スムリティ(R-18)

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スムリティ  

スムリティ(R-18)

スムリティ 

 (1) 聖伝書。聖伝文学。念想。ヴェーダ文献などのシュルティが天から授かったものであるのに対し、スムリティは聖仙の作ったもの。『バガヴァッド・ギーター』や『マヌ法典』プラーナ文献などはスムリティに入る。
 (2) 記憶。念。想起。


<R-18>です。

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スムリティ (森の中) 1 

スムリティ(R-18)

 望まれずにこの世に生まれてきた子の運命は悲惨だ。

 一時期、コインロッカーに捨てられていた赤ん坊がいたが、もっと悲惨な最期を遂げた命だってきっと数え切れないに違いない。

 それに比べたら、マシだったと言えるのかどうか…。

 生命が生きようとするものなら、それにだけは添っていたのだろうが、命は魂と心があって初めて成立するなら、死んだ方がマシ、と思いながら生かされているのって、何も知らずに生まれてすぐに殺された方が幸せだったかもしれない。

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スムリティ (森の中) 2 

スムリティ(R-18)

 なんて表現すると、どんだけヒドイ目に遭っているんだろう?ということになるが、実はそれほどではない。

 最低限、生活は保障されているし、鞭を持った怖いオジサンにぶたれるわけでもない。脱走しようとして捕まって拷問されたりとか、そんなこともない。

 ただ、そうやってここに拾われてきた子ども達には、戸籍がない。

 一旦親に育てられ、虐待されたり捨てられたりして拾われて来る子は別だが、生まれてすぐに保護された子が多いので、基本的に私たちには姓はないのだ。

 戸籍がないから義務教育も受けられないし、何があっても医療機関も受診できないし、この国に生きている人々が普通に受けられる公共サービスは何も受けられない。

 ここでは、義務教育はないが、勉強は恐らくその辺の小中学校なんかより数倍厳しい。何かに秀でているかどうか、それが直接死活問題になるのだ。

 生きていくための基礎を教わったのち、それぞれの子ども達の素質や能力に寄って、いろんな訓練を受けさせられ、勉強させられ、年齢に関係なく卒業を勝ち取った子から、いずれ、然るべき場所に配置される。

 そして、組織のために一生働かされるのだ。
 この組織の目的が何なのか、私には分からないし、別に興味はない。

 この施設にはそれぞれの分野に専門の教官がいて、その上を束ねるトップが常在している。更に上には多くの人間がいて、どうも母体は海外にあるらしい。たまに、まったく訳の分からない言葉のメールが送られてきたり、英語やドイツ語、中国語、或いは、そのどれでもない言葉を電話口で聞いたりするので、そう感じるのだが。

 つまり、私はそういう中枢に近い場所にいる。

 なんで?
 ここで一番偉い人・・・らしい、イヤな目をする若い男の相手をするのが、私の役目だからだ。

 人より秀でた特技・才能のなかった私は、本来なら不要とされて或いは人知れず処分されていたのかもしれない。ここは、新しい子が入ってきたり、卒業と称されて出て行く子がいたりと、人の入れ替わりが激しく、昨日いた子がいつの間にかいなくなっていたなんてしょっちゅうなのだ。

 私がある日突然消えてしまっても、誰もなんとも思わないだろう。

「おい、美咲、誰が服を着て良いと言った?さっさと脱いでこっちに来い。」

 ローブを羽織って、ぼんやりと窓辺に佇んでいた私は、不意に背後から呼ばれ、虚ろに振り返る。そこには、総帥と呼ばれる薄茶の髪と明るい茶色の瞳の一見モテそうな甘いマスクの若い男がベッドに横たわっている。

 こいつはきっとどこか南の国とのハーフだろう。

 名前は劉瀞(りゅうせい)。およそ日本人らしくない。もっとも、こいつを名前で呼ぶのは私くらいのものだ。と言っても私が親しみを込めて名前を呼んでいるとか、名前を知っているのが私だけだから、とかではない。単にこいつが、こういう場では名前を呼べというので従っているだけだ。

 私は、ほぼ生まれたばかりで拾われて、ここに来て19年になる。

「…もう、お休みになるんじゃなかったんですか?」

 ほぼ、棒読みのような調子で私はその場に立ち尽くす。

「気が変わった。」
「…。」

 にやりと笑う劉瀞に、私はあからさまにがっかりした表情を向けたものと思われる。やつはすい、と起き上がってきて、私の身体を捕えるとローブを一気に引き剥がし、髪の毛を掴んで上を向かせ、口をふさぐ。

 ジュータンの上にすとんとローブの落ちた音が微かに響き、ガラス張りの窓から遠くの夜景が見える。ここはこの建物の最上階で、森に囲まれているこの施設の、その森の向こうの光が微かにだが見える唯一の場所だ。

 私はここに呼ばれると、その、未だ訪れたことのない外の世界を見つめる。私には生涯行くことは叶わないだろう、私とは違う、普通に生きて、普通に生活する人々の楽園の明かりを。

 『卒業』して外の世界に出て行き、ごくたまに何か特殊な訓練のためや、怪我や病気で戻ってくる人がいる。そういう人に、ここの子ども達は群がる。外の世界の暮らしや人々のことを夢中で聞くのだ。

「んっ…」

 呼び出しておいて、やっぱり今日は疲れたから早めに休むよ、とシャワーを浴びに消えたくせに、ほっとしたのも束の間、結局、私はこいつに良いように弄ばれる。

 私が、初めてこいつに呼び出しを受けたのは、16歳のときだった。
 そういう使い道を見出されて私は辛うじて生かされてきたのか…。


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スムリティ (森の中) 3 

スムリティ(R-18)

 生きることに、希望はない。
 ここで、ただ朽ちていく人生に、どう夢を抱けというのか。
 それとも、これは私のわがままの域を出ない贅沢なのだろうか?
  


 
「外へ連れ出してやろうか?」

 その日、劉瀞は、すでにほとんど意識が危うくなっていた私に耳元でそんなことをささやいた。

「恋のひとつもしてみたくはないか?」

 私の身体を貫いたままで、まだ彼は中で熱く脈打っている。私の頭は白く霞がかかったようで、言葉がマトモに入ってこなかった。

 朦朧としたまま、彼が私の唇を割って、舌を差し入れてくる感覚を得る。柔らかく深く、甘い熱い液体が喉の奥に流れ込んできて、私は苦しくなってそれを飲み込む。

 不意に唇を解放され、もう麻痺しかかっている下半身に更に熱い刺激を感じ始める。

「あ…あっ、あぁ…ぁぁ…っ」

 何度も意識がとび、ほとんど闇の中で私は喘ぎ続けていた。




 目覚めた時、私は身体を何かで固定され、手足が動かない状態だった。いや、しっかり覚醒してよく見ると、固定されているのは腕だけで、あとはだるくて動けないだけだと判明した。

 私は白い診療用のベッドに寝かされ、身体には毛布が掛けてあり、両手首が何か金具で固定されていた。

「や…っ、何?」

 かすれた声で叫ぶと、頭の上から劉瀞の声がした。

「ああ、起きた?」
「…どうして?何…してるんですか?」

 私は声のした方を見上げるようにして文句を言う。

「すぐに済むから、騒ぐなよ。」
「なっ?何が?」

 左手首は更にベッド脇の棒状の金属に向かって伸ばされて、手首には包帯のようなものがグルグル巻かれている。そして気配に気付いてよく見ると、他にも数名人がいた。見たとことのない部屋。窓はなく、何やらいろんな機械がたくさん置いてある。

 不意にばさり、と顔を覆う布が掛けられて視界を遮られる。

「いやあぁぁぁっ」

 なんだか分からないなりにも、恐怖を感じて私は叫ぶ。足をバタつかせようにも、うまく身体に力が入らない。もがく私を無視して、頭の上では劉瀞と知らない男の声が不穏なことを相談し始める。

「こんな感じで良いでしょうか?」
「もう少し細く出来ないかな。見た目がごつすぎる。」
「では、あと1ミリ、外枠を削りますが、それでぎりぎりですよ?」
「うまく中に埋め込んで…、そう、これも万が一を考えて二重の保護で。」
「防水は大丈夫です。耐火は…まあ、本人が死ぬくらいの火だとこいつもヤバイでしょうね。」
「本人が死んだら意味ないから、それで充分だよ。」

 な…っ、なんの話しっ?

「やだやだっ、やめてっ…いやぁぁ」

 何がなんだか分からなくて、私は、無駄と知りつつも泣きわめく。

「うるさいよ、美咲。暴れると麻酔を打つぞ。」

 私のすぐ頭の上から劉瀞の苛立った声が降ってくる。びくりとその声に反応して私は黙る。16のときから躾けられている。この声には逆らってはいけないと。

 もう、諦めて私は何が起こるのか分からない恐怖に震えるしかない。
 左手首には更に何か金属布のようなものが巻かれる気配がする。食品を包むアルミホイルのような感触だ。

 そして、ぎゅっと手首を細い何かで縛られたような感触の後、一瞬、ものすごい熱を感じて私は歯をくいしばる。手が焼けるような気がした。しかし、すぐ次の瞬間には冷たい空気を左手全体に感じ、熱さはほどなく消え去った。

「これで、大丈夫です。」
「もうくっついたのか?早いな。」
「細いですからね。」

 そして、手首を覆っていたものが次々と外され、自由になったらしい私の左手を、誰かの大きな手がぎゅっと掴んだ。

「い…いたっ」

 不意をつかれて思わず叫ぶと、劉瀞の声が笑った。

「手も無事のようだな。」

 両手の戒めを解かれ、顔に掛けられていた布を取り払われて、茫然としていると、劉瀞が、私を毛布ごと抱き上げた。

「ありがとう。」

 そう言って、私を抱えたまま彼はその部屋を出る。

「あ・・・っ、あのっ、ちょっと…っ」
「なんだよ?」

 扉が背後で閉まり、目の前には暗い廊下が続く。

「自分で歩けますから…っ」
「それはそうだろうけど、お前、裸だぞ?良いのか?」
「ええっ???」

 必死に劉瀞にしがみついていなければならなくて、そのとき、私はまだ気付かなかった。私に何が起こったのか。


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スムリティ (森の中) 4 

スムリティ(R-18)

「何…?これ。」

 私の左手首に巻かれた銀色のチェーン…というのか、一見、見た目は単なるブレスレットのような中央にゴールドをあしらった、綺麗だけどやたら丈夫そうなその代物。一箇所に平べったいプレートがあり、そこには何かデザインが施され、そのデザインに紛れて識別番号のようなものが刻まれている。

 そして、何より。
 これは絶対に外せない。手首には多少余裕がある緩さだったが、手を通り抜けることは出来ない程度の長さなのだ。取り外しの金具がなくて、まったくの輪であるそれは、チェーンに紛れて溶接した跡があり、さっきの熱はそれだったのだと愕然とする。

「気にするな。迷子にならない為のお守りのようなものだ。」

 やつの部屋に戻り、私はようやく着替えを渡されて、初めて自分の左手を見たのだ。

「…そんな物、いつ、どこで必要なんですか?」

 確かにそれほど気になる物ではなかったが、なんだか首輪でもつけられたみたいで気分が悪い。

「外に出たときにね。」
「外…に、出られるんですか?私。」

 あまりに意外なことを言われ、私は驚いて着替えの手が止まった。

「言っただろ?連れ出してやろうか?って。」

 やつは意味ありげな笑いを見せる。

「…本当ですか?」
「なんで、嘘なんて?」
「…。」

 月に一度会うか会わないかのこの男を、実は私はよく知らない。ここにいない間、どこで何をしているのかも。この施設にこいつがいるとき、大抵私は呼び出されて一緒にいることが多いから、それ以外はここにいないということだ。

 そして、こいつがいない間、私はというと、この施設にいる幼い子たちの面倒をみているのだ。捨てられる子どもの数は、今も昔も減っていないということなのか、数は多くはないが、常に乳幼児がここにはいる。もしかして、この組織がどこからか子どもをさらってきているんではないかと疑ったこともあったが、そうではないことがすぐに分かった。

 中には、言葉を話せる程度になってからここに来る子もいるのだが、一様に虐待を受けたり、遺棄されたりして、そのままそこにいれば死んでしまっていた…という境遇の子ばかりなのだ。まだろくに意思表示も出来ない子でも、虐待の爪あとがある。

