永遠の刹那

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永遠の刹那  

永遠の刹那

 両親を亡くし、追われるように住み慣れた故郷を離れた。
 都会に出た私を待っていたのは…

 婚姻届を人質(?)に取られ、波乱万丈の新生活が幕を開ける!!!

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ジャンル:[小説・文学] テーマ:[コメディ・恋愛
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永遠の刹那 (結婚記念日) 1 

永遠の刹那

 もうすぐ、そう、5月1日は・・・両親の結婚記念日だった。

 過去形なのは、もう彼らはいなくて、私は一人ぼっちになったから。父も母もお互い一人っ子だったようで、近い親戚もなく、兄弟もなく、私は、本当に本当に一人ぼっちだ。

 先月、20歳になったばかりで、世間的にはもう成人だから一人でなんとかしなきゃで生まれ育った町を出て来た。両親と住んだ家は、もう人手に渡り、お葬式を済ませて気がつくと、私は住む場所すらなかった。それでも、両親の生命保険で借金のほとんどはなんとか返済した。残りの数百万は月々私が払っていくしかない。それでも、債権者が昔ながらの顔なじみで良い人たちだから待ってもらえるだけだ。

 両親が脱サラして始めた夢の店。初めは順調にいっていた小さな輸入雑貨店は、この不況で一気に傾き、借金を重ね、挙句の果て、金策に駆け回っていた二人は事故を起こしてあっけなく逝ってしまった。10日前のことだ。あまりにびっくりして、私はまだ夢をみているような気がする。

 目を覚ませば、両親が笑ってそばにいてくれるような・・・。



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永遠の刹那 (結婚記念日) 2 

永遠の刹那

 僅かばかりのお金と、ほんの少しの着替えと、それだけをバッグに詰め込んで、私はとにかく住む場所と仕事を探さなければならなかった。

 しかし、アパートを借りるにも保証人が必要だとか、仕事を探すにも身元引受人が必要だとか、なんだかんだで断られ続け、私は一息つこうと小さなカフェに入った。朝から何も食べていなかったけど、あまり無駄遣いは出来ず、フルーツジュースだけを頼んで、窓際の二人用の席に腰を下ろした。

 もう夕方近かった。一日歩き詰めで足は痛くなるし、気持ちばかりは焦って、今夜は路上で寝るしかないのかなぁ・・・と物悲しい気分だった。

 でも、両親を恨んだりはしなかったし、私はまだ人生に希望を捨ててはいなかった。
 まだ、一日目だ。諦めるのは早い。

 そう思う傍から、数日後の自分の姿が見えるような気がして滅入ってくる。同じこの店、この席に座ってため息をついている田舎娘。

 カラン、と氷が音を立てて、ふと我に返る。大事に飲んでいたジュースも、もう空っぽだ。
 お腹、空いたな・・・。

 メニューをぼんやり見つめるが、とても高くてひるんでしまう。ジュース一杯だって千円近くするのだ。もう、今日一日分の食費は使った気分だ。

「こちら、空いてますか?」

 ふと、上から声が降ってきて、私は顔を上げる。

 ラテン系?かと思われるような少し日本人離れした掘りの深い顔立ちの男性が立っていた。背もものすごく高い。ブルーのワイシャツを着て、白いパンツを穿いている。サラリーマンかな?

 年の頃は・・・30代くらい?良い男って部類なのかな。まぁ、好みの問題だろうけど。どちらかというとアクション系。すっきり爽やかな二枚目ではない。

 どうも、向かいの席に座っても良いのか?と聞いているらしい、と分かったときには大分時間が経っていた。

「あ・・・っ、はい、どうぞ。」

 それでも、手にコーヒーカップを抱えたまま、彼は辛抱強く待っていてくれた。

「旅行中?」

 彼は椅子を引いて座り、カップをテーブルに置くと、私の荷物にちらりと視線を走らせて微笑む。柔らかいがどこかクールな笑みだと私は思った。都会の人って皆こんな感じなのかな。

「・・・えと・・・、いえ。今、住むところを探していて。」

 普通、そんなプライベートなことは初対面の人に話すべきではないんだろうけど、ちょっと気弱になっていたのだろう、私は思わずそう口にして、言ってしまってから、「しまった!」と思う。

「へえ。仕事は何しているの?」

 彼はカップを傾けながら淡々とした口調で聞く。
 私は、答えに一瞬間が空いた。悪い人ではなさそうだけど・・・。

「もしかして、求職中?」

 ややあって、私は諦めて頷いた。

「君、何か資格持ってる?」
「いいえ。」
「仕事の当ては?」

 首を振る。

「じゃあさ、俺のところで働かない?ちょうど、求人出すところだったんだ。」

 はあ?何、そのタイミングの良さ。・・胡散臭すぎる・・・。

「本当だって。今まで働いてくれてた子が先月、結婚退職してしまってさ。しばらく、まぁ、良いかな、って一人でやってたんだけど、やっぱりいろいろ不都合が出来てさ。ハローワークに求人出そうかな、って思ってたところ。」
「・・・何のお仕事なんですか?」
「俺ははり師。君にやって欲しいのは、受付と会計と月末の保険請求なんかの、まあ事務だね。それから、患者が若い女性も多いから、やはりどうしても女性スタッフが必要なんだよ。半月、一人でやってたけど、やっぱり人を雇うことにしたんだ。馴染みの患者さんにも新しいスタッフはまだか?って毎回聞かれるし。」

 事務なら、今まで両親の仕事をちょっとだけ手伝ってたので、出来そうな気がした。しかし、そんな上手い話、あるか?今日一日、訪ねた先すべて門前払いだったのに。それに・・・

「はり師・・・って何ですか?」
「鍼灸師とも言うかな。東洋医学の医者みたいなものだよ。知らない?」
「・・・ああ、はい、分かります。」

 というか、聞いたことはある、程度だけど。

「どう?俺のところで働いてくれるなら、辞めた子が使ってたアパートの部屋が空いてるし、新居では使わないからって置いてった家具もけっこう揃ってるけど。」
「ほ・・・本当ですか?」
「うん。まぁ、でも、要らないから置いてったものだけあって、古いけどね。ベッドとカーテンと冷蔵庫と・・・洗濯機もあったかな?ちょっと見てみないと忘れたけど、炊飯器もあったんじゃないかな?食器類はほとんど持って行ったけどね。」

 降って沸いた幸運!

「ぜひ、お願いします!」
「まず、部屋を見てみるかい?」

 彼はクールに微笑んだ。



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永遠の刹那 (結婚記念日) 3 

永遠の刹那

 しかし、普通に考えてそんなうまい話しがある訳ない。思わず飛びついてしまったが、カフェを出て、すぐそこだよ、と案内される道々、次第に不安になってくる。そんなこと言って、どこかヤバイところに連れ込まれて襲われるんじゃないか、とか。騙されているんじゃないか、とか・・・。

 着いてみると、けっこう可愛いマンション風の建物で、モスグリーンに塗られた壁がちょっとはげ掛けてはいるけど、やぼったい感じはない。3階建てのこぢんまりとした造りだ。

「部屋はここ。」

 と扉を開けられたのは、2階の奥の角部屋だった。

「え?・・・あの、どうして鍵を・・・?」
「うん、彼女が引っ越すとき預かった鍵をそのまま持ってて、たまに飲んだ帰りに泊まったりしてるんだ。」

 嘘くさい・・・。

「君、すごく顔に出る子だね。本当だって。」

 ちょっと呆れ顔の彼に見下ろされ、私ははっとする。

「す・・・すみません!」
「扉、開けたままにしておくから、中に入って見てみて良いよ。」

 彼は、くすくす笑って言った。

「あ、はい。ありがとうございます。」

 その男は、そのまま扉にもたれるように入り口に立ち、私は玄関で靴を脱いでそっとあがってみた。確かに、住人が出て行ってから半月くらい・・・という感じがした。流しはしばらく使われていない感じがしたし、掃除はしてあるんだろうけど、埃が微かに溜まり、どこか寂しい感じが漂う。

 玄関に続くキッチンと、奥に部屋が二つ。二つともフローリングで、壁際に確かにベッドが置かれたまま、カーテンは引かれたまま。そして、小さな冷蔵庫と洗濯機も電源が抜かれた状態で寂しく置かれてあった。
 調理器具はさすがにほとんどなかった。自分で選んで買って使っていたものは持っていったのだろう。

「とりあえず、今夜寝られるだろ?電気も水道もまだ止めてなかったし。」
「あ、はい。ありがとうございます。」

 玄関から男が声を掛ける。私は、やっとほっとした。少なくとも、この部屋に関しては本当だったみたいだ。

「じゃ、はい、鍵。」

 彼は私の手に、小さな鈴のついた鍵を握らせる。

「・・・あの、ありがとうございます。家賃は・・・。」
「その話しは、治療院に戻ってからゆっくりしよう。雇用契約とか、書類も書いてもらわなきゃならないし。ちょっとこれから、良い?」

 私は涙が出そうなくらい、本気で嬉しくて、頷いた。

「治療院は少し歩かなきゃならないから、タクシー使うよ。」

 男はそして、タクシーの中で東尾静(ひがしおしずか)と名乗り、名刺をくれた。それで、私もやっとすべてを信じる気になった。

「私は、宇治天音(うじあまね)です。あの、これから、よろしくお願いします。」
「天音ちゃん?変わった名前だね。宇治って宇治抹茶の宇治?姓で呼ぶのって呼びにくそうだね。」
「そうなんです。・・・今までほとんど名前でばかり呼ばれてました。」

 宇治。発音すると「うじ」だ。小学校低学年の頃は男の子達によく‘うじむし’なんて言われていじめられたものだ。今ではなんとも思わないが、多感な頃は大嫌いな名前だった。

 だけど、両親が亡き今、その姓を名乗るのは私だけだ。そう思うと妙に愛しくさえなる。少し感傷的な気分になった。

「天音ちゃん、君、いくつ?」
「先月20歳になりました。」
「じゃあ、もう大丈夫だね。」
「・・・はい。」

 何がだろう?保証人とかのことかな。訳も分からず私は頷く。東尾静はにこっと私を見下ろし、不意に私の頭を撫でた。

「え?・・・あの・・・」
「いろいろ大変なことがあったんだろうね。一人で部屋を探して、一人で仕事を探してるなんて。」
「・・・っ!」

 突然、そんな優しい言葉を掛けられ、私はぐっと言葉に詰まる。やめて欲しい。涙が零れそうになってしまった。

「よく悪い輩に引っ掛からなかったね。俺以外には。」
「・・・はあ?」

 にやりとする静の言葉に私の涙は引っ込む。
 青ざめた私を見つめて、彼はくすくす笑う。

「いや、さっき言った話は全部本当だよ。スタッフを探している。部屋は空いている。仕事は鍼灸院。騙したりはしてないよ。」
「・・・はあ・・・。」

 真意がよく分からない笑みでにこにこ見下ろされ、私は複雑な気分に陥った。



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永遠の刹那 (結婚記念日) 4 

永遠の刹那

 途中で、彼は区役所の前にタクシーを待たせて、中に何かを取りに行った。もう5時は回っていたと思うが、まだ開いているんだろうか?やがて、静は封筒を抱えて戻ってくる。

「ごめん、ちょっと必要書類を。」
「はい。」
「治療院に着いたら、書いてもらう書類がけっこうあるよ。雇用契約書とか、アパートの賃貸契約書。それから、俺の方で従業員を届けなきゃならないしね。印鑑ある?」
「あ、あります。」

 私はふと心配になる。

「あの・・・保証人とか・・・身元引受人とか・・・」
「それは大丈夫。今まで、それで断られたんだろ?」
「・・・はい。」

 静は私のことを何も聞かなかった。話すべきことが沢山あるような気がするが、何を説明して良いのか分からない。それに、両親のことを話すとまだ泣きそうだった。

「あの・・・私は・・・」
「良いよ。落ち着いてからで。俺は人を見る目あるし、一度こうやって話しをするとだいたい分かる。それに、君には特別感じるものがあるしね。」

 にこっと彼は笑う。
 動物みたいだ、と私は思った。イルカやシャチは人の悲しみをかぎ分けるそうだ。それに、セラピー犬は、傷ついた人の心を感じるという。

 一日緊張して歩き回り、お腹も空いていた。やっと住む場所が決まり、仕事も決まりそうで、私は少しほっとしたんだろう。事務所に通されてテーブルに並べられた書類を、ろくに見ずにとにかく次々と実家の住所、アパートの新住所、氏名、印鑑、という作業を繰り返した。5枚くらいは同じことを書き続けたと思う。

「OK。あとはこっちで記入すれば良いから。仕事は早速明日から少しずつ手伝ってもらって良い?簡単なものから覚えてもらいたいからね。それに、君、住民票の移動とか必要だろ?住む場所が決まったわけだし。明日、俺の届けもあるから昼休み一緒に区役所へ行こう。ここに来るまでの交通手段はバスがあるから。はい、これ、時刻表。」

 静は、そう言って書類を片付け、私にバスの時刻表のコピーをくれた。
 ああ、そうか。前のスタッフも同じ部屋に住んでいたんだから、そういうのも彼女のためにあったんだろう。

「じゃ、お祝いに夕食をごちそうしてあげるよ。」
「・・・え?」
「お腹、空いてるんだろ?」

 確かにさっきからお腹がぐうぐういっている。私はかああっと頬が熱くなった。やっぱり聞こえていたのか・・・。

 気軽に食べられるように、と考えてくれたらしく、静はそれほど固くない小さなレストランへ私を連れて行った。

「好き嫌いが特になければ、俺が勝手に頼んで良い?」
「あ、はい。大丈夫です。」
「そう。」

 静は、メニューを見ながら、コース料理ではなく、単品でいくつかの大皿をオーダーして、取り皿を付けてもらったようだ。

「どうぞ、好きなだけ食べて。」
「いただきます。」

 お腹がぺこぺこだった私は、すべてのディッシュを少しずつ全部味わってみる。そのおいしさに感動する私を、静は嬉しそうに見つめる。なんだか、その眼差しが両親を思い起こさせた。そんな風に温かい視線だった。

「天音ちゃん、俺と結婚しない?」

 突然、表情を変えずに静が言う。
 私は思わず、グラスの水を吹き出しそうになった。

「・・・は・・・はあ?」
「相性良さそうじゃない?俺たち。」
「そっ・・・そんなこと、まだ会ったばかりですし・・・」
「普通はね。」

 静は柔らかい表情のままで、真っ直ぐ私の目を見据える。

「一目惚れ、ってのとは違うんだけど、なんか‘縁’というか、‘絆’みたいな、俺はきっとこの子と人生を深く関わるだろうって、そういうのを感じるんだよね。」

 さっき言ってた‘特別感じるものがある’って・・・そういう意味だったのか?いや、私は特に何も感じませんが。

「・・・あの、でも・・・私は・・・」

 やっと見つけた雇い主、やっとありついた食事、やっと手に入れたアパート。それを思うと無碍にも断れない。

「じゃあ、相性を試してみる?」
「・・・は?」

 試す?何を?どうやって?

