうるさくしてしまいました。」と頭を下げる。よく分からないなりに、周りの患者たちは、見舞い客がケンカでもしたのかと納得したらしい。多少迷惑そうな表情をする者もいたが、次々にカーテンを閉じて眠りに落ちていった。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(4) ▲PageTop

花籠 4 (序曲) 18 

花籠 4

「良いの? 面会時間過ぎてるよ?」

 9時を過ぎて、病院内はひっそりとしている時間帯だった。
 牡丹はそれでも嬉しそうにアカシアを見上げた。

「…傷は…どうなんだ?」
「うん、痛むけど大丈夫だよ。それほど深くなかったみたいで、臓器には損傷なかったらしいし。傷が塞がれば平気みたい。」

 ヒソヒソと声をひそめて二人は話す。アカシアの表情がどこか痛々しかった。彼が自分のせいだと感じていることが分かって、牡丹は努めて笑顔を見せる。

「お前…明らかに今の男は怪しかっただろう? 迂闊に注射されたりするんじゃないよ。」
「ああ…」

 牡丹は頷いた。

「‘毒’はある程度慣れてるし、アイリスさんに解毒薬の種類もけっこうも持たされているし、まぁ、最悪、それでなんとかなるから」
「…アイがここに来たのか?」

 牡丹は静かに首を振った。

「ううん、今じゃない。この間、仕事のときに。他は何も荷物持ってこられなかったけど、携帯用に身に付けられるアイテムと一緒に。指輪とかネックレスとか。っていうか…アイさん、どうかしたの?」
「いや、あいつは無事だよ。違う。襲われたのはお前だけだ。…俺らの中ではな」

 牡丹は敏感にその意味を察した。

「他に…誰が?」
「いや、俺も直接は知らん。ただ、他のメンバーが数名。まぁ、一緒に仕事をしたことのあるやつじゃないから詳しいことは分からん。それより、お前…」

 アカシアは更に一段声をひそめた。

「何か、ヤバイことを見つけたんじゃないか?」
「え? …なんで? だってこれって、通り魔だって、警察の人が言ってたよ?」
「『花籠』メンバー限定のか?」

 牡丹はようやく事態を飲み込み、息を呑んだ。

「…じゃ、襲われたのって…みんな、そうなの? だとしたら、これは、何? 警告? それとも…」
「それに関する何か、お前、覚えはないか? それから、お前、相棒はどうしてるんだ?」

 ふと思い出してアカシアは尋ねた。まさか、病室に蛇を伴うことは出来ないだろう。

「…あのあと、逃げろ、って言っておいた。去って行く気配は感じていた。だから、きっとあの周辺にいるとは思うんだ。無事…だよね?」
「ああ、それなら大丈夫だろ。蛇が出たってハナシは聞いてない。お前が望んだ通り暗闇にひそんでいるんだろう。お前が迎えに来るのを待って」

 牡丹は、そう…と呟いて、ほんの少し笑みを見せた。

「ヤバイ情報なのか分からない。だけど、最近、『花籠』の名前にやたら反応するハッカーが出没しているらしいんだ。一度ヤバイサイトに引っ張り込まれそうになって慌てて振り切った。いや、振り切ったつもりだったけど、そのとき、既に調べられていたのかな。すべてのサイトからアカウントごと削除してしばらく気配を消していたんだけど。…でも、おかしいんだ。そいつ、たくさんの名前を語っているけど、恐らく一人で、そして、…日本人じゃない。チャットの言葉の使い方の雰囲気だけど。そして、…確証はない。でも、そいつは日本にいる」
「なんだって…?」
「東京って言葉が出ていた。もっと詳しく何区、だったかな?…もしかして、企業とか、何か日本の組織と繋がっているのかも知れない」
「そんなこと、分かるのか?」
「だって、日本語がそれほど達者でなくって、手引きしてくれる同胞がいたとしても、日本事情の分かるしかもそこそこ力のある日本在住人の助けって必要じゃないのかな。それに…機械って結局、操るのは人間だからね。少なくとも日本人の協力者はいるよ」

 牡丹の瞳がきらりと光を放つ。それは、一瞬、次元の隙間にぱっくり開いた闇のように見えた。

 まるで無機物のような動きの少ない爬虫類。何を考えているのか、そもそも考えなどあるのか分からない、ほぼ本能のままに動く蛇という生き物。蛇が牡丹の意志を受け取って動くとき、彼らは一種の媒体となり、身体を明け渡した状態になるらしい。そして、牡丹自身がそこへ入り込み、彼らの目を通してモノを見、その身体を使うのだ。

 それを蛇たちがどう捉えているのか分からない。いや、彼らが喜んでその身を差し出しているとは言わないが、ある種の信頼のような感情を抱いてはいるのだろう。

 感情豊かなごく普通の青年なのに、彼はそういう機械的な冷たいものに惹かれるらしい。そして、そこに息吹を感じ取る。波動なのか、僅かな感情の揺れなのか。コンピューターと爬虫類。それらを愛し、それらに愛される不思議な青年。

「…そうか。それだな、恐らく」

 アカシアは呟いた。

「その後、そいつとは接触はあったのか?」
「一応、動きは見ていた。あちこちに現れるから追いやすかったしね。でも、まだ探し回っている感があったから、見つけてはいないんだよ。目指すモノを」
「目指すモノ、なんだ? それは…」
「今思えば…恐らく、『花籠』の本拠地。或いは花篭龍一本人じゃないかな」
「なんで、そう思う?」
「ある一定のキーワードを打ち込むと強制的にあるサイト画面が開くんだ。そこに誘い込まれると、こっちのIDを盗まれるんだ。そして、恐らく関係者を片っ端から当たっているんだと思う。それは、どこかに辿り着きたいからだよ」
「…」
「僕も気になって、『花籠』を探ってみたんだ。だけど、本部って、あまり情報をパソコン管理してないみたいで、ほとんど得られるものなんてなかったよ。メンバーのコードネームと特技、しかもそれすら暗号で入ってるから、外部の人間には分からない。しかも、個人情報ってそれだけだよ。組織の匂いすらしない。それに、本部がどこにあって、花篭本人がどこにいるのかさっぱり分からない。まぁ、…こんな風に僕が入り込める程度なんだから、そんな場所に重要な情報を置かないってのが賢いんだろうけどね」

 あまりコンピューター関係に詳しくないアカシアは、何気なく聞き流してしまったが、ハッキングなんて本来そう簡単に出来るものではない。牡丹は実は羽鳥にはかなわないまでも、相当の能力があるということだ。

「それから、もう一つ。そいつ以外におかしな動きをする人間が少なくともあと一人いる。辿ってみたら、発信元は都内。しかも中心部だったよ」
「…」

 淡々と語る牡丹に、アカシアは眉をひそめた。

「なんで、言わなかった?」
「…ごめんなさい。だって、まさかこんな大掛かりなことになるなんてそのときは思わなくて。ハッカーって暇な人間のいたずら目的の愉快犯が多いんだ。本当に事件を起こすバカは少ないんだよ。それに…すべて今思えばってことで、そのときにはまったく何がなんだか、分からなかったんだ」
「ああ、まぁ、そうだろうな。しかし、もうそういう段階は過ぎた」
「…?」
「テロの可能性もあるだろうよ」

 そんなバカな…と言いかけて、牡丹は黙った。テロとは言わずとも、それに近いことは確かに起こっても不思議ではない。世界中が今は不穏な空気に包まれている。

「良いか、牡丹。くれぐれも気をつけろ。俺も頻繁に訪ねる。周りの人間を信用するな。白衣を着てたって医療者とは限らんからな」

 牡丹から聞いた情報を‘竹’にあげるべく、アカシアはそっと病室を出た。他の病室では容態の急変した患者が出たらしい。医師や看護師が慌てて走り回っていた。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(4) ▲PageTop

花籠 4 (序曲) 19 

花籠 4

「龍ちゃん、‘竹’から良い情報があがってきたよ」

 羽鳥は、やった! と叫んでガッツポーズを決め、いくつ並べてあるのか、沢山の携帯電話をランダムに取り上げて話しながら、難しい顔でもう一台のパソコン画面を眺めている龍一に向かって微笑んだ。にこりと笑顔を作ると、ものすごく可愛い顔になる。小鳥のようにくるんと丸い黒い瞳が夜空の果てを垣間見せる。