 私は、…いつか教えられた、私は単なる遺棄児だったから、まだマシだったのだと。虐待を繰り返されてきた子は、マトモに成長させることが本当に難しいのだと。

 それを、私も、ここで子ども達の世話をしながら、身を持って体験している。
 虐待は、身体だけではない、心をこそ、壊してしまうものだと。

 とにかく、ここにいる子ども達は抱いてあげなさい、と言われる。撫でてあげたり、ぎゅっと抱っこしてあげたり、頬を合わせたり、そういうことが必要なのだと。

 泣きわめくだけで、言葉を話すどころか、意思表示をマトモに出来なかった幼児が、ある日、私を「ママぁ」と呼んで抱きついてきたときの感動を忘れられない。その子が、その一言を、どれだけ言いたかったのかを知った瞬間だった。

 愛して、温めて、守ってくれるはずの‘母親’のぬくもりを、どれだけ求めていたのか。

 そうやって、子どもの世話をする女性たちは、皆、大抵本当の‘お母さん’という年代の人ばかりで、私くらい若い子は他にいない。それでも、人手は常に足りていない。重症の子は、一人がかかりきりで面倒をみないと回復出来ないし、他の子も皆、親の愛に飢えた子ばかりなので、誰もがその‘お母さん’を求めている。

 私は、まだプロ?ではないから、その隙間を埋める程度の役割しか出来ていないし…。

「いずれ、外に出て生きていく子ども達を育てているんだから、お前も外の世界を知らないとな。」

 やつは至極真面目な表情で言う。
 一応、マトモなことを考えてはいるんだ、と私は失礼なことを思う。

 だけど、その降ってわいたような外出許可、とでも言うのか?生涯、この景色以外見ることはないと思っていたモノクロの人生に、突然、色が付いたような気がする。

 視界が開け、夢を抱くことを知ってしまう。
 …本当だろうか?

「ああ、さっさと着替えな、美咲。今日は子ども達の健康診断日だろ?行って手伝え。それに、お前もだろ?」

 ふと時計を見て、劉瀞は言った。

 そう。この施設では月に一度、身体検査というのか、健康診断がある。身長・体重の測定をして、問診があり、必要と判断されれば採血・採尿検査もある。そして、レントゲンとかMRIとかの設備もあるらしい。

 健康、という概念、身体についてはここでは必須科目として、幼い頃より、一番基本的なことを教わり、実際に自分たちの身体でいろいろな実験も行われる。

 まぁ、生きていくのに支障が出ない程度にではあるが。
 つまり、食べ物の偏りに寄って、身体がどうなるのか?とか、病気とは身体がどうなった状態なのか?ということを、徹底的に学ばせられる。

 実際に、肉ばっかり食べて生活してみたり、野菜ばっかり食べてみたり、ということをグループに分かれて一週間単位で実験し、それに寄る血液の変化を目で見て確かめる。体調を数値で確かめる、などということもやる。

 野菜や果物も自給自足だし、牛や羊や鶏も普通に飼っている。
 そういう生活の中に位置づけられているその健康診断では、女性では月経に関する質問もあり、細かな自覚症状も逐一チェックされる。そして、一人ひとりのデータはコンピュータ管理されている。

 ああ。それでかぁ…。と私は関係ないことを突然気付く。
 この4年間、劉瀞が特に避妊している気配はないのに、私が妊娠しないのは、月経周期を把握されているからなんだ、と。


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スムリティ (森の外) 5 

スムリティ(R-18)

 テレビや映画などの映像媒体を、私たちはあまり観る機会はない。あまり、ないがゼロではない。選局はされるが、ニュース報道などやホームドラマのようなもの、歌謡番組などをたまに目にすることがある。だから、多少感覚がズレてはいても『外』に出たとき、まったく生きていけない訳ではない。

 外の世界に出る前には、そのギャップを埋めるための中間施設があるそうだ。そして、そこは『外』に適応していけない人が一時的に避難して、リセットしてやり直すために滞在出来る施設でもある。大抵はそこでカウンセラーや同じように帰ってきた避難者と暮らす内に、元気を取り戻して外の世界に適応していく。それすら困難で、更に病気になってしまったりした人はこの施設に戻る選択肢もある。

 私からすれば、こんな退屈な場所に戻りたい人間がいる、という方が信じられない。
 私は、ここを出る見込みが初めからほとんどなかったから、余計に憧れていた、ということもあるのだろうけど。




 ここを出る人たちは事前にいろいろ準備をするらしいのに、私は、何の準備もないまま、翌日あっさり、劉瀞に連れ出された。
 お陰で、その降ってわいた幸運に浸って興奮する間もなく、半信半疑のまますでにここにいる。

「…良いんですか?」

 と、どこか疑わしそうな私を見下ろして、劉瀞は言う。

「お前の場合はずっと『外』にいるわけじゃない。ここに戻ってくることが前提だから、せいぜい勉強してきな。」

 ‘ずっと『外』にいるわけじゃない’
 なんだ、つまりすぐに連れ戻されるわけか。遠足か何かか?この企画は?

 そんなことをぶつぶつ一人で思っている間にも、私たちを乗せた車はどんどん施設から離れ、うっそうとした森の中を走り続ける。

「勉強…って、いったい何を?」
「今日はとにかく好きなところで好きなように過ごしてみな。夕方、迎えに行く。」
「…はあ。」

 見当もつかず、私は頷く。

 聞いてきたのは、お金の使い方。あと、道路標識の見かたや信号の渡り方、程度。現地で、先にこちらに来ている施設出身者が案内してくれるという。

 誰…かな?
 あまりうるさく質問するとこいつは仕舞いにはじろりと私を見下ろして無言になる。
 その視線はかなり怖いので、私はあまり物事にこだわらないようにする癖がついた。

 その場で、なんとか切り抜ければ良い。何かをどうにか出来るのは、今現在目の前にあることだけなのだから。見えないことを、まだ目の前に来てないことを心配していろいろ考えたって疲れるだけだ。

「とにかく、無事で戻って来い。」
「…え?」

 公園の駐車場のようなところで車を降りるとき、意外なことを、意外な声色で言われ、私は本当にこいつの口からその言葉が出たのか、思わずやつの顔をまじまじと見つめてしまった。

 まるで、本当に心配しているみたいじゃん。
 っていうか、私がこっちで問題起こしたら確かにマズイわけよね。

 一人で納得していると、劉瀞は、そのまま車で去ってしまう。
 私が、茫然とその車を見送っていると、不意に背後から声を掛けられた。

「美咲~!」

 振り向くと、弥生が走ってくるのが見える。

「えっ?弥生?」

 彼女は、私とほぼ同い年、こっちに出てくるに当たって戸籍を取得し、事情を知るあるご夫婦に養子縁組をし、高校に普通に通わせてもらって、今は働いているはずだった。

 事情を知る…というか、その夫婦も結局は施設の関係者なのだから、養子縁組と言っても形だけらしい。夏休みや冬休みの度に数日間だけ施設に戻って来た弥生は、楽しそうにこっちでの生活を語ってくれた。私が羨ましがると、弥生はちょっと困ったような笑みを浮かべて私を見つめたものだった。

「久しぶり~!何年ぶり?」

 弥生は私の手をとって、嬉しそうに微笑む。少し淡い色の髪の毛も、大きな目も、笑うと目が細くなってきゅっとあがる口の端の、どこか幼さを感じるような屈託ない笑顔も変わってなかった。

「1年しか経ってないよ。去年会ったじゃない。」

 私は言った。彼女は高校の最後の冬休みも顔を出しに帰ってきていた。本当は、一旦、外に出た人間は余程の理由がないと施設への出入りを許可されないはずなのに、何故か彼女には甘かったらしい。
 彼女はもともとあまり丈夫じゃなかったから、何かそういう身体のことが関係しているのかもしれない。

「…仕事、じゃないの?」

 あれ、そうだっけ?と笑う彼女の笑顔に、私はそっと聞いてみる。

「今日は休み。月に8回休みが取れるから、曜日に関係ないの。」
「ふうん…。」
「どこ行く?お店とか入ってみる?…そうだ、お金、いくらもらってきたの?」

 私はよく分からなくて、持たされたバッグから、更に持たされた財布を出して彼女に見せる。

「5万円…か。これ、今日一日分だけじゃないよね。じゃあ、食事してちょっと遊んで買い物したら終わりだね。いつまでいられるの?」
「え?…分かんない。とりあえず、今日は一日好きにしてろって言われて。」
「総帥に?」
「そう、そいつ。」
「私も、とりあえず、今日一日案内してくれ、ってしか聞いてないから、…そっか、もしかしてもう帰っちゃうのか。」

 ちょっと寂しそうな弥生に、私は笑って言う。

「今、会ったばっかりなのに、終わりのことは考えるのよそうよ。とにかく、私は何にも分からないから、いろいろ見たい。」
「そうだね!」

 弥生はにこっといつもの柔らかい笑顔を作って、私の手を取ったまま歩き出した。

「このまま公園を散歩して、あそこのアイスクリーム食べよ。」


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スムリティ (森の外) 6 

スムリティ(R-18)

 弥生は、虐待こそ受けなかったが、やはり社会の歪の犠牲者だった。
 貧しい暮らしの中で、もうどうにも生きていけなくなるまで追いつめられた彼女の両親は遂に一家心中を考える。そして、弥生がまだ3歳に満たない頃に、父親が運転する車で、母親が彼女を抱いたまま、車ごと海に飛び込んだのだ。たまたま、それを目撃していた人がいて、通報され、救助された一家は、しかし、両親は二人とも致死量の睡眠薬を飲んでいたようで、奇跡的に生還したのは弥生だけだった。

 記憶にはなくとも、弥生の身体は覚えているのだ。
 ‘死’を覚悟した母親に抱かれていた、震えるような悲しみの闇を。
 世界から拒絶され、追いつめられた両親の深い絶望と呪いを。

 意識を取り戻した弥生は、脳波に異常はなかったのに、そして、両親の‘死’を知るはずはなかったのに、目覚めてももう両親を呼ばなかったという。
 どこかで知ってしまったのだろう。もう、自分を愛し、守ってくれる人は死んでしまったのだ、ということを。




 初めて、普通の社会を見た私は何もかもにいちいち興奮した。

 人間の多さ、いい加減さ、そして何か空気の密度が違っているような、空気の中に含まれる妙な微粒子、とでもいうのだろうか?そういうものの濃密さにくらりときた。

 風も光も色が違って見えたし、賑やかな通りの人込みや、色とりどりの店や人間のファッションや、音楽の多様さにびっくりした。画像で見るのと、実際に自分が肌で感じることのギャップがなんだか嬉しかった。本当に今ここにいるんだ、と私は何回も思った。何もかも珍しくて綺麗で、すべてが幸せそうに見えていた。

 弥生は、そんな私の様子を、ちょっと懐かしそうににこにこ見ている。
 私もそうだったよ、と言葉ではなくただ目でそう云っていた。

 店に入って、商品を選んでお金を払って手に入れる。
 その一連の動作が、私にはものすごい貴重な体験だった。どきどきして、かあっと頭に血がのぼったままで、何をやっているのか何を言っているのか、さっぱり分からずに終わっている。
 弥生が、何事もなくそれらをこなしている姿を惚れ惚れと眺めてしまった。

「あ、お昼に庄司と約束してるんだけど、一緒で良い?」

 そろそろ11時をまわるころ、弥生は時計を見て言った。

 庄司とは、やはり施設の子だった、彼女より2つくらい年上の男だ。彼は、やはりこっちで高校に通い、頭が良かったので、なんだかけっこうな職業に就いているはずだった。彼とは、ずいぶん会っていない。庄司があの施設を出て行って以来だ。

「良いけど。…連絡取ってたんだ。」

 私は懐かしい気持ちになって言った。

「うん。私、こっちに来てからずっと、いろいろ相談に乗ってもらってたから…。」

 どこか淡い笑顔で弥生は笑う。何故か悲しそうに見えて、私は、おや?と思う。

「元気なの?庄司くん。」
「うん、めちゃめちゃ元気!全然変わってないよ。」

 弥生の笑顔がぱああっと花開いた。


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スムリティ (森の外) 7 

スムリティ(R-18)