「セックスしてみる?」

 がたん、とグラスを倒して、私は慌てる。

「ひゃあ・・・っ、すっ、すみませんっ」

 ウェイターさんがてきぱきと流れた水を拭き取り、水をかぶった皿を下げ、何事もなかったかのように新しいグラスを運んできてくれた。お互いの服を汚さなかっただけ幸いだった。

 静は恐縮する私をくすくす笑って見ている。

「・・・すみません。」

 冗談・・・ですよね?と私は恐る恐る彼の目を見上げる。

「今夜、俺の部屋に泊まってみる?」
「・・・それは・・・」
「それは?」
「・・・。」

 どうしよう?一体、何を言い出すんだろう?
 青ざめる私をおもしろそうに見ていた静は、分かった、という風に食事を再開する。

「大丈夫、俺は無理強いはしないし、寝込みを襲ったりもしないから。でも、まぁ、考えておいて。プロポーズの件も。」

 私はすっかり食欲を失った。



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永遠の刹那 (結婚記念日) 5 

永遠の刹那

 アパートの部屋の前まで送ってもらい、静はそれ以上何も言わずに「明日、9時までに事務所に来てください。」と微笑んで去っていった。
 彼の後ろ姿を見送って、私はほっと息をつく。

 目まぐるしい一日だった。
 何もない部屋で、とにかくシャワーを浴びて、持ってきた小さなタオルで身体を拭き、前の住人が置いていってくれた寝具にくるまり、眠りを貪った。

 あっという間に意識は暗転し、次に気付いたときは、もう辺りは明るかった。




 ぼうっと起き上がって、その違和感に茫然となる。
 ここは、どこだ・・・?

 ああ、そうだ、私はもうあの家を出たんだ。もう、父も母もいなかったんだ。
 カーテンの隙間から漏れてくる柔らかい光を眺めて、ちらちら舞う埃が光を跳ね返す様を見て、私はぐっと胸が痛くなった。

 昨日の目まぐるしい一日を反芻し、出会った男のことを思いだした。そして、はっとする。
 9時までに来て下さいって言われてた?9時?っていつ?今、何時?
 慌てて携帯を確認する。
 良かった、まだ7時だ・・・。シャワー浴びて、着替えしよう。



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永遠の刹那 (結婚記念日) 6 

永遠の刹那

 小さなバッグに財布と筆記用具などをまとめ、私はもらった時刻表を手に、昨日の帰りに教えてもらったバス停へ向かう。

 昨日、静が言ったことは、まぁ、冗談だと受け留めても・・・。
 私はこれからすべきことを考える。住民票の移動。仕事を覚えること。それから・・・。

 なんだか、どこかまだぼうっとしているようで、うまく考えがまとまらない。
 とにかく、進むしかない。

「おはようございます。」

 手前の診療室ではなく、昨日案内された奥の事務所に顔を出すと、中にはもう静がいた。何かまたいろんな書類を広げている。

「ああ、天音ちゃん、昨日はよく眠れた?」
「はい。ありがとうございます。」
「じゃ、昨日の話しは考えてくれた?」
「・・・住民票、ですか?」
「違うよ。」
「あ、すみません、仕事の話ですよね。」
「違うよ。」

 私は、勝手に彼の話しを冗談だと決め付けていたお陰で、本気で忘れ去っていたのだ。というより、何もかもが新しいことだらけ、初めての都会で初めてのことだらけで、いっぱいいっぱいだった、というのが正しい。
 本気でぽかんと口を開けていた私に、静はにやりとする。

「結婚の話だよ。」
「・・・えっ???」

 本気だったんですか?と更に聞く勇気はなく、私は、茫然とその場につっ立っていた。

「君ももう20歳。親の同意書も要らない年だし、俺もそろそろ良いトシだしね。本気で考えて?」
「・・・い、いえ。だって、その、私はそんな、何も出来ないですし・・・」

 あまりの動揺に、自分で何を言っているのか分からない。

「それに、その、本当にまだ会ったばかりで・・・」
「お見合いだって、そんなもんでしょ?会って数回のデートで即話しを進めるじゃない?」
「・・・で、ですけど、私はまだ・・・その、東尾さんのことをよく知らないですし・・・」
「天音ちゃん、ここでは一応俺のことは‘先生’と呼ぶように。」

 一瞬、トーンが下がって、彼は真面目な顔になる。

「あ、すっ・・・すみません!」
「それから、プライベートでは‘静’で良いよ。」
「・・・は?・・・はあ・・・。」

 再び、ぽかんとした私は次の瞬間にやっと我に返る。

「あ、で・・・っ、ですから、その・・・っ」
「あのさ、天音ちゃん。君が言ってることって、断る理由には何にもなってないよね?OKだけど、まだお互いをよく知り合いたいって受け取って良いの?」
「ちっ・・・」
「知り合いたいなら、だから、相性を試してみようって・・・」
「そっ、それはっ・・・、まだ、もう少し先で、まずはそのっ・・・ええと、いろいろ話しをするとか・・・っ」

 私は慌てて、益々何を言っているのか自分でまったく分からなくなっていた。

「OK。じゃ、まずは週末にデートしてみようか?そういう手順を踏めば良いってことだろ?」

 なんだか、どんどん相手に言いくるめられて、話しが勝手に進んでいく・・・。

「そういうことではなくて・・・、私はまだ、その・・・そんな気分には・・・」
「それは良いよ、もちろん。これから長い人生一緒に歩んでいくんだから、人生にはいろんな時期があるんだしね。」

 だからっ・・・、どうして、そこから離れないの?

「天音ちゃん、あんまり子どもみたいに駄々をこねないで欲しいな。だいたい、もう遅いから。」
「・・・は?何が・・・ですか?」

 意味ありげに微笑む静の瞳の怪しい光に、私は不安を覚える。

「これ、なんだか分かる?」

 そう言って彼が広げてみせてくれた一枚の書類。
 昨日、私が署名・捺印した一枚だということだけはすぐに分かった。見た覚えも書いた覚えもあった。やけにぺらぺらの紙だなぁ・・・と感慨を抱いたことも。

 しかしっ!私の名前のすぐ横に、静が名前を書いて印鑑を押している。保証人欄?いや、違う・・・。
 用紙をよく見ると・・・。

「こ・・・っ、婚姻届・・・???」

 私は愕然とした。

「え?・・・これ、本物ですか?」
「そりゃ、そうだよ。昨日、区役所からもらってきたんだもの。」

 区役所に寄ったのは、このためか?

「ちょっ・・・ちょっと待ってくださいっ、私っ・・・こんな・・・っ」

 その用紙を奪い取ろうと手を伸ばした途端、彼はすいっとそれを持ち上げて私の手の届かない高さにあげる。

「大丈夫、まだ提出はしないから。」
「あっ・・・当たり前ですっ」

 私の声は悲鳴に近かった。



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永遠の刹那 (結婚記念日) 7 

永遠の刹那

「返してくださいっ」
「その要求はおかしいよ。これは、君のものじゃないんだから。」
「だ・・・っ、だって・・・それ・・・っ」
「だから、まだ提出しないから。」

 彼は泣き出しそうな私をくすくす眺めて、その用紙は丁寧に折りたたんで封筒にしまいこむ。

「提出日は、結婚記念日になるんだから、後で一緒に考えよう?」

 微笑む彼を睨みつける。
 そういう問題じゃないっ!

「まずは、事務手続きをきちんとしないとね。仕事の内容自体はそれほど難しくないし、覚えることも多くはないよ。一番問題なのは、患者さんへの応対だね。」

 すっと表情を戻して、静は説明を始める。もう、さきほどの話題は終了、ということか。
 後で奪い返すにしても、今は確かに立場は雇用主と従業員だ。私は、必死に気持ちを切り替えて彼の話に耳を傾ける。

「一通りの説明は以上。何か質問は?」
「・・・いえ。まずはやってみないと・・・。」
「了解。」

 彼が書類を片付け始めたので、私は再度挑戦する。

「あの・・・、婚姻届は・・・」
「うん、そうだね。いつにする?」
「そっ・・・そうじゃなくてっ」

 私は机を叩いて立ち上がる。

「私はまだ結婚なんてするつもりはっ・・・」
「それは良かった。誰か良い人がいたらどうしよう?とそれが心配だったし。」

 ああ言えばこう言う・・・。

「お願いです、それはなかったことにしてください。」
「ダメ。」
「・・・だって、まだお互い・・・」

 いかん、これを言うとまた‘試す’話題が出てくる。

「天音ちゃん、あまり深刻に考えなくて良いよ。結婚なんて、見ての通り、分かっただろ?紙切れ一枚のことだよ?既婚者の方が社会的にもいろいろ楽だし、生活の保障もされるよ?俺がそんなに嫌い?」

 改めてそう言われると、それもそうかな、なんて気もしてくる。しかも、嫌いかどうかなんて論じられるほど、実際、静のことをよく知らない。

「・・・いいえ。」
「じゃ、何も問題ないじゃない?」

 ・・・。その理論はおかしい。ものすごくおかしいのに、頭がうまく働かなくて言い返せない。
 ひとまず、私は諦めた。
 もう、こいつには何を言っても無駄だ、という気がしてきた。

「とりあえず、・・・提出は待ってください。」

 力なくそうお願いするしか、残された道はなかった。




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永遠の刹那 (結婚記念日) 8 

永遠の刹那

 区役所での所定の手続きを終え、彼も何か役所に用事があったらしく、書類をやりとりしていた。婚姻届を提出されはしまいかと冷や冷やしたが、それはしなかったようだ。

 なんで、婚姻届を人質に・・・いや、人じゃないけどさ、脅迫ネタのように取られて、新生活を始めなきゃならないのか・・・。

 いや、確かに、住む場所も仕事も得たよ?有り難いよ?
 だけど・・・、この理不尽さは何よ?