「なんだ?」
「呼び出した相手は間違ってなかったみたいだ。やっぱり、一つは発信元は日本、しかもあのグループで間違いないね。ちょっとフライングかと思ったけど、バッチリだったよ。同時進行がうまくまわりそうだね」
「そうか、お前の勘が当たったな」
「これで、ジャスミンへの指令が意味のある仕事になったわ。う~わ~、実はハラハラしてた。ハッカーちゃん同士の意見の一致。後は、潜伏先を割り出せればね。いったいどこに潜んでいるのかな。もしかして、関連施設にのうのうと滞在してる可能性も…」
「いや、殺し屋を抱える日本企業なんてそうないよ。そこまで背負える器のある経営者なんていないと思うね。いや、或いはよほどのバカか」
「それは、どうかなぁ。…トップには知らせずに野心のあるヤバイやつが抱え込んでいる可能性だってあるよ。それに、今は形振り構わない節操なしが君臨する世界だからね。日本だって例外じゃないと思うけどな。龍ちゃん、甘いよ」
「…確かにな。もう、今まであった秩序が崩壊しているに等しいからな」

 苦笑して龍一は一点を見据える。

「…ただ、分かっているのは、国内に協力者がいるってことだ。ブラックリストに乗っている筈の裏の人間がこれだけすんなり入国されているとね。まだ正体は不明だが、やつの一味は数日前から日本に腰を据えている。いよいよ狙いは俺に向いたってことだろうね」

 どこか面白そうに龍一は言った。

「それが恐らく、君が探ったどちらかでほぼ確定だろう。今、言えるのはそこまでだ」
「うん、でも…憶測ばっかりじゃね。でも、もう憶測で動き始めながら後付けで情報を積み上げている段階だから、時間も惜しいし、情報もいくらでも欲しいんだよね。それでね~」

 携帯電話をパタンと閉じて机の上に置いて、羽鳥はきらりとその瞳を光らせた。

「牡丹っているでしょ?」
「ん? ああ…」
「あの子、けっこう良い才能持ってるね。ちらりと覗き見に来た子、あれ、牡丹だったんだな。うん、なるほど」

 そして、ん~…と頬杖をついてちょっと考え込む様子を見せる羽鳥の横顔に、龍一はため息をついた。

「牡丹を助手に欲しいとか言い出すなよ、羽鳥。あの子は事務要員じゃないんだ。しかも、まだ学生だ」
「うわ、勝手なことばっかり!」
「何が勝手だ」
「じゃあ、早く弥生ちゃん頂戴よっ、いったいどんだけ休みなしで仕事してると思ってんの?」

 すう、と息を吸い込んで、仕方ないだろ、と言おうとした龍一だったが、そのまま息を吐き出して彼は頭を抱えた。

「…分かった。早急にハナシを付けるよ」
「ぜひ、そうしてね」

 羽鳥はもう画面に向かって、盗んだIDでどこやらにメールを送信していた。今、『花籠』或いは『花篭龍一』と検索をすると、強制的に検索者のIDとアドレスが羽鳥のパソコン端末に送られてくるシステムを構築してある。龍一を探そうとしている相手はこれで、引っ掛かってくる。

 しかし、当の本人はすでにそれを予測して、もう検索をかけてはこないようだ。或いは、探しても無駄だと諦めているのか。今は、周囲の雑魚程度、或いは一度そのターゲットが騒ぎまくったお陰で興味を抱いたヒマなハッカーが検索に引っ掛かる程度だ。

「それから、龍ちゃん、李緒ちゃんって、…コードネームはどうするのかなぁ? それに、報酬の支払い方法も何も決まってないんだな~」
「それは、俺に聞くな」
「うん、独り言。アカシアって今どこ? ちょっと連絡取るかぁ」

 携帯電話をざっと眺めて、一番奥に並べたメタリックブルーのスマホに手を伸ばし、羽鳥は‘竹’に連絡を入れる。これらの携帯電話は、仕事として命を奪った相手の物だったり、闇で売っている盗品などである。つまり、現在、誰かの名義になっているモノを勝手に拝借しているのだ。契約を切られてしまうまではこうやって店との連絡などに使っている。

「羽鳥、優先順位を間違えるなよ」
「分かってるけどね、まぁ、気にしないで」

 リストや名簿が整然としていないと、羽鳥はどうも落ち着かないらしい。それでなくても負担を掛けていることは分かっているので、龍一もそれ以上は突っ込めなかった。羽鳥は、もう一週間以上、ほぼ休みなしで世界各国からの情報を取りまとめ、各店と連絡を取り、龍一が一旦気配を消して引きこもった今も、こうして情報を集約しているのだ。

「ああ、でも本当に不覚。絶対オカシイやつらがウロついているのは、分かってたのに、予測出来ていたのに、警告が遅かった。もう、ヤバそう、って時点で流した方が良かったのかな。チクショー悔しい! 把握してない何人が襲われたのかな。そういえば、見舞金とかって設定ないんだけど、要るの?」
「はあ?」

 ふと考え事をしていた龍一は、思わぬ方向で終わった羽鳥の独り言に呆れた。しかし、警告の遅れは羽鳥ではない、彼の責任だ。羽鳥は、情報を収集し、解析し、更に操るだけ。決定は龍一の仕事なのだ。

「…任せるよ」
「あっそ」

 羽鳥は特に気にする風もなく、淡々と作業をこなしている。そして、時々、きらりとその目が光る。何度かメールの送受信を繰り返し、最後に満足そうににやりと微笑んだ。うっかり『花篭龍一』と検索をしたこの送信者は、さっさとIDとメールアドレスを押えられていたのだ。

「捕まえた」


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(6) ▲PageTop

花籠 4 (序曲) 20 

花籠 4

 龍一の周囲には各店の店主(50~60代、松は100歳くらい)の他に、コンピューター管理の羽鳥(性別・年齢不詳)と今は『スムリティ』に籍を置いている悠馬(男性・40歳前後)、そして情報収集のプロ(人数・構成不明)が控えている。

 他に、椿と恐らく他に数名、暗殺のプロが待機している状態だ。そして、それを把握しているのが龍一本人だけで、彼は情報をパソコン管理をしない偏屈なので、むしろ、情報漏えいし難い。

 もしかして、龍一は日本国籍すら持っていないのかも知れない。

 そうなると、政府も把握出来ないし、個人としての認識・識別も不可能、税金の支払いなどから追うことも無理だろう。

 彼は古から続く奇妙な日本独特の一族。その末裔。しかし、それを知っているのも恐らく数人の店主、それから創設に関わったごく一部のメンバーのみであろう。





 ‘梅’にスミレから緊急の連絡が入ったのはローズが発って数時間後のことだった。

 そして、同時に、‘梅’が傍聴していたローズ達の隠れ家で事件が起こっていた。侵入者が仕掛けにはまって怪我を負ったらしい。少なくとも数人の声が聞こえていた。彼らは何か罠を仕掛けようとして、逆にローズの罠にはまったようだ。プロにしてはお粗末だ。相手はよほどなめてかかっているのか、捨て駒なのか。

 しかし、その盗聴自体が罠である可能性もある。仕掛けの存在も、盗聴器の存在も見抜いていた別の人物がいたら。ローズの罠にはまったバカの他に、それをカムフラージュに使って更に巧妙な仕掛けを施していったかも知れなかった。当分、あの隠れ家は使えない。いや、処分した方が良いのかも知れない。

 ここ数十年、否、ここに店を構えてからほとんど出歩いたことのなかった店主が突然、店を閉めて、鍵を掛けた。

「出かけるよ、チェリー」
「え、えっ?」

 店の奥で必死に何かを誤魔化そうとするかのように在庫生理に没頭していた奈緒は、表のシャッターを閉める音に、幾分、疑問は感じていた。しかし、店を閉めていたとは思わなかった。
 それでも、奈緒は一瞬の後には覚悟を決めた瞳で彼女を見上げた。

「行きます」

 ふっと笑みを見せて店主は小さなバッグを彼女に手渡す。

「これはドラえもんのポケットだ、困ったときには開けてみな」
「はい」

 余計な質問も詮索もせずに奈緒は微笑んだ。どこへ? とも何故? とも聞かなかった。ローズが今どこでどうしているのか、真っ先に知りたいことはそれであろう。しかし、今現在手の届かない場所にいる彼の状況を知ることは、奈緒にとって冷静さを失うことになりかねないことを、双方とも分かっていた。