「おう、美咲。お前まったく変わってないなぁ!」

 待ち合わせ場所だという何とかっている銅像の前で弥生とおしゃべりしていると、不意に後ろから背中を叩かれる。

「いったいなぁ!顔見る前にどうして変わってないって分かるのよ!」

 振り返って庄司を見上げると、ビシッとスーツを着て、サングラスをかけた大男がそこにいて、私はびっくりした。元からまあまあ良い顔をした男ではあったが、正装した姿は何割か増しカッコよく見える。しかも、目がサングラスに隠されているので、どこか怪しい。

「久しぶり!今日は社会見学だって?」

 私の動揺には構いもせず、庄司は笑って弥生にも挨拶し、「こっち、こっち。」とすぐにどんどん歩き始める。

「ランチにはぴったりの店、案内するよ。」
「え?ちょっと待ってよ。」

 弥生は苦笑しながら、慌てる私の手を取って彼の後ろを歩き始めた。

「もう少し落ち着いて挨拶とか出来ないの?」

 私がぶつぶつ言っているのを聞いて、弥生は微笑んだ。

「庄司は忙しいからね。」
「なんか、まあ頑張ってるみたいだね。普通の人みたいに見えるよ。」
「うん、私もこうやってたまにランチを一緒に出来るのがせいぜいだもん。」

 庄司は、相変わらず大きな声で賑やかにいろんなことを話し、私が何でも感動して驚いている様子を無遠慮に大声で笑う。見かけは変わっても、中身は本当に全然!変わってないじゃん。かなりムカッとして私は文句を言ってみる。

「いや、懐かしくてほっとするよ。お前は変わるな。美咲が変わらずにいてくれることは俺たち『外』の人間にとって救いであり、励みだよ。いつでも原点に還れる。大切なことを忘れずにいられる。」
「何のことよ?」
「『外』はいろいろあるってことさ。」

 ほんの少し彼の光が陰った気がして、ふと、私は、あれ?という気持ちになる。この感じ…、なんか、知ってる気がする。しかし、それを反芻する間もなく、更に賑やかな通りの小さな店の前で、彼は「ここだよ!」と嬉しそうに声をあげていた。


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スムリティ (森の外) 8 

スムリティ(R-18)

 他愛ない会話をしながら食事を済ませ、庄司は仕事へ戻り、私は弥生とその辺の店を見て歩いて楽しんだ。弥生は特に何も言わなかったが、そうか、彼女は庄司のことが好きなんだ、と私は感じた。

 彼を見つめる弥生の瞳が、いつでも切なく熱かったのだ。
 それに、庄司が気付かないわけはないと思うのだが、彼の態度はまったく友人のそれと変わらなかった。私には遠慮なくずけずけと何でも話し、弥生にはむしろどこか他人行儀だった。わざと知らぬ振りをしているのか、或いは本当に分からないのか…。

「そういえば、総帥とはどこで待ち合わせ?あの公園に戻れば良い?」

 夕方近くなって、弥生にそう聞かれ、私はその日、二度目のアイスクリームを舐めながら、あれ?と考える。

「そういえば、どこにいろってことは言われなかった…気がする。」
「そんなぁ。じゃあ、どうする?」
「…じゃ、あの公園まで連れてってくれる?」
「それは構わないけど、夕飯、ウチで食べてからで良い?あの公園から近いのよ。」
「そういえば、時間も何も聞いてないわ。」

 さすがに、弥生は呆れた顔をした。

「何か、連絡手段は?携帯電話とかある?」

 私は言われて、カバンの中をごそごそ探ったが、それらしきものは見当たらなかった。

「まぁ、良いわ。私が一緒ってことは分かってるわけだから、いざとなったら私の家に迎えにいらっしゃるんでしょ?」

 弥生は笑った。


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スムリティ (森の外) 9 

スムリティ(R-18)

 結局、劉瀞は、本当に弥生の部屋まで迎えに来た。

 弥生の作ってくれた夕飯を食べて、更に一緒にテレビなんかを観てくつろいでいるときだった。どこにいても弥生のそのきちんとした生活スタイルは変わらなくて、周りを可愛いもので囲みたがる寂しがりやのところも変わってなくて、その女の子らしい部屋を見たとき、なんだか私は本当にあの施設で一緒に過ごした時間に還ったような気がした。

「総帥…って、私一度も間近でお会いしたことなかったけど…怖い方なんでしょ?」
「怖い…というのか、何を考えているのか私にはさっぱり分かんない。不気味だよ?」
「でも、美咲には優しいんでしょ?」
「それは、きっぱり、ない。」

 弥生は本気でちょっと怯えていた。

「ねえ、この会話、どっかで聞かれてるとか…ないわよね?」
「聞かれてたって、別に困ることは言ってないじゃない。」

 本当のことだし、と私は笑う。
 私は、弥生の部屋の大きなヌイグルミを抱いて壁に寄りかかっていた。

 ‘総帥’は確かに組織のトップで、偉い人で、もしかして、一般市民にとっての天皇陛下のような存在なのかもしれないけど、劉瀞という人間を知っている私には、単なる一人の男に過ぎない。

 ただ、一個の人間としてのあいつは、確かに器は大きいのかも知れない、と感じることはあった。
 最中にも、時々、外部から電話が入ったりすることがある。その瞬間は確かに険しい表情をして応対するのだが、決してイライラを声に出すことはなかったし、また、私に八つ当たりをしたりとか、そういう子どもっぽいことは一度もなかった。

 そして、やつは礼儀にはある程度厳しいのだが、それを相手にだけ要求することはない。
 会えばまず、必ず笑って挨拶をする。相手が誰でもだ。それに、相手の話をしっかり聞く。少なくとも、何もかもを押し付けはしない。

 彼を訪ねてくる客人との会話を、私はよく夢うつつのベッドの中で聞くが、やつは人を見下した態度を取ることもないし、本当に今まで、私が不快になるような事態を引き起こすことは一度もなかった。

「基本的に、やつは施設にいる子にはすごく寛大だし、実際、いろいろ心配はしてるよ?」
「…そ、そんな話しもするの?」
「うん、たまに聞かれる。検査値の引っ掛かってた子がどうなったか?とか、情緒のずっと不安定な子に、どう接してるのか?とかね。」
「ふうん、親…みたいだね。」
「一応そのつもりもあるんじゃないかな。」
「まだ、お若いんでしょ?」
「実質年齢は知らないけど、そんなオッサンじゃないみたいだね。」

 弥生と劉瀞のことに関して話したのは初めてだった。

 14歳で、私は総帥に仕えることになるから、と言い渡され、その後は他の子たちとは違う礼儀作法だとか、実際の夜の相手の仕方だとかを教え込まれた。

 施設内で、他の子たちが、ちょっとした恋愛なんかを楽しんでいる姿を私はただ見ているしか出来なかった。さすがに、総帥に喧嘩を売る男の子はいなかったというのか…、或いは、単に私に魅力がなかっただけかもしれないが、私自身も、そういう恋愛感情を他の男の子に抱くことすら禁じられていたのだ。

「どうしよう?そろそろ公園に行って待っててみる?」

 弥生が不安そうに言ったとき、不意に玄関のドアホンが鳴った。
 私たちは顔を見合わせ、弥生が返事をしてドアの覗き窓から外をみて「あっ」と声をあげた。

「…ど…どうしよう?」
「劉瀞?」

 弥生は青ざめて頷く。

「じゃ、私帰るね。ありがとう。」

 私はカバンを抱えて玄関へ向かう。

「あ…あのっ…私も挨拶した方…良いのかな?」

 弥生が泣きそうな声でこそこそと聞く。

「そうだね。した方、良いよ。その方がやつも喜ぶよ。」
「で…っ、でも…」
「大丈夫だって。」

 私は扉を開けた。ワイシャツ姿の劉瀞が普通に立っていて、私の顔を見るとにやっと笑う。背後には運転手が控えていた。車は駐車場に停めてきたらしい。

「無事だったようだな。」
「あ…あの…っ、こっ…こんばんは。」

 私の背後に隠れるように弥生は小さな声で頭をさげる。

「ああ、弥生ちゃん。今日は世話を掛けたね。次の休みのときももしかしてお願いするかもしれないから、よろしく頼むよ。」
「えっ?」

 と、私たち二人は同時に声をあげ、顔を見合わせる。

「良かったね、美咲。また会えるんだね。」
「うん。」

 私たちは手を握り合って笑った。

「戸締りはしっかりしてください。」

 劉瀞は、見送る弥生に微笑んだ。弥生はすっかりどぎまぎして、真っ赤になりながら、頷いていた。


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スムリティ (森の外) 10 

スムリティ(R-18)

「弥生の部屋だって、…分かってたんですか?」

 車に乗ってから、ふと私は聞いてみた。

「ああ。」

 劉瀞は時計を見て、何か考え事をしているようだった。そんなときにうるさく話しかけるとニラまれるので、私は黙った。

「夕飯は食べたのか?」
「弥生が作ってくれましたので。」
「ああ、そうか。…俺も食いたかったなぁ。」

 半ば本気で残念そうにやつは言う。

「仕方ない。ちょっと付き合え。お前にはデザートだけ、食わせてやるから。」

 いつも思う。こいつって品が良いのかガラが悪いのかよく分からない。物腰は柔らかいのに、どうしてこういう言葉遣いなんだろう?


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スムリティ (嫉妬) 11 

スムリティ(R-18)

「庄司に会った?」

 その夜、ベッドの中で今日のことを聞かれて、昼食を三人で食べた話しをした途端、やつはどこか機嫌が悪くなった。

「…はい。弥生が約束してたみたいで…。」

 私は何の気なしに淡々と話していた。久しぶりに会ったら、庄司がすごく大人っぽくなっていたというようなことを。
 ちょっとしたホテルのレストランで食事を取ったあと、やつは運転手を帰して、その上の階に部屋を取ったようだ。

 あの施設の無駄に広いやつの私室に比べれば、それほど豪華でもないシンプルな部屋だ。大きなベッドが壁際にあってその向かいにテーブルと椅子が数脚、それだけだ。
 しかも、バスルームとトイレが一緒になっている。変なの。

「何の話しをしたんだ?」
「何…って、特には。施設の子たちのこととか、庄司の今の仕事の話とか。」

 ふん、とやつは鼻を鳴らす。

「お前に未練がありそうなことを言ってなかったか?」
「はあ?」

 今日はイヤだと言い張った私を有無を言わさず強引に抱いたあと、更にまだ私の身体を撫でまわしながら、劉瀞は、今日は一日何をしていたんだ?と聞いたのだ。

 今さらとは思いつつも、今日はイヤだと言ってみたのは、せっかく『外』に出た感覚をしっかりと味わっておきたかったのだ。まだ、弥生と過ごした時間の興奮の余韻が残っていたし、目まぐるしかった一日の光景をゆっくり反芻して楽しみたかったのだ。

 こいつに抱かれたら、私はもう訳が分からなくなって、いつの間にか朝が来てしまうというパターンだ。

「庄司は、たった一人、俺に戦いを挑みに来た男だったよ。」
「…はあ。」

 何のことか分からなくて、私はするりと下へおりようとする劉瀞の手を必死に制しながら相槌をうつ。

「お前が欲しい、ってね。」
「んっ…んんっ」

 不意に劉瀞は、私の口をふさいで腰にまわしていた腕に力を込めた。抵抗する間もなく、私はやつの腕の中に抱きすくめられて、動きを封じられる。執拗に身体を撫で回されていたので、そこはずっと湿り気を帯びていたらしい。口を犯しながら、劉瀞の手は私の足の間をまさぐり、口が自由になったと思った途端、私は悲鳴をあげるしかなかった。

「きゃ…ぁぁっ、やあ…っ」

 無遠慮に私の中に侵入してきた劉瀞は、そのまま奥まで到達すると動かずに私の様子をうかがう。

「庄司は良い男になってたって?」
「…そ…そんなこと…言ってな…」
「確かに庄司は良い男だよ。人間としても、男としてもな。でも、美咲、お前は俺のものだ。」

 ぐい、と更に彼を押し込まれ、それは私の中を突き刺す。

「あっ…」
「覚えておけ、美咲。お前の身体を好きにして良いのは俺だけだ。他の誰にも触れさせることは許さない。」

 低い、静かな声だったが、それは本気で言っていることだけは分かった。絶対的な命令をくだすときの底冷えのするしんと沈んだ声だった。
 そんなすごまなくたって、別に私は庄司をどうこう思っているわけでも、特別な感情を抱いているわけでもない。
 それは、劉瀞に対しても実は同じなのだが、それでも彼の指示で養われている私が、敢えて彼に逆らったりはしないってことは分かっている筈なのに…。