 私は「あ、終わった?」と微笑んで近寄ってきた静を、睨みつける元気もなく、ぼうっと見上げる。

「軽く昼食を取って、仕事に戻ろうか。今日はもう金曜日だから、受け付けには来週から座ってもらおう。午後は、カルテの見方とか整理の仕方を教えておくから。」
「・・・はい、お願いします。」

 ‘先生’と呼ぶ時間帯はとりあえず絶対服従だ。

「何が食べたい?」
「特に、希望は・・・。」
「じゃ、おいしいサンドイッチの専門店へ行こう。」

 何が楽しいのか?にこにこしている彼を見ていたら、しかし私も少し気分が明るくなった。
 そうだ。借金取りに追われている訳でもない。路上生活を余儀なくなれている訳でもない。とりあえず生きていける環境を与えられたことに感謝しよう。
 拾ってくれた相手が多少変な人でも、この際、贅沢は言っていられない。

「ああ、そうだ。」

 歩きながら、ふと思い出したように、静はカバンから封筒を取り出して、はい、と私にくれる。あ、やっと婚姻届を返してくれる気になったのかとほっとしたら、違った。

 そこには10万円ほどの現金が入っていた。

「当座の生活費、必要だろ?」
「・・・前借り、させていただけるんですか?」
「まぁ、そんな感じ。結婚すれば、そんな心配要らなくなるのに。」
「あっ、ありがとうございます!」

 そそくさと会話を終わらせようとする私に、静は肩をすくめる。こいつは外人か!
 相手はやたら背が高いので、私はいちいち見上げる格好になる。いや、私もそんなにちっちゃい方ではないが、静が大きすぎるのだ。180~190cmは絶対あるよね?日本人にはあるまじき身長だ。

「あの・・・先生は・・・」
「今は静で良いよ。」
「はあ・・・あの、静は、どこかとのハーフとか?」
「どこかって?」
「・・・ラテン系?」
「惜しいな!」
「え?アジア系?ですか?」
「いや、生粋の日本人だよ。」
「・・・どこが惜しいんですか。」

 何処まで真面目なんだかさっぱり分からない。

「沖縄出身だから、どっかにアメリカ兵の血が混じってる可能性はあるけどね。」
「沖縄・・・。」

 ふと、観光案内の綺麗な海の写真を思い出して私はうっとりする。羨ましい・・・。

「でも、生まれは本土だよ。母は内地の男を追っかけてこっちに来て、そのまま住み着いちゃったらしいから。」
「じゃあ、お父さんは。」
「うん、どこの誰かは分からない。」
「・・・へっ?」
「嘘。どこぞのお金持ちのぼんぼんで、母は妾だったのさ。今は本妻が亡くなって後釜に収まっているけど。」

 こいつの話しは、いったいどこまで本当なんだ・・・?
 ぽけっと静を見上げて呆れていると、彼は、また私の頭にその大きな温かい手をぽんと乗せる。

「人にはそれぞれいろんなドラマがあるものさ。君だってそうだろ?天音ちゃん。」




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永遠の刹那 (結婚記念日) 9 

永遠の刹那

 夕方まで、事務所で書類の書き方やカルテの整理の仕方なんかを教わった。と言っても、静の診療の合い間に、なのでなかなか進まなかったが。

「お疲れさま~」

 と、定刻を過ぎて、静が白衣のままで事務所に顔を出し、ああ、疲れた、と椅子に腰を下ろす。私はふと彼の背後のカレンダーに目をやり、思わず呟く。

「ああ、もう4月も終わり。・・・週明けの月曜日は結婚記念日だ。」
「え?誰の?」

 すかさず静が反応する。

「両親のです。」
「・・・へえ。親の結婚記念日なんて覚えてるんだ、珍しいね。」
「はい、ウチは家族が少なかったので、それぞれの誕生日と、そういう記念日関係は、いつもみんなで祝ってたから。」

 ふうん、と彼は頷いた。じゃあ、週末はご両親と・・・?なんて聞かれなくて私はほっとする。彼も、何かを感じているんだろう。

「良いね、そういう家族。仲良しだったんだね。」
「・・・え?」

 だった、と彼は言った。

「だから、そういう家族を君も早く作れば・・・」
「あ、お疲れさまですっ、今日はもう帰って良いでしょうか?」

 静はにやにやと私を見つめ、私の感傷的な気分は一気に吹き飛ぶ。

「夕食、ごちそうしてあげるよ。」
「いえ、大丈夫です。いただいたお金もありますし。」
「でも、君、生活用品けっこう揃えなきゃならないだろ?茶碗とか箸とか、鍋とか包丁とか。」

 そうだった。そういう細かなものは何もなかった。そういえば、トイレットペーパーもあるだけ一個しかなかったし、まず、バスタオルとシャンプーも買わないと・・・。

「明日、買い物に付き合ってあげるから、今日は俺のとこに泊まったら?」
「いえっ・・・とんでもない!そんなお気遣いいただかなくても、大丈夫です、先生!」
「‘先生’としては大丈夫だけどさ、プライベートでは気になるじゃない?」

 くそっ!仕事中をアピールしたらそれを逆手に取られた・・・!

「大丈夫、襲わないから今日は俺のとこにおいで。夕食も作れないだろ?」
「いえ、本当に・・・」

 必死に断ろうとジタバタしていると、不意に彼は、ふうん、と独り言のように呟く。

「あの届け、出してきても良いんだけど。」
「・・・。」




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永遠の刹那 (結婚記念日) 10 

永遠の刹那

「あのぅ・・・夕飯いただいたら、帰っても良いでしょうか。」

 運転免許を持ってないのか、車を持ってないのか、結局、私たちはタクシーで彼の家に向かっている。

「なんで?泊まってけば?どうせ、明日一緒に買い物に出かけるんだし。」
「そ・・・そういう訳には・・・」

 しかも、いつ一緒に買い物に行く話が決定しているんでしょうか。

「部屋は別に用意するから大丈夫だって。言ったでしょ?無理強いはしない。寝込みは襲わない。」

 ・・・。
 その、限定的な否定って、むしろそれ以外はなんでも有りです、みたいで怖いんですけど。
 どこか信用していない表情を私はしていたのだろう。

「おや、分かった?眠ってなくて、拒否できない状況だったら良い訳でしょ?」

 静はにやにやと私を見下ろす。
 ・・・やっぱり・・・。

「例えば、酔ってるときとか。」

 絶対、お酒は飲むまい!

「天音ちゃん、お酒は飲める方?」
「いえ。先月まで未成年でしたし。」
「今時、そんなこと守ってる人いるの?」

 いないでしょう。しかも、私は酔うと脱ぎ癖があるらしい。だいたい、誰かが本気で止めてくれるまで、際限なく服を全部脱いでしまうらしい。今まで一緒に飲んでいた相手は幼なじみや近所の同級生とかだったから、呆れられつつも事なきを得ていたが、静が相手では絶対ヤバイ!!!

「あまり飲めません。」
「ってことは、飲んだことはあるんだね。」

 しまった!

「酔うとどうにかなるの?」
「なりません!」
「誰彼構わずキスするとか?」
「し・・・っ、しません、そんなこと!」
「じゃあ・・・」
「何もないですっ」
「では、是非とも酔わせて確かめてみよう。」

 ぎゃ~っ、やめてっ!!!
 死んでもお酒は、絶対に口にしないっ!!!



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永遠の刹那 (結婚記念日) 11 

永遠の刹那

 なんで、こんなステーキとかの肉が普通に用意されているんだろう・・・。
 キッチンに立って、私は茫然としている。

 静の家は、こいつの年齢にしては豪華すぎないか?という本気の二階建ての一軒屋だった。そういえば、お父さまがお金持ちっぽい話をしてたっけ?しかも、一緒に住んでないってことは、他にも実家があるってことだよね。
ごみごみした街中ではなくて、ちょっと郊外のそこは、周りも住宅街で静かだ。家の前にちょっとした庭を持っている敷地の広い家ばかりで、高級住宅街って雰囲気がする。

 しかも。車、あるんじゃん。そんな高級車ではないみたいだけど、軽ではない普通乗用車が。
 お邪魔します・・・と玄関を入ると、男の独り暮らしにしてはけっこう綺麗に片付けられていた。

「食事の支度、手伝ってくれる?」

 と言われて、二人でキッチンに立っているのだが、冷蔵庫にはステーキ用の肉がでん!と下ごしらえした状態で二枚置かれてあり、野菜類も綺麗にそろっている。訳の分からない調味料が沢山並んだ棚に、食器類もその辺で買ったものではない焼き物が多い。

 はあ・・・。お金持ちだなぁ・・・。

「いつも、こんなにきちんと食事されているんですか?」
「いや、今日は天音ちゃんを誘うつもりだったから。」
「・・・へっ?」
「だから、何でも二人前あるでしょ?」

 ああ、なるほど・・・。っていうか、初めから私には断るという選択肢はなかったってことなのね。

「あ、そこのグラスも出しておいてくれる?」
「何のグラスですか?」
「ワイングラスだよ。」
「・・・。」
「無理矢理飲ませたりしないって。最初の乾杯くらい付き合ってよ。」

 まぁ・・・確かに肉料理だし・・・。乾杯くらいなら・・・。

 しかし、静は手際が良い。普段、普通に料理している人なんだ、と感心した。ぽけっと見とれていると、彼は振り向いてにやりとする。

「どう?惚れたでしょ?」

 ははは、と引きつった笑顔のまま私は曖昧に頷く。
 確かに、料理の出来る旦那さんって良いよね。
 そして、はっとする。
 いかんいかん!何、乗せられてんの?

「野菜、蒸しあがったからまず盛り付けてくれる?」
「肉、焼きあがったよ。」

 静に指示されるまま、私は補助をしただけだ。調理台の高さは私には少し高いかな?という程度で、それほど気にならないから、彼にはけっこう低いみたいだ。それを両足をめいっぱい開いた姿勢で調理している姿がちょっと気の毒。でも、慣れているらしく動きが本当に滑らか。

「はい、出来たよ。ダイニングに運んで乾杯しよう。」

 フルーツデザートは冷蔵庫に戻して、二人は庭の見える部屋に移動して、料理を並べたテーブルに就く。
 静が赤ワインのボトルを開け、二つのグラスに注いだ。

「じゃあ、乾杯しよう。」

 グラスを合わせて、いただきます、と食事を始めた。

「あ、すごくおいしいです。」

 ただ、蒸しただけの野菜が、下味を付けて焼いただけのステーキが、とても甘くておいしかった。野菜の火の通り加減がうまいのだろう。

「それは良かった、たくさん食べて。」

 静は嬉しそうだ。
 私は、ちょっと奇妙な気がしてきた。なんというのか・・・、違和感をおぼえない。昔から割と人見知りをする方で、初対面の人間と食事をしたりすると、緊張して味なんて分からなくなる方だったのに、昨日は本当に本当にお腹が空いて死にそうだったから、ともかくとして。

 相手がいる食事をおいしい、と感じるなんて私には珍しいことだった。素材の味がしっかりしているだの、肉の焼き加減がどうのだの、そんなところに意識が向くくらい、私はリラックスしているのだ。

 静の周りに漂う空気は、ひどく柔らかくて人を威圧しない。
 職業柄なんだろうか?自然にくつろいでしまう。会話が途切れても気にならない。

「普段、どんな食事が多いの?」

 ワイングラスを傾けながら静は聞く。

「・・・田舎料理ですね。煮物とか、野菜炒めとか、焼き魚とか。」
「和食派?」
「その方が落ち着きますけど、でも、何でも食べますよ。こんな立派な肉は使いませんけど。」
「じゃ、今度、君の家庭の味を作ってよ。」
「良いですけど・・・。お口に合わないかも。」
「俺も、こんな食事は滅多にしないよ。時間がないと麺類が多くなるし。」
「・・・ラーメンとか?」
「いや、パスタが多いかな。あと、うどんとか。サラダみたいなディッシュにすると、野菜も一緒に取れるしね。天音ちゃんはラーメン好き?」
「ラーメンは、ラーメン屋で食べる方が好きです。あまりこってりしてないやつを。」
「味噌?醤油?」
「醤油です。」
「同じだね。」

 他愛もない会話が淡々と続く。そして、ふと気付くとワインをグラスに足されている。

「あの、そんなには飲めませんから。」

 慌てて制するが、静は気にしない。隙を見つけて注ぎ足そうとするので、気を付けていないと真面目に危ない。しかも、私はワインが好きなのだ。日本酒もそこそこ飲むけど、特にこういうこってりした肉料理のときは、ハーフボトルのワインなら一人で空けられるくらいだ。そして、そこからが止まらなくなる。

「君、ワイン好きでしょ?」

 にっこり見抜かれて、そんなことないです、と私はちょっと慌てる。

「だって、飲み方が嬉しそうだもの。」

 ヤバイ・・・。だって、こんな良いワイン、そんな滅多に飲めないんだもの。
 確かに、ワインを飲む瞬間、とても幸せな顔をしていたかも知れない。

「もう一本開けようか?」
「いえっ・・・もう、本当に要りませんから。」
「良いよ、俺が飲みたいし。」

 マズイ・・・かも。と思った頃にはもうかなりヤバかった。
 段々、何を話したかの記憶も曖昧になってきて、ろれつがまわらなくなっていた。

 デザートのフルーツが出てきた頃には、意識が半分朦朧としていた。フルーツを食べた記憶はない。だけど、いつでも、後で聞くと私は最後に必ずデザート系のフルーツを食べて、更に一緒にアルコールを取っているらしい。変なやつ。

 ふわりと誰かの腕に抱き上げられたようなふわふわした感覚を抱いたことだけは覚えている。
 そして。
 世界は暗転した。



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永遠の刹那 (結婚記念日) 12 

永遠の刹那

「うっ・・・イタタ・・・」

 頭痛に顔をしかめて私は目を開けた。
 光が眩しくて目が痛い。更にひどく頭が重くて身体がだるい。

 二日酔い?昨日、そんなに飲んだっけ?
 何も考えられない、考えたくない気分で、私は再度、目を閉じる。部屋の中に他に人の気配はない。

 ええと、ここはどこだっけ?
 昨日から、目覚めたあとの混乱が甚だしくて、深く考えるのが面倒くさい。

「う~・・・喉が渇いた・・・。」

 呟いて、仕方なくもう一度目を開ける。辺りを見回してみても、水らしきものは見当たらない。ここは寝室らしい。

 生理現象を感じて、引き剥がすように身体を起こす。頭がぐらぐらして真っ直ぐになっていられない。

「イタタ・・・」

 言いながら、差し込む光に背を向けて、扉を探す。そして、ベッドを下りて、私は唖然とする。

「ああ・・・、またか・・・。」

 全身ほぼ裸。下着は自分で外したのか、彼が外したのか。男物のTシャツを着せかけられていただけで、他には何も身につけていない。

 とにかく、トイレはどこ?
 ふらふらと私は部屋を出る。家の中はしーんとしていて、人の気配を感じない。静もまだ起きていないのかも知れない。

 やっと廊下の端にトイレを見つけ、用を足す。
 そして、ふらふらしたままキッチンを目指した。
 グラスに水をついでそれを一気に飲み干し、気配に気付いて振り返ると、同じくTシャツ姿の静が立っていた。

「おや、天音ちゃん。朝から良い格好だね。挑発してる?」

 同じくらいの量を飲んだ筈なのに、どうしてこいつはこんなに元気なんだろう・・・?
 恨めしそうに私は彼を見上げる。まだ、羞恥を感じる精神的余裕はなかった。

「もう少し頭がはっきりするまで、寝ときな。」

 くすくす笑って彼は冷蔵庫からジュースを取り出して飲んでいる。
 私は、言葉を発するのも億劫で、そのまま部屋に戻ろうとして・・・道に迷った。

「天音ちゃん、そこは俺の部屋。一緒に寝る?」
「・・・。」
「分かった、ごめん。君の部屋は隣だよ。」

 さすがに彼も呆れたようで、苦笑しながら隣の部屋の扉を開けてくれた。
 私は、再びベッドに倒れこんで、そのまま泥のように眠りに落ちた。



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永遠の刹那 (結婚記念日) 13 

永遠の刹那

「天音ちゃん、起きてる?」

 扉を叩く音で、はっと目を開ける。まだ頭痛は残っていたが、意識は大分はっきりし、身体は少し楽になっていた。慌てて身体を起こし、返事をする。

「入って良い?」
「え?あ・・・はい。」

 私はベッドの中で答えた。
 扉を開けて、静が入ってくる。彼はもうしっかり着替えていて、ラフな格好ではあったが、すっきりした外出着だった。

「はい、これ。」

 と言って彼に手渡されたものは、下着からスカートなどの洋服一式だった。

「妹のだから、サイズはぴったりって訳にはいかないだろうけど、確か、似たような身長だったし。」
「あ・・・あの・・・私の服は・・・」
「ああ、洗濯中。」

 静は、近くにあった椅子を出してきて、それにゆっくりと腰を下ろす。
 せ・・・洗濯・・・?あのぅ・・・下着も?でしょうか・・・。
 いや、それよりも!