 二人はこっそりと裏口から外へ出て、裏にあるいつも閉まったままの倉庫のような建物の扉の前に立った。

「ああ、運転するなんて何十年ぶりかね」
「…えええっ?」

 懐かしそうに目を細めて、店主は取り出した鍵で扉を開けて中へ入る。真っ暗な倉庫の中は何も見えない。外で待つように言われていた奈緒がそこに立っていると、内側からがちゃがちゃと鍵を外す音が聞こえてきて、扉の脇のシャッターがガラガラと上がってきた。そして。そこには見るからにボロボロのレトロな造りの乗用車が一台まだ冬眠から覚めやらない様相で鎮座してあった。

「だ…大丈夫、なんですか?」
「まぁ、動かしてみれば、身体が覚えているだろ?」

 あっけらかんと店主は笑うが、奈緒は、初めて彼女に対して不安を抱いた。やり方さえ知っていれば自分が運転した方が断然良い。早急に運転免許を取得する策を講じてもらおう、と。

 中は埃だらけでエンジンがかかるのか不安だったが、整備はされていたのかも知れない。少し怪しい音がしたものの、エンジンは軽快な音を立てて動き出した。

 そして、彼女の運転は意外に上手かった。ここ最近では、奈緒はスミレが運転している車にしか乗ったことがなかったが、彼ほどではないにしてもそれほどハラハラするような展開にはならずに車は一路、南を目指した。ただ、高速を飛ばす彼女のスピードは半端じゃなくて、カメラのあるスピード取締り地点を正確に把握していて、それ以外は奈緒が言葉を失うほどの速さで走り抜けた。

「…あの、何か…そんなに急ぐ理由でも…」

 次々追い抜いていく車の列を横目で眺めながら、奈緒はドキドキしっ放しだった。

「ああ、まぁね。スミレが待ってるよ」
「スミレ…ですか、はい」

 ちらりと奈緒に視線を流して店主は笑った。

「残念そうだね」
「あ、そんなことは。…ただ―」

 ローズはどうしているんだろう? と奈緒は思う。なんだか、ずっと胸騒ぎのようなものを感じる。彼が呼んでいるような気がする。今、そばに行かなければきっと後悔するような…

 それきり二人は黙った。
 不意に途中で‘梅’は高速を下りた。そして、町を走りぬけ、仙台駅へ滑り込む。

「さぁ、今度は新幹線に乗るよ」
「…はい」

 明らかに駐車場ではない道路脇に車を停めて、二人は走るように構内へ向かう。慌てて切符を買ってホームへ出ると、すぐに新幹線がホームに入って来た。えええっ? と驚くようなギリギリの分刻みの勝負だったらしい。高速をあんなに飛ばした意味がやっと分かった。 

 座席に就いてほっとしたとき、不意に奈緒は思い出す。

「あ、あの車は…」
「ああ、然るべき処置をしてくれる人物に頼んでおいたから大丈夫だよ。店まで届けてくれるだろうよ」
「そうなんですか」

 ほっとして奈緒は外の景色を眺める。車窓に映る車内の人々の中に、不意にローズの顔が浮かび上がった気がしてどきりとする。

 ローズ…?

 彼の顔が蒼白に、苦痛に歪んでいる気がして、奈緒はいても立ってもいられない気分に陥る。横を見ると、店主は携帯電話を操作して、誰かと連絡を取っているようだった。

 その横顔がいつもより厳しい表情に見えて、奈緒はなんだか、益々暗澹とした気分になっていた。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(8) ▲PageTop

花籠 4 (序曲) 21 

花籠 4

 午後、夕刻前に東京駅に着いた二人は、駅のホームで待っていたスミレと合流した。
 スミレの表情がいつもと違って妙に切迫しているのを見て、奈緒の心臓が音を立てた。

 スミレに奈緒を引き渡した‘梅’の店主は、二人と別れて‘竹’の店へと向かう。そして、スミレは奈緒を車に乗せて走り出しながら神妙な面持ちで言ったのだ。

「悪い、チェリー。店から連絡を受けた。恐らく、ローズはまた‘あれ’をやっているらしい。今回は外部の人間を入れるなと言われている。…酷なことを言っているのは分かる。しかし―」
「ローズは誰かを探してたんじゃなかったの?」
「ああ。…それが…」

 一瞬、言いよどんで、スミレは息を吐いた。

「遺体が発見された。もう、殺されてたんだ」

 青ざめるかと思ったが、奈緒は気丈に頷いた。

「…それで、その人たちの残留思念を追っているのね」
「ああ。そして、その情報は一刻も早く欲しいんだ。…チェリー、悪いが…」
「大丈夫」

 奈緒はごく静かな瞳で運転するスミレを見上げた。何故か、言われる前に知っていたような気がした。

「他の女の人なんて呼んだらイヤだ。私が、ローズを助ける」
「…しかし、あれは…」

 奈緒は俯いて小さく首を振った。

「大丈夫。私が、ローズをこっち側へ引き戻す。…そういうことでしょう?」

 スミレは、ああ、と呻くように答えた。

「そうだ、あいつを一刻も早く引き戻して、情報を手に入れなきゃならない。それには、部外者を入れる訳にいかないんだ」
「だから、私がやるよ。他の人なんてもう呼ばないで。それは、イヤ」

 その強い口調に、思わずスミレは奈緒を見つめた。きっぱり言い切る彼女の目は責任とか仕事とか組織とか、そういうもののために動いている訳ではない、静かだがその奥底に炎が揺らめく‘女’の目だった。

「分かった、じゃあ…」
「二人にして。少しの間だけで良いから」
「…えっ?」
「ローズを引き戻したら声を掛けるから。二人だけにしてちょうだい」
「チェリー、それは…」
「大丈夫だから」

 奈緒は微笑んだ。まだ幼い顔立ちの少女なのに、そんな覚悟をどこに置いているのだろう。何を引き受け、何を諦めて、そして何を得ようとしているのだろう。

 スミレは、そんな感慨をおぼえながら、「分かった」と、前を見据えた。

 ローズが先ほどホテルへ入ったと連絡を受けた。今回はいつもと違う。一刻を争うかも知れない。ローズは恐らく加減をしないだろう。危険を承知でどこまでも‘闇’に手を伸ばそうとするに違いない。その魔手が奈緒に伸びることを恐れて。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(7) ▲PageTop

花籠 4 (奏でる旋律に乗せて) 22 

花籠 4

 白崎喬は、オフィスのパソコンに不知火会長からの呼び出しメールを確認して、憤怒の表情を浮かべた。残業の後、ようやく息をついて帰ろうとしていたところだった。もうかなり遅い時間だ。一通目は夕刻に届いていたらしかったが、気付かずに今まできて、チェックをした途端、数通のメールが一気に届いたのだ。返答を催促している。

 それまで、伯父から直接、メールを受け取ったことのない彼は、そのアドレスが本当に正しいのかなど考えることもしなかった。ただ、相手がそう名乗っているだけで信じたのだ。彼のアドレスは従兄が知っているので、不思議に思わなかったのだろう。

 先日の通訳の折り、相手もそこそこ日本語が話せることを確認して、彼は「通訳は、もう二度とご免です」とあのオフィスを後にした筈だった。日本語がそれほど達者ではないせいもあって、相手はロシア語と日本語を使い分けながら会話をしていたのだが、ロシア語で語られる内容と日本語で薄気味悪い笑みを浮かべて話す内容とでは雲泥の差があることに彼は当初から気付いていた。ロシア語が分からない伯父と従兄は何を言われているのか分からずに、同じように曖昧な笑顔を浮かべていたが、相手は、微笑みを浮かべつつ辛らつに彼らを批判し、日本企業をバカにした言葉を並べ立てていたのだった。

 不知火グループが何か不法なことを行っていることはグループ内では公然の秘密ではあったが、彼はその裏の世界に関わりたくはなかった。彼の会社は確かにロシアとの取り引きは豊富な方で、日本人好みの毛皮やロシア料理の食材など、多くを輸入して取引先に卸していた。しかし、それ以上のことに手を染めるつもりはなかったのだ

 そして、今回、どうも彼は‘請け負い殺人’をしに日本へ来たらしかった。
 それが分かった瞬間、白崎は関わるのは真っ平だと思った。

 彼は婿養子であり、白崎家は妻の実家だ。不法な手段で吸収合併したその会社を、喬が任され、彼はなんと経営を立て直してしまった。お陰で、社長だった妻の父親に感謝され、婿に請われたのだ。その社長を気に入った彼は傘下ではありながら、独自の経営を貫いている。