「…だ、だって…‘恋’のひとつもしてみろ、って…」

 余計なことを言わなきゃ良いのに、なんだか、やつの物言いの理不尽さに、ちょっと私は抵抗してみる。

「ああ、そうだよ。それは構わない。お前も人並みに恋愛を楽しんでみるが良いよ。『外』で働いてみても良い。でも、それだけだ。」

 私の胸を鷲摑みして、劉瀞は、先端に舌を這わす。もう、どこもかしこもとっくに敏感になっていた私は背筋に走る電流にのけぞる。

「やっ…あ、あ、ああっ」

 手ですくい上げたり押し潰したりと私の胸を弄びながら、やつの舌は谷間や脇の下をくすぐる。繋がっている下半身がヒクついて、熱く疼きだす。触れ合っている部分が浸み出す液でべたついて、シーツを汚しているのが分かった。

「お前が狂って良いのは俺の腕の中でだけだ。」

 だんだん、やつの言葉が意味を成さなくなっていく。頭は朦朧として、ただ身体の熱さだけを感じる。
 こんな中途半端で弄ばないでよ、と私は結局、やつに哀願するしかない。

「りゅ…せ…お願…い…っ」

 私の言葉が聞こえているのかいないのか、劉瀞は、更に散々私をじらした後、いきなり激しく腰を動かし始める。そして、今度は自分がイキそうになるとそれを逃がして、私の方が何度イってもどこまでも責められた。

「んっ…んんっ、んぅっ…ダ、ダメ…もう…っ」

 目を開いていても、もう何も見えない気がするくらい、頭の中は真っ白で、揺らされる視界は光に満ちていた。熱くたぎる男が私の中で暴れ、そうかと思うと不意に動きが止まって生暖かい感触が胸を這い、唇を撫で、口の中を犯す。その熱い息遣いが耳のそばで何かをささやく。

 いつでもこいつのセックスは激しかったが、その夜は異常なほどだった。
 そして、恐らく真夜中過ぎに、やつが二度目の放出を終える頃には、私の意識はとっくになかった。


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スムリティ (嫉妬) 12 

スムリティ(R-18)

 翌朝、目を覚ますと、劉瀞の姿はなかった。
 私はあまりの疲労に身体を起こすことも億劫で、しばらくぼんやりとベッドから見える窓のカーテンの色を見つめていた。

 やがて、生理現象でどうしても身体を起こさなくてはいけなくなり、やっとの思いで、私は身体を起こし、ベッドから足を下ろした。
 いつの間にか、私の身体には薄い寝巻きのようなものが着せられてあって、なんだか分からないがため息が漏れた。

「い…っ、いたた…」

 聞こえる自分の声がどことなくハスキーで、声が枯れているのが分かる。確かにちょっと喉が痛い。
 しかも、身体中があちこちきしんで悲鳴をあげているようだった。
 よろよろとバスルームに辿り着き、扉を開けると眼前の鏡に、私は一瞬「…?」となった。

「怪我でも…した?」

 寝巻きから見えている胸元に赤い色が見えた。なんだろう?と思って、少し衣服を下にずらして、私は呆れた。

「何、考えてんの?」

 胸元だけではなかった。ほぼ全身至るところにキス・マークが刻まれていたのだ。後ろを向いて背中を鏡に写してみて、更に私は、はあ…とため息が出た。いつの間に…。

「自分の所有物だと思ってた女を、他にも欲しがる男がいるってことに混乱してんのかな?」

 ‘恋’のひとつもしてみたくはないか?と、やつは言った。だけど、私は、憧れはしたけど、実はあまりそういう激しいものも熱いものも持ってない気がする。特に、こうやって現実的にそういうことに絡んで無駄に理不尽な目に遭うと余計に。

 劉瀞って見かけに寄らず、嫉妬深いんだろうか?
 それとも、単なる所有欲? 支配欲?

 用を足して、ベッドに戻ると、さっきは気付かなかったが、枕元に何か紙切れが置いてあった。
『連泊することにしたので、好きなだけ休んでから、下のレストランで食事を取って(部屋番号を告げれば良いです)出かけてください。夕方までにはこの部屋に戻ること。』

 龍瀞の字を初めて見た。
 けっこう綺麗で繊細な字を書くんだな、と私は思った。殴り書きではなく、どことなく品のある丁寧な流れで書かれてあった。

「でも、今日は弥生は仕事だし、私、一人で何しよう?」

 呟いてはみたが、せっかくだから外へは出ることにした。
 今度はシャワーを浴びるためにバスルームへ入り、私は出かける支度を始めた。


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スムリティ (冒険) 13 

スムリティ(R-18)

 部屋を出ようとして、昨夜散々言われていたことを思い出した。

「あ、そうだ、部屋の鍵を…ええと、フロント?に預けるんだった。」

 机の上に置いてあった鍵を掴み、どきどきしながらエレベーターのボタンを押してみる。チーンと音がして、扉が開き、私は慌てて乗り込む。そして、次の行動を忘れて焦った。

「あ、あれ?どうして動かないの?」

 行き先の階のボタンを押すということをすっかり忘れ去っていたのだ。
 かなりしばらくパニックになったあと、そうだ、数字のボタンを触るんだった、と1階を指定する。いきなりその箱はぐにゃり、という感じで動き始め、私は眩暈がする。
 やっとその箱から吐き出されて、私は頭がくらくらした。

「レストランで…食事だっけ?」

 なんだか、足元がふわふわして、私は気分が悪くなった。

「良いや、公園でアイスクリーム食べよ。」

 手にルームキーを握ったままエントランスへ向かおうとした私を見つめて、フロントの女性がにこやかに声を掛ける。

「お出かけですか?」
「…はい。」
「キーをお預かりいたします。」
「え?…あ、そうでした!」

 たかが、建物の外へ出るだけなのに、私はずっしりとした精神疲労を感じた。

「まったく。…身体もだるくて死にそうなのに…。」

 一歩外へ出て、私は今出てきたホテルを見忘れないように振り返ってその色や印象を刻み付けた。そして、恐る恐る、一人で外の散策への第一歩を始めた。

 特に目的も行く宛てもなかったので、私はなんとなく‘公園’を目指した。昨日、弥生とアイスクリームを買ったのが、公園の屋台だったのだ。施設では、滅多に食べられない夢の食べ物だ。

 しかし、地図もなければ、宿泊したホテルと弥生と散歩した公園との位置関係もさっぱり分からなかった私は、闇雲に歩き回って、ただただ足が疲れてきた。ふと気付くと、歩道の端に幼い子ども達が、一様に同じ上着を着て群れを成していた。そこに大人が数人付き添っていて、私はなんだか施設を思い出し、ふと懐かしいようなほっとしたような気分になった。

 賑やかな子ども達が口々に何か話していて、どこに行くの?という質問に、大人が笑顔で「公園へお散歩に行くんですよ。」と答えている。

 やった、じゃあ、この群れについて行けば公園に着く!と私は秘かに喜ぶ。
 鴨の親子のような微笑ましくも賑やかな群れは、ゆっくりとゆっくりと歩道を進んでいく。他の人たちが通れるスペースを確保しつつ、端に寄って、つつましく。

 いくつか交差点を通り、いくつか角を曲がって、おお、と私は心で叫ぶ。
 弥生と歩いた公園ではなかったが、そこそこ広い公園が目の前に広がった。

 この子ども達はここで何をするのかなぁ?と興味を惹かれて、私はそのまま後をくっついていく。十数人の子ども達に、大人が二人。まだ20代後半くらいの若い女性たちだった。

 公園の中央近くまで進んで、芝生の中の比較的広い場所で、その一群は一度一箇所に集められ、大人に何か言われていた。

 私はその様子を少し離れて見つめている。
 やがて、子ども達の群れはてんでんバラバラに散らばり、追いかけっこをしたり、少し奥に見える遊具で遊んだりと賑やかな歓声があがり始めた。

 別に私は子ども好きというわけでもないし、嫌いではないが、それほど愛情があるとも言えない、と思っていた。だけど、こうやって無邪気に遊びまわる幼い、しかもどこも歪んでも心に傷を負ってもいない子ども達の姿は良いものだ、と感じた。

 のびのびとして、楽しそうな笑い声を上げて、はしゃぎまわっている。

 声をあげたら怖い目に遭うのではないか、とびくびくしたりしていないし、感情をうまく表せずに叫びだしたりもしない。自分が世界に愛されて、祝福を受けてこの世に生きている、ということを‘知っている’。

 施設の子たちの光景とはあまりに違う。
 そして、その違いに私は少なからず愕然としていた。
 これが、‘命’の正しい姿なのだ。

 それは、淡々とした衝撃だった。そして、それから湧き起こった感情を私はうまく言葉に出来なかった。泣きたいような、叫びたいような、ただただ苦しいものが溢れてきたのだ。

 不意に、先生の悲鳴で我に返った。
 私は公園の芝生の端っこに座って、ぼんやりと光にかすむその物語のように明るい光景を何も考えずに眺めていたのだ。

「しょうたくんっ」

 と先生の悲鳴のような声が叫んでいた。

 驚いてよく見ると、小さな男の子が一人、何かを追いかけていたらしく道路に飛び出してしまっていた。公園に面していたその道路は意外に大きく、車の往来が激しくてその子ははっと我に返り、道路の中央で立ち往生していた。引っ切り無しに行き交う車の流れに、男の子は半べそ状態でおろおろしている。よくそこまで渡る間に車に轢かれなかったものだ。

 その子は、先生方が、そこにいなさい、と叫んでいるにも関わらず、すっかりパニックに陥ってしまい、今にもこちらに駆け出して来そうだった。

 私は何を考える間もなく、反射的に車の間をぬってその子を目掛けて駆け出していた。

 わあわあ泣きながら、その子もこちらに飛び出してくる。トラックが迫ってくるのを目の端に捕え、私は身を翻すようにその子を抱えて中央線に倒れこんだ。大きなクラクションが鳴り響き、トラックはぎりぎりでそれて行った。当たり一面から悲鳴とも歓声ともつかない声が湧き起こり、実はけっこうな見物人がいたことを息を切らせながら知った。

 身体を起こして、泣きわめく男の子を抱き上げたまま、私は今度こそ、車の切れ間を狙って公園側へと戻ってきたのだ。

 真っ青な先生に、微かに微笑んでその子を引き渡し、私は全身から力が抜けてその場に座り込む。

「ありがとうございました。」

 と先生方が私を囲んで繰り返す。

「お怪我はありませんでしたか?」

 濡れタオルを差し出して先生の一人が私の顔を覗き込んだ。

「…大丈夫です。」
「本当にありがとうございました。」

 泣きそうになって、先生方は言った。しょうたくんも泣きやみ、少しずつ落ち着くと、私のところに来て、涙声でお礼を言わされていた。
 なんだか、ほっとしたら可笑しくなって、私は笑いながら、その子の頭を撫でた。


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スムリティ (冒険) 14 

スムリティ(R-18)

 公園散歩を終えて帰る園児たちに手を振って別れたあと、私はアイスクリーム屋を探しに公園内を歩き回った。先生方には、園長からもお礼を・・・とかなんとか言われたが、面倒なので、よろしくお伝えください、とだけ言って笑った。こういう場合、本当はなんて言えば良かったのか分からない。

 それに、あれは条件反射的に勝手に身体が動いただけで、善意があった訳でも、その子を助けたいという明確な思いすらなかった。

 まさに条件反射。

 いつも、施設で子ども達を相手にしているせいで、身体が勝手に反応したのだ。職業病だな、と私は勝手に分析した。

 腕に抱いたしょうたくんの子ども特有の熱さ。しなやかな柔らかさ。命のずっしりした重み。
 愛されて育っている子は、こんな風に泣いたり笑ったり、そして、お礼をきちんと言えるんだ、という感慨。

 なんだか、時間が経つにつれ、私は切なくて涙が出そうになった。ふと気がつくと肘を少しすりむいていたようだ。

 ひりひりと痛む擦り傷を見て、私は生きていることを感じた。
 生きている。その、痛み。

 外に出て勉強しろ、と言った劉瀞の言わんとしていたことが少し分かったような気がした。何もかも管理された施設の中とは違い、生々しく生きて、怪我をして、ちょっとした油断で死にそうになったりする。

 それでも、皆、光を受けてきらきらと生きている。
 愛されていることを知っている。
 弥生も、両親がいるとき、僅かでもそんな時間を過ごしただろうか?