「あ・・・あの、昨夜は私・・・」
「うん、ワインボトルを2本空けた辺りからいろいろ怪しかったね。」

 かああっと赤面するのが分かる。
 そ・・・っ、そんなに飲みました?

 本当に、本気で記憶が吹っ飛んでいた。2本目のワインがまたおいしくて、つい、手が出てしまった・・・ところ辺りまでは覚えている。静が、つまみに、と言ってクラッカーなんかを出してくれたことも。
 そういえば、静がワインを飲む姿をあまり見ていないから、ほとんどは私が空けたってことかい?

「目の前で次々服を脱ぎだすから、さすがに初めはびっくりしたけど、どこまで脱ぐのかな、と思ってしばらく眺めてみたんだ。」
「・・・って、そんな・・・っ」
「さすがに、全部は脱がなかったけど。っていうか、段々、身体が言うこときかなくなってきたんだろ?」

 くすくすと楽しそうに話す彼を、私はマトモに見られない。
 きっと耳の付け根まで真っ赤になって俯いていた。

「途中で俺が部屋に連れてきたしね。残りは俺が脱がせて、それを着せただけ。」
「・・・。」

 あまりのことに、茫然とした。
 でも、身体にはどこも異変はないし・・・。

「さすがに、あそこまで泥酔されるとね。」

 にやっと静は笑う。
 醜態だ・・・。
 私は本気で恐縮した。そりゃ、そうだ。そんな泥酔状態の姿を見せられて、百年の恋も冷めるよね。

「・・・す・・・っ、すみません・・・」
「君、外であんまり飲まない方が良いね。」
「・・・はい・・・。」
「他の男には見せたくないしね。」
「は?」
「本当は昨日、約束通り抱いても良かったんだけど。」
「や・・・っ、約束?・・・なんてしてませんけどっ」

 大声を出して、頭に響き、私は額を押さえる。

「・・・いえ、とにかく、すみません。」

 静は声をあげて笑った。

「起きて食事する気分になったら、着替えておいで。」

 静はそう言って部屋を出て行った。
 はあ・・・と、ため息が出て来た。
 何、やってるんだろう?私・・・。
 どうしようもない自己嫌悪にますます頭痛がひどくなった気がした。



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永遠の刹那 (結婚記念日) 14 

永遠の刹那

 お昼を大分過ぎた辺りに、私はこそこそと起き出してきた。

「あの、おはようございます。」

 リビングで本を読んでいた静の後ろ姿に声を掛けると、彼は振り向いて、おはよう、と微笑む。

「ああ、やっぱりちょっとサイズ合わなかったみたいだね。妹の方が大きかったか。」
「・・・あ、でも、大丈夫です。」

 小さいのはけっこう困るが大きいのはなんとかなる。

「服も買ってあげるよ。食事したら買い物行ってみる?」
「え・・・、ええと・・・」
「それとも、明日にする?」
「は?あ、いえ。行きます。」

 明日なんて話になったら、今夜も泊まれと言われかねない。

「それに、その、お金はありますから。」
「じゃあ、夕食をごちそうしてあげるよ。今夜はレストランで。」
「いえ・・・」
「それとも、ここが良い?」
「いえ、レストランでっ」

 言ってから、しまった!と思うが、静は「分かった。」とにやにやしている。
 はあ・・・と、再度ため息が出る。
 なんか、ひたすら墓穴を掘ってない?私・・・。




 買い物には車で出かけ、いろいろ生活用品や出勤用の服を買い、静はそれに辛抱強く付き合ってくれた。実際、荷物が多くなって、車でなかったら、かなり大変な思いをしていただろうと思った。

 なんだかんだと軽口をたたいているけど、静はけっこう紳士だと、私は感じた。普通、男は女の買い物にこんなに真剣に付き合ってはくれない。あれだけ仲の良かった両親も、母の買い物のお供だけは、父はあまりしたがらなかった。男は、とかく自分が世界の中心にいないと落ち着かないのだろう。良くも悪くも。

 夕食を一緒に済ませ、アパートの前まで送られて、私は心からお礼を言った。

「あの、本当にありがとうございました。」

 一緒に荷物を運んでくれて、最後に部屋の前で頭を下げた私に、静はにやりと笑って頭を撫でる。

「良いよ。後でまとめて身体で返してもらうから。」
「・・・。」

 前言撤回。
 単なるこいつはスケベだ。

「おやすみ。」

 爽やかに笑って、静は去っていく。

「・・・おやすみなさい。」

 いや、助平だろうが、変態だろうが、私の雇い主である。あっさり解雇されて路頭に迷わないように、週明けからの仕事は頑張ろうとその背中を見送って思った。




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永遠の刹那 (仕事裏表) 15 

永遠の刹那

「おや、先生、やっと新しい人を入れたんだね。」

 入ってくる患者さんは常連さんが多いのか、けっこう気さくに声を掛けてくる。中年のおじさんや、おばさんも多いが、若い女性も多い。
 そして、男性の患者には静は必ず一言付け加えるのだ。

「そうだよ。天音ちゃんだよ、でも俺の奥さんなんだから、手を出さないでね。」
「ち・・・っ、違いますっ・・・まだ・・・っ」

 真っ赤になって否定すると、患者さんはのんびりと言う。

「まだ?ああ、近々ってこと?」

 更に墓穴を掘る。
 延々とそれをやられるので、途中からもう否定するのも疲れてしまった。別に患者さんにどう思われてたって良いや、と私は諦めモードに入ってしまったのだ。

「先生もやっと結婚されたのか。良かったね、若い奥さんもらえて。」

 静の言葉に、にこにこ笑顔を返されると、私も「・・・よろしくお願いします。」と微妙に引きつりながら笑顔を返すしかない。よく考えたら、患者さんに訴えたところで、どうしようもないのだ。

「届けを出さなくたって、事実婚状態だね。」

 昼休み、仕事よりも静の言葉に翻弄されてぐったりと疲れ切った私に、静は憎らしいほど満面の笑みでそんなことを言う。

「・・・もう、どうでも良いです。別に中年のおじさん方に独身だってアピールしたい訳じゃありませんし。」

 やけくそになって言うと、静は大笑いする。

「俺は、君を守ってるつもりなんだけどなぁ。」

 事務所の机の上で恨めしそうに彼を見上げる私に、静は言った。

「今、昼飯を買いに行ってくるけど、何が食べたい?」
「・・・おにぎりとか、何か軽いのを・・・。」
「じゃ、ちょっと待っててね。お茶でも淹れて待っててくれると有り難いな。」
「あ、お金は・・・」
「良いよ、昼飯代くらい。」

 静は白衣を着替えて出て行く。
 その外出の本当の理由を、私は大分後になって知るのだが、そのときはまったく何も考えてはいなかった。
 昼食を買いに行っただけにしてはちょっと遅いな・・・、と思い始めた頃、ようやく静は戻って来た。

「お茶、冷めちゃいましたよ。淹れ直します?」
「ああ、ごめん。良いよ。のど渇いて一気に飲みたかったし。」

 彼はスーパーの袋を抱えてにこにこ戻って来た。
 お昼休みは2時間あるので、それほど時間に切迫していないんだろう。

「はい、これ、天音ちゃんの分ね。それから、サラダも買ってきたし、酢豚もあるから一緒に食べよ。」
「・・・ありがとうございます。」

 診療室でも思ったが、彼は人のあしらいがうまい。いや、あしらいがうまい、というのとは違う。へらへらしてるけど、実は根底のところではものすごく真摯に相手と向き合っているのが分かる。それを気付かせまいとして、わざと軽口をたたいている感があった。相手に気を使わせないようにしているところが、会話を聞いていると伝わってくるのだ。

「先生は・・・実は人が好きなんですね。」

 思わずぽつりとそんなことを言うと、静は初めて本気で驚いた表情をした。その驚き方に、私の方がびっくりしてしまったくらいだ。

「・・・って、え???・・・何か・・・悪いこと、言いました?」

 目を丸くして完全に動きが止まった静の様子に私は固まってしまった。

「いや、ごめん。そんなことを言われたのは初めてでちょっと驚いただけ。」

 すぐに笑顔になって静はおにぎりの残りを口に放り込む。

「君、ぼうっとしているようで、何気に危ない子だね。」
「へっ???」
「ますます欲しくなった。」

 意味が分からん。危ない人間なのはそっちでしょ。



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永遠の刹那 (仕事裏表) 16 

永遠の刹那

 働き始めて日常が回りだし、なんとか生活サイクルが出来てきた。2週に一度くらいの割合で、静には週末に誘われる。その辺の観光地を巡ったり、ちょっとした買い物をしたりして、夕食。というパターンで、彼は私の部屋まで送ってくれるだけなのだが。

 しかし、あるとき私は発見した。キーホールダーに、彼の車と彼の家の鍵の他に、私の部屋の鍵によく似た小さな鍵の存在を。

 店を出るとき、トイレに寄るから先に車に入って待ってて、と車のキーをホルダーごと渡されて、駐車場へ向かう道すがら。ふと、じゃらじゃら付いている他の鍵を眺めたときにあれ?と思ったのだ。それで、自分が持っていた部屋の鍵と合わせてみる。

「これ、・・・明らかに私の部屋の合い鍵。」

 車に戻って来た静に憮然と聞いてみる。

「どうして、私の部屋の鍵を持ってるんですか?」
「え?」

 と一瞬、静はぽかんとした。そして、ああ、と思い出したように笑う。

「だって、あの部屋、俺の名義だもん。前から社員寮みたいな感じで俺が借りて、それを貸してただけだからね。家賃は半分払ってあげてるでしょ?」
「で・・・っ、でもっ・・・鍵を持ってるっていうのは・・・っ」
「だから、寝込みを襲ったりしないって。何かあったとき、困るでしょ?部屋の中で倒れてたりとかね。」
「そしたら、管理人さんとかいらっしゃるじゃないですか。」
「管理人なんて近くにいないよ。管理会社が都内にあるだけで、そこも土日は営業してないしね。」
 それはそうかも知れないけど、雇い主が合い鍵持ってるのって、どうなの・・・?
「・・・前の方は、何もおっしゃらなかったんですか?」
「ああ、だって、前の従業員って妹だからね。」
「ええ???」

 そりゃ、何も言う訳ないわ。しかも、彼女が出て行ったあとその部屋をたまに使っていた、というのも普通に理解できる。

「新居にすっかり越してしまうまでは、たまに来て受付だけは手伝ってくれてたんだよね。半月くらい。あの子は、普通の子だったから、平凡な幸せを手に入れて欲しいね、ほんとに。」

 ちょっと‘兄’の表情を覗かせて彼は言った。その瞳がとても優しくて、ちょっぴり『きょうだい』という存在に憧れを抱いた。

「それはそうと。」

 静は運転しながら、片手で不意に私の肩を抱く。

「もう健全なデートもしたし、大人の付き合いを始めても良くない?」
「・・・いっ・・・いえ、まだ、そんなっ」
「まだ?ってことは、いつかは、ってことだよね?」
「・・・。」
「じゃあ、その日は俺が決めて良い?」
「えっ?・・・いえ、ちょっと待ってください。」