 伯父と従兄が、あのロシア人とどんな契約を交わし、何を目論んでいるのか、薄々分かっているだけに反吐がでそうだった。

 人身売買。
 逃げられないように薬を投与して監禁し、或いは、路上で公然と人を攫う。今や首都圏では外国人の数も半端ではない。中には不法滞在の外国人もいる。そういう相手を狙えば、日本にいてもアジア中の人間を確保出来るという構図だ。

 伯父たちが手を結ぼうとしている組織が、世界征服を狙っているのか、国家の転覆を狙っているのか分からないが、極東で革命でも起こって、戒厳令が敷かれたりして、まっとうな商売が出来なくなる事態をどうしたって歓迎など出来ない。迷惑なハナシだった。何もかもが、相手の都合の良いように進められているという現実を何故、理解出来ない? 彼らにとって伯父の会社組織は都合の良い隠れ蓑、地下に根を張るための周到な準備作業に他ならない。乗っ取られたら終わりなのに。

 まぁ、そういう不穏な言葉は、彼は日本語では決して言わないから、気付かないのだろう。そして、伯父や従兄に、彼が進言したところで、聞き入れられたことなど今まで一度もなかった。

 かと言って、警察に訴えたところでまだ何も起こっていない状態では何を言ったところで相手にされないだろう。

 彼は、知らなかったのだ。ここ数日騒がれている通り魔事件が、実はアレクセイの部下が起こしているということを。そして、知らずに彼もその一役を担ってしまっているということを。

 白崎は、従兄に、いや正確にはアレクセイに頼まれて、あれ以来、あるキーワードを追っていた。

 「花籠」「依頼」そして、「花篭龍一」という人物について。従兄が行っていたその作業を、そっくりそのまま請け負うことで、通訳の依頼は断ったはずだったのだ。

 しかし、従兄が行って成果のなかったその作業を、いやいや行っている彼に進展など望める筈がない。だが、それこそがアレクセイの狙いだ。彼の作業は謂わば囮なのだ。

 それでも、そんな思惑は分からない彼は、協力していることに変わりはないと真面目にこなしているのだ。
 そこに、この呼び出しだ。
 しかし、場所は不知火のビルではなかった。

「今度はいったい何だ?」

 苛立って「要件は今、メールか電話で願います」と返した。どこかに出向くよりその方がマシだ。しかし、先方は必ず来るようにとの一点張りだった。白崎は結局逆らうことが出来ずに、指定時間と場所を確認し、そこへ向かうしかなかった。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(4) ▲PageTop

花籠 4 (奏でる旋律にのせて) 23 

花籠 4

 ジャスミンが‘竹’に着くと、店主は裏口から無言で彼を中に招き入れた。中はしんと静まり返り、レトロな古時計がコチコチと時を刻んでいた。

「これからある人物を銀座ビルに呼び出す。その男に、‘彼女’と一緒に会ってもらいたい」
「…彼女? 李緒ちゃんのこと?」

 店主は頷いた。ジャスミンは表情を変えなかった。ただ、一瞬店主から視線をそらし空(くう)に視線を走らせ、僅かに眉を寄せる。店主は無言で彼の返事を待った。

「それ、…あれだよね? 花篭からの依頼?」
「いや、‘松’からだ」

 再度、ジャスミンはぴくりと眉を動かした。

「ああ…つまり、もう花篭とは連絡が取れないのかぁ」

 ジャスミンは小さなため息をついた。

「分かったぁ。でも、それって、つまりどういうこと? 接触しろってこと? 遠めに見るだけで良い? そして、俺が、ずっと彼女についてて良いってことだよねぇ?」

 店主は口を結んだままじっと彼を見据え、僅かに眉を動かす。

「李緒ちゃんに何かあったら、俺は、許さないよぉ?」

 にこりとジャスミンは店主の顔を見つめ返した。表情は柔らかいまま、瞳の奥にきらりと何かが光る。店主は低く笑い、そういうところ、よく似てきましたね、と言う。ジャスミンは、そうかなぁ? と首を傾げた。

 現在、‘松’の店主が統括を行い、‘竹’と‘梅’が連携してメンバーに指示を出している。大筋は‘松’の店主が決定し、間髪入れずに各店に仕事の依頼をあげていた。そして、次々あがってくる羽鳥とその他情報部員からの情報でどんどん動いているのだ。

「李緒ちゃんに、同じ種類の人間を見つけてもらいたい、そうだよね?」
「そういうことだな。接触するかどうかは任せますよ。‘彼女’がどの程度の情報で判断が可能かに寄るだろうからね。ただ、出来れば、その人物の映像が欲しい。写真をお願いしたいらしい、羽鳥が。」

 ジャスミンは軽く首を傾げて頷いた。彼にも李緒の能力はまったく把握出来てはいない。しかも、まだ登録を決定していないため、コードネームもなかった。

 手渡された小型カメラを胸の前ボタンに装着しながら、ジャスミンは言った。

「じゃあ、俺は李緒ちゃんのサポートをする、それで良いんだよね? 他の仕事はまわさないでね?」

 声色は柔らかい。それでも、彼の瞳はもう笑ってはいなかった。店主はさらさらと小さな紙にペンを走らせ、相手の特徴を簡単に書いたメモをジャスミンに手渡す。

「時間に遅れないようにお願いしますよ」
「了解~」

 ジャスミンは入ってきたとき同様、裏口から姿を消した。




 もう10時を回っていた。しかし、家に戻ってみると、深雪が起きて待っていたようだ。

「ただいま~…でも、ごめん、また出かけるねぇ」

 キッチンの窓から明かりが漏れているのを見て、ジャスミンは扉を開けて声を掛ける。するとそこには、もう部屋に戻っていると思っていた李緒の姿があった。妙に明るい空間で、二人は一緒に紅茶を飲みながらテーブルの上に広げられた雑誌を一緒に覗き込んで額を寄せ合っていた。

 思わぬ光景に、ジャスミンはそれまで抱いていた冷たい空気を忘れそうなほど温かいものに包まれた気がした。そして、そのとき、知った。父がどんな想いで母のもとへ帰って来ていたのかを。

「あ、おかえりなさい」

 二人は同時に顔をあげて微笑む。いつもにこにこしている深雪だったが、なんだかそのとき、彼女は恋を語り合う少女のようだった。そんな風に瞳が輝いていた。それで、ジャスミンはもう一つ知る。母が同性の友人をどれだけ求め、娘という存在にどれだけ焦がれていたのかを。

「何してんの~?」
「李緒ちゃんにお店の内装の相談にのってもらってたのよ」
「へえ」

 深雪が始めた小さな店は、ハーヴティーや軽食などを出している喫茶店のような、或いは小さなサロンのようなもので、彼女は今そのために野菜を育てたり、花を植えたり、ハーヴを栽培してみたりと忙しく楽しんでいる。何もかも手作りで、今度は壁紙の張り替えなども考えているようだったが、ジャスミンではそういう相談相手にならず、息子が連れてきた女の子に喜んで早速仲間に引き入れたらしい。

「どんな感じにするのぉ?」
「良いわよ、貴方はどうせ分からないでしょ?」

 素気無く深雪にかわされ、ありゃ、とジャスミンは肩をすくめる。

「ちょっと李緒ちゃん、借りて良い?」
「今から?」

 うん、とジャスミンは微笑む。

「明日また貸してあげるからさ」
「…良いわ。気をつけてね」

 仕事なんだ、と深雪は察したらしい。ぽかんとしている李緒の小さな手をきゅっと握って、彼女は静かに頷いた。

「ごめんね、すぐ帰るよ。李緒ちゃん、ちょっと俺に付き合ってくれる?」
「え? あ、…はい」

 深雪と並んで座っていた李緒は椅子を引いて立ち上がる。上着を着せ掛けて、ジャスミンは彼女の手を引いた。玄関まで二人を見送り、深雪は無言で李緒の身体を引き寄せ、抱きしめた。そして、背の高い息子を見上げ、やはり同じようにその背に手をまわしてぎゅっと抱く。

「すぐ帰るよ、心配しないで」

 深雪はにこりと二人を見送る。こうやって見送った夫からは、もう連絡はない。どこでどうしているのか、帰宅が決まってからでないと彼は何の知らせも寄越さないのだ。

 薄々彼女も感じてはいる。
 二人の属する世界の構造を。

 それでも、詮索も疑いも、彼女はしないことに決めて貫いてきた。だけど、心配だけは奪われたくない。愛することだけ、待つことだけ。出来ることは少ないけど、それを精いっぱい尽くしていくだけだ。

「いってらっしゃい」

 深雪の笑顔に送り出されて、二人は急いで指定場所へと向かった。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(4) ▲PageTop