 やっとのことで、屋台を見つけたら、そこはアイスクリームだけではない、いろんな食べ物を売っていた。私はすぐに食べ物に目を奪われ、見たこともない不思議なその食べ物たちをゆっくりと眺め、これ、どうやって食べるんですか?と店の人に聞いてみる。

「なんだ?知らないのかい?」

 店のおじさんは呆れながらも丁寧に教えてくれた。ホットドックや、ポップコーンや、紙コップの飲み物。
 私はじっくり選んでキャラメル味のポップコーンとコーヒーとアイスクリームを買った。そして、それらを近くのベンチに座って食べ始めた。

 ベンチの上には誰かが置いていったらしい新聞紙が丸まってあって、私はそれを見るともなしに眺める。
 施設でもニュースの類はテレビで観ていたし、新聞もいくつかの種類が常に置いてあったので、たまに私は眺めていた。その話題に現実感がなくて、外の世界ではいろんなことがあって忙しいことだ…、と思っていたが、これだけ人がいて、これだけ車がたくさん走っていて、いろんな職業の人がいろんなことをしていれば、確かに何でもありだろうな、と感慨深く思う。

 食べ終わって、入っていた紙袋や紙コップを店に帰そうとしたら、ちょっとイヤそうな顔をされた。そして、そこのベンチの脇のゴミ箱に捨ててくれて良いんだよ、と言われる。

「え…っ?捨てるんですか?全部?」
「そうだよ。」
「一回ごとに全部?」
「そう。」

 なんという無駄!なんという浪費!

「…もったいなくないですか?」

 店のおじさんは呆れてまじまじと私を見た。

「お嬢さん、どっかの田舎から出てきたの?」
「…はあ…、まあ、そんなもんです。」

 彼は困ったように笑った。


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スムリティ (拉致) 15 

スムリティ(R-18)

 お腹が満たされ、私はまた歩き出す。

 背後と言わず、なんだか周囲からちくちくした視線を感じるような気がずっとしてはいたが、これだけ人間がいれば、田舎者丸出しの私は珍しくって、誰かは見てるんでしょう、と思って気にしないようにしていた。

 しかし、それは段々突き刺すようなものに変わっていき、さすがに私はなんだかイヤな感じがしてくる。
 本能的…というのか。

 比較的静かな公園の中の木立の並ぶ方へ向かっていた私は、踵を返し、賑やかに子ども達の声の聞こえる噴水の方へと戻りだした。今、人目のない場所へ向かうのは得策ではない。
 しかし、その瞬間、周囲から不穏な空気をまとった男の姿がばらばらっと現れた。

 な…っ、何?
 私は一瞬で駆け出した。そして、助けを呼ぼうとした瞬間、頭に衝撃を受け、膝が崩れた。

「…りゅ…」

 浮かんだのは、劉瀞の顔だった。しかし、彼の名を叫んで助けを求める前に私の意識は途切れ、視界は真っ暗闇に覆われていた。


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スムリティ (拉致) 16 

スムリティ(R-18)

 気がつくとそこは見知らぬ場所。ほぼ全身をぐるぐるロープで縛られ、埃っぽい床に転がされていた。薄明るい畳敷きの狭い部屋の片隅。そこはどうも人が住んでいるような部屋ではなかった。天井にはくもの巣が張り、畳の目にはゴミが詰まっている。そして、家具と呼べるものがほとんどなかった。身体を起こそうと少しでも動いたら埃が舞い上がり、咳き込みそうだった。

 人の気配は感じられない。少なくとも、この部屋には誰もいないらしい。

 ゆっくりと視線だけを動かして明るい方を見ると木枠の窓が見える。光の色から見て、夕方だろうか。頭を動かすと衝撃を受けた後頭部に鈍い痛みが走る。一体あれからどのくらいの時間が経過し、ここはどこなのだろうか?

 どうしよう?今、何時くらいなんだろうか?夕方までにホテルの部屋に戻るように、との指示だったのに、これじゃ、戻れやしない。絶対、劉瀞に怒られる…。いや、それよりも、ここからどうやって逃げ出したら良いのだろう?

 何かロープを切るものはないかと辺りを見回す。誰もいないし、監視カメラのようなものもない。私は必死に身体をよじって身体を起こし、壁にもたれかかるようにして部屋の様子を確認した。

 部屋の四隅には埃がたまっているだけで、刃物の代わりになりそうなものはない。窓も、起き上がった私の頭くらいの高さにしかないから、ガラスを割ることも出来やしない。私を縛ったと思われるロープの残りが、扉の脇に無造作に捨てられているだけで、他には何にも、ない。

 扉をじっと見つめる。土塗りの壁に木製の扉がはめ込まれている。かなり古い造りで取っ手はさびついているし、扉の上下の隙間からは隙間風が入り込んでいる。

 当然、鍵はかかっているのだろう。

 それでも、もしかしてちょっと体当たりでもすれば壊れるのではないだろうか?今まで放って置かれたということは、近くには誰もいないのかも知れない。ただ、扉を壊そうとすれば、音が周り中に響くだろうから、時間との勝負だ。

 私は、手も足も使えない状況で、なんとか身体を芋虫のように動かして扉の方へと進む。

 よくは分からないが、私などを捕まえても直接的に利益を得る人間などいない。目的は、私のいる組織。つまりは劉瀞だ。なんとかして自力でここを逃げ出さなければ、恐らく劉瀞が困ったことになるだろう。それだけはどうしても避けたかった。彼に迷惑を掛けたくない、というより、借りを作りたくなかった。

 特別そういう訓練を受けてきたわけではないが、あの組織では日常的な体育の授業のような感じで、縄抜けや非常時に備えた取り組みのようなことを遊び感覚で自然に学んでいた。それで、私も、なんとなく転がったり身体をひねったりして目的の場所へと移動する。

 しかし、ほぼ全身的にぐるぐる巻きにされている縄を抜けるのはかなり厳しかった。やはり、一箇所でも弛みが欲しい。しかも身体を動かす度に腕に食い込む縄が痛かった。

 歯で食いちぎろうか?
 そんなことを思った瞬間、不意に外で物音が響く。砂利の上を歩く人の足音だ。こちらへ近づいてくるようで私ははっとする。かなり重く歩幅の大きい音だ。男だろう。

 砂利を踏みしめる音は乾いたコンクリートの上をコツコツと歩く音に変わり、ややあってその足音は扉の前で止まり、がちゃりと鍵の開く音がした。

 身体に緊張が走る。
 きいきいと音がして扉が開いた。私は扉の脇で息を詰め、眠っている振りをした。

「…ほう。」

 聞いたことのないテノールの若い男の声がした。

「転がってここまで来たのか?」

 男が私の顔を覗き込む気配がした。そのとき、パタン、と扉の閉まる音がする。しかし、鍵を掛けた気配はなかった。男の手が私の顔に向かって伸びてきた。私はぱっと目を見開き、その手に噛み付こうとしたが、一瞬だけ男の方が早かった。伸ばした手を引っ込め、反対側の手で私の髪の毛を掴んで後ろに引っ張った。

「威勢が良いな、お嬢さん。さすが、劉瀞の女だ。」

 そう言って笑った男の顔に微かに見覚えがあるような気がした。短く刈り上げた髪。鋭い眼光。面長の眉の細い男だ。
 どこかで見た。どこだった?
 睨みつけたり反抗的な眼をしたりせず、私は小さく悲鳴をあげてみせる。
 男はクックッと喉を鳴らして笑う。

「そんな芝居をしてみせなくても良いよ、お嬢さん。か弱い女の振りなんて無駄だよ。」

 私は、そんな言葉に動じない。ますます悲鳴をあげて泣き叫んでみる。

「いやああぁっ、助けてぇぇっ!」

 涙を零す私に、それでも男は私の髪を掴んだままただ薄く笑っていた。

「お前のご主人様はなかなか手強くてね。実際、あんたを少し痛い目に遭わせてみせないと交渉に応じる気はなさそうだ。」

 やっぱり、と私は心の中だけで舌打ちをする。卑怯者!正々堂々と戦えずに、相手の弱みに付け込むことしか考えない輩か。もちろん、劉瀞はこんなやつらの言いなりになどなったりしない!

 そんな心の内などおくびにも出さず、私は男の言葉なんて聞いていない、理解していない振りをして、助けて、と叫び続ける。

 男は、冷たい目で私を一瞥すると、掴んでいた髪を離し、立ち上がった。そして、一旦後ろを向いたかと思うと不意に身体を回転させて私の身体を思い切り蹴り上げた。

「きゃあああぁぁっ」

 かなり、痛かった。しかし、その一撃目は予想していた。ほんの僅かに身体をよじり、急所だけは避けた。しかし、そこまでだった。その後、執拗に私の身体に加えられる男の暴力から逃れる術はなく、芝居ではなく、本気で悲鳴をあげ続けるしかなかった。

 やがて、痛みで呼吸すらマトモに出来なくなった頃、男はナイフで私を縛っていた縄を切り、ロープを乱暴に外した。身体中に内出血の痣が出来ていて、柔らかい部分からは血が流れ出ていた。

 その私の映像でも劉瀞に送りつけるつもりなんだろう。
 そう考えた途端、思い出した。

 こいつの顔をどこで見たのかを。劉瀞の部屋で、彼が何かのリストを呼び出していたときにパソコン画面に映し出されたブラックリストのメンバーだ。

 何か…、そう、テロリストとのつながりが疑われていた集団の一員だった気がする。
 コカイン、覚醒剤の販売ルートの途上にも見え隠れし、人身売買のような闇ルートにも通じていた。
 劉瀞がもっとも嫌うタイプの犯罪者集団だ。
 不覚だった。こんなやつらに捕まるとは…。
 痛みで意識が朦朧とする。

「これで、やつが交渉の席に就かなかったら、今度はお前の手の一本でも切り落としてやるよ。」

 男は私の胸座を掴んで笑い、叩きつけるように私の身体を離した。
 ようやく縄をほどかれて自由にはなったが、身体がもう動かなかった。意識はあったが、正直、気を失ってしまった方が楽だと思った。目を閉じたら、そのまま意識は暗転しそうだった。

 苦しくとも、しかし、私は隙をみてどうしても逃げ出さなければ、とただ強くそう思った。
 劉瀞に迷惑を掛けたくない。
 あいつは、施設の子が誰一人傷つくことを望まない。それが私でも、きっと何をおいても助けようとするに違いない。

 そんなことをさせてはいけない。
 半分、朦朧としたまま、不意に私は知った。

 あいつが、何を目的にあの施設を運営しているのかなんては本当のことは私は知らない。だけど、あいつがあの施設で、社会から見捨てられた子たちを救おうとしている限り、私はあいつの邪魔をしたくない。

 だって、少なくともあいつのお陰で弥生は、今、生きて、笑っている。
 ‘恋’だって、知ることが出来た。
 それだけであいつのしていることには価値がある。
 それを私のために途絶えさせてはいけない。
 決して!いけない。


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スムリティ (拉致) 17 

スムリティ(R-18)

 男たちの要求が何なのか、劉瀞の苛立ちを知っている私はなんとなく分かっていた。
 施設にいる子ども達を、彼らは欲しがっているのだ。海外へ売るために。変態オヤジのペットとして。或いは臓器移植の提供者として。

 劉瀞は、彼らに捕まって売り飛ばされそうになっていた子ども達を奪って、施設に匿ったりもしていた、らしい。それで恨みをかっているのだ。やつらも、取引先への言い訳が立たないのだろう。商品が消えましたでは済まないだろうから。

 そういう闇の犯罪に対して、警察が役に立たないとは言わない。各国の警察機構は頑張っているだろう。しかし、闇には闇で対抗するしかないこともある。

 劉瀞が、けっこう名の知れたマフィアとつながりがあることも私は知っていた。
 警察と取り引きをしていることも。
 それが‘悪’だとか、モラルがどうとか、私は思わない。劉瀞は、彼が使える手段を使って、自分が出来ることをしているに過ぎない。

 理想を語ることも夢を語ることも必要だが、それはそれとして、今、目の前にあって出来ることを積み重ねるしか、私たちに形に出来る現実はない。そういうことだと思う。

 劉瀞を止めたくは、ない。


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スムリティ (拉致) 18 

スムリティ(R-18)

 それでも、私は僅かの間、意識を失っていたらしい。
 次にはっと気づいたのは、複数の男の話し声が聞こえたからだ。ゆっくりと視線だけを動かすと、そこには似たような服装の男たちが3人ほどいた。

 初めからいた男と、少し白髪の混じった背の低い男と、更にどう見ても私くらいの年齢のごく若い茶髪でピアスをした少年がいた。

 初めの男が何か指示を出したらしく、少年はちらりと私の方を見て扉から去っていく。そして、白髪の男が促されて携帯電話を出して通話を始めた。ぼそぼそと低い声で何を話しているのかはよく聞き取れない。
 私はというと、縛られてはいなかったが、まだ動けるような状態ではなかった。扉の脇に転がされた
まま、先程よりもむしろ状態は悪かった。痛みに伴う吐き気のようなものと眩暈で気分が悪かった。どこか内臓をやられているのかもしれない。

 ちょっと…マズイ。

「さて、お嬢さん。名前を聞いておこうか?」

 不意に電話をしている男から視線を外して若い男は私に近づく。男は私の前にしゃがみ込んで顔を覗き込み、そしてまったく動けない私の髪の毛を掴んで顔をあげさせた。
 そんなの、素直に答えると思っているのだろうか?