 ちらりと彼は私に視線を落とす。

「言っとくけど、俺、これでもかなり手加減してるからね?」

 その声のトーンにぞっと背筋に冷たいものを感じる。

「あんまりじらして待たせない方が良いと思うけどな。」

 にこっと彼は言う。
 ぜっ、全然、目が笑ってないからっ

「ああ、それから、天音ちゃん。」

 ふと事務口調に戻って彼は静かな声で言う。

「来月、週末にちょっと付き合って欲しい仕事があるんだけど良いかな?」
「・・・仕事、ですか?はい、それはもちろん。」
「手当ては別に出すから。」

 そう言われて、私は彼の横顔を見上げた。
 なんだろ?往診とかかな?
 なんだか、気軽にそう聞けない空気がそのときはあって、私は少し不安を覚えた。



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永遠の刹那 (仕事裏表) 17 

永遠の刹那

 アパートのいつもの駐車場に車を停めて、彼は、後部座席に置いてあった私のバッグを取ってくれる。

「あ、ありがとうございま・・・」

 言い掛けて静を見上げた途端、不意に唇をふさがれた。驚いて固まった私に、触れただけの軽いキスを落とした彼は、にっと笑って髪を撫でる。

「寝込みなんか襲わなくても、襲おうと思えば、本当はいつでもどこでも可能なんだけどね。ま、もう少し待ってみるよ。お嬢さん。」

 言葉と裏腹な爽やかな笑顔を浮かべて、彼は、じゃ、おやすみ、と微笑んだ。

「・・・おやすみなさい・・・。」

 車を下りて、茫然と私は答える。
 びっくりしただけで、別に、イヤではなかった。
 イヤではなかったよ。
 だけどっ!
 私だって普通に‘恋’をして、普通に心ときめかせて、普通の人とお付き合いがしたいだけなんですけどっ

 去っていく車を見送って、私は心の中で叫ぶ。
 いや、確かに静を嫌いか?って聞かれれば、そんなことはないと思う。

 仕事をしている姿は尊敬するし憧れるし、格好良いと思う。うん、ほんとに。決して仕事に向かう姿勢はいい加減じゃないし、気持ちが良い。

 毎日顔を突き合わせて仕事をして、更にこうやって一緒に出かけても、何故かけっこう会話がはずむことも不思議だ。そして、その空間を何気に私も楽しんでいることは否めない。

 だけど、なんというのか、静の強引さというのか、いや、違う。なんだか、理不尽さを感じて仕方がない。
 くぅぅっ、なんだか、悔しい。だって、そうだよ、どういう立場を取ったって、私は静に逆らえないんだもの。

「はあぁ・・・っ」

 ため息が出て、私はとぼとぼと階段を上った。
 それがどうした?と言われたら、私にもよく分からない。
 彼を拒む理由なんて、確かにない気もする。
 だけど、なんだろう?何がこんなに私を引き止めるんだろう?

 部屋の扉を開けて、電気を点ける。ぱあっと中が明るくなり、次第に馴染んできた室内の様子にどこかほっとする。

 ・・・いや。
 本当はどこかで分かっている。

 静は、言葉遣いはいい加減でかなり乱暴だけど、物腰や考え方は妙に大人で品が良い。それはきっと生まれ育った環境から来るものだ。

 彼自身が言っていたように、彼は実際かなり良いところのお坊ちゃんなんだろう。だいたい、あのトシで、一軒屋を持っているなんて有り得ない。確かに仕事は出来るけど、医者と違って、あの治療院の仕事だけで家を建てられるとは思えないし。

 世界が違いすぎる。
 私には、この身ひとつ。他にまったく何もない。いや、むしろ、借金だってまだ残っている。
 あまり、深い関わりを持ちたくないのだ。いつか傷つくのは自分だ。私は・・・その傷の痛みを知っている。
 ・・・が、そこで傍と思い出した。

「こ・・・婚姻届!あれ、そういえば、どうするつもりよっ」

 あんなのが彼の手にあったら、私は他の人と恋も出来ないじゃないっ



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永遠の刹那 (仕事裏表) 18 

永遠の刹那

 白衣と治療道具を車に積んで、じゃあ、行こうか、と静は言った。
 日曜日の朝。治療院で待ち合わせて、彼は自宅から車でやってきた。治療院には専用の駐車場がないので、彼はいつもはバスを使って出勤している。

「・・・往診ですか?」
「うん、知り合いの病院まで。」

 病院内ではりをさせてくれるなんて珍しい、と私は思った。患者さんや静の話をしょっちゅう聞いている内に、私もはり師の医療界における位置のようなものを大分、分かってきた。東西医学とは言っても、日本ではまったく平等ではない医師とはり師。医師は大学6年間の教育が義務付けられ、更に研修制度が整っているのに、かたや専門学校3年間で国家試験を受けられる資格。

 そもそも、医師もはり師も国家資格なんだってことを私は初めて知った。
 その他の民間療法は、国では医療と認められていないことも。所謂、医業類似行為というやつだ。
 むしろ、整体とかカイロとかっていう方がメジャーだから、それが医療行為ではない、ということを知ってびっくりだ。

 静はたまたま大学卒業のはり師で、その後も大学に残って研究をし、その間にひとつの流派の先生に就いて臨床の腕を磨いたので、独立後、すぐに開業した。しかし、だいたいのはり師、きゅう師は、専門学校を卒業して国家資格を得ても、それでもう人を診られるようになる訳ではない。それは、医師だって同じなのだが、医師には研修制度があって、その間にビシッと基礎を叩き込んでくれる指導医が就く。

 はり師の場合は自分でお金をかけて研修会などに参加し、或いはどこかの治療院に入って、一から臨床を学ばなければならないのだ。当然、学ぶ相手に寄って腕は左右される。しかも、確立した確固たる治療法といういのが、はりきゅうの世界には、ないらしい。

 治せる人、治せない人が出てしまうのも、はり師の世界だ。
 そういう、誰にでも一目で分かる指標のようなものがないので、医師の側からの信頼が得られにくいのだ。

 私は医者ならともかく、はり師なんて、静しか知らないので比べようはないが、長年治療に通ってらっしゃる患者は、やはりいろいろな情報を持っている。はり師は医者以上に、患者との間に相性があるのだとか。

 そんな話をしてくれるってことは、皆、静を信頼している証拠なんだろう。
 そんなことをぼんやり考えながら、流れる車窓の景色を目で追う。

 静が往診に出かけるのは珍しいことではなくて、治療院を閉めて私を帰してから出かけたり、不意に患者から電話が来て、「1時間くらい出てくる。」とか言って突然いなくなったりもする。その間、予約の患者に事情を説明して待ってもらったり、予約時間をずらしてもらったりと、私も忙しい。

 しかし、私がついて行くってことは今まで一度もなかった。だいたい、私が行っても役に立つ訳ないし。
 どうして、今日に限って?とちらりと彼を見上げると、それに気付いて静は私を見てにやっとする。

「不満そうだね。」
「いえ。不満なんてことは。・・・ただ、私が行って何の役に立つのかな、と・・・。」
「何もしなくて良い。ただ、いてくれれば良いんだよ。」
「・・・もしかして、患者さんは若い女性ですか?」
「そういうこと。」

 納得。
 医者も女性の看護師を必ずつけるように、はり師も、施術所には女性スタッフを置いた方が、双方とも安心なのだそうだ。今時は、セクハラで訴えられたりだとか、いろいろな問題が起こるそうで・・・。

「着いたよ。」

 と、言われて辺りを見回したが、病院らしき建物は見当たらない。

「・・・どこに着いたんですか?」
「現場。」

 よくは分からないが、ともかく荷物運びを手伝いながら静の後をついていく。
 入って行った建物は一見して、単なる民家だ。玄関をガラガラ開けて、静は勝手に入っていく。私はさすがにちょっと小声で「おじゃましま~す」と呟くが、人の気配はしない。どんどん奥へ勝手に入り込み、地下への階段を下りていく。

 地・・・地下室???なんだ、それ?防空壕か何かか?

 地下へ続く階段はすぐに終わり、突き当りには扉があった。そこで初めて静はとんとんとドアを叩く。ちょっと間があり、扉は内側から開いた。

「時間通りだな。」

 白衣の若い男・・・いや、静よりは上だ、もしかして40代くらい?の鋭い目をした男が私達を招き入れる。中に濃紺のワイシャツを着て、長衣を羽織っている。野生の獣のようなどこか残忍とでもいうような空気を感じた。

 この時点ですでにイヤな予感はしていた。

「後ろは?」

 私を見て、男の目が光る。

「助手だよ。大丈夫、俺の身内だ。」

 なんだか、下手に否定しない方が良い、と私の頭の奥で警鐘が鳴る。よろしくお願いします、と私はただ頭を下げた。

「ああ・・・この間言ってた、奥方か。ずいぶん若くないか?」
「20歳だ。」
「・・・若すぎないか?」
「問題ない。」

 なんだか、何を論じているのか分からなくて、私はぞっとする。
 薄暗い地下室。微かに漂う消毒薬と・・・血の匂い?その場の空気として、まるで生贄の選定でもしているように感じられたのだ。

「毎晩、大変じゃないか?お前もそろそろトシだろう。」

 にやにやする相手の男のからかうような笑みを見て、あ、そっちの話ですか・・・、とちょっと拍子が抜ける。

「余計なお世話だ。」

 いやいやいや、まだ何もないですけどっ、そういう思わせぶりはやめてくださいよっ

「患者は?」
「診療台にいる。」
「天音ちゃん、ちょっとそれ持ってついて来て。」

 ここで一人で待っててなんて言われても怖いから、私はこくこく頷いて静に従う。

「あまね?変わった名前だな。」
「まぁ、そうだね。天の音だからね。」
「・・・それは、随分、だいそれた名前だな。」
「けっこう名前負けしてないよ。」
「入れ込んでるじゃないか。」

 私を挟んで静と男が低い声でどうでも良さそうなことを話し続ける。入り口近くは薄暗かったが、更に扉を隔てた奥の部屋は普通に明るかった。床も壁も真っ白で、中央に、白い診療台がひとつあり、若い女性・・・と言ってもさすがに私よりは年上だろうと思われるが、綺麗な女性が横になっていた。ガラスを隔てた向こう側に何か器具がたくさん置かれているのが見える。

「天音ちゃん、ここに鍼灸道具を一式出してくれる?」

 鉄製のワゴンのひとつを差して、静は言い、私が持ってきたカバンから鍼や通電機などを出している間に、彼はその女性に近づき、小声で何かを話しながら脈を取っていた。

 細い女性の声が何かを受け答えしている。
 話し声もするし、私がワゴンに物を乗せる音も響いているのに、そこは奇妙に静かな空間だった。

 やがて、静は私には下がるように言い、壁際の椅子を指さした。それで、私はそっとそこへ歩いていって座る。なんだか、忍び足になるのは、ここの空気が変に厳粛だからだ。

「始めます。痛みを感じたら、こちら側の手を上げて。」

 静の声が微かに聞こえる。施鍼を終えて、通電を始めたらしい。
 彼は普段の診療に通電機をあまり使わないので、珍しいな、と私は思う。

 いつの間にか白衣の男の姿が消えていた。あれ?と思ってきょろきょろすると、ガラスの向こうに蠢く白衣姿を見つけた。何か準備しているらしい。

 10分くらい経過した頃だろうか、やがて、男がこちらに戻ってくる。
 そのとき、初めて気付いた。彼は手を消毒してきたのだ。
 つまり、・・・え???手術・・・的なことをするの?ここで???
 ふと、静が私を振り返った。

「天音ちゃん、やっぱり君、出ていた方が良いよ。」
「え・・・っ?でも・・・」

 静の瞳に私は怯えた。軽口をたたくいつもの悪戯な瞳ではなかった。そのとき宿っていた色は、ものすごく暗く厳しく、そして深いものだった。そして、私を心配している、ということがダイレクトに伝わってきた。

「大丈夫です、ここに置いてください。」

 一人、蚊帳の外に出されるのがイヤ、というより、なんだかこの空間の丸ごとの空気が怖くて、私は一人になりたくなかった。静は、一瞬、私の目を見据え、そのまま前を向いた。



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永遠の刹那 (仕事裏表) 19 

永遠の刹那

 その場にいたものの、私は二人が、特にもう一人の男が何をしているのかを正視は出来ず、ずっと下を向いたままで身動きひとつせずに、固まっていた。

 実際、顔をあげても二人の背中が見えるだけで、私の位置からは横たわる女性の姿も、もちろん男の手元もほとんど見えなかったのだが。

 かちゃかちゃいう器具の音と、時にワゴンの皿の上に金属が当たる音、そんなものが響いている。そして、二人の声がたまに聞こえる。

「もっと、・・・をあげて。」とか、「・・・の、部分が・・・」という感じに切れ切れで、ほとんど何を言っているかは分からなかったが。

 永遠のように感じる時間だった。どのくらい経ったのか、もう時間の経過そのものが分からなかった。
 空調の設備もそれほどしっかりしていないようで、ムッとした血の匂いが漂ってくる。何故か私は身体が震えてきた。怖いのではない。なんだろう?ものすごく強い悲しみを感じたのだ。

 やがて、聞こえていた音がしなくなって、空気が動いた気がした。

「大丈夫?」

 不意に静の手を肩に感じ、私は顔を上げた。

「終わったよ。」

 静はいつもの笑顔で微笑んだ。




 気がつくと、もう道具も全部片付け終わっていたようだ。
 私はふらふらと立ち上がる。
 白衣の男が見下ろす診療台に、先ほどの女性が横たわったままだ。眠っているのだろうか?