花籠 4 (奏でる旋律に乗せて) 24 

花籠 4

 ジャスミンと李緒が向かったのは、とあるビルのエントランス付近。一階の正面側がほぼガラス張りの夜でも照明がやたら明るくて、更に外に伸びるタクシーの乗降口へ向かう屋根付きの廊下は豪華だ。支えに建つ大理石調の柱が白く光を照り返す幻想的な空間だった。

 オフィスビルであるそこは最上階のみがホテルになっており、特別な会員のみ宿泊が許されるという嫌味な建物だ。そこに出入りするということは、相応の身分の人間に違いない。

「ねぇ、李緒ちゃん、ちょっとこれから会ってみてもらいたい人物がいて、その男と同じ種類の人間を探して欲しいらしいんだけど…そういう目的で人に会うときって、話しをしたりした方が良いのかな? どの程度の接触で相手の特徴をつかめる?」

 それまで、他愛ないことを話して李緒を笑わせたりどぎまぎさせたりしていたジャスミンは、タクシーを下りて目標地点に近づいた頃、ふと思い出したような口調で李緒に話しかけた。

 李緒は、出掛けの深雪の態度や、ジャスミンのほんの少しぴりぴりした空気に、何かを感じていた。もっと言えば、これは単なる気まぐれや日常生活の一環ではなくて、何らかの意味を持った重要な行動であることを分かっていた。

 あのとき、ジャスミンに再会した日、李緒は一旦「死」すら覚悟した瞬間があった。スミレに出会って、ジャスミンに会わせて欲しいと訴えた、あの日。

 一度は明確な殺意が芽生えた彼の瞳に、李緒はそれでも何故信じたのだろう? ジャスミンへと続く道を。それはつまり、ジャスミンと同じ…、そう捉えた空気の色を信じたのだ。同じ種類の人間、その意味は大きい。偶然巻き込まれた人間を簡単に殺したり出来ない種類の人間だと、むしろ彼女はそちらを強く感じたのかも知れない。

 そして、奇しくもその独特の勘を買われ、アカシア、とジャスミンが呼んだ男が、困惑顔で李緒に聞いた。ジャスミンと同じ世界へ登録しないかと。言われた意味をあまり理解出来ずに、ぼうっとしたまま頷いた李緒の視線はずっとジャスミンに注がれたままだった。彼の反応をのみ、彼女は信じていた。ジャスミンが首を振ったら彼女は頷かなかっただろう。

「仮登録の状態だが、後はお前に任せるよ、ジャス」

 あの後、そう言って処遇を預けられて今まできた。訓練施設に放り込んでついいけるような子じゃないし、とジャスミンはいずれ護身術だけでも教え込もうと考えていた。椿が日本にいる間に。

 そういう流れで、これはジャスミンと同じ世界の仕事なんだと李緒は理解した。

 今までぼんやり感じるだけだった人の空気を嗅ぎ分ける能力のようなもの。それを意図的に使うということを意識してみた。

「話した方が…イメージがつかみ易い、です」
「そう、…了解」

 ジャスミンは少し考えて頷いた。あまり李緒をよく分からない男に近づけたくなかったのだろう。どうやってきっかけをつかもうかと、とりあえず、ジャスミンはターゲットの出現を待つことにした。




 呼び出されたビルは夜通し照明が点灯してはいるものの、真夜中を過ぎると一段、暗くなる。こんな夜更けにいったい何の用で呼び出されるのか分からず、白崎はメールの送信者を探す。24時間フロントには人がいて、ロビーは開放されているが、指定場所のロビーに相手の姿は見当たらない。

 フロントへ歩みより、メッセージが残されていないか尋ねてみる。

「失礼、白崎という者だが、私宛に何か伝言を預かっておらんかね?」
「はい、白崎さまですね? 少々お待ちください」

 相手は何やらパソコンでチェックしている。

「はい、ございます。こちらです」

 あっという間にプリントされて手渡されたメッセージカードを受け取り、白崎はそれを開きながら数歩進んだ。出入り口へ向かいながら、首をひねり、意味不明のメッセージを再度読み返す。

『出会った人物に丁寧に挨拶を。彼らが貴方の今後を決定的に左右するでしょう。』

 これは、パソコンに届いたメッセージをフロントで印刷してくれたものだが、ほとんど意味不明な上に、およそ、伯父の文章ではない。何かおかしかった。

「こんばんは~」

 その声にふと顔を上げると、エントランスに若い男が立っていた。そして、その一歩後ろに若い女の子の姿も見える。背後からの照明の方が明るくて、彼らの表情はあまりよく見えない。

 白崎は眉をひそめる。こんな時間に若い男女がこんなところで何をやっているんだ?

「あの、ちょっと道をお尋ねしたいんですけど?」

 白崎の不快そうな表情を意にも介さず、相手はにこにこと話しかけてくる。

「…道なら、この先に交番がある」
「交番?」
「そうだ、この先の交差点を渡れば…」
「いえ、俺は交番への道を聞きたいんじゃないんですけど」

 相手の言葉に、白崎は思わず失笑する。

「ああ、…すまん。どこへ行きたいんだ?」

 メッセージをポケットにしまって、彼は腕時計に視線を落とした。もうこんな時間だ。ああ、まったく無駄足だった。いったい何がどうなっているんだ?

「渋谷ビルへ」
「…そんなものは聞いたことがないな」
「屋上に遊園地があるんですけど」

 にこっと相手は無邪気な笑顔を見せる。その顔がどこかバカにしているように感じられ、彼は疲れも手伝って、カッと頭に血がのぼる。

「ふざけてるのかっ?」

 思わずイライラして彼は叫び、その声の大きさに慌てて周囲に視線を走らせる。夜中だったこともあり、声が響いた割には人の数も少なく、それほど注目は浴びなかったようだ。

 くそっ、こんなことになったのも、そもそも、あの男の通訳なんぞを引き受けたからだ! 思い出すとムラムラと怒りが湧き起こってくる。

 男は、彼の剣幕にまるで動じる様子はなく、不意に妖艶な笑みを浮かべた。ずっと背後にいた女の子の肩を抱き寄せて、「分かる?」と男よりかなり背の低い女の子のその髪に口付ける。目の前での、彼にとっては破廉恥な行為に絶句している間に、二人は何かを静かに話し合ったようで、そのまま闇に溶けるように消え去って行った。

 茫然と二人を見送り、いつの間にか掻き消すように消えたその奇妙さに、不意に白崎はさきほどのメッセージカードの文章を思い出した。

‘彼らが貴方の今後を決定的に左右するでしょう’

 ぞうっとした。

 彼ら? 彼らとは…今の男女のことか?
 今後の運命を決定するとは?
 よくは分からないなりに、白崎はパニックを起こしかけた。闇に消えた男女。あれは本当に人間だったのか? もしかして、あの二人が見えていたのは自分だけだったのか?

 羽鳥がふざけて送ったメッセージに過ぎないのに、奇妙に状況が噛みあってしまい、白崎はあたふたと逃げるようにその場を離れた。

ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(6) ▲PageTop

花籠 4 (奏でる旋律に乗せて) 25 

花籠 4

 李緒を家に送り、ジャスミンは‘竹’に戻った。

「写真を撮ってきたか?」
「うん、ばっちり」

 データを店主に渡すと、彼はすぐにそれをパソコンに落とし込んで羽鳥に送信し、更に白崎の顔写真をプリントアウトした。

「これが、不知火グループの異端児か」

 店主がレジ脇に置かれたパソコンを操作している間に、勝手に店の奥の畳の部屋に上がりこんだジャスミンは、座り込んで足を伸ばしている。そこは店主が一般の常連客などを招きいれる空間だ。隅には座布団が積まれている。そこで近所の細かな情報を仕入れたり、拡散したりしているのだ。そして、その奥にある階段から二階が彼の生活空間だった。

「グループの異端児なんかに何の用があるのぉ? 俺、疲れちゃったよ」
「現在、不穏な動きのあるのが不知火グループとSETAグループ、どちらもそこそこ大きなグループ企業で…今回、殺し屋の手引きをしたのが、この二つのどちらか、或いは両方と我々は見ている。とりあえず首都圏に本社を置いている不知火に接触を試みて、もしかして白崎に接触してくる人物にターゲットがいるんじゃないかと思っただけだよ。彼は異端だから、もしかして、君の彼女は肝心な空気そのものは捕え切れてないかも知れないが、それはそれで仕方なかろうな。人選もギリギリだったし、まだデビュー戦だ」