「やつの女だ。マトモな素性の人間じゃないんだろ?買われたのか?」

 マトモじゃなくて悪かったわね。
 睨み付ける気力もなくて、私は虚ろに視線を彷徨わせる。

「まあ、良い。劉瀞には誰のことか分かってるだろう。」

 くっと笑って、男は手を離した。
 マズイ…、と私は思った。眩暈がひどくなってきた。私はそんなやわなはずはなかったのに。よほどマズイ場所を蹴られたらしい。吐きそうだ。

 劉瀞…。
 結局、私は他に誰の顔も浮かばない。こんな風に迷惑掛けたくなかったのに、ごめんなさい。
 劉瀞…、助けて…。


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スムリティ (救出) 19 

スムリティ(R-18)

 その後、男二人はどこかに電話をかけ続け、いつの間に設置していたのか小型のカメラが私を撮影していた。

 恐らく、その映像を劉瀞に送っているのだろう。私のバックは何の変哲もない土色の壁と畳のみで、この場所を示すような何も映らないようになっている。

 突然、猛烈な吐き気が襲い、私はほとんど残ってはいなかったが、僅かに未消化の胃の中の内容物をその場に吐き戻した。頭がずきずきと痛み、目の前の男の顔が歪んでぐるぐるまわる。

「おい、大丈夫か?」

 白髪の小柄な男が心配そうに若い男に問いかける。

「死んだって構いはしないよ。」
「…そんな指示は受けていない。映像を流している以上、生かしておかないと切り札にはならないだろう。」

 ふん、と若い男はせせら笑った。

「おい、どうした?大丈夫か?」

 白髪の男の手が私に触れた。倒れたまま吐いたので、私の顔は吐物まみれだ。私の身体を引きこして、その手は何か布で私の顔を拭いてくれた。

 そういう知識はあるのだろう。その男は私の身体を横向きに寝かせ、再び吐いても吐物が喉に詰まって窒息しないような体制にしてくれた。

「時間は?」

 小柄な男は立ち上がって腕時計を見た。

「リミットはあと30分。返答がなければ、今度はこいつの腕を切り落とす。」
「それまでに死んでしまったらどうする。」
「死にやしないよ。」
「こんなに痛めつける必要なんかあったのか?」

 次第に二人の会話もよく分からなくなってくる。
 ああ、もしかして私はこのまま死ぬかも知れないな。
 初めて、そんなことを思った。

 そんなことを考えたことは今までなかったのに、不意に‘死’を身近に考えた。そして、その途端、思いもしなかった感情が湧き起こった。

 そして…!
 次の瞬間、何が起こったのだろう?その部屋の中は不意に真っ白な閃光に包まれ、私は一瞬、目がくらみ何も見えなくなった。

 大きな音が響き、叫び声が聞こえた。喧騒の中、私も何か叫んだかもしれない。もう、何もかもがよく分からなかった。

 視界がまったく利かない状態で、私は不意に誰かの腕に抱えあげられた。
 それが誰の腕なのか分からない。どちらの男だったのか。
 しかし、そいつは私の耳元でささやいたのだ。

「生きてるか?大丈夫だな?」

 知っている声だった。
 私は思わず声をあげそうになった。

 庄司…っ?
 

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スムリティ (救出) 20 

スムリティ(R-18)

 生死の境をさまよった…、という程ではなかったが、私の状態はそこそこ重症だったらしい。臓器破裂とかではなかったが、外傷性ショックで一気に血圧が低下し、一時、身体中が酸素不足になったそうだ。

 劉瀞の指示で、庄司と、他に数名がその場に乗り込み、閃光を放つカンシャク玉のようなもので目くらましをして、私を救い出してくれたらしい。不意をつかれて男たちは私を見失ったようだ。庄司は私を救出することだけが役目だったそうだが、他の数名には、その男たちを捕えるか、さもなくば殺すようにとの命令が下っていたそうだが、それはどちらも果たせなかったようだ。

 そんなことは良い。逃げられたってなんだって、怪我人や死人が出ない方がずっと良い。
 私は丸一日病院のベッドで眠り続け、病院での処置で命を救われた。

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スムリティ (救出) 21 

スムリティ(R-18)

 庄司はそのまま仕事に戻ったらしく、その後、目を覚ましたときには、そばには涙を浮かべた弥生の顔があった。もう夜だった、と思う。病院内はとても静かで暗かった。

「…やよ…い?」

 かすれた声で彼女の名を呼ぶと、弥生は何も言わずに頷いて、そして、泣き笑いの表情で涙をぽろぽろ零した。

「良かった…、良かった、美咲…。」
「…ごめんね…。」

 弥生は首を振った。右手があったかい?と思ったら、弥生がずっと握っていてくれたようだった。左手には点滴の管がつながり、少し呼吸が苦しかった。

「劉瀞に聞いたの?」
「うん、夕方、私が仕事から戻ったらアパートの前にいたの。車の中で美咲が怪我をしたって聞かされて、出来れば美咲が目を覚ますまでそばにいてくれないか、って。」
「…ありがとう。」

 弥生はハンカチで涙を拭いて笑った。

「総帥が、私もここに泊まれるようにベッドを一つ用意してくれたから、今日はずっといる。だから、安心して?」
「…そんな、大丈夫だよ。帰って寝ないと疲れるよ。」

 私は苦しい息の下で、微笑んでみせようとした。弥生だって仕事で疲れているのに。

「大丈夫。私、明日の休み交換してもらったから。」

 弥生は目を細めてやっといつもの笑顔を作った。そして、私の手をそっと離して、ついと立ち上がった。

「美咲が目覚めてほっとしたら、お腹空いちゃった。ここでご飯食べても良い?」

 私は小さく頷いて、そして少し疲れて目を閉じ、弥生が何かの包みをごそごそ開けてそれを食べ始める気配を心地良く聞いた。

 大好きな幼馴染の優しい空気に包まれて、私はふと思い出していた。
 そう、あの閃光の前に考えていたことを。

 このまま、死ぬかもしれない、と身体が感じたとき、私は息が出来ないくらいの強い感情が湧き起こる様子を、まるで他人事のように眺めていたのだ、呆然と。

 それは、言葉にすれば‘愛しい’というものだった。
 何に対して?誰に対して?
 きっとある特定の対象に対してではなかったのかも知れない。

 だけど、あの場にいた男たちが、それまで私の知る誰にもあまりにも似ていなくて、あまりにもかけ離れていて、その新鮮な驚きが、強く強く既知の人物を思い出させた。

 庄司と。
 そう。劉瀞だった。

 当たり前にそばにいて、その生き様を見てきた尊敬する人々。あの二人だけではない、あの施設関係者は誰でもがすごい人物だった。まとうオーラが清く輝いていた。そういう空気にしか触れていなかったのだ、私は。

 ‘美咲が変わらずにいてくれることは俺たち『外』の人間にとって救いであり、励みだよ。いつでも原点に還れる。大切なことを忘れずにいられる。’

 そう言って笑った庄司の笑顔が、不意に劉瀞の顔に重なった。
 そうだ、あのどこか切ないような愛しい笑顔。
 劉瀞が、呼び出されて彼の部屋を訪れた私を最初に見つめる眼差しと同じだったのだ。

 だから、懐かしい気がしたのだ。
 劉瀞も、いつでも戦っているのだろう、ああいう種類の人間たちと。そして、あの施設に帰ったとき、子ども達の笑顔を見てほっとするのだろう。自分が何を守るために戦っているのかを、そうやって確かめるのだろう。

 私は、本当に守られて生きてきたに過ぎなかったのだ。



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スムリティ (救出) 22 

スムリティ(R-18)

「生きてたか、美咲。」

 翌朝、まだ寝ぼけている私を見下ろして劉瀞は笑った。その言い草に多少ムッとして、誰のせいだと思ってんの?と憎まれ口を叩きそうになって、私ははっとした。見上げた彼の顔が、どんなに取り繕っても、泣いた後のようなおかしな表情をしていたのだ。

「…うん。」

 それで、私は思わず開いた口で、ただそう答えた。

 弥生も、ようやくベッドから身体を起こしたばかりの時間で、まだ夜が明けたかどうかっていう程度の早朝だった。

 劉瀞は、ゆっくりと椅子を引いてそこに腰を下ろし、私の手をぎゅっと握る。

 何も言わずに、ものすごく熱い瞳で見つめられ、私は眠い頭で更にぼうっとしてしまった。弥生も、起き上がったは良いが、どうして良いのか分からずにベッドから足だけ下ろして劉瀞の背中をぼんやり眺めている。

「悪かった。」

 劉瀞の呻くような呟きに、私は「え?」と聞き返してしまった。こいつの口から、そんな殊勝な言葉が出るとは考えたこともなかった。

「…どうしたんですか?」

 それで、私は思わずそう聞いてしまった。

「まさか、こんなことに巻き込まれることになるとは…いや、警戒はしていたが、こんな短時間でお前のことがバレるとは予想外だった。…油断した。…すまなかった。」

 劉瀞の声は本当に苦しそうで、私はそういう彼の顔を見たことがなくて、ものすごく混乱してしまった。

 やめてよ、劉瀞。
 似合わないよ、そんな顔。
 あんたはいつでも自信に満ちた顔で私を好きにしてたじゃない。そうやって、自分の信じることを貫いてきたじゃない。
 私は、そういうあんたの姿を不快に思ったことはないし、…きっと、本当は憧れてすらいたんだと思う。

「…生きていてくれて、良かった。」

 泣いているのかと、思った。劉瀞の声が少しかすれたように感じた。

「私は、大丈夫です。」

 私まで苦しくなって、そう答えた私の声も少し震えていたかも知れない。劉瀞の手が、すうっと私の髪を撫でた。大きな温かい手だと、そう思った。


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スムリティ (休養) 23 

スムリティ(R-18)

「それにしても、どうしてあの場所が分かったんですか?」

 その朝は、劉瀞は私の無事を確認しに来ただけのようで、看護師さんが朝の検温に来る前に仕事に出かけてしまった。
 そして、一日そばにいて話し相手になってくれていた弥生がそろそろ帰るね、という辺り、夕食前に再びやってきた。

 ずっと付き添ってくれた弥生にお礼を言って、劉瀞は、弥生を自分の車で彼女の部屋まで送らせたようだ。
 まだ、身体を起こせなくて、私は横になったままで彼を見上げてふと聞いてみる。

「お前の居場所は24時間ずっと分かってるよ。」
「…はあ?な…っ、なんで?」

 劉瀞は、その件に関してはあまり興味のない話題のようで、つまらなそうに、ふんと鼻を鳴らす。

「トラブルに巻き込まれたことが分かってから、相手を特定して助け出す算段に手間取っただけで、居場所は初めから分かっていた。まあ、どこにいる、という場所は分かっても、そこにどんな建物があるのかは知らなかったけどね。」
「…なんで?」

 私はバカみたいに同じ質問を繰り返す。
 劉瀞って透視能力でもあるの?エスパーなの?もしかして、宇宙人?