「じゃ。」

 と、短く言って、静は見送る男に手を上げる。

「ショックが強かったようだから、慰めてやりな。」

 男は私を見てにやりと笑う。
 カバンを抱えたまま、もう片方の手で静は私の肩を抱いた。
 車に荷物を積み込み、走り出してから、私は恐る恐る聞いてみた。

「・・・あの、何の手術を・・・?」
「堕胎手術だよ。」

 聞かなくても、どこかで答えを知っていた気がした。
 あの、濃厚な悲しみの気配。あれは、あの女性の、殺される子どもの思念だったのだろうか。

「あの、・・・鍼は何のために?」
「鍼麻酔って知ってる?」

 私は首を傾げる。

「鍼を打つことによって一種の痛みに対する麻痺状態を作るんだよ。それに寄って麻酔なしで手術をする。」
「痛みを感じなくなるんですか?」
「まったく感じない訳じゃないらしいけど。痛みは緩和されても触覚は残るらしいし。」
「・・・らしい?」
「俺は自分にやったことはない。気持ち悪いから。」

 良いのか?そんなんで・・・。

「あそこ、病院ですか?」

 静はちらりと私に視線を落とす。

「知りたい?」
「え・・・っ?・・・ええと・・・」

 ちょっとイヤな予感がして、私は躊躇った。

「あいつはね、吾妻征治って言ってね。ものすご~く腕の良い外科医だったんだけど、まぁ、いろいろあってね、医師免許を剥奪されているんだよ。つまり違法診療やってる。だから、ちゃんとした病院施設を使えなくて、俺の鍼麻酔に頼って手術をしなきゃならない。それでも、人づてに聞いて、彼の手術を受けたいって患者が後を絶たない。裏の世界ではそこそこ有名な医者だよ。免許を持ってはいないけど、あいつの腕は確かだからね。」

 私はあんぐり口を開けたまま静の横顔を見つめてしまった。

「・・・それ、真面目な話・・・ですか?」
「残念ながら、本当のことだよ。」
「それって・・・ヤバくないんですか?」
「ものすご~く、ヤバいよ。」

 にやりと静は私を見下ろす。

「だからね、天音ちゃん?外の人間に知られる訳にはいかない。従って、君はもう俺から逃げられないんだよ。」
「・・・。」

 ちょっと待て!
 そんなバカな・・・っ、冗談でしょう???

「大丈夫だよ、見つかって捕まるようなヘマはしない。だいたい患者はお金持ちのお偉いさんとかだから、相手だって表沙汰にしたくないんだ。まぁ、表沙汰に出来ないからあいつを頼ってくるんだしね。外に漏れたりはしないよ。君が、黙っていてくれればね、天音ちゃん。」

 はめられた・・・。
 そして、分かった。
 そうか、静の主な収入源は、こっちだったんだ。




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永遠の刹那 (仕事裏表) 20 

永遠の刹那

「今日の方は・・・どうして?」

 聞いて良いのだろうか?という疑問はあったが、思わず、私は聞いてみる。

「俺は、患者の事情は聞かない。あいつも詳しいことは聞いてない場合が多い。お金持ちの世界ってね、別の意味でけっこう大変なんだよ。たとえレイプされても訴えられないこともある。例えば、相手が外国人だったりしたら、外交問題、国際問題に発展しかねないこともある。一般人と違ってね。そういう場合、彼らに頼れる選択肢は少ない。あれでも、あいつの本来の目的は人助けだ。」

 違法診療、違法手術。つまりは違法なお金が動いていることで、しかも相手は正規の診療を受けられない事情のあるお金持ち。
 どう考えたってマトモな金額ではないだろう。
 それでも、そういう医療を必要としている人がいる。
 人助け・・・と言えるのかどうかは別として。

「あの・・・」

 私の視線の意味に気付いたのか、静はにやりと笑う。

「違法な手術は請け負ってはいるけど、人道的に間違ったことには手は染めてないよ。あれだろ?臓器売買のようなこと。」

 なんで、分かったんだろ。
 私って、心の中の疑問が顔に文章として表されるのか?

「臓器移植でやつが手がけるのは、生体の腎臓移植だけ。あれなら、提供者の同意で可能だからね。さすがに、そういう場合の鍼麻酔はこっちも細心の注意を払うし、かなりきついけどね。」

 なんとなく言葉を無くし、私は黙った。
 需要と供給。
 必要とされる仕事があって、それを違法と知りつつ提供する人がいる。その、バランス。社会構造。

「ああ、でも天音ちゃん、今日のことは見たこと、聞いたこと、全部忘れた方良いよ。」

 はあああ???
 じゃあ、なんで見せる?なんで、話す?

「忘れた方が良いけど、君が知ってるってことはもう俺たちは分かってるけどね。」
「そんなっ・・・」

 ひどいじゃないですかっ、と隣でジタバタ騒ぐ私を静はおもしろそうに笑うだけだった。
 


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永遠の刹那 (静の家族) 21 

永遠の刹那

 治療院には寄らず、静は自宅にそのまま戻り、え???と思っている内に、下りて、と言われて私も下ろされた。

「あの~・・・まだ、何か仕事が?」
「今日はもう終わり。」
「じゃあ、私は帰っても・・・?」
「まさか。」
「・・・はい?」

 静は、玄関の扉を開けて、どうぞ、という仕草をする。
 ちょっと待ってよ。そんな契約では・・・、もとい、そういう話ではなかったよね?

 茫然と彼を見上げて玄関先につっ立ったままの私に、静は「まあ、入って。」と言いながら先に中へ消えていく。

「昼食でも一緒に食べよ。」

 そういえば、そろそろお昼を過ぎた辺りだろうか?
 私は、仕方なく促されるままに彼の家にあがる。

「先にシャワー浴びる?」
「・・・へっ?」
「汗かいたろ?」
「いえ、それほどは・・・。」

 静は、ふうん、と頷く。

「じゃ、俺、先にシャワー浴びてくるから、天音ちゃん、喉渇いてたら適当に冷蔵庫から飲み物出して飲んでて良いからね。」
「・・・はい。」

 奥へ消えた彼の背中を見送って、ダイニングに一人残された私は、ふとリビングのソファに視線を移す。リビングの大きなガラス戸から、レースのカーテンを透かして光が入り込み、暑いが、どこか明るくて気持ち良さそうだった。

 静の家のリビングは、そのままダイニングテーブルの置かれたスペースと、更に反対側にキッチンと続いていて、仕切りがなく一直線につながっている。そして、リビングの窓からは庭が見える。誰が手入れしているのか、花をつける落葉樹や、紅葉、常緑樹が良いバランスで植えられている。

 日本的、という風でもなく、かといって西洋的でもなく、微妙な落ち着かなさを感じさせる。その奇妙さが不快でなはく、目に楽しい風情で一定の秩序を保っているのだ。

「良いなぁ、こういう庭。」

 窓辺に佇んで私は庭を眺める。父も母も忙しくて、ゆっくり庭いじりなんて出来なかったが、彼らも植物は好きだった。他人の家の庭を眺めては、いつかこんな感じに造ってみたいね、などと話している姿を見ていた。

「何見てるの?」

 不意に背後から声が聞こえて、私は飛び上がりそうになる。ジュータン張りのこの空間は人の足音を消してしまうようだ。いや、それにしても、人が近づいてくる気配も感じなかったんだけど。

「何かおもしろいものでもあった?」

 シャツと綿のパンツ姿で、静は私の背後からふわりと腕を回してくる。

「あ・・・あのっ、綺麗なお庭だな・・・と。」

 抱きすくめようとする彼の腕を必死にほどこうともがきながら私は言う。
 彼の胸に背中が密着する。シャワーを浴びたばかりの彼からは石鹸の良い香りが漂う。

「天音ちゃん、なんで拒否されるのか、俺、分かんないんだけど。」
「そ・・・、それは私も分かんないんですけど・・・っ、でもっ・・・ちょっと待ってください・・・っ」

 自分で何を言ってるのか分からないまま必死にジタバタしていると、静は不意に笑い出して、私を解放してくれた。
 私をすとん、とソファに座らせ、彼は冷蔵庫へ向かう。そして、オレンジスースと思われる色のフルーツジュースを取り出して、二つのグラスに注ぎ、両手で持って来た。

「パンがあるし、ハムとチーズ、レタスなんかもあった気がするから、サンドイッチでも作る?」

 ジュースを私に手渡しながら、彼は微笑む。

「あ・・・じゃ、私が作ります。」
「一緒に作ろうか。」

 その笑顔に不意にどきりとする。



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永遠の刹那 (静の家族) 22 

永遠の刹那

 結局、ほとんどは静が作ったサンドイッチを二人で食べ終わると、もう午後を大分まわっていることに気付く。

「あの・・・」

 私はソファでくつろぐ彼にそっと声を掛ける。

「まだ帰さないよ。」

 すでに私の言いたいことを把握していたらしい静に、あっさりとかわされ、私は思わずチッと舌打ちする。
 バス停が近くにあるのは知っていたし、帰ろうと思えば帰れるのだが、勝手に出て行ったりしたらどうなるか・・・。

 雇用と住居がセットになっている時点ですでに私には勝ち目がないし、更に、婚姻届を握られているという事実。それに加えて今日の違法診療に関わってしまったという現実。

「そんな不幸そうな顔するなよ。」

 静は笑う。

「天音ちゃん、とりあえず、シャワー浴びておいで。」
「・・・なんで、でしょうか。」
「そりゃ、そのままで良いって言うなら、俺は良いけど?」
「・・・。」

 ソファに半分寝そべった状態で彼は私に手招きする。

「今さら、もう拒否する理由、ないでしょ?」
「・・・ええと、出来れば消去法ではなく、積極的理由が欲しいところなんですけど。」
「俺は、消去法で構わないよ?」

 私が近づかないので、静は身体を起こしてゆっくり立ち上がる。

「私は構うんですけどっ」

 思わず後ずさりながら私はちょっと悲鳴に近い声をあげた。踵を返す前に彼の腕にあっさり捕らわれて、私はジタバタと暴れる。

「無・・・無理強いはしない・・・って・・・」
「ああ。それは、もう時候だよ。」
「じ・・・っ、時候は撤廃されたはずではっ」
「それは、殺人事件だけだろ?っていうか、なんで、そんなにイヤなのさ?」
「・・・いや、よく分かんないんですけど・・・っ」
「じゃあ、もう諦めようよ。大丈夫、最初はちゃんと手加減してやるよ。」
「で・・・っ、でもでも・・・ちょっと待っ・・・」

 会話の途中で、くい、と顎をあげられ、唇をふさがれる。
 まっ・・・待て待て待てっ!!!
 抱きすくめられていて、身動きが取れない。彼の腕がきつく背中を抱き、息が苦しくもなってきた。

「ん~っ・・・んんっ」

 必死に抗議の声をあげるが、まったく意味を成さない。頭の芯がくらくらしてきて、もう、半分諦めかけた。
 そのとき、不意に静の携帯電話が鳴った。

 初めは無視していた静だったが、それが延々と鳴り止まないので、やっと私の唇を解放し、それでも腕の中に私を捕えたまま、もう片方の腕を伸ばして電話に出る。

 ちょっと酸素不足だった私は、彼の腕の中ではぁはぁと息遣いが荒い。

「助かった・・・」

 と呟くが、電話が終われば同じことか。

「え?今から?」

 不意に、静の驚いた声に私も我に返る。

「いや・・・そういう訳じゃないけど、こっちにも都合ってものが・・・」

 いつもと違って、なんだか、静は押され気味の弱々しい声をあげる。
 何の話し???

「そんなことないって。・・・・ああ、分かったよ。はいはい。」

 面倒くさそうに静は電話を切り、私に向かってため息をついた。

「・・・どうしたんですか?」
「親父とお袋が来るってさ。」

 その答えに、私は固まる。

「今?・・・ですか?」
「そう。」
「じゃ・・・私は、帰っ・・・」

 慌てて彼の腕から逃れようともがくが、静は苦笑して私の両腕を掴む。

「違うよ、天音ちゃん、彼らは君に会いに来るんだよ。」
「ええ???・・・どっ、どうしてですかっ???」
「そりゃ、息子の嫁に会ってみたいってのは親心だろ?」
「え~っ!!!」

 し・・・っ、静~っ、てめぇっ、誰彼構わず勝手なこと言いふらすのは、やめろよ~っ

「静のご両親なんて・・・っ、私、どうすれば良いんですか?」
「一応俺の顔を立ててそれらしく振舞ってくれない?特別手当出すからさ。」

 そういう問題じゃないだろ~っ

「それらしくって・・・それらしくって・・・無理ですっ」
「適当で良いんだよ。」

 まったく悪びれなく、静は笑った。




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永遠の刹那 (静の家族) 23 

永遠の刹那

 それから30分もしない内に、家の前にシルバーの高級車が停まる。車のことは詳しくないから車種なんて分からないけど、絶対、高い!ということだけは分かる。よく、どこぞの社長さんが乗っているような型だ。これで、色が黒だったら、超!ヤバイだろう。

「あの・・・出迎えなくて良いんですか?」

 窓から外を眺めているだけで、動こうとしない静を見て、私はおろおろする。

「勝手に入ってくるから、気にしなくて良いよ。」
「・・・でも・・・」

 やっと振り返って、静は微笑む。

「なんだかんだで、彼らはここにけっこうしょっちゅう来てるんだから、気を使わなくて良いの。それより、お湯沸かしておいてくれる?」
「はい。」

 ひとまず、親子の対面だろうか。私はキッチンへ引っ込む。やかんに浄水器を通した水を注ぎ、コンロにかけていると、呼び鈴も鳴らさずに玄関から人の気配が聞こえてきて、いかにも適当な挨拶を交わす声が響く。壁はないが、リビングとキッチンはけっこう間があって、しかも、リビングが南向きで明るいのに比べてキッチンの窓は北側に面している。向こうからこちらの様子はそれほどはっきり見えない。

「お嫁さんは?」

 女性の声に、私はぎくりとする。
 いやいやいや、私は嫁じゃないからね、静のお母さま!