 店主は、ジャスミンに折りたたみテーブルを出すように言って、珍しいことにお茶を淹れてきた。彼はメンバーとこんな風に時間を過ごすことはしない。ジャスミンは旧知の椿の息子という点で特別なのだ。しかし、仕事の振り分けに私情を挟むことはないし、基本的に彼への直接の連絡もしない。無用な接触は避けている。今夜はすでに夜半を過ぎ、人の目がないことに安心しているのだろう。

「ターゲットは誰?」
「まだ分からん。外国人であろうことは牡丹が予測している。そして、羽鳥もそれは拾い上げたらしい。…恐らく、旧ソビエト連邦の負の遺産。それと、アジアの地下組織。その辺だろう」
「…うへぇ、ロシアの殺し屋? アジアのマフィア?」
「人種の特定が出来れば、自ずと相手は特定されるんだがな」
「李緒ちゃんを、そんなのに接触させたくないなぁ」

 ジャスミンは、店主が入れてくれたお茶をすうっと喉に流し込む。

「ねぇ、町を歩いていて、すれ違ったりする確率あるの?」
「そんなに不用意に外へ出ることはないだろ。…だが、気を付けるに越したことはない。彼女を一人にしないようにした方が良いだろうな」
「…うん、そうだね」

 ジャスミンは何事かを考えていたが、ふいっと立ち上がった。

「じゃ、俺ぇ、帰るね」
「ああ、おやすみ」

 ジャスミンはひょい、という身のこなしで畳の部屋を下りて店の玄関へ向かい、外の闇を見つめた。

「ねぇ、スミレってそういえばあのとき、何で李緒ちゃんを見つけたんだっけ?」
「さあ、詳しいことは何も聞いとらんな。お前と連絡を取りたいと言われただけだったし」
「じゃあさ、そんとき、スミレは何の仕事してたんだっけ?」
「花篭からの依頼で、別組織の連中と会合を持った帰り際だったと思うが」
「その別組織って、確か親父がちょっと前までいたところだよねぇ?」
「…それが?」
「今回、何かそっちの絡みがあるのかなぁと思って」

 おっとりと柔らかい印象で誰でも騙されてしまうが、実はジャスミンは妙に勘が良い。李緒とは別の意味で相手の気を読む。そして、人物や事象を一瞬で把握する。それは女性特有の第六感に近いかも知れない。

 店主は無言でその背中を見つめた。

「もし、そうなら、あっちも何か協力してくれてるんだよねぇ? 牡丹が殺られそうになったり、李緒ちゃんが襲われそうになったり、けっこう被害が大きいよね? アイちゃんもそれ絡みで行方不明だし…、さすがに俺も防御一辺倒じゃいられなくなりそうだよ。攻撃は引き受けるけど、それ以外の協力は要請したって良いよねぇ?」

 ジャスミンは苛立ちを声に表したりはしない。だけど、青い怒りがゆらりと身体の奥にくすぶっているのが分かる。怒鳴ったり怒りを表情に表したりしない分、そして、その感情に自覚がない分、彼の冷たい炎はそれに触れるものを凍りつかせる。

「その通りだな、花篭には言っておくよ」

 うん、と背中で答えて、ジャスミンは闇に溶けて消えた。

 ‘竹’は羽鳥に連絡を入れ、灯りを消そうとしてふと窓の外に視線をやった。そのとき、何かが赤くちかりと光ったのが見えた。

 次の瞬間、店の中に衝撃音が響き、飛び込んできた何かが爆発した。一瞬で店の中は炎と煙に包まれた。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(6) ▲PageTop

花籠 4 (奏でる旋律に乗せて) 26 

花籠 4

 メールの着信を知らせる微かな音が響き、羽鳥は、はっと身体を起こす。デスクに突っ伏したまま転寝していたようで、少し腕が痺れていた。背中に薄い毛布が掛けられているのに気付いて、羽鳥は龍一の姿を探す。

 すると、彼もまたソファに寄り掛かったまま腕を組んで寝息を立てていた。

 龍一は近くに人の気配があると決して眠らない。ウトウトはしても、僅かな物音、或いは空気の動きで目を開ける。しかし今、彼は本気で眠っているようだ。それだけ疲労が濃いのだろう。

 半年ほど前に『スムリティ』本部の悠馬と椿から、近く劉瀞に刺客が放たれるかも知れない、と連絡を受け、彼は緊急に臨戦態勢を敷いた。椿が育てた精鋭を日本に呼び寄せ、劉瀞とその周囲の警護に当たらせたのだ。

 そして、俄かに忙しくなった羽鳥の仕事の軽減を目論んで、『スムリティ』の子を事務処理の助手として欲しいと要請してみた。しかし、劉瀞が妙に渋り、電話のやり取りだけでは進まないことが分かり、交渉要員としてローズ達を送ってみた。その後、庄司の進言に寄って劉瀞も折れたらしく、ようやく迎えを送るところまで漕ぎ付けた。

 庸は、元々は椿が拾った子だった。彼の素性を知るのは椿のみで、恐らく、生まれてはいけない類の子だったらしく、闇に葬られようとしていたところを救われ、一旦『スムリティ』本部に預けられ、その後、劉瀞の護衛として育てられた。その後、あまりに不穏な事件が続き、椿は彼を訓練施設に呼んだ。数ヶ月でコロシの基本を教え込み、劉瀞を守って死ね、と彼の元へ送り返したのだ。

 施設の子、美咲が攫われたのは、まさに庸を訓練施設に呼んだ僅か数ヶ月の間隙だった。

「龍ちゃん、‘竹’から写真届いたよ」

 声を掛けられて、ようやく龍一は目を開けた。

「あ、ああ…悪い。なんだって?」

 羽鳥も少し目を瞬かせて欠伸を噛み殺す。

「…っと、あと、『スムリティ』との連携はどうなってるのか? って。」
「…ああ? どういう意味だ?」
「今回の一連の事件の発端が『スムリティ』との関わりだってことで、不満が出ているらしいよ。向こうは何か協力してくれてるのか? って。」

 龍一はまだどこかぼんやりしていたようだ。ふるりと頭を振って立ち上がり、デスクの羽鳥に近づいて画面を一緒に見つめる。得体のはっきりしない殺し屋が日本に潜入するという情報を得てから、二人はほとんど寝ていない。体力はかなり限界に近づいていた。

「龍ちゃん、弥生ちゃんの件は進んでる? …それと、今回は‘庸’を借りておいでよ?」
「…弥生ちゃんの件は、交渉成立だ。近く迎えをやることになっている。…しかし、庸はダメだ。あいつは劉瀞の護衛に付けておく必要がある」
「でも、龍ちゃん、あっちは今のところは大丈夫だよ。まずは邪魔な‘花篭龍一’を潰してから、守りのなくなった『スムリティ』本部を一気に襲おうと思ってるだろうから。何しろ、あそこは商品の宝庫、宝の山だろうからね」

 柔らかいのに吐き捨てるような口調で羽鳥は顔をしかめた。

「こっちも精鋭を集めて一気に行った方が良いって。‘松’と連絡取って、こっちの守りに人員をまわしてもらおうよ」
「大丈夫だよ」

 龍一は何故か頑として譲らない。まぁ、予想はしてたけど、と羽鳥は小さく息をついた。

「ねぇ、なんだって、『スムリティ』にそんなに肩入れをすんの? いや、違うか、劉瀞がそんなに大事?」
「…あいつは、恐ろしくまっすぐな男だからな」
「どこが?」
「守るべき者のためにすべてを賭けている、っていうのか。そのブレない信念が面白いからさ。つい、助けたくなってみてるのかなぁ?」
「あのねぇ、龍ちゃん」
「いや、大丈夫だって」

 はぁ、とため息を漏らして羽鳥は座っている椅子を回して自身をくるくる回転させる。

「そういえばあっちも字が違うけど‘りゅう’ちゃんだもんね。もしかして、腹違いの双子?」
「それは、双子とは言わん」
「じゃ、魂が双子なんじゃない?」

 すると、龍一は少し嬉しそうに笑った。

「いや、俺はあんなに純粋じゃないからなぁ」
「そんなの分かってるって。でも、あたしはあっちの総帥みたいな真面目っ子はムリ! あんまり一途過ぎて疲れちゃうし。龍ちゃんで良いよ」
「それは有り難いね」

 くすりと龍一は、それこそ父親のような表情で羽鳥を見つめた。

「それより、本当に、誰かに応援を要請しないの? 椿もコスモスも手一杯だよ?」
「…いや、もう少し粘ってみるよ。もしかしたら、悠馬に連絡を頼むかも知れないが」
「あ、ごめん、龍ちゃん…」