「だから、迷子防止の鎖を付けといただろ?」

 言われて、私はやっとはっと思い当たる。
 この、左手首のチェーン?
 恐る恐る左手を見つめる私の様子にやつは笑った。

「情報は衛星で追ってるから、地球上にいる限り、お前は俺から逃げられないんだよ。」
「…。」

 そうか。だから、弥生の家にいるときも、あっさり迎えに来たのか…。

「ホテルの近場をうろうろしている間は大丈夫だと分かっていたけど、突然、車で移動しているとしか思えない動きをしたときから、ずっと追ってはいたんだ。何かが、おかしいと思って。」

 劉瀞は不意に真顔になって言った。

「…お前、何をしたんだ?」
「何…って?」

 私はムッとするより、少し不安になって彼の顔を見上げた。

「何か、やつらの目を引くような行動を取らなかったか?目立つような。」
「何も…」

 本当に何も思い浮かばなくて、私は首を振った。

「…じゃあ、ホテルを出てからのことを順を追って言ってみな。」

 私は少し考えてその日の行動を反芻する。

「ホテルを出て、公園に向かおうとしていたんだけど、道が分からなくて…。そしたら、公園に向かっているらしい幼児の集団に出会ってついて行きました。それから…公園で子ども達が遊ぶのをぼうっと眺めて、子どもが一人道路に飛び出してしまって、車に轢かれそうな状況になっていたから、助けて…屋台で…」
「子どもを助けた?」

 劉瀞の眉がぴくりと動いた。
 うん、と私は頷く。

「どうやって?」
「どうって…別に。ただ、道路から抱いて連れて来ました。」
「ふうん…。先生方は気付かなかったのか?」
「いえ、先生方が叫んでいたから気付いたんです。道路の真ん中にその子がいて、そこで待っててって先生が言ってるのに、その子は駆け出しそうだったから。」
「だから?」

 劉瀞の声は静かだったけど、なんだか、目が怖かった。

「…ええと、だから、私がそこまで駆けて行って、その子を抱えて車を避けて…」

 はあ、と劉瀞はため息をつく。

「行き交う車を避けてその子に辿り着き、その子を抱えて戻ってきた?」
「はあ…、まあ、そんな感じです。」

 劉瀞は再度ため息をつく。

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スムリティ (休養) 24 

スムリティ(R-18)

「お前にとって日常の普通のことが、『外』ではけっこう特殊なことなんだよ、美咲。…でも、まあ、お前の場合、身体が勝手に動いたんだろうな。」

 その通り、と私はこくこく頷く。
 なんか、…悪いこと、しました?

 猛スピードで走っている車を実際に見たのは初めてだったが、似たような状況の訓練は私はもともと好きだった。あれは四方八方から飛んでくる障害物を避けて目的地までを走り抜ける…というやつ。スポーツ大会の種目で、私は得意だったのだ。あれに比べたら車は二方向からしかやって来ないから、断然楽だったし、子どもを守るという行為は日常の延長だ。

「それで、お前に確信を抱いたんだろうな。恐らく、ホテルは見張られていたんだろう。俺が入って行ったことは見ていたんだろうから。それでも、連れが誰だったのかは掴んでいなかった。それで、ホテルから出て来た女性をすべて見張っていたんだろう。」

 劉瀞は、私の頬を撫で、そして握っていた私の右手に唇を寄せた。

「退院したら…」
「ま…待って!」

 施設へ帰されるのだと思って私は彼の手をぎゅっと握り返す。

「待って。もう、一人で勝手に出歩かないから…っ」

 劉瀞は、くすりと笑う。

「お前が勝手に出歩いたわけじゃないだろ?俺が良いと言ったんだ。」
「で…っ、でも…その…」
「なんだ、はっきり言ってみな。」

 私の言いたいことなんて分かっているくせに、やつはそんなことをにやにやと聞く。

「…もう少し、こっちに置いて…ください。」
「良いよ。」
「えっ?良いんですか?」

 あまりあっさり言われて私はむしろ面食らった。

「別にお前を帰そうと思ってるわけじゃない。お前にはこっちでもう少し勉強してもらわなきゃならないからな。」
「はあ…」
「今後は護衛をつける。そして、やはり、今までのように自由にはさせられないな。弥生や庄司と会うことも禁止だ。」
「ええっ???」

 私の抗議の声に、劉瀞はたたみ掛ける。

「お前が二人に会ったりしたら、あの二人も関係者だと知れる。弥生が狙われても良いのか?」
「…っ!!!ダメっ!」

 だろ?と劉瀞は笑う。私は、一息ついて、更に大きなため息が出た。
 そうか、仕方がないか…。だから、劉瀞はさっきも弥生を車で送らせたんだ。

 ここは、救急指定の総合病院というよりは、どうも特殊な患者だけが収容されている専門病院のような雰囲気らしい。売店を探して院内を歩き回った弥生がこっそりと教えてくれた。患者のほとんどは、いわくありそうな怪我人が多いと。

 と、いうことはつまり、『関係者』の経営なんだろう。
 ここに出入りすること自体、実は弥生にとってはマズイのだ。

「庄司は・・・大丈夫だったんですか?」

 結局、私は彼の顔を見ていない。彼の声を聞いただけで、次に意識が戻ったのは病院だったのだ。
 そして、思った。
 劉瀞は、結局、庄司を信頼して頼りにしているだと。

「あいつは元気だよ。怪我のひとつもせずに戻って来た。」

 劉瀞は、私の顔をじっと見つめながら言う。

「よく、庄司だと分かったな。お前、ほとんど意識はなかっただろ?」
「声を聞いたので…。」
「なるほど。」

 劉瀞の表情に僅かに憮然としたものが混じり、私はちょっと身をすくめた。
 

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スムリティ (休養) 25 

スムリティ(R-18)

 しかし、入院生活は暇だった。
 弥生が付き添ってくれたのは一日だけだったし、‘外’に、他に知り合いもいない私を見舞ってくれる人間なんて誰もいない。

 劉瀞も、庄司も忙しいようだし…。
 一日目はさすがに動くのがきつかったので我慢していた。

 しかし、二日目は次第に退屈が勝ってきた。身体を起こすときと、横になったまま身体をひねったりするときはまだ辛かったが、起き上がってしまって動き始めるとなんとかなってきたのだ。

 日が昇って明るくなり、大分、体調が回復すると、私は点滴を外してその辺を走り回りたい衝動に駆られる。あまりに退屈そうで気の毒に思ったのか、その朝、食事を運んできた看護師さんが、点滴の台を一緒に引いて歩けば、院内くらいなら散歩しても構いませんよ、と言ってくれた。

「なるほど…」

 点滴の器具には確かにキャスターが付いている。そういえば、トイレに行く度に点滴を外すわけにはいかないもんな、と納得する。

 点滴は夜中は外されているし、交換の度にトイレやちょっとした用足し程度には動いていたが、点滴中は動いてはいけないものと私は考えていたのだ。実際に動くと身体はまだ多少は辛かったが、まったく動けないほどではないし、私はじっとしている性分ではないのだ。

 看護師さんに注意事項の説明を受けて、その器具をお供に、がらがらと院内を歩いていると、廊下の脇の病室から出て来た白衣の女性とぶつかりそうになった。

「おっと、すみません!大丈夫でしたか?」

 相手は若い女性で・・・と言っても20代後半くらい?白衣を着て、長衣のポケットに両手を突っ込んでいたのだが、私が入院患者らしいと気付いて慌てていた。柔らかい輪郭なのに、瞳の光がとても強い。決してものすごい美人ではなかったが、顔に華やかさがあった。

「大丈夫です、私がぼうっと歩いてたもので。」

 私がそう言うと、彼女は一瞬私をじっと見つめ、それほど重病人ではないと判断したのか、屈託なく白い歯を見せて笑った。

「病室はどちらですか?お送りしますよ。」
「あ、いえ。今、散歩中なんです。」
「…えっ?」
「あまりに暇で暇で。」

 私の答えに、彼女はくすくす笑った。

「じゃあ、私もご一緒させていただいてよろしいですか?」
「はあ…、でも、先生、お仕事中では?」

 私はちょっと驚いて背の高い彼女を見上げた。

「私は西洋医じゃないのよ。鍼灸師。次の診療まで、一時間ばかり時間が空いてるのよ。」
「…鍼灸師って、あれですよね?艾とか使って治療するってやつですよね。」
「あら、知ってるのね!」
「鍼は使えませんが、灸は教えられてたまにやってました。」
「それは良いね!よく聞くでしょう?」

 私たちはとにかくそのまま廊下を進む。窓から差し込む光が夏の日差しだ。照りつける太陽の光を横目で眺めながら、廊下にくっきり落ちる影を見ているとあの公園の眩しさを不意に思い出した。
 情緒の不安定な子どもたちに、そういう治療行為もあの施設内では施されていた。資格保持者がいて、その人の指導の下、私たちも応急的にでも出来ることはやっているのだ。

 そう。
 とにかく人手不足なのだ。
 私も早く帰ってあげないと、他の人にしわ寄せがいくかも知れないなあ…と、そのとき私はぼんやりと思った。

「元気そうではあるけど、あなた、怪我、けっこうひどいね。」

 パジャマの襟元から見える私の痣や内出血跡を見て、彼女はちょっと心配そうに私の身体を覗き込む。

「ええ。実はちょっと辛いです。でも、怪我の痛みとかはけっこう耐えられるんです。ただ、呼吸がまだ少し苦しいのが…」
「よし、診てあげよう!あなたの部屋はどこ?」

 鍼灸師の先生は、にこっと綺麗な笑顔を見せた。その笑った顔をじっと見て、私は、ふと「あれ・・・?」という気分に陥った。

 この人に、私、いつか会ったことある…?そういう気がしたのだ。

 良いんですか?とちょっとうろたえている私には構わずに、彼女は元来た方向へ引き返し始めるので、まあ、治療の範囲内のことだから良いのかな、と私も仕方なくついていく。

「あ、そこです。」

 突き当たりの角部屋を指して私は言った。すると、先生は、えっ???と本当に驚いた表情で私を振り返った。

「じゃあ、あなたが美咲さん?」
「はい、まあ…。」
「そうか!あなたが、劉瀞の!」
「…へ?」


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スムリティ (休養) 26 

スムリティ(R-18)

 自分以外に、総帥を名前で、しかも呼び捨てる相手に初めて会って、私はある種、感動してしまった。どこか彼女にはものすごく堂々とした空気があった。権力とか、肩書きに屈しないような。

「そ…総帥をご存知なんですか?」

 病室に入り込んで扉を閉めてから、尊敬を込めて私はそっと聞く。

「そりゃ…。」

 彼女はポケットから何やら細かな道具を取り出しながら、私に向かって微笑んだ。

「弟だもの。」
「ええっ???」

 びっくりしたとかって表現じゃない。本当に度肝を抜かれたというのか、私はその場にそのままフリーズしてしまった。

「似てない?私、劉瀞に。」

 私の様子をとても楽しそうに眺めて、先生は笑った。

「…に…ににに…似て…ます。」

 ほんの少しマトモな思考が回復し、私は息をついた。
 そうか。確かに似ている。その、目と空気が。だから、いつかどこかで会ったと感じてしまったんだ。

「ちょっとゆっくりベッドに横になって。」

 そう言って先生は私がよいしょ、とベッドに潜り込む様子を見つめていた。その目は、もうきりりとした医者のものに変わっていた。

「大分、あちこち苦しいでしょ?」
「…そうなんですかね?なんとなく、こんなもんかなあ…と。」

 横になるときの体位変換に顔をしかめて私は、いてて…と呟く。捕まったことも、暴力を受けたことも、もとを正せば自分自身の不覚だったという気がするから、ある程度は自業自得と思っている。もっとうまく逃げるべきで、もっと早くに危険を察知すべきだったと。