「今、お茶を淹れてるよ。」
「お茶はあなたが淹れなさいよ。まずは早く紹介してちょうだい。」

 凛と若い声だ。私は振り向くのが怖くてちょっと固まり気味・・・。
 仕方ないな、という声色で、静が私を呼ぶ。

「は・・・はいっ」

 声が上擦る。コンロの火を止めて、私は慌ててリビングへ向かう。
 そこには、大柄だが、どちらかと言えば筋肉質のすらりと背の高い男性と、小柄で華やかな印象の可愛らしい女性がソファに座っていた。どちらも50代半ばくらいに見える。静は、あれだ。双方の親に均等に似ている。

 静が彼らの向かい側に座っていたが、私が恐る恐る彼のそばに行くと、皆、一斉に立ち上がる。
 思わずぎょっとして、私は益々小さくなる。
 就職の面接か何かのような妙な緊張感が漂った。

「この子が天音ちゃん。今、受け付けと事務関係をやってもらってる。」

 そして、私に向かって、静は言った。

「これが俺の父と母。ハワイ旅行からたった今戻ってきたらしいよ。」
「え・・・っ?あ、いえ。はじめまして。宇・・・、ええと、天音と申します。」

 姓を名乗ったらやっぱりマズイよね?と途中ではっとして、私はとりあえず頭を下げる。

「はじめまして、天音さん。」

 お父さんが手を差し出してきたので、私もそれを握り返す。ふと、静と同じ感触の大きな手と彼の満面の笑みに、心がふわっと満たされた。

「ずいぶん、お若いのね。いくつ?」

 お母さんも私に手を差し出しながら声を掛ける。こちらの視線はさすがに厳しい。ちょっとひるんでしまう。

「・・・20歳です。」
「あら、一回りも違うのね。静ったら、何も言わないから今まで全然知らなかったわ。どのくらいのお付き合い?」

 それを聞くのか・・・。
 私が助けを求めるように静を見上げると、彼は笑って言った。

「とりあえず、みんな、座って待ってて。お茶を淹れてくるよ。」
 


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永遠の刹那 (静の家族) 24 

永遠の刹那

 うわ~・・・気まずいよぅ!
 静の両親とその場に残されて、私はどうして良いのか分からない。お母さんの疑い深そうな視線が怖い。

「天音さん?」
「は・・・はいっ」
「静はあなたから見てどうかしら?」
「・・・は?」

 てっきり親の職業は?とか、郷里は?なんてことを尋ねられるものだと思っていた私は、用意していない答えを聞かれて一瞬、間が空いてしまった。

「そんな聞き方じゃ、天音さんが答えられないだろ?」

 お父さんが隣でゆったり笑っている。

「あら・・・。じゃ、静のどこに惹かれました?」

 お母さんは、ちょっと考えて聞き直す。

「・・・はい、ええと・・・」

 口をついて出た。普段、それほど真剣に考えたことのなかった答えが。

「お仕事に対する姿勢がとても真剣で、生き方そのものに誇りを持ってらっしゃる方だと・・・。そして、どんな相手でもきっと本当に愛情を持って接しているということを、・・・いつも感じて・・・尊敬してます。」

 なんだか、国語の授業の解答のような口調になってしまった。
 かなりどぎまぎはしたが、言葉を慎重に選んで、なんとかぴったりくる表現を探した、つもりだった。そして、言葉にして初めて、私は本当にそう思っていたことを知った。
 そうだ。
 静は、本当にそういう人だ。

「あら。」

 お母さんはとても驚いたような表情をした。そして次の瞬間、本当にふわっとした笑みを作り、それまでの空気ががらりと変わった。張り巡らせていたバリアが崩れ去った感覚だった。

「本当に、怖いことを普通におっしゃる方だわ。」
「・・・え?」

 お母さんはくすくす笑い、その笑みが静にそっくりで、今までのどこか冷ややかな空気が、作った表情だったのだと知った。

「苦労されたのね、あなたも。」
「・・・。」

 お母さんの言葉に、私はぐっと何かがこみ上げてきた。今まで、ずっと考えないようにしてきたこと。両親を失って、家を失って、何もかもを捨てて故郷を離れなければならなかった切なさや辛さ。別れの悲しみ。
 一気に心の底から湧き起こってきたその感情の渦に翻弄されそうになり、私は俯いて唇を噛み締める。

 マズイ。
 泣きそうだった。

「天音ちゃんを泣かせるなよ。」

 不意に、背後から静の声が近づいて来て、彼は私の隣に腰を下ろしてテーブルの上にティーポットとカップを並べる。

「だって、お前がさっぱり詳しいことを教えてくれないから。」

 お母さんが拗ねたような声をあげる。

「俺も詳しい話なんて聞いてないよ。でも、想像は出来るけど。」

 静は私と出会った時、私がカバンひとつを持って、仕事を、住む場所を探して街を彷徨っていたことをさらりと話す。思い出すと、私は益々涙が零れそうで、そうだよね?という静の声にただ頷いて、彼の手が頭の上に置かれたことを感じるのみだ。

「でも、ちゃんと聞かなくちゃ、静。これから、そういうこともお互いに共有して生きていかなきゃならないんだし。・・・お前も天音ちゃんには話してあるの?」
「だいたいはね。」

 静が、ティーポットからカップに紅茶を注ぐ気配がした。

「家族の話って、なかなかきついからね。特に天音ちゃんは、たぶん、悲しいことがあって出てきたんだろ?それこそ、身一つで。」

 私は、そっと静を見上げた。

「話してみる?君のこと。」

 私は頷き、やっと口を開いた。苦しくて口に出来なかった両親の‘死’を。そして、ここに至った経過を。

「・・・そうか。ひとつだけ想像と違ってたのは、ご両親が事故で亡くなったことかな。」

 聞き終わって、静は言った。

「こんな言い方、ちょっと不謹慎かも知れないけど、でも、俺は良かったと思った。俺はずっと、君のご両親は心中したんじゃないかと考えてたから。・・・事故で、良かった。」

 静の目が優しかった。私はその光に包まれた途端、不意に涙が頬を伝ったことを知る。もう、止めようとしても無駄だった。それまで押し込められていた熱い塊が一気に押し出されてきて、私はそのまま彼の胸にもたれて泣きに泣いた。

 一体、彼のご両親の前で何してるんだろう?と思ったが、私は・・・ずっとずっと、ただ、泣きたかったのだ。



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永遠の刹那 (静の家族) 25 

永遠の刹那

 時間にしたらそれほどではなかったかも知れない。
 しゃくりあげながら、すみません・・・と顔を上げると、静のご両親はとても柔らかい笑顔で私を見ていた。

「そんな風に泣ける温かいご家族だったのね。」

 静のお母さんがにっこりする。

「良いご家庭に育った良いお嬢さんじゃない。」

 頭がぼうっとして、私は反応出来ずにいた。

「ほら、お土産よ~。」

 彼女は気を取り直したように、いや、きっと私に気遣ってくれたのだろう、不意にそう言って、大きな包みや小さな箱をいくつも開け、チョコレートだの、洋服だのを取り出して私たちの前に広げて見せる。

 その後は、泣きはらした真っ赤な目だったけど、私はなんだか幸せな時間を過ごした。

「なんで、毎回そんなに買ってくるんだよ?」
「だって、まだ指輪のひとつも贈ってない、って言うから。」
「指輪と土産の関係が分かんないよ。」

 母親が散らかした包み紙なんかを片付けながら、静はぶつぶつ文句を言っている。

「バカね、だから、ほら!指輪を買ってきてあげたのよっ」

 小さなケースを取り出して、お母さんはそうっとそれを私の目の前に置いた。

「はい、これは私から義娘へプレゼントよ。サイズはもし合わなかったらすぐに直すから。」
「・・・えっ???」

 私は戸惑って、お母さんを見つめ、お父さんを見つめ、最後に静に視線を移して茫然とする。

「貰ってやってくれる?妹が嫁いでからこっち、母は、女の子がいなくなって寂しいんだから。」

 静は笑い、お父さんとお母さんも嬉しそうに私を見つめる。
 で・・・でも、あのっ・・・私は・・・静の今は単なる従業員で・・・
 ちょっと混乱したままだったけど、私は誘惑に負けて、思わずそのグレーの箱を手に取る。そして、そっと蓋を開けると、そこにはダイヤモンドがさん然と輝く綺麗な指輪が入っていた。

「ダ・・・ダイヤモンド・・・ですか?」

 うひゃ~っ!!!
 いくらすんのっ?これっ???
 背筋がぞわぞわしてしまう。
 だけど・・・

「綺麗・・・。」

 その光を照り返し、どこまでもきらきらと艶やかに光る宝石。

「はめてみてご覧。」

 静は言って、それをそっと取り出し、私の左手を取った。

「あ・・・あの・・・っ」

 結婚式みたいだ、とちょっと思って慌てたが、彼は少しも動じずに私の薬指にス~ッとはめた。

「どうかな。緩い?」
「・・・いえ、大丈夫です。」
「気に入っていただけた?」

 向かいで、ご両親がにこにこと私を見つめている。

「・・・はい。その・・・とっても素敵です。」
「ほら、買って良かったでしょ?」

 お母さんは、横に座る旦那さまにそう言って嬉しそうに笑う。

「じゃ、そろそろ私たちはお暇しますね。静、プレゼントは出し惜しみしたりせずに、女性はちゃんと大事にしてあげないと逃げられちゃうわよ。」
「心掛けとくよ。」

 静は、カップを傾けながら、適当に返事をする。
 立ち上がった二人に、私は慌てて後を追う。
 どうしよう?
 今さらだけど、私は、静とはまだ何も・・・。

「天音さん、静をよろしくね。」
「今度は私達の家にも静と一緒に遊びにおいで。」

 二人は玄関で微笑む。そして、お母さんは、最後に私の手をしっかり握り、そして、私の頭を引き寄せてその胸に抱く。私は驚いて・・・そして、思い出してしまった。母の抱擁を。

「悲しみのあとには、楽しいことが沢山待っているものよ。」

 瞬間、ぐっと胸が詰まる。
 こんな良い人たちを騙すのはイヤだ。

「あ・・・あのっ」

 二人が振り返り、その何の疑いもない穏やかな笑顔に私は言葉を失う。

「あの、・・・いえ。ありがとうございました。」

 バカ~っ!!!




 とぼとぼとリビングに戻ると、静はまだ紅茶を飲みながらソファにいた。
 私はいっぱいに広げられたお土産を眺めながら、指輪を外し、そっと箱に戻す。

「どうして外しちゃうの?」
「え・・・っ?だって、これ・・・」
「君のものだよ。君にくれたんだから。」
「でも・・・」
「良いんだよ。」

 静は柔らかい笑みで私を見つめる。なんだか、その熱い瞳を見ていたら、ものすごくドキドキしてきた。

「お袋はあれで、生まれが田舎だから、そんなに宝飾関係は買わないんだ。指輪も、親父が贈ってくれたエンゲージリングをひとつ持ってるだけ。だから、あの二人が指輪を買うなんて、よっぽど嬉しかったんだと思うよ。」
 私は、胸が熱くなって、そして、罪悪感で茫然としてしまう。

「そ・・・そんなこと・・・言われても・・・」
「だから、もう諦めて俺のものになりな。」

 にやりと笑う彼の目を、だけど私はなんだかマトモに見つめ返せなかった。



 
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永遠の刹那 (静の家族) 26 

永遠の刹那

 まだ、借金が残っている、ということを、実は私は静に言い出せていなかった。
 お金持ちらしい彼には大した金額ではないかも知れない。
 だけど、私は‘お金’が怖いのだ。

 中学・高校と付き合っていた一つ年上の優しい先輩がいた。彼はスポーツマンで二枚目で、ものすごくモテていたから、告白されたときにはびっくりした。

 休日には待ち合わせてデートを楽しんだし、登下校もいつも一緒だった。図書館で一緒に勉強したこともあったし、ある程度お互いの家族とも顔を合わせたりしていた。

 幸せだった。お互い、相手のことを理解していると思っていた。
 いや、そう思っていたのは、私だけだったのかも知れない。

 両親が商売を始めた、という頃はなんでもなかった。しかし、次第に借金が膨らみ、私もあまりお小遣いがもらえなくなってきた頃、デートのとき、私は何の気なしに言ったことがあった。

「しばらく、お小遣いもらえないから、私、あまりお金かかること出来ないわ。」

 それはつまり、外食したり、ショッピングしたり、ということを少し控えたいという意味で言ったに過ぎなかった。母は苦しい家計の中から私の学用品代は絶対に不自由しないようにと出してくれていたし、お小遣いも、お友達と出かけるとき私がかわいそうだから、と無理して捻出してくれていたことを知っていた。それで、私が自分から言ったのだ。当分、お小遣いはいらない、と。