 羽鳥が何か言いかけたそのとき、緊急の信号が点滅した。

「…?」

 二人は同時にその発信先を確認し、愕然とする。

「‘竹’が殺られた…!」
 

ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(2) ▲PageTop

花籠 4 (奏でる旋律に乗せて) 27 

花籠 4

 庄司は、弥生と共に待ち合わせ場所に向かいながら、彼女がこれから行く場所、そして、助手をして欲しいと言われている羽鳥という人物に対する情報がほとんどないことに苛立ちを感じていた。

 庄司の意見で劉瀞が完全に納得した訳ではなかったが、彼の見立ては劉瀞の心を動かしたことも事実だった。それを思うと、庄司は余計に焦燥に駆られるのだ。

 実際は、今回、これだけ周囲が不穏な空気に包まれ、もう劉瀞の一存だけではどうにもならない事態まで進んだ数々の事件を目の当たりにして、彼は動かざるを得なくなった。『花籠』の一般のメンバーに対する攻撃は、劉瀞を戦慄させるのに、充分だったのだ。

 施設の子ども達の安全確保はもちろんのこと、‘外’に出て働いているすべての人員を守りきるのは不可能だ。それに、安全のために経済活動をストップする訳にもいかない。

 そういう一連の心配の中、弥生は劉瀞や庄司と関わりが深い分、危険である。だったら、『花籠』に預けた方が安全だと、劉瀞は考えざるを得なくなった、というのが本当だろう。

 彼のイライラした空気を感じ取って、弥生も少し不安に思う。彼女は、劉瀞の意図を幼なじみの美咲から伝えられてきた。しばらく、弥生も周囲に『花籠』の護衛が付いたりしていたので、何かが起こっていることは感じていた。そして、一度、施設へ呼び戻されたのだ。

「弥生、劉瀞…総帥からの伝言。『花籠』の本部にしばらく出向して、管理室のハトリという人を手伝って欲しいって。今、『スムリティ』は動きが取れない。彼らと協力しないとこの事態は終わらない。そして、向こうはそういう一般的な事務能力のある人材を欲しがっているそうなの」

 それを伝える美咲は、淡々と言葉のみを口にしながら、それでもこれ以上ないくらい青ざめていた。

「…絶対に、危険なことはない、って劉瀞は言ってる。むしろ、今は『花籠』内部にいた方が安全かも知れない、って。でも―」

 行かせたくない、と美咲の目は言っていた。

 しかし、彼女はそれを口にはしなかった。そして、弥生も幼なじみの震える声を聞きながら、その瞳に涙が滲むのを見つめながら、答えた。

「分かった。行ってくる」

 微笑んだ弥生に、美咲は抱きついて声を殺して泣いた。
「絶対、…無事に戻ってきて!」と彼女は弥生の耳元にささやいた。

 ずっと、守られて生きてきたことを、弥生は知っていた。似たような境遇の子たちと、温かい施設の中で。そして、働き始めていろいろなことも学んだ。美咲がさらわれて怪我をして病床に横たわる姿を見て、弥生は恐怖よりも悲しみよりも、怒りを感じた。それなのに、美咲は気丈に、大丈夫と微笑んだ。その笑顔に打たれた。

 こんな風に大切な相手を傷つけられる理不尽さ。精いっぱい生きて、生きているだけで必死な子ども達の姿が瞼の裏に浮かび、どうやって自分が立ち直ってきたのかもそのとき、リアルにその身体に感じた。

 あのとき、…家族をいっぺんに失ったとき、一緒に死んでしまいたかったと何度思ったか知れない。死を決意するまでの絶望に飽和された辛い生活を、どうして生への希望などと呼べただろう? 食べる物さえなくなって、両親がいつも自分たちの食事を我慢して子ども達だけに与えていたかを知っていた。暗い毎日に、楽しみを見つけてはいけない気にさせられていた。死ぬことを決めた当時、両親はすでに精神を病んでいたのかも知れない。その狂気に彼女も巻き込まれていった。

 生き残ってしまった罪悪。その‘闇’に一人彼女は置き去られていたのだ。

 公共の保護施設にではなく、劉瀞に拾い上げられたことが、弥生の転機だった。彼女が生き延びたのは、『スムリティ』に拾われたからだった。

 塞ぎこんで、閉じこもっていた彼女に、周りは優しかった。甘やかすのでなく、きちんと厳しさも見せながら、彼女の成長に、その傷ついた心に寄り添ってくれた。

 そして。友達を得た。恋もした。そのとき、初めて生きていて良かったと全身で震えるくらいに感じた。
 死んだ方が良い命なんてないんだ、と。生きているだけで素晴らしいのだと。
 役に立ちたい、と思った。

 今まで守られてきた分、恩返しをしたい、と。それでも、あまり身体が丈夫ではない彼女は気ばかり焦って、身体がついていかないこともあった。

 それでも。
 出来ることをしたかった。出来ることがあるなら、役に立ちたいと思ったのだ。だから、彼女は美咲の背中を抱いて、笑って言った。

「うん、生きて帰ってくる。待ってて」

ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(6) ▲PageTop

花籠 4 (奏でる旋律に乗せて) 28 

花籠 4

 指定されたのは都内のホテルだった。着いてみると、そこはかなりの高級ホテルで、それとは分からない形で監視カメラが至るところに設置されていたし、エントランスには警備の姿もあった。ロビーに入ると、すぐに係の人間が近づいてきた。

「庄司さまと弥生さまですね? どうぞ、こちらへ」

 名乗る間もなく、二人はフロントを素通りして奥へ案内される。ホテルに近づくところを既にどこかで監視されていたのだろう。案内されたのは宿泊用の部屋ではなく応接用の個室と思われた。朱色のジュータン張りの豪華な部屋に、一人の女性が待っていた。

「こんにちは、庄司さん、弥生さん、花篭の代理でコスモスと申します。」

 年の頃は20代後半か…いや、その落ち着きをみれば30代前半くらいだろうか。声が低く、目元が涼しげなのに、その瞳は妙に鋭い。長い黒髪を後ろに束ね、ショッキングピンクのドレスにも見える長いスカートを穿いていた。しかし、それが艶めかしくよく似合っている。上半身に真紅のストールを巻き、身体の線は分からない。
庄司は無言で会釈をし、弥生は慌てて「あ、弥生です」と頭を下げた。

「では、これから弥生さんにはちょっと変装を施しますが、よろしいですか?」
「変装?」

 庄司がぴくりと眉を動かす。

「ええ、可愛い男の子に見えるようにして差し上げます。このホテルは直接の攻撃の対象とはならないでしょうけど、見張られていると考えた方が良いです。そこに『スムリティ』の庄司、貴方はけっこう有名ですよ? 貴方が女性を伴って入った。その女性が誰であるか直ちに調べられるでしょう」

 明らかに顔色を変えて、何か言いかけた庄司を制して、コスモスは続けた。

「『スムリティ』の弥生さん、貴女は美咲さんのご友人であり、総帥がいろんな意味で特に目をかけている女性です。そんな貴女の動きは何か大きな意図があると見抜かれます。つけられて、龍一の居所を突き止められる訳には決していきません。今後のこともありますし、今はかなり微妙な時期です。あまり関係施設に出入りした記録は残さないに越したことはありませんから」

 言いながら、コスモスは背後にあった大きなバッグからいろいろな物を取り出し始めた。たくさんの衣装や化粧品、鬘のようなモノや数々の小物。

「どうぞ、こちらへ、弥生さん」
「え、あ…はい」
「それから、庄司さん、ご心配なく。ここで襲われることはありません。敵は、龍一の居場所を知りたいんです。案内役を殺してしまっては元も子もありませんから」

 庄司は何も言わなかった。どこか不安そうに自分を見上げた弥生に、彼は口を結んだまま頷いてみせる。

「ええと、今お召しになっている物を一旦脱いでいただきたいんですけど」

 二人の様子を注意深く見守って、コスモスは言いながらちらりと庄司に視線を走らせる。すると、弥生もはっと意味を理解して赤くなる。

「あ…俺、じゃ、外に…」

 視線の意味を理解して、庄司はまだどこか不安に思いながらもそう言うと、「いえ、この扉の向こうにもう一つ部屋がございますから。そちらでお休みになってください。そうですね、10分もかからないと思います」とコスモスは壁側の扉を指した。