「子ども達の面倒みてるんだって?」

 脈を診ながら、先生は言った。

「はい。まだまだ役には立ちませんけど。」
「こっちでは、そのための勉強?」
「…そんな感じに聞いてます。」

 腕時計を見ながら何かを図っていたらしい先生は、納得したように頷いて、私のシャツの裾をめくる。

「だいぶひどいじゃない。よくこれで歩き回ろうなんて考えるのね。」
「…そ、そうですか?」

 私が恐縮すると先生は、くすくす笑う。なんだか、そういう笑い方って、劉瀞に似てるよなぁ…。

「あのう…、先生はその、そ…総帥の…」
「そう、姉よ。私は翔慧(しょうけい)。劉瀞から、私のこと聞いたことない?」

 私はぶんぶん首を振る。

「ないです。」
「それもそうか。余計なことは知らない方が安全だからね。」

 翔慧さん、はさっさと鍼を出して私の手足に留める。そう、刺されたというより、留めたような軽い刺激しか受けなかったのだ。

「あの…」

 余計なこと…と言われたものの、気になって私は聞いてみた。

「翔慧先生は、日本の方ですか?」
「ああ、そうよね。この名前! 劉瀞にしても私にしても。…そうねえ、東洋系が圧倒的に多くて、4分の1程度は日本人だけど、ヨーロッパ系が少しとアメリカの血がいくらか入ってるのかな。」
「…すごい、国際的ですね。」

 なんだか、言葉が見つからなくて私はそんなことを口走ってしまう。翔慧先生は笑いながら淡々と治療を進めていた。


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スムリティ (休養) 27 

スムリティ(R-18)

「劉瀞も、まあ、いろいろ頑張っているから、美咲さん、支えてあげてちょうだい。」
「支えるなんて…私に出来るんですか?」
「今、立派に支えているじゃない。」
「迷惑掛けているだけのような気がしますけど…。」
「違うよ。劉瀞は、あなたがいるから頑張ってるんだよ。」

 翔慧先生は、少し遠い目をして微笑んだ。脈を診ながら鍼を外し、それを別の場所に留める。

「人は、守るもの、執着するものがないと、エネルギーを燃やせないんだよ。生きるだけなら、枷がない方が楽だけど、何事かを成すとき、人はそれとは別に何かが必要なんだと思う。戦うために外に全力を傾けるから、柔らかい温かいものを手の中に欲しい、みたいな。それが、人類の基本の形でしょ? 家族、という。男が外で戦い、女は内を守る。」
「…分かるような気はします。」
「美咲さんは、きっと今のままで良いのよ。変わらずにいてくれることが、劉瀞にとって必要なことだから。」

 まただ…と私は思う。
 庄司も言っていた。誰も彼も、私に変わるな、という。私ってどういう人間なのさ。

「あら、不満そうね。」
「…いえ。そういう訳では…。ただ、その、変わるな、って言葉を最近立て続けに聞いたもので。」

 翔慧先生は、あら、と言って声を立てて笑った。

「そっか。…うん、良いのよ、変わっても。どれだけ変わっても、きっと美咲さんの核の部分は変わりようがないんだと思うから。その素朴さが、誰もが心地良いんだろうね。誰もが、自分自身の‘素’を思い出せるから。そうやって、原点に還れるから。『外』の人間には、そうやって自分を鏡に写すように自分の姿を見つめる瞬間がどうしても必要になるわけよ。淀んだ空気と忙しい時代の流れと、そういうものに翻弄され過ぎると、命の根本すら忘れてしまうから。特に、そういう世知辛さに免疫が薄い子たちが無理して『外』で生きるから。」
「そんなに…『外』って大変なんですか?」
「難しい、っていう表現の方が良いのかな、うまく生きていくのが。うまくっていうのも、違うかな。楽に生きることっていうのかな。自然の理に沿って、命が望むように生きることが、あまりに雑多なものに翻弄され過ぎて、分からなくなってしまうというのか。そうやって、生きていけなくなった大人が、我が子すら殺してしまったり棄ててしまったりする。その、犠牲者が、結局は…美咲さん、あなた達よね。」

 翔慧先生の目には、同情とか憐れみとかの色はなかった。ただ、切ないような、もどかしいような、そして微かな憤りを含んでいたように思う。私は捨てたれたことも覚えていないし、私には元々親なんていないから、さしたる感傷はない。だけど、弥生はどうだろう?

「でも、こうやって逞しくまっすぐに生きてくれてる子たちを目の前にすると、どうしたって負けるものか! と気力がわいてくるんだろうね。」
「…劉瀞…あ、総帥っておいくつなんですか?」

 子ども達…という表現を確かに劉瀞もよくするのだ、施設の子たちに対して。だけど、自分だってそれほど年、変わらなくない? といつも私は思っている。それで、思わず尋ねてしまった。

「やあねぇ! 女性の年を聞くもんじゃないわ。」
「…へ?」
「私と劉瀞は双子なのよ。」

 翔慧先生は、にこっと笑った。

「え~っ???」
「その驚きはどっちの意味?」
「…あ、いえ。どっち…と言いますと?」
「劉瀞の方が若く見えた?」
「…いえ、そういうのでは。ただ、りゅ…総帥にお姉さんとか、親とか…そういう家族があるってことの方が現実感がなくて。」
「ああ…、それもそうだろうね。」

 不意に翔慧先生は表情を和らげた。

「私も劉瀞も、親はいるにはいるけど、彼らにはマトモに育てられてないから。捨てられたわけじゃないけど、仕事が忙しすぎて放っておかれ過ぎてね。お陰で、‘家族’ってものが、私たちにも分からないのよ。だから、劉瀞は余計に憧れるんだろうね。もう、30もとっくに過ぎたことだし、そろそろ…ってね。」
「…えっ?」

 私が一瞬耳を疑っていると、翔慧先生は笑って私を見下ろした。

「もう、私たち、35なのよ。」
「え~っ???」


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スムリティ (休養) 28 

スムリティ(R-18)

 15歳も年上とは、二人とも、絶対に見えない。
 いや、年上とか、自分を基準にしなくたって、一般的に外から普通に眺めたって20代半ばから後半くらい? 程度にしか見えない。

 何かに、そうやって情熱を燃やしている人はエネルギーに満ち溢れていて、若さを失わないということだろうか?

「その‘え~っ’は良い方に受け取っておくよ。」

 翔慧先生は、そう言って、本当に屈託ない笑みで私を見下ろしながら鍼をぽんぽんとお腹に留めた。

「本当は灸頭鍼したいんだけど、ここって、排煙設備あったっけ?」

 呟くように言って、先生は室内の天井辺りをきょろきょろする。

「う~ん。ここは、鍼灸用の病室じゃないから、やっぱりよしとくかぁ。防火装置が働いちゃ、マズイからね。」
「…きゅうと…なんですか? それ…」
「鍼の上に艾をくっつけて、そこで燃焼させるのよ。」
「へっ???」

 なんだか、よく分からないが、多少身の危険を感じた。この姉弟はなんとなくヤバくないかい?

「あら、そういう治療法が本当にあるのよ。身体があったまって良いんだよ~。」

 私の表情を読んで、先生はゲラゲラ笑っている。
 翔慧先生って、劉瀞と間違いなく血を分けた姉弟だわ。




 じゃ、時間だからまた明日ね!
 と先生が去っていくのを、身体を起こして見送ったとき、あれ?深呼吸が出来るわ、と私は気付いた。それに、身体が大分軽くなっていた。軽くなって初めてかなりしんどかったのだと知った。

 また明日…って、明日も治療してくれるつもりなのかしら?
 っていうか…、私、いつまで入院生活なんだろうか?

 それでも、ここで翔慧先生に会えたのは、なんだかちょっと楽しかった。そうか、劉瀞にはお姉さんがいるんだ。親がいるんだ。

 何故かそれが少し嬉しかった。
 孤独な子ばっかり見ていたから、そういう話はむしろ嬉しかったのだろう。少し、心の中までぽかぽかして、私はそのまますとん、と眠りに落ちた。気持ちの良いそこそこ深い眠りだった。
 

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スムリティ (真夜中の訪問者) 29 

スムリティ(R-18)

 真夜中、ふと人の気配で目覚めた私は、闇に浮かぶ劉瀞の顔にぎょっとした。

 翌日も、翔慧先生は散歩に出かけた私を捕まえて、今度は別の・・・鍼灸用の病室に連れ込んで温灸なども使って治療してくれた。お陰で、大分身体は楽になり、怪我はまだ完治とはいかなかったが、点滴も一日一本で済むまでに回復した。

「りゅ…っ」

 思わず声をあげそうになり、私は病室の外、扉の向こうの様子をうかがう。

「大分、元気になったみたいだな。」

 劉瀞の疲れたような顔が不意に緩み、彼は私のベッドに腰を下ろした。

「そこに、椅子がありますよ。」
「良いよ、起き上がるな。俺は好きなところに適当に座ってるだけだ。」
「明かり…つけないんですか?」
「つけたら、俺がいるのがバレるだろ。」
「…分かったら、何かマズイ…?」

 ここは、関係施設のはずなのに、劉瀞は、仲間からも身を隠さなければならない羽目にでも陥っているのだろうか?
 私がそんな恐ろしい想像をしてどきどきしていると、彼はふう、と息をついて上着を脱ぎ捨てる。

「もう、とっくに面会時間過ぎてるだろ?」
「何ですか?面会時間って。」
「こういう病院施設ってのは、外部から患者に接触する人間を夜は締め出しているんだよ。」
「…へええ…。」

 よく分からないなりにも、確かに夜中まで誰かが出入りしてちゃ、病院側の対応が大変なんだろうな、と私は思う。

「じゃ、ここにいたらダメじゃないですか。」
「だから、お前も静かにしな。」

 言いながら、劉瀞は私の目の前でネクタイを外し、更にワイシャツに手をかけている。
 なんとなく事態が飲み込めずに茫然とそれを眺めていると、劉瀞は、不意に私の毛布を剥ぎ取り、パジャマの裾をまくりあげてその手を中へ滑り込ませてくる。

「な…っ、なに…」
「だから、静かに。」

 思わず抵抗しかけた私の腕を強引に押さえ込んで、劉瀞はパジャマのボタンを器用に外していく。

「やっ、やだやだっ…」
「うるさいよ、美咲。」
「だって…っ、お風呂入ってないし…」
「その割りにシャンプーの匂いがするけど?」

 …そういえば、今日、翔慧先生に頼み込んでシャワーの許可をもらったんだった。入院して以来久しぶりにシャワー浴びてすっきりして、夕方、気分良くベッドに入って、心地良く眠りに就いた…はずだったのだ。

「い…痛い、りゅ…んんっ」

 結局、怪我の治りきってない身体で、暴れて痛い思いをするのは自分だと分かって、私は途中で抵抗を諦めた。だいたい、イヤだと言って、やめてもらったためしなんて今までないし。

 それに、私も本当は不安だったのだ。
 あれ以来、劉瀞の姿がまったくなくて、弥生にも庄司にも会えない。

 それまで、こんなに長い間、よく知らない人間にだけ囲まれて過ごしたことがない私は、軽いホームシック状態だったんだと思う。劉瀞の身内だという翔慧先生に相手をしてもらっていたから、少しは彼に近い場所にいるのだという実感を辛うじて得ていた。

 忙しい毎日に紛れていれば何も考えずに済んでいたことが、考える時間だけを一気に大量に与えられ、私は余計なことまでいろいろ考えてしまっていた。

 劉瀞を支えてやって欲しい、と翔慧先生に言ってもらったこと。私はそれに足る人物なんだろうか?と、どこかで本当はずっと疑っていた。こうやって実際に『外』に出てみて、劉瀞の偉大さがよく分かった。施設の中の居心地の良さも。あそこがいかに守られた空間であったかということも。

 彼らは、沢山の敵を前に、戦って、守っているのだ。大切なものを。
 そして、そうやって私たちが守られている、という事実。
 翔慧先生も、戦っているのだ。目に見えない敵と。

 ただ、守られていた私に、価値なんてあるのだろうか?
 劉瀞が、これからも私を必要としてくれるのだろうか?

 それが、きっと、無意識にずっとあった不安。


ジャンル:[小説・文学] テーマ:[現代小説
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