「え?なんで?」

 彼はきょとんと私を見た。

「うん、ウチちょっと今経済的に苦しくて。」
「商売、うまくいってないって本当だったんだ・・・。」
「そうなの。いろいろお金を借りたりしてるみたいだけど。」
「え?・・・借金してるの?君ン家。」
「金額はよく分からないけどね。」
「・・・。」

 その途端、彼の目が突然厳しくなった。

「僕、お金は貸せないよ?」
「え?・・・要らないよ。そんなこと言ってないよ?」
「僕に頼るのは筋違いだからな。」
「・・・何、言ってるの?そんなこと、考えてもないよ。」

 私はびっくりしてしまった。
 そんな考えが出てくること自体、私には信じられないことだった。
 その日以来、彼とはぎくしゃくしてしまい、数日後、友達を通して別れを言い渡された。

 涙も出なかった。
 そんな風に思われるなんて。

 あまりのショックで、私は、それ以来、家に借金があることを誰にも、冗談でも言い出せなくなってしまった。お金ってそんなに大事なの?人と人との関わりに、それを抜きでは絶対済まないくらい、重要な要素なの?
怖かった。

 お金というものが、私はとても怖かったのだ。

 だから。
 静を、私はまだどこかで信じきれていないのだ。
 いつか、彼も・・・そう、ある日突然背を向けるのではないかと、私は怯えている。

  

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永遠の刹那 (静の家族) 27 

永遠の刹那

 不意に目を伏せた私を、ぐいと抱き寄せて、静は「どうしたの?」と私の顔を覗き込んだ。

「・・・い、いえ。」

 慌てて私は彼から離れようと腕を突っ張る。

「天音ちゃん、君さぁ・・・」

 静は私の両腕をそれぞれ捕まえて、くるりと身体を回し、私の身体をソファに押し付ける。

「何か、隠してるだろ。」

 ぎくりとして私は彼の顔を凝視する。静の目は私を探るようではなくて、単に心配そうに曇っていた。何もかもを見透かされそうな綺麗な瞳。私は思わず目をそらす。

「この際だから、もう全部白状しな。」
「は・・・白状って。別に、私は・・・」
「じゃあ、それを俺の目を見て言いなさい。」

 両腕を捕まれていて、身体はソファに押し付けられて彼が上に乗っかっているから、私は身動きが出来ない。

「な・・・何もないですっ」

 ふうん・・・、と静の呟き。思わずぎくりとして私は彼の顔を見上げた。だいたい、その後に続くのが「あの届け・・・」という台詞になるのだ。

「じゃ、それを証明してもらっても良いんだね?」

 え???と私は彼の瞳の光に怯えた。
 探偵社を使ったりとか、私の住んでいた町に問い合わせたりってこと?
 そんなことをされたら、一発でバレてしまう。まだ、数百万円の借金の事実が。

「部屋に移動しようか?ここじゃ、狭いし。」
「・・・は?」
「先にシャワー浴びたかったら浴びても良いけど、別に必要ないでしょ?」
「・・・はああ???」
「今さら驚いた振りしたってダメだよ。いい加減、諦めたら?」

 それの、どこが、何が、何の証明になるのっ?

「ちょ・・・っ、ちょっと待ってくださいっ」
「良いよ、何分?」
「いやいやいや、そうじゃなくてっ」
「そんなに長い時間は待てないよ。分かってると思うけど。」
「ですから、時間の問題じゃなくて・・・っ」
「あのね、天音ちゃん。」

 にこり、と静は微笑む。

「君、往生際が悪すぎるよ。」

 ・・・違うでしょう!!!




 結局、ものすごく良いタイミングで往診(今度は普通の・・・)の依頼の電話が入り、静は不機嫌な顔で私をアパートまで送ってくれた。

「どうして、こう、誰も彼もが寄ってたかって俺の邪魔をするんだろうね。」

 そんなことはないでしょう・・・、と笑いながらも、私は少し彼が気の毒になった。
 週末に往診の依頼って予約でしか普通は入らないらしいので、よほど急患だったらしい。
 でも、私にとっては助け舟だったんですけど。

「覚えといてね、天音ちゃん。」
「・・・え?」

 走り去る車を見送って、私は思わず叫びそうになる。

 わ・・・、私が悪いんじゃないからねっ

 最後にちらりと私に視線を落とした彼の瞳がちょっと本気で怖かった。

 だからって・・・、だからって・・・、もう、この際、届け出してしまおう、なんて、自棄を起こさないでくださいね、先生!

 あまりに慌ただしくて、私は、そういえば静のご両親とマトモに話しらしい話しをしなかったことを忘れていた。

 彼らは、普通なら真っ先に聞くであろうことを、何も聞かなかった。
 肩書きや役職や、その人に付随する情報には興味を抱かない。そういえば、静も初めからそうだった。ただ、私を見つめて、私の魂そのものと会話するように、・・・そう!いきなりプロポーズしたのだ。

 どちらかと言えば、私もそのタイプかも知れない。
 知りたいのは、相手が何を好きで、どんなことに興味を抱いて、何を誇りとして生きるのか。
 そこに尊敬や信頼が生まれる。
 それ以外は、正直、どうでも良いことだ。

 静のお母さんが、息子のどこを好きになったのか?と聞いた。
 そうだ。それが、すべてだ。



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永遠の刹那 (危ない患者) 28 

永遠の刹那

 季節は真夏に差し掛かり、私はさすがに夏用の服を買おうと、休日、一人で町に出た。

 静は、例のヤバイ方の仕事で呼ばれていた。今回は、癌の摘出手術と聞き、私は同行をご遠慮申し上げた。それに関しては彼も理解があって、あっさり許可されたのだ。さすがに、生々しすぎる!

 っていうか、良いのか?本当に・・・。
 聞くと、ブラックジャックさながらに助手もろくに使わずに手術をやってのける御仁らしいが、患者に密告されたらさすがにヤバイだろう・・・。

 いや、法を犯しているのは患者の方も同じだから、そういうことにはならないんだろうな。むしろ、同業者に見つかった方がマズイらしい。

 やっと服を一着買って、お昼近くになり、ぼうっとウィンドゥショッピングをしていると、背後から不意に声を掛けられた。

「よう!奥さん、一人かい?」

 何故、奥さん、と声を掛けられて振り返ってしまったのか?
 明らかに知っている声だったからである。

「あ、こんにちは、小牧さん。」

 かなりの頻度で治療に通っている患者さんだった。一見、ヤクザ系のがっしりした体型の50代くらいの男性で、静はあまり来て欲しくなさそうなのに、なんだかんだと理由を付けてしょっちゅう予約を入れる人だ。

 何が楽しくてそんなに治療してもらいたいのか・・・。

「旦那は一緒じゃないのかい?」

 ふと周りを窺う小牧さんの様子に、私は笑う。

「静は今日も仕事です。」
「なんだ、そりゃ寂しいな。良かったら俺がお昼ごちそうしてやろうか?」
「まさか!」

 患者におごられてどうする!

「それに・・・旦那じゃないですから。」

 今さらなんだが、ちょっと反抗的な気分になって、私は言った。
 すると、彼は、へえ・・・とまじまじと私を見つめる。
 ・・・え?と思ったときには大抵遅い。

「じゃあ、天音ちゃんはフリーなんだね?」

 その笑顔がちょっとイヤな感じがした。
 答える間も与えられず、小牧さんは私の腕を掴み、ぐいと引いた。

「ちょっとだけ、付き合ってよ。せっかく会ったんだし。」
「え???ちょっと・・・っ」

 静の患者だと思えば、それほど邪険にも出来ない気がして、私は何がなんだか分からずに、引きずられるように小牧さんに腕を引かれていく。

 小牧さんが入って行ったのは、地下にあるなんとなく怪しい喫茶店。
 客が扉から入って来ても、カウンターの奥にいるマスターはほとんどこちらを見向きもしない。
 良いのか?そんな無愛想で・・・。

 小牧さんはさっさとテーブル席に陣取って、私を奥へ座らせる。

「マスター、ランチセット2つ。いつものやつ。」
「えっ???あの、本当に私は・・・」
「まぁ、そう遠慮せずに。」

 小牧さんが微笑む。薄暗い店内。目が慣れてよく見ると、奥にも人が数人いるようだ。
 不意に、携帯電話が振動する。ついでに、さっき自動販売機で買って一気飲みしたジュースのせいで、トイレに行きたくなる。

「すみません、ちょっとお手洗いに・・・。」

 私がもじもじすると、一瞬私を見据えた小牧さんは、はい、という風に席を立って、外へ出してくれる。奥にお手洗いの案内表示が見えて、私は慌ててそこへ入り込んだ。

 一旦切れた電話が、再度かかってくる。
 このしつこさは静だな。っていうか、今、私に連絡をくれるのは彼くらいなものだ。故郷の幼なじみとはいろいろ気まずくてずっと連絡を取っていないのだ。


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永遠の刹那 (危ない患者) 29 

永遠の刹那

 なんだろう?やっぱり手伝えって?いや、もうそろそろ仕事が終わった頃だろうか・・・。

「もしもし?」

 個室に駆け込んで、私は電話に出る。

「あ、天音ちゃん?今、どこ?」
「ええと・・・、買い物してたら小牧さんに捕まって、今、一緒に食事を・・・」
「小牧さん?」

 不意に静の声色が変わった。

「地下にあるヤバそうな喫茶店?」
「え?・・・ああ、そんな感じです。」

 一瞬、間が空いた。

「天音ちゃん。」
「は、はい。」

 なんだか、静の声がいつになく真面目で、厳しくて、私はちょっとうろたえた。何かマズイこと、した?

「良いかい?俺もすぐそこに向かう。何か理由を適当につけて、出された食事は手を付けちゃダメだよ。」
「・・・ええ???」
「分かったね?」
「・・・はい。」

 かなり、動揺した。
 ど・・・どういうこと?小牧さんって何かヤバイ系の人?

 確かに彼は時々、素人さんじゃないよね?って目をすることがあるけど、静の患者だし、普段はおもしろい普通のおじさんだし・・・。

 いや、それよりも。静があの家からここに辿り着くには、少なくとも40分以上かかる。その間、どうやって食べずに待てというのか?

 あまりに動揺して、必要以上に個室に留まってしまった。
 かなり青い顔をして出て行ったと思われる。席で、ちょっと不審顔の小牧さんの顔をマトモに見られなかった。

「ずいぶん、長かったね。」
「す・・・すみません。あの、ちょっと今朝からお腹をこわしていて・・・。」

 長かったことの言い訳に適当に出た言葉に、私は、食事を断る理由を一緒に思いついた。

「あの、それで、せっかくごちそうしていただけるのに申し訳ないんですけど、食べるとまた・・・ちょっとお腹が・・・。」

 小牧さんはそれほど疑わなかったようだ。

「そうか・・・。」

 と、ちょっと残念そうだったが、「じゃ、あったかいスープか何か頼もうか?」と優しいことを言ってくれる。

「いえ、ちょっと何もお腹に入れずに今日一日様子を見てみますので。」

 嘘がバレないかとドキドキしながら、私は冷や汗をぬぐう。

「それじゃ、食事はまた今度ってことで、ちょっと相談なんだけどさ。」

 まだ食事が運ばれていないテーブルに、小牧さんはおもむろに書類を広げる。
 最近、書類で痛い目に遭ったばかりなので、私はちょっと警戒する。

「ああ、借金の保証人とかじゃないから、大丈夫。」

 小牧さんは私の引きつった表情を見て笑う。

「ただ、ほら。ちょっと俺も商売しててさ。ノルマがあるのよ。女の子向けに小物とかも扱っているんだよね。便箋とか安いものから香水のようなものまで。」
「輸入品ですか?」

 彼が示したパンフレットの商品が、両親が扱っていた品に似ていて、私はふと興味を惹かれる。

「おお、そうだよ。知ってるの?」
「両親が輸入雑貨店をやってたもので。」
「へえ。」

 小牧さんは本気で驚いた表情をした。

「それはまた偶然だね。じゃ、価値は分かるでしょ?」
「私はあまり関わってなかったので。事務を手伝ってたので、商品の値段は知ってますけど・・・。」

 小牧さんはなんだか嬉しそうににこにこする。

「まとめて買うとけっこう安く手に入るから、ここで買って、君のとこの店に並べたりも出来るよ?」
「いえ・・・」

 もう、店はないんです、と一瞬言いそびれた。

「試しに、サンプルだけ注文してみない?最初はかなり安くなるよ。」

 彼は、セットで数千円のサンプル品を指す。女の子の部屋に小物として置いてありそうな可愛いガラス細工や香水の瓶、アンティークの銀のスプーンなどだ。なんだか懐かしくて、私は見入ってしまう。

「これが今日売れると俺、かなり助かるんだけどなぁ。俺を助けると思って、これだけ、協力してくれる?」
「・・・はあ。これだけなら。」

 小牧さんの屈託無さそうな笑顔に騙されてしまった。
 彼は、マスターに言って、ペンと朱肉を用意させる。

「ここにサインして、・・・印鑑なんて持ってないよね?」
「ありません。」
「じゃ、拇印で良いよ。」

 一瞬、やはり私は躊躇った。

「あの・・・印鑑が治療院にありますから、今度、そっちでも・・・」
「いや、今日までに達成しないとダメなんだ、これ。」
「はあ・・・。」

 促されるまま、私はサインして、拇印を押されてしまう。

「いやぁ、ありがとう!これで助かったよ。」

 小牧さんは本当に嬉しそうだったので、私もまぁ、良いか、という気になった。



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