「…大丈夫か?」

 最後に、庄司が弥生にそう声を掛けると、彼女は微かに頬を染めて頷いた。庄司が気に掛けてくれたことが嬉しかったのだろう。庄司は既に化粧品を取り出しているコスモスの様子をちらりと一瞥し、そして、微かな違和感を抱きながらも扉へと手を掛けた。

 扉を開けてみると、そこは単なるすとんとした真四角な部屋があるだけで、窓からの明かり以外、照明も設置されてしない。不思議な空間だった。

 そして、庄司が、何もないその空間でふといろいろな思いを巡らしている間に、コスモスはさっさと弥生を着替えさせ、簡単な化粧を施し、髪を束ね上げてピンで留め、ちょっと洒落た帽子をかぶせてあっという間に彼女を‘可愛い男の子’に仕立て上げた。

「庄司さん、どうぞ」

 扉を叩かれ、庄司ははっと我に返る。その間、僅か7分くらいだった。そして、そこにいる弥生を見て、彼は思わず目を疑う。柔らかな印象だった彼女の表情は目元や頬に施された化粧品のマジックで、キリッとした少年のものに変わり、ふっくらとした衣装は彼女の華奢な身体の線を隠し、一見してお金持ちの遊び人のお坊ちゃんのようになっていた。

 絶句している庄司に、弥生は不安そうに彼を見上げる。

「庄司さん、そんな顔して弥生さんを不安がらせないでください。何か言葉を掛けて差し上げてくださいよ」

 コスモスは笑いながら道具をバッグに詰め込む。

「あ、…ああ、可愛い…よ」

 どう言葉を掛けて良いのか、庄司にも分からなかったのだろう。しどろもどろの彼に、弥生はようやく笑顔を見せてくすくす笑った。

「男の子に見える?」

 声は弥生のものなのに、その印象はまったく違う。まだどこか庄司は茫然としていた。

「あ、ああ。…すごいな」
「じゃ、出かけます。庄司さん、貴方はここまでで、お引き取りいただきます。後は私が責任を持って『花籠』本部へお連れいたしますから」
「しかし…っ」
「そういうお約束です、申し訳ございませんが」

 コスモスは微笑みながらもきっぱりと告げる。

「失礼だが、君、本当に弥生を守れるのか?」

 すると、コスモスは、ああ、と微笑んで、不意に表情を崩した。

「僕は、男です。こんな格好はしてますが、スカートの中には武器を仕込んでありますし、周囲に更に護衛がつきます。ご心配なく」

 少し高めではあったが、その声は間違いなく男のもので、そして、表情も一段男性的な色を帯びていた。
 それを見て、庄司と弥生は言葉を失い、唖然とする。そして、次の瞬間、庄司は叫んだ。

「お前、…お前っ…弥生の裸を…っ」
「大丈夫です、下着は外してませんし」

 不意に女性に戻ってコスモスは微笑み、きゃっ、と弥生は真っ赤になった。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(8) ▲PageTop

花籠 4 (奏でる旋律に乗せて) 29 

花籠 4

「何かあったら…、いや、何もなくても、連絡はいつでもくれ」

 最後に、庄司はそう言って弥生を見つめた。劉瀞に弥生への想いを打ち明けてからも、庄司は弥生にアプローチひとつしなかったし、好きだという素振りを見せたこともなかった。

 それでも、そう言って見つめた彼の瞳の色で、弥生には伝わっただろう。
 うん、と頬を染めて、彼女は泣きそうな笑顔を見せた。

 羽鳥とは何者なのか。男女の別も年齢も不詳とは一体どういうことだ、と庄司は微かな嫉妬をおぼえていた。しかし、そんなことをここで言う訳にはいかない。

 今は戦いの真っ只中で、劉瀞の言葉通り、『花籠』内に置いた方が彼女の安全は確保される。それは分かっていた。彼女の身を心配しながら中途半端な仕事をする訳にはいかなかったのだから。

 すべて準備するからと言われ、弥生は何も持たずにコスモスに従ってその部屋を出ていき、庄司は一人取り残されたその空間に、がっくりと力が抜けた。

「庄司さん、弥生さんに風貌の似た女性を用意しております。弥生さんの服をお借りしてその女性に着せますので、彼女と一緒にここを出て、そして、彼女の指定する場所まで一緒に行って差し上げてください。お借りした服は、後日お返しにあがります。」

 この部屋に案内したホテルの男性の言葉に庄司は頷いた。

 失う訳ではない。もう会えない訳ではない。今は、彼女のことを気にせず、心配の必要が減ったことに感謝して仕事に戻るべきだ。

 すう、と息を吸い込んで大きく吐き出し、彼も、その部屋を後にし、連れの女性の支度を待った。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(2) ▲PageTop

花籠 4 (奏でる旋律に乗せて) 30 

花籠 4

「待ってたよ~、弥生ちゃんっ」

 飛びつくように小柄な羽鳥に抱きつかれて、弥生は驚いてよろけそうになった。背丈はそれほど変わらないが、羽鳥はものすごく細かった。恐らく、彼女が羽鳥の姿を直接見た、初めての外部の人間であろう。

 あ…っ、なんて綺麗で可愛らしい子なんだろう?
 それが弥生の第一印象だった。

 そう、羽鳥は女の子で、しかも、恐らくまだ14~15歳。大人になりきっていない少女の体つきをした本当に小鳥のように小柄な子だった。くるんと丸い大きな黒い瞳と、栗色の長い髪の毛。頬にはソバカスが少し、可愛らしく並んでいる。日に焼けているというより、もともと少し肌の色が日本人より濃いようだ。

「あ、は…はじめまして。弥生です…あの、羽鳥…さん」
「いいよぉ、呼び捨てで。さん付けなんてされたこと、ないしぃ」

 身体を離してにこりと彼女は笑った。まるで邪気のない瞳なのに、その奥には知的な光が宿り、どこか小悪魔的な魅力がある。

 何度か交通機関を変えて、最終的に車で数時間走り続けて着いた先は、蔦のびっしり絡んだ古いレンガ造りの大きな屋敷だった。周囲は深い森に囲まれ、かなり近づかないと建物があることすら分からない。雑草が生い茂る庭にはかつては丁寧に手入れされていたのだろう、という花壇の跡があり、玄関の周囲だけは綺麗に手入れされていた。

 古びた大きな扉を開けると中は思ったよりもこぎれいで、薄暗かったがそれほど陰湿なイヤな感じはしない。むしろ、どこかほっとするような温かい空気が感じられた。

 コスモスに案内されて、中央にある朱色の大きな階段をあがり、弥生はそのまま奥の応接間のような部屋へ通された。そして、そこで弥生の到着を今か今かと待ちわびていた羽鳥と感激の対面、となったのだ。

「ここではあたしに何でも聞いてね。食事の支度だけは交替でいろんな人が来てやってくれるけど、他は基本、自分でやんなきゃならないんだ」
「あ、それは大丈夫です。あの、食事の支度ももし良かったら私が…」
「ええっ? 本当? 嬉しい~!」

 本気で喜んでいるらしい幼い顔を見ると、弥生はちょっと施設の子たちのことを思い出して微笑ましくなった。そして、彼女のことがとても可愛く思えた。

「まずは、私は何を?」
「ああ、ううん。今日はまず部屋でゆっくりして。コスモス、案内お願いしても良い?」

 羽鳥の言葉に、コスモスは肩をすくめる仕草をして、どうぞ、と言う。

 羽鳥と龍一が今、緊急事態であることを、だけどそれを弥生に気付かせないようにしていることをコスモスは知っていた。昨夜の‘竹’の襲撃。敵もバカではなかったということだ。

 店主の無事が確認されておらず、コスモスは正直、気が気ではなかった。彼が殺られたりする筈はない、と信じてはいても、無事を確認するまでは落ち着かない。焼け跡の店に遺体はなかったということで、コスモスも彼の捜索に加わる予定でいた。

「弥生さんを案内したら、僕は任務に戻りますよ」
「うん、ありがとう」

 羽鳥はいたずらっぽく微笑んで、二人を見送る。そして、扉が閉まったのを確認すると、ついと奥の壁の前に立って模様に紛れた取っ手を引き、くるんと壁をまわして龍一のいる空間へ戻って行った。

 龍一は、羽鳥と、各店の店主、そして椿と悠馬にしかその姿を見せたことはない。
 そして、羽鳥は。
 生まれながらに驚異的な天才頭脳を持った英才児だった。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
*Edit TB(0) | CO(4) ▲PageTop

Index ~作品もくじ~



 